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【22万PV突破!】Anemone ~ 君とまたいつの日か。  作者: NexT
#── Capture2. assignment ──#
16/53

#—— 8 ——# 

 

 特別棟三階に位置する生徒会室を出たあと、雪音は、同じ棟の一階にある保健室に足を向けていた。

 物静かな雰囲気も手伝ってか、小気味よい自分の足音が周囲に反響する。

 常日頃、ほとんどの生徒が昼休みを特別棟に隣接する本校舎で過ごす。


 その大半を占めるのが、教室の中でおしゃべりに興じる者、または部活動のミィーティングに顔を出している者などもいる。それぞれが、それぞれに、思い思い午後の至福の一時を過ごしている。


 当然、雪音も例外ではない。ただ、他の生徒と比べると、特別棟ーーひいては生徒会室にて多く時間を過ごしていて、教室にいる時間のほうが短い。

 生徒会室の鍵を所持管理しているのは雪音だ。誰かの意思や頼みでもないので、昼休みも生徒会室にいる必要性は皆無といっていい。つまり、彼女は彼女の意思で生徒会室にいる。鍵も率先して引き受けた。


 当然、それには、雪音なりの打算が存在する。


 雪音にとって、出来れば出会いたくない人物が、あの建物の中にいるから……。

 雪音にとって、彼という存在を一言で説明するのであれば、幼馴染みーーという表現が適切だろう。

 彼、片瀬優太と、雪音が初めて出会ったのは、十二年前。当時三歳のころ。


 場所は、地元の幼稚園。

 あの日も、今日のような麗かな陽気に満ちた気持ちの良い日だった。

 と言っても、彼とは、これといって特別で劇的な出会いはしていない。印象的なきっかけも存在していなかったと思う。


 どちらかといえば、気づいたときには一緒にいて、同じピンク色の帽子を被り、手を繋ぎ、隣で笑っていた。

 それは、砂場の中でも、鉄棒の上でも、ブランコに乗っているときでも、歳を重ねてからも、彼は変わらずそこにてくれた。


 当時、彼が隣にいることが雪音にとって当たり前で。そのことに何の疑問も抱かなくて、この先も、こんな日々が漠然と続いていくのだろうと思っていた。

 そう、あの日まではーー。

 思考が途切れる。その狭間、遠くのほうから複数の男子生徒たちの笑い声が聞こえてきた。同時に、何かを警戒するように雪音の歩みも止まった。


 音をたてず、耳を澄ませる。が、やはり会話の内容までは聞こえない。距離があるのだろう。その辺は、雪音も最初から期待していない。唯一気になるのは、その人物が何者なのかどうかということだけ。


 だからといって、雪音も自分から出向きたくはない。できれば、聞こえてくる声だけで、警戒している人物かどうか特定したい。

 そして、声を押し、聞き分けること三十秒ほど。雪音は安心したかのような深いため息を吐いた。響き渡っていた男子生徒たちの笑い声が遠のいていったからに他ならない。


 過ぎ去っていく足音を機に、止まっていた足を再び動かす。

 三階から二階へに下ると、似たような殺風景が広がっていた。

 あと数十段も下っていけば、また同じ光景が広がるだけで、面白味もなんともない階段を下り続ける。


 先ほどまで微かに聞こえてきた男子生徒たちの声も、今はもう聞こえてこない。喧騒と入れ替わるように、静謐が訪れる。今は、この静けさが心地よかった。

 思えば、静寂に慣れてしまったのは、いつからだっただろう。


 考えてみると、答えはすぐに思い浮かんだ。

 きっと、あの日から……。

 五年前のあの冬の日、福岡に引っ越した、あの寒い、寒い、冬の日から。

 雪音は、一階へ降りる踊り場で足を止め、ふと、窓越しに高い高い青空を見やった。目蓋を閉じると今でも思い出す、あの日の記憶ーー。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 あの日は、木枯こがらしが吹き荒れる十二月下旬。

 空気中の水蒸気が外気と室内の気温差で凝縮され、校舎の窓ガラスにはいくつもの水滴を浮かび上がっており、吹き付けた風に煽られ、逸る気持ちを責め立てられるように、窓ガラスがピシャピシャと嫌な音を立てて震えていた。


 西の空も暮れ始めた放課後──。


 物静かな空間が席巻する校舎内、廊下を駆け抜ける足音だけが妙に響いた。

 放課後に漂う学校特有の静けさが、当時、小学六年生だった雪音は、好きになれなかった。

 実際、何か良からぬ現象が起こるわけでもないのに、放課後の学校には、そういう心境を抱かせらえる雰囲気というものがある。後ろには誰もいないのに、誰かに見られているような、奇妙なあの感じ。


