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踊り場でふわりと立ち止まり、振り返った彼女。優太を見るその瞳からは、質問に答えるという意思が伝わってくる。その意思が気変わりしないうちに、優太はさっさと最後の質問を口にすることにした。
「さっきから気になってんだけどさ……俺は、君のこと知らないはずなのに、何で君は、俺のことを知ってんだ? 確か俺たちって、初対面のはずだろ?」
「つまり、片瀬君は、私が一方的に知っている状況が気に入らないってこと?」
亜麻色の髪の少女はそう言って、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「いや、気に入らないとは言ってないだろ。ちょっと不思議に思っただけの話だよ。だってそうだろ? 誰だって一方的に知られているって状況は、気分のいい話じゃないし、気になるだろ?」
「まぁ、うん、確かに、そういう人もいるかもね」
優太の言葉に同意するように彼女はうんうんと頷いている。一呼吸間おいて、彼女の瞳が何かを思いついたように煌めいた。
「じゃあ、ヒントっていうか、アドバイスをひとつあげる」
「アドバイス?」
「そ、アドバイス、助言だよ。あっ、もしかしていらなかった?」
彼女はそう言って、今度は口元に淡い微笑を浮かべる。それは、最初から優太の答えなどわかっていて質問してきている証拠だ。だから優太も、その瞳を真っ直ぐに見返し、考える暇なく首を縦に振った。もらえるものはもらっておくのが優太の主義だ。
「いいね、そうこなくっちゃ」
優太の返答に彼女は口元を緩ませ満足げに微笑む。そのあとで、右手の人差し指をすっと立てると、おもむろに口を開いた。
「じゃあ、明日、デートしてくれない?」
「は?」
聞き慣れない単語に、思っても見なかった言葉に、優太は思わず素っ頓狂な声をあげた。浮かべた表情も連動し、間抜け面だ。目線下の彼女はそんな優太の様子を見ていたずらが成功した子どものようにくすくすと笑った。
「で、テート?」
世間一般的な男子高校生である優太が、いわゆるデートと言われて脳裏に思い浮かぶのは、男女の関係を表すあの英単語。『Deta』のあの四文字だ。
「そ。まさに、そのデートだよ。あっ、日付のほうじゃないからね。日時や場所を定めて好意を抱いたふたりが会うほうのデートだから」
知らぬ間に手にしてたスマホに視線を落としながら、最後に『逢い引き』とも言うよねっ! と、得意げにぱちりと目配せをしてくる。垂れ目の目元には星が煌めいたように見えたのは脳が混乱しているからだと思いたい。
「いや、ちょっと待て、何でそうなる。だいたい、まだ俺はーー」
徐々に理解が追いついてきた脳で、優太は「さっきも似たようなことしたなぁ」と思いながら突っ込んだ。さすがに話の流れが飛躍しすぎている。物事には順序というものがあるし、一方的に言われても、言われた側は混乱するだけ。
けれど、優太がすべての言葉を言い終わる前に、「安心して」と、先回りして彼女が口を挟んでくる。
「そのデート相手は、私じゃないから」
「?」
安心できるどころか、ますますわけがわかなくなってしまった。これにはさすがの優太の脳も悲鳴を上げてしまう。情報処理の限界が近い。しかし、そんな優太をよそに、目下の彼女はお構いなしに言葉を紡いでいくのだ。一方的に。
「今晩、その誘いが片瀬君のもとに来るだろうからさ。どうしても私のことを知りたいって言うのなら、その子の誘いには乗ったほうが得策だと思うよ。あっ、もち、事前に私のことを友達やら何やらに聞いても文句は言わないけどさ、たぶん、片瀬君が欲しがっているような、懸念しているような情報は聞けないと思うから。その辺を含めて、よくよく考えて行動することを勧めるよ」
矢継ぎ早にそう告げたあとで、彼女は手をひらひらと振りながら、今度こそフェーズアウトしていってしまう。
「以上、私から君に贈るアドバイス兼ヒントでした。じゃあ、また会おうね、片瀬君」
「あっ、おいちょっと待てって!」
「待たないよ〜だ」
去ってゆく小さな背中を慌てて追うが、楽しげな声とともに彼女は身軽に階段を下っていく。そして、優太の制止の声虚しく、あっという間に姿をくらませてしまった。
残ったのは、無残に空虚を掴む右手と、いつものしんと張り詰めた森閑な空間だけ。
「……はぁ……ほんと、意味わかんねぇ……」
突然現れては、心を乱され、去っていく。まるで、嵐のようだった。あの楽しげな声は今も耳の奥に残っている。いや、声だけではない、残っているのは、山の天気のようにころころ変わる表情や言葉の端々に見て取れた仕草や言葉使いといった些細なことまでも……。
それは、残っていると言うよりも、覚えていると表現したほうが正しいのかもしれない。でも、優太にはそう思う理由がわからない。わからないけど、それでも、そう思ってしまった自分がいる。そう思ってしまったから、こんなにも彼女のことを気にしている。
優太はズボンの中からほぼ無意識にスマホを取り出していた。
屋上に出ると、昼下がりの爽やかな風が優しく頬を撫でる。遠くのほうから聞こえてくるのは、楽しげに笑う子どもたちの声。
「今夜、ね……」
おもむろに呟いた言葉は、先ほど、亜麻色の髪の彼女が残していった言葉。『ヒント』とも『アドバイス』とも言っていた。
優太は彼女のことを知らない。
けれど、彼女には何か引っかかるものがある。が、その何かはわからない。とても不透明で不鮮明な違和感。その正体を知りたいと思う一方で、どこか警告を鳴らしている自分がいる。
「さて、どうすっかなぁ……」
それでも、一度覚えてしまった違和感はそう簡単には拭えない。少なくとも、優太が抱いてしまった不審の念は、今こうしているときでさえ膨らみ続けているのだから。
青く突き抜けた空の下、五時限目の開始を知らせるチャイムが高らかに鳴り響いた。




