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「バカじゃん、俺……」
腰に手を当て、片瀬優太は無機質な天井を見上げた。
自虐めいた声がいやに屋上前の廊下に反響して聞こえてくるのは気のせいではない。
気づいている。自覚もしている。今の自分がどれほど惨めで滑稽なのかぐらい、優太は理解している。女々しいと、そう言われても文句は言えない。
しんと張り詰めた空気の中、優太は思いを過去に馳せた。
皆瀬雪音。それは、幼い頃から苦楽をともにした幼馴染の名前。
彼女とはじめて出会った場所は地元の幼稚園だった。
切っ掛けは、なんとなく、優太のほうから話しかけに行ったことからだったと思う。
その日は、入園初日から数日が経過したよく晴れた日のことだった。
青空の下、若葉を乗せた風が青々とした木々の葉を揺し、帽子のたれを靡かせる。
みんなが遊具で楽しく遊ぶ中、優太はその輪に交えず、一人石段の上に腰を下ろしながらその様子を見るとはなしに見つめてた、そんなとき。
その瞳が同じようにあぶれた彼女の姿を捉えた。
沈んだ顔。長い前髪で表情はよく見えず、何となく、陰鬱そうな子だな……と、当時の優太はそう思った。それが、皆瀬雪音における片瀬優太の紛れもない第一印象だった。
でも、どういうわけか、優太は入園したその日以来、はじめて自分から話しかけに行こうと思った。
理由はわからない。今思えば、ただなんとなく、彼女の笑った顔が見たくなったのかもしれない……。
「ねえ、君もひとり?」
「……えっ?」
優太がそばに行って話しかけると、彼女は驚いたような顔をした。長い前髪の隙間から覗く大きな瞳は見開かれ、華奢な肩が小さく跳ねる。
よし、これで掴みは完璧。あとは、何か面白いことを……。けれど、そう思っていた優太の意向とは裏腹に、彼女はすぐに俯いてしまう。逸らされた視線は、少し遠くの地面を見ていた。
「なあ、俺の話、聞いている?」
どうして、自分がこんな行動を取っているかのかよくわからないままに、俯く視線の先に優太は顔を覗かせた。
「な、なに?」
優太が顔を近づかせると、気づいた少女がようやく反応してくれた。先ほどの暗い雰囲気から一転、その反応は少し素っ頓狂なものだった。それが優太の笑いのツボを突いてきた。
「ぷっ、なにその顔」
不意打ちだった。思わず吹き出してしまう。木漏れ日の下、優太のからからとした笑い声が軽快に響き渡った。
「な、なに? なんなの?」
状況がうまく掴めていない彼女の表情には、先ほどまで暗さはなかった。今は少しだけあたふたしていて、うまく戸惑いを隠せていない感じ。
それに気づいた彼女は浅い呼吸を繰り返す。そのあとで、今度は訝しげな瞳が優太を捉えてきた。優太を映すその瞳は、紛れなく不審な者を見る目だった。
でも、優太にとってそれは、はじめて自分を見てくれた証でもあったから、彼女の内情には気づけず、強引に話を進めてしまう。
「きみ、今ひまでしょ?」
「……?」
突然の話題転換に、彼女の顔が困惑色に染まる。言っていることがよくわからないと、浮かべた表情がありありとそう語っていた。
「だから、いま、ひまかって、聞いてんの」
けれど、当時、盛り上がった少年には、少女の困惑を察するほどの洞察力や余裕はなかった。ただ目も前のことだけしか見えないといった感じ。良くも悪くも真っ直ぐな瞳が少女を捉えて離さない。
優太は、先ほどよりもぐいっと彼女に歩み寄り、少女に答えを求めた。
「うん……まあ、ひまだけど」
そう答えながら、歩み寄ったぶんだけ、彼女の体を離れていく。明らかなに警戒されている。浴びされられる声も、先ほどよりも冷ややかで。でも、あのときはその返事だけで、暗い道の中に光が差し込んだみたいに思えた。
だから、気づいたときには、優太は俯く彼女の手を取っていたのだろう。
「そっか、なら、俺と遊ぼう!」
「え?」
少女の困惑を無視して、優太は園児たちが少ない場所に指をさす。
「ほら、あそこ、あの砂場に行こう!」
「えーっ!?」
しのごの言わせず、勝手に手を握り、勝手に引っ張って、戸惑う彼女を優太は強制的に砂場に連れ出した。
「ほら、見ろ、この山、すっげぇでかいだろっー!」
砂場に着くと、そこら中にある砂をかき集めて、優太は一つの大きな砂山を作ってみせた。
「……うん」
彼女は優太の作った砂山を見下ろしている。でも、反応は乗り気じゃない。声も表情も先ほどとあまり変わらない。いや、逆にワントーンぐらい下がったのかもしれない。
そんな彼女の反応が、優太の心をもやもやとさせる。作った山はなかなかの力作だったのに……。
「ほら、お前もやってみろって」
理由もわからないまま、優太はとりあえず彼女も同じようにしゃがみ込ませた。自分と同じことをすれば、きっと彼女も笑顔になるかもしれない……と、子供ながらに不器用ながらにそう思ったのだ。
そして、言われた通り、彼女は砂をかき集めはじめた。
はじめは戸惑いながら、ちらちらと優太の顔を窺いながら、自分の行動が間違っていないか確かめながら。