 校内には、雪音以外、残っている生徒は少ない。大半の生徒がこの時間帯にもなると、帰宅していたり、運動に勤しんでいるから。

 当然、普段の雪音もこの時間まで居残りしているときのほうが少ない。だから、今、残っているのにも訳がある。


 端的に言えば、告白だ。それも、愛の告白のほう。

 小学六年生ーーいわゆる高学年と言われる子供たちは、低学年と比べ、意識的にも自意識にも成長し、思春期を迎える年頃である。


 当然、雪音にも、そしてその周囲の子供たちにも、それは同様に等しく訪れる。現代の大人と呼ばれる人たちも、一様に思春期を迎え、終えているのだ。

 思春期とは、誰もが通る道であり、その最中、多かれ少なかれ、誰にでも悩みが付き纏う。


 悩める種は十人十色。出席番号が一つ前の男の子も、一つ後ろの女の子も、それぞれがそれぞれの悩みの種を持ち、抱えた鉢からいつ芽吹くかわからない種に怯え、毎日を過ごしている。


 中には、一切の悩みを抱えていなかった生徒も存在していたのかもしれない。でもそれは、かなり希有(けう)な存在だと思う。そんな存在は誰の目から見ても羨ましいし、面倒な悩める種を持つ、一人の少女として、雪音もまたそうあれたらどんなに楽だっただろうと思う。


 その日、雪音は、名前も知らない男子生徒から告白を受けていた。

 呼び出された場所は、体育館裏。脇に用水路が流れており、その向かい側に小さな松林が鬱蒼と生い茂っている、そんな場所。

 普段から日光を通しにくいそこは、木々や体育館に阻まれ大概は湿気っているがゆえに、立ち入る人間も少なく、決まってそういう場所は、当時から絶好の告白ポイントなりすい傾向があった。


 告白自体は、雪音が断ったことですんなり片がついた。

 他人より容姿が優れる雪音は、告白される頻度もまた高い傾向にある。だからと言って、嬉しいわけでもなければ、告白というセンチメンタルな感傷をともないやすい行為自体に慣れるわけでもない。


 当時、雪音自身にも好きだと思える相手がいたからだ。

 告白するには、ふたつの勇気が必要となる。

 ひとつは、告白する勇気。

 ふたつめは、断れたとき、その結果を受けれる勇気。


 このふたつを持ち合わせてなければ、大概の人間には告白することすら叶わないと、雪音は考える。だから、その決定的なふたつを持ち合わせていなかった雪音には、誰かに告白することができず、そして、もし、告白し、断られてしまったら……なんて、悲壮な結果をどうしても考えてしまい、想像しただけでも胸の奥が締め付けられるし、絶対に引きずると思う。立ち直れる自信なんてものはどこにもない。

 そう考えると、自分に向けて告げられる言葉を、雪音がそう簡単に袖にすることができるはずがなかった。その勇気と実行力は尊敬に値するから。


「……よしっ」


 けれど、そんな自分とは、今日でおさらばだ。

 告白を断る度に悲痛に歪んだ相手の顔を見るのも、今日で、おしまい。

 いつもより長く感じる廊下を駆け抜けた雪音は、六年一組というプレートが貼られた教室の扉の前で立ち止まった。


 気持ちを落ち着かせ、上がる息を慎重に整える。高鳴る心音、そっと右手を当てて一度深呼吸。最後に、心の奥底で固く閉ざしていた蓋にそっと手を掛け、一言。


「好きです。ずっと前からーー」


 それは、今まで散々口にしようとしてきて、されど、叶うことがなかった純粋な想い。今までの長い間、大切に守り、育んできた嘘偽りのない純白な愛の告白。


「よしっ」


 それを、今は、今だけは、何の躊躇いも逡巡もせず、さらりと口にすることができた。自分でも、顔が真っ赤になっているのがわかるくらいには恥ずかしいし、『好き』というたった二文字を口にするだけで、こんなにも長い時間を要したのは自分くらいだろう。


 素直じゃないと、自分でも思う。けど、そんな自分も嫌いじゃない。いや、正直になろう。好きだ。今の素直な自分も、今までの素直じゃなかった自分も、雪音は好きだった。


 だって、胸の中に広がる感情はどちらも暖かかったから。

 そんな気分にさせてくれる相手が、今、この扉の中にいる。

 少しぶっきらぼうだけど、優しくて、一緒にいると安心できる、そういう相手。


 好意を抱いたのはいつからだったのかすら覚えていないけれど、それくらい、自然に好きなった相手だとも言える。


 もう、何十年間も抱き続けてきた、この想い。


 大切に、大事に、慎重に、温め育てきた、小さな種。


 それが今、ようやく芽吹くかもしれない。芽吹いたらいいなぁと思うし、きっと芽吹くんだろうと、勝手に期待している自分がいて少し笑える。


 そして、そんな自分を、彼もそうだったらと、そうであるはずだと、心の内にいるひとりの自分が、そっと背中を押してくれるような気がした。

 そうして、雪音が教室の扉の取手に手を掛けたとき、それは、教室の中からふいに聞こえてきたのだった。


「好きです、付き合ってください」




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