中編
「…………」
――あれ、私、いつの間に寝てたっけ?
危機に間一髪助けに入る美形。そんなの、現実に起こるんですか?いや、これは夢か?だったら、アンはどこで寝てしまっているのだろう。早く起きて、おうち帰らなきゃ。
酔っ払いの男は「なんだてめえは」と、ありきたりな台詞を吐きながらイケメンに向かっていく。
そして、イケメンは、あっさりと男の腕をひねりあげ、酔っ払いは舌打ちをしながら去っていく。
助けて欲しいと訴えることさえ忘れていた。
なんだ、この物語的展開は。
「大丈夫か?」
転んだままだったアンに手を差し伸べ、イケメンがアンを助け起こしてくれる。
「……ありがとうございます」
辛うじてお礼は言った。
自分は、白昼……という時間ではないが……夢を見るほど、こんな願望を持っていたのか。
なんとなくショックを受けながら、ふらふらと家に向かう。
「家まで送ろう」
「あ、結構です。怖いので」
知らない人にいきなり家まで送られるのも怖いし、自分の妄想具合も怖い。
どこまで現実か分からなくなっている時点で、ものすごく呑みすぎていることは理解した。
「怖い……不埒な真似をするつもりはないのだが……まあ、言うだけでは信じられないだろうしな……」
イケメンはショックを受けているようだ。
助けてもらっておいてひどい言い草だが、ここは引いてもらうしかない。
イケメンだからといって、変態ではないという保証にはらなないのだ。
「あ、後日お礼に伺いたいので、お名前をお聞きしてもいいでしょうか」
送っていくというほどの親切な方を放置するのは、あまりに失礼だろう。
家を教える気はないが、最低限の礼節は守らねば。
ここで「名乗るほどのものでは……」と言ってくれれば終わりだ。
「俺は、シュレイ・アートラムという。近衛騎士をしている」
あ、名乗っちゃうんだ。
ちょっと面倒くさいと思ったことは心の奥底に隠して、アンは笑みを浮かべる。
幻を見ているわけではないようだし、礼をしなくてはならない……とは思っている。
でも、騎士か。
職務の一環として助けたってことで、別に会いに行かなくてもいいかな。
なんか、この美形な上に近衛な彼を後日わざわざ訪ねるって、どう考えても下心を感じる。
客観的に見て、アンが助けてもらったことを口実に押し掛けている構図が思い浮かぶ。
取次ぎを願い出た途端、『またか』的な視線を受けるのは嫌だ。
うん、きっと迷惑だ。
アンが面倒くさがっているわけではない。
恩人に迷惑な行為をするわけにはいかないのだ。
「アン・ガトーと申します。危ないところをありがとうございました」
この場で終わってよかったよかったと思いながら頭を下げる。
「いや。だから、家まで送ろう」
「何が、だから?」
思わず思った通りの言葉を発してしまった。
酔っていて、体の制御が効きにくい。
「え……騎士だから、危険はないと……」
シュレイは明らかに戸惑っている。
そして、自分の服装を見て、考えるように視線を動かしてから、アンに向き直る。
「本当なのだが」
「ええ。もちろん、助けてくださった方を疑うことなど。……もしかしたらの可能性を考えただけで」
近衛って名乗ったのは、この初対面の人だけだ。
それを証明するのも、初対面のこの人だけ。
服装だって、騎士隊の服を着ているわけではない。通りすがりの人の言葉を「まあ!」とすんなり信じるほど、アンは世間知らずではないだけだ。
この人が怪しいとかそういうのではなく、可能性を示唆しただけだ。
助けてもらったのは有難いが、ここから縁を結ぼうという気にならない。
アンがにこやかに頷くのを見て、彼はため息を吐いた。
「すまない。ちょっと、話がしたくて、追いかけてきた」
追いかけてきた。
さすがにそこまでとは思っていなかった。
アンの視線で、逃走経路を探されているのに気が付いたシュレイが慌てて言う。
「さっきの酒場からだ!つきまといなどではない!」
シュレイは顔を覆って、項垂れる。
「共感してくれる人が欲しいんだ……。頼む。話をさせてくれ」