山を作って、その度に固めて、もう一度砂をかき集めて、また固めて……。
そうして、彼女が作り上げた砂山は、優太が作りあげたものに比べると随分と小さいやつだった。小山と言ったほうが正確なのかもしれない。
優太たちと同じくして、砂山作りに勤しむ周囲の子供たちの中でも一際小さかった。少し強めの風に吹かれれば、今に消えてなくなりそう。それでも、一生懸命に作り上げた彼女の山だ。
わけもわからず、母親に預けられた幼稚園。
同年代の子供たちとは馴染むことができずにいた数日。
緊張して、何も言い出せず、何も出来ず、やっとの思いで話しかけることができた相手が作った砂山。
彼女はすごく緊張していたんだと思う。当然だ。いきなり知らない相手に話しかけられれば、誰だって萎縮してしまう。ましてや、人見知りならば一段とその傾向が強くなる。
それでも彼女は、優太の言葉にはじめてついてきた相手だった。
そんな彼女が作った山だから、優太が言ってあげる言葉など最初から一つしか存在していなかった。
「おまえ、すっげぇーじゃんっ!そんな綺麗な山、おれ、見たことないって!」
素直に思ったままの感想を口にした。すると、それが彼女にも伝わったのか、大きな目をぱちぱちと瞬かせ、口元をわずかに綻ばせた。
「ほ、ほんと? わたし、すごい?」
「あったりめーじゃん!」
「えへへ……」
少し照れながら、彼女は優太の前ではじめて笑った。
それがなんだか嬉しくて、優太もつられるように笑っていた。
それから二人は、夢中になって山を作り始めた。次第に彼女の表情にも笑顔が増え始め、それが優太の気分を高揚させた。
「だったらさ、俺とお前で、もっともっともぉーと! すんげ〜山、作ってみようぜ!」
両手いっぱいに腕を広げ、とにかく凄さを表現する。当時はこれが限界だった。でも、なんとなく、すごい山ってのが伝わりさえすればなんでもよかったのかもしれない。
「もっと、すっごい、山?」
優太の言葉に、少女は小首を傾げる。けど、そこに嫌悪感はない。むしろ、やる気。優太の言わんとすることを少しでも理解しようとしたからこその表情だった。
「そう! これよりもっとでっかくて、きれいで、なんか、もう、とにかく、すぅっげぇ〜山だよ!」
「……わたし、作れるかなぁ……?」
結局、優太の言う山のスケールにはついていけず、少女は漠然とした不安を表情に浮かべて言った。
「作れるって!ぜったい、作れるよっ!」
その言葉に、根拠なんて何もなかった。ただ純粋に、彼女と一緒に何かを作れれば、優太はそれでよかったのだ。それがどんなに歪な山でも、小さな山でも構わない。それが、きっとすごい山だって、そう思えるはずだから。はじめから根拠なんて必要なかったのだ。
「でも、わたし……」
それでも言い淀む少女の言葉を、優太はむっとした表情で遮った。
「でもじゃないって!それに、わたしでもない」
「え?」
優太の言葉に少女は目を丸くした。そんな少女を見て、優太は勝気な笑顔を浮かべて言った。
「俺たちだろ? 俺たちの手で作るんだろ?」
そこまで言われて少女は気づいた。自分はもうひとりではないことに。
「なら、ぜったい、いいもんが作れるって」
「うん!」
優太の言葉に、今度は戸惑いもなく、彼女は盛大に頷き笑っていた。盛大に笑ってくれた。
その笑顔が見れただけで、優太の体の真ん中には温かい想いが溢れた。また同じ笑顔が見たいって、そう素直に思った。
それから、一緒に山を作り上げていく中で、ふたりの距離はみるみると縮まっていった。
完成した山は、大きいだけの不格好な山だったけれど、幼稚園の先生が褒めてくれて、ふたりの得意げな笑い声が園内に快活に響き渡った。
──ひとりが、ふたりへ。
それが彼女、皆瀬雪音との出会いだった。
あれから、十三年。
高校二年生になった片瀬優太の隣に、彼女の笑顔は——今はない。砂山を作り上げ、照れくさそうな笑みを浮かべた彼女の笑顔はどこにもない。
チャイムが鳴った。
五時限目の授業開始五分前を告げる予鈴だ。
脊椎反射の如く、足がほぼ無意識に教室に戻ろうとする。
一歩、二歩、三歩……踏み出したところで、優太の足はぴたりと立ち止まった。
「やめだ……」
今の気分では、到底授業を受ける気にはなれなかったからだ。ようは、サボりだ。確か、五時限目授業は英語だったはず。ALTの先生を招いての特別授業。
踵を返す。先生に怒られることも百も承知で。
ひとつだけ懸念があるとすれば、この扉の先に、先ほど喧嘩したあのサッカー部の三年生がいるかもしれないということだけだろうか。
「まあ、それならそれでいっか」
少し考えてから、問題はないと吐き捨てる。むしろ、少し居て欲しいぐらいだった。なんだか今は、少し喧嘩をしたい気分だった。このやるせない気分を、自分自身に溜まった、このどうしようもないフラストレーションを発散させるのも悪くない、そう思った。
そんなことを考えながら、扉のドアノブに手を伸ばす。
「え……」
けれど、伸ばした手がドアノブを掴むことは叶わなかった。
当然、マジックとか怪奇現象とかじゃない。
もっと、単純なこと。優太が掴むその前に、扉が開き——そして……。




