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——これで、やっと平等だね。
あの日、亜麻色の髪を赤々とした斜陽に輝かせた彼女は、満面の笑みを浮かべて、面と向かってそう言った。
向かい合った黒髪の少女は、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
何を言われたのか理解できず、頭の中が真っ白になって息をするのも苦しくなって考えることをやめて——ただ、逃げ出すことしかできなかった。
弱い自分が嫌いだった。
あの日、あの冬の日、浮き彫りにされたのは、思い知らされたのは、脆くて弱い本当の自分自身。
ずっと続くと、そう無邪気に思っていたのはただの幻想で。幼馴染と過ごすあの日常は、彼女の放った一言からすべてが音を立てて崩れ去ってしまった。
あの日から、あの寒い冬の日から、五年前のあの放課後から、今も雪音の心の内にしつこく居座る、あの頃の弱い自分。
あの日から、冬は嫌いになった。弱い自分を思い出させるから。
あの寒い冬の日から、春は……もっと嫌いになった。桃色のあの花を見事に咲き誇こらせる季節だから。この世に生を受け、はじめて一緒にいたいと思った幼馴染を奪い去った相手を思い出してしまうから。
——苦く、切ないだけの、後悔の記憶。
「……」
そんな忸怩たる思いが胸の奥から湧き上がってきたのは、階段の先から現れた女子生徒を視界に捉えてからだった。
理由はわからない。意味なんて考えたくもなかった。でも、亜麻色に揺れるその髪を見て、垂れ目の奥から覗く瞳を見て、確かに、雪音の胸を締め付たのはそんな筆舌し難い心苦しさ。なぜ、このタイミングで、あの、冬の日の記憶が舞い戻ったのか——。
それに気がついたときには、無意識に雪音の足は一歩引いてしまっていた。
警戒している。理性じゃなくて、本能で。
名前もクラスも学年も知らない、けれど、目の前の女子生徒に、雪音の体と心が最大限の警告音を鳴らしている。
一刻も早く、この場所から離れてしまいたい。そう思ったとき、おあつらえ向きにチャイムが鳴った。昼休み終了を告げる予鈴だ。
チャンスだと思った。
この場を去るには今しかないと、無意識のうちに雪音はそう思っていた。そうやって考えてしまっていた。
だから、何かを言われる前に雪音の足は動き出していた。まだ、何か言われると決まったわけじゃないのに。
「……」
けれど、その一瞬、横目に映った幼馴染の横顔が雪音の歩みをためらわせた。何かを考え込んでいるのか、はたまた突然現れた彼女に驚いているのかわからないけれど、彼は、片瀬優太はその場でじっと動かず固まっている。
雪音のことは一瞥もくれず、ただ亜麻色の髪の女子生徒に茫然と魅入っている……。
その事実が氷のように固まっていた雪音の足を、ゆっくりと、でも確かに前へと動かした。胸を握り締め付けてくる痛みから逃れるように。
だから、いい訳だと、生地なしだと揶揄されても仕方がない。雪音自身、他人を理由にして逃げているだけの臆病者だと思う。
でもそれが、揺るがぬ事実であり、確かなる雪音の心情でもあって。今は、もう一瞬でも、一歩でもいいから早く、この息苦しい空間から遠くに在りたいと、そう思っているのだから──。
「ふ〜ん、そうやって、また逃げ出すんだ」
彼女の脇をすれ違う間際に、ふと気の抜けた声が鼓膜をかすめた。その言葉に雪音は、はっとして足を止めて振り返る。すると、見据えた視線の先……五段から連なる階段上に立つ、ひとりの女子生徒の背中があって。彼女は、雪音に背中を向けたまま、何も言わずただそこに立っている。
気のせいかと思った。ただの空耳だと。
同時に、今思い浮かべる最悪の想像が現実になる恐怖から目を逸らしているだけだと理解しているもうひとりの自分がいる。彼女の存在を認めるという行為に怯えている自分がいる。
それでも雪音は、この場から去る選択を取った。まだ、心の準備はできていないから。整うのかどうかもわからないけれど、今は、そのときじゃないーーと、そう思ったのだ。
階段を駆け下りる── そして、その言葉はふいに放たれるのだった。
「皆瀬さんは、昔と何も変わらないんだね」
ふと、脳裏を過ぎるは、苦く、切ないだけの、後悔の記憶。あの冬の日の、あの放課後でのたった一幕。
その声、その言い方、その表情、その仕草。その全部が、一緒だったから。
「うそ……」
駆け下りた階段の先、しんと静まり返った廊下の端に、雪音の呟きは空虚の中に溶けて消えていった。