イケメンが、アンを追いかけてまで来て、さらに項垂れる。
珍しいものを見た。
ここまでさせるほどの魅力は、アンにはない。
そもそも、つきまといだとしても、このイケメン近衛(?)が労力を割くのがアン相手だというのが腑に落ちない。
本当に話がしたいのだと判断した。
「まあ、いいですけど。中央の時計のとこまで行きましょう」
繁華街の中央は、少し広くなっていて、真ん中に花壇に囲まれた時計が立っている。
昼間であれば、人気の待ち合わせ場所だが、この時間には誰もいないだろう。
しかし、人通りがないわけではない。
アンの手を取ろうとするシュレイをさりげなくかわして、広場に向かって歩く。
シュレイは、少し悲しそうな顔をしてから、アンの後ろからついてくる。
こんな繁華街で男性と親し気な距離で歩く気はない。
知り合いに見られた時点で、次の日には『アンはイケメンに溺れて純潔を捧げた』などという噂が広まっているに違いない。
そうして辿り着いた中央広場で、シュレイは、花壇のふちに座ったアンを見下ろす位置に立った。
アンが必要以上に近づきたくないことに気が付いて配慮をしてくれているようだ。
「今、流行りだとかいう物語の騎士……あのモデルが、俺なんだ」
思ってもみない話に、アンは目を瞬かせて彼を見上げる。
シュレイは誇らしそうどころか、情けない表情でぽつぽつと話し始めた。
さっき聞いたばかりの恋の物語。
モデルとなった王女と騎士は、実在しており、騎士は今目の前に立つシュレイなのだそうな。
美しい恋物語を語られていた割に、シュレイは辛そうだ。
「そんな、きれいなものじゃないんだ」
そもそも、孤児院に出かけたわけではなく、王女が突然、森に出かけたいと言い出した。
王女が出かけるとなれば、それ相応の護衛が必要となるし、ルート確認など、やらなければならないことが多い。
しかし、この王女は、言い出したら聞かないのだ。
「護衛はあなたたちの仕事でしょ?さっさと準備をなさい!」
そう言い放って、侍女と共にお出かけの準備を始めてしまった。
森へ何をしに行くのかと思えば、美しい湖を見に行くと言う。
ここらへんに美しい湖などない。
もう少し山岳部に行けばいくつか思い付くが、王都周辺で、突然行ける距離に湖などないのだ。
「森に入れば、勝手に現れるわ」
どうやら、なんらかの小説に感化されてしまったらしい。そうして、高貴な血を引く自分ならば、妖精が住む美しい湖が目の前に現れるだろうと。
そんな訳の分からない根拠で、出発しなければならなくなったのだ。
あたりまえだが、湖は現れず、森を奥へ奥へと進んだ。
元々が急ごしらえの護衛編成。森の奥へ入っていくような装備は間に合っていない。
「まだ湖は見えないの?いやだわ。まさか、ないのかしら。あなたたちがいるせい?」
まさかも何も、無いと護衛隊長が伝えたはずだ。
このまま奥に進めば、オオカミの群れに遭遇することも考えられる。そろそろ引き返すことを提案するが、王女は拗ねて言うことを聞かない。
「嫌よ。湖に行くと言ってきたのに」
そうして困っている時に、盗賊に襲われたのだ。
隊長は、王女を説得しているところだった。
シュレイは、最初の攻撃を防ぎ、仲間に危険を知らせた。
急ごしらえでも何でも、日ごろから戦う術を訓練している近衛たちだ。すぐさま連携を取り、盗賊を捕まえた。
そんなに規模が大きい盗賊でもなかったので、ほとんど負傷者は出なかった。
そう、ほとんど。
唯一のけが人が、最初の攻撃を受け止めたシュレイだった。
右手の手首からひじのあたりまで切り裂かれて、剣は握れなくなった。
誰かを必死に守ろうとしてなどという名誉の負傷ではない。
ただ単に、油断が招いた結果だ。
王女は、シュレイの傷を見て取り乱した。
そもそも、戦いなど目の前で見ることも初めてだっただろう。
シュレイは痛みを我慢して、王女に「お見苦しいものをお見せしました」と謝罪した。
顔を上げたシュレイと、王女の目が、初めて合った。
