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進級してから、早くも第三週目を迎えた休日の土曜日。
優太はその日、吉祥寺駅構内にある世界的有名コーヒーチェーンの脇で、上から下へ、下から上へと忙しなく行き違う人々の流れをぼーと眺めていた。
べつに、黄昏れてるわけでも、人間観察に興じているわけでもない。ただ、指定された待ち合わせ場所に、指定された時刻より早く到着してしまい、今こうして過ぎゆく時の流れに身を任せているのだ。
最初はスマホをいじったりもしていた。ゲームアプリを開いてみたり、電子書籍に目を通したりもしていた。けれど、どうにも気分が落ち着かず、気づいたらなかなか変わらない数字ばかりを目で追っている。
意識しないように色々と策を講じてみるものの、結局はその繰り返し。やっているうちに馬鹿らしくなってきて、そのうちスマホは黒いデニムズボンのポケットの中にしまいこんだ。
そのとき最後に見た時刻は九時四十分。あれから、どれぐらいたったろうか。体内時計では十分くらいは経過していると思うので、現在時刻は九時五十分を回ったところだろうと優太は何とはなしに考えた。
待ち合わせの時刻まで残り十分。
優太は着ているブルゾンの襟を軽くただし、覗かせたパーカーのフードを軽く整える。デニムについていた埃を取り払うと、再度構内へと視線を走らせる。
「……」
休日の構内には、当たり前だが多くの人たちで溢れ返っていた。
中央総武線、中央線、井の頭線、成田エクスプレスーーそれぞれ四つ改札口から吐き出された人たちは、北口、南口、西口、東口の計四箇所の出入り口に向かって、はけては消えていく。
その多くが私服姿。スーツ姿を身にまとったサラリーマンたちは、二割くらい。
その中でも南口には、もっとも多くの人たちが足を向けているのがわかる。おそらくその目的は、構内から約五百メートル南に向かった先に位置する、言わずと知れた桜の名スポットーー井の頭恩賜公園。
今年は、桜の開花時期が遅れていると今朝のニュースが教えてくれた。そのため、四月末にも関わらず、今年は今なお多くの観光客たちで溢れかえっているのだ。この分だと、今日も公園内は多くの花見客でごった返していることだろう。
「桜、ねぇ……」
そう呟きながら、優太はかれこれここあの満開の桃色の花を観に行った覚えがなかった。
べつに、桜が嫌いなわけではない。どちらかと言えば、基本、好きな部類に入る。だけど、いざ足を運んで観に行こうと言われれば、何かと理由を付け、断り続けている。
桜を見ると、どうしても思い出してしまう記憶があるから。その度に後悔して、泣きたくなるから、だから、いつの日から足が遠のいてしまっていた。そして、気づけば五年の月日が経過してしまっている。
あの日、寒い寒いあの冬の日ーー。
彼女が残した傷跡は、五年という月日が経った今でも深く、深くこの心を刻まれている。今はもう、この街にいなくてもあの想いが、あの痛みが、あの寂寥が、あの過去が消え去ることはない。優太の傍に、彼女が戻ってくることはない。
優太がふとした感傷に浸っているとズボンが震えた。いや、中に入れていたスマホが震えたのだ。
スマホを手に取り、画面を見ると一通のメッセージが届いていた。
——先輩、もう着いてますか?
優太のことを先輩と呼称する人物は、後にも先にも一人しか知らない。しかも、その一人と出会ったのもつい最近。二日前の木曜日。
切っ掛けは、酔った男にナンパされていたところを偶然通りかかった優太が助けたことから。場所も、構内からすぐと下りたところにある公衆電話前だと、今でも明確に思い出せる。
休日の土曜日にもかかわらず構内にいる理由も実はそのお礼も込めて、昨晩、彼女自身から誘いを受けたから。
優太は、緑のアイコンがトレードマークなアプリをタップして、未だに見慣れない『ともか』の名前を指先で触れる。これで相手のメッセージ脇には既読の文字が浮かんだはずだ。
——集合場所にて待機中
手短に簡素なメッセージを打ち込み、紙飛行機をワンタップ。五秒ほど遅れてからメッセージの脇に既読の二文字が添えられた。了承の返事としてあざとく可愛い猫の「了解」スタンプが送られてきた。
それに既読をつけてから、優太は再びポケット中にスマホを仕舞い込む。そうこうしているうちに、エレベーターのほうから見知った少女がひとり、優太の方に近寄ってきた。
待ち兼ねた主役の登場に優太が振り返る。が、その直後、「せ〜んぱい!」と弾ける声色を伴い、柔らかな感触と香りに包まれた。
「うおっ!?」
首前に回された白い腕は惜しげもなくさらされ、あたふたしている間にガッチリとホールドされてしまう。色々とまずい女子の感触と、公共の場でいちゃつくバカップルのような光景を勝手に想像し、出会って早々、優太は早くも根を上げそうになった。
「ちょっ、お、おい、離せってっ!」
優太はしっかりホールドされて離れない腕を掴み、強引に取り外そうとする。けれど、解こうとすればするほどに、どういう理屈かわからないがきつく圧迫されてしまう。 華奢な体のどこにこんな力があるのだろうか。下手をしたら、優太よりも腕力はあるのかもしれない。
「昨日ぶりですね、先輩っ!!」
弾けるような実に生き生きした声が鼓膜を震わせる。テンションが昨日よりまして高いのは気のせいではないだろう。優太の気力はがりがり削られていくばかり。このままでは、優太のほうが早々にダウンしてしまいそうになるもの時間の問題だ。
「……ちょっ、まじタンマ、ギブ、ほんと無理だからっ」
ぎしぎしと首元がしまってきていることに気づいた様子は彼女にない。そろそろ勘弁してあげてもいいはずだ。優太は何もしていないのだから……。
「またまたぁ、そんなこと言っちゃって〜。実は柔らかなわたしの胸の感触を楽しんでいるくせにぃ〜」
「ーー!? な、なわけあるかぁ!」
公共の場でそういうことを口にするのは本当にやめてもらいたい。周りの人たちの暖かな視線やら嫉妬に歪んだ視線が痛くてしょうがない。というか、知人にこんな光景を見られ、あたかもカップルにでも間違えられようものなら、互いにたまったもんじゃないだろう。
優太はそこに攻略の意図口を見つけた。
「杉原、お前だってこんなところ、友達に見られたら何言われるかわかねぇぞ! 誤解されて、きっと面倒くさいことになるぞ。後悔するんだぞ! 枕を濡らしちゃう日が来ちゃうんだぞ!」
ここ最近稀に見る必死の説得だった。けど、これ以上もない正直な思いでもある。それでも、そんな優太の思いは、ころころとあがる笑い声に無残にもかき消されてしまう。
「あははは、必死な先輩もちょー可愛いですねぇー」
結局、しばらく経っても智花は一切ホールを緩めてくれなかった。
だから、優太は仕方なく、背中に掴まった状態のまま離れない女子高生を引づり、針の筵のような視線を浴びせられながらその場を後にしたのだった。