そこで、王女はシュレイの美しさと『命を懸けて守ってもらった』という事実に感動して、彼に恋をしたのだった。
シュレイは、全くそんなつもりはなかった。
そもそも、守ったのだって職務であるし、シュレイ一人が守ったわけでは絶対にない。盗賊が攻め入る場所……すなわち、一番弱そうな突っ込みやすい場所だったということだ。
それなのに、王女は、その恋に酔いしれた。
もともとないはずの湖を探しに出るほどの夢見がちな王女だ。
美しい騎士との恋物語に、あっという間に夢中になった。
王からは当然、反対された。
それが、身分の壁だとか禁断の恋だとか悦に入り、王女一人でさらに盛り上がる。
シュレイは必死にそんなつもりはないと説明した。
直接王に訴えられるような身分ではないので、何人も間に挟んでのやり取り。
その間に近衛の仲間からは遠巻きにされるし、貴族からは王女に手を出した騎士だと噂が広まるし。
職務中のケガのため、剣が持てなくともすぐに首になることはなく、事務官として雇ってもらえることになっていた。
けれど、王女の恋愛相手だと思われているせいで居心地が悪い。
説明しても説明しても、王女がさらにその上から美しい愛の物語を被せてくる。
実際に話したことなど皆無に近しいというのに。
王女が語る美しい物語は、わざわざ吟遊詩人を呼び寄せて、王女が歌劇に仕上げさせてしまう。
さらに華美に脚色されて、民衆にも広がっていく。
しかも、最近起こった事実として。
シュレイは、近衛を続けていくのは無理だと判断した。
それどころか、王都からも出て行きたい。
あの主人公だと思われること自体が恥ずかしい。同僚の視線が冷たい。
次の仕事を探さないとな……放心状態で酒を飲んでいたところに、アンの呟きが聞こえたのだ。
『けっ。なあにが結婚だ。孤児院に行く途中の深い森ってどこだよ。護衛は一人だけかよ』
少しあらすじを聞いただけで、核心を突く意見。
アンならば、このどうしようもない鬱屈を聞いてくれるのではないかと思った。
ふらふらと立ち上がるアンの後をついて、シュレイも席を立った。
どうやって話しかけようか悩んでいるうちに、アンが酔っ払いに絡まれたのだ。
「怖がらせて、悪かった」
大きく息を吐きながら彼は言った。
「いえ……それは、ご愁傷さまでした?」
さらりと聞いただけだが、シュレイの苦労がしのばれる。
アンの曖昧な返答に、シュレイは痛く感激したようでこくこくと何度も頷いている。
シュレイは、誰かに愚痴りたくてたまらなかったのだ。
この話をすると、大抵の人は、『あの歌劇の、ヒーロー!』と前後の話を聞いてくれない。
共感も得られない。
アンのような反応を貰ったのは、久しぶりだ。
「最初は、同僚も同情してくれていたんだ」
任務でけがを負い、騎士ではいられなくなったのだ。
今後が不安だろうと相談にものってくれていた。
だが、美しい物語が語られるようになり、歌劇が開かれると、あっという間に共感はなくなった。
『王女と仲良くやっていれば、将来安泰だろ。うまくやったよな』
嫉妬交じりの言葉を投げつけられた。
「あんな病んでる女に恋愛感情持つはずないだろう!?――って言ってやりたいが、腐っても王女なんだ。言った瞬間に牢屋行きだ」
同じ理由で、共に警護していた近衛たちからの援護もない。
『自分たちも警護してましたよー』と言っても、良くて黙殺。悪ければ、功績を横取りしようとしていると思われる。
最初は、放っておけば熱も冷めるだろうと思われていたのもあって、放置されていた。
それが、どんどん大きくなって、もう取り消せないほどに世間に浸透してしまったのだ。
「王都から出て行かれるのですか?」
「……ああ。そうするしかないと思っている。左だけなら動く。まあ、どこか田舎の用心棒くらいならできるかもしれないから」
苦笑を浮かべるシュレイに、アンは深い同情を覚えた。
用心棒を雇うならば、右腕が動かない人間など、まともな場所では雇わないだろう。
いざというときの信用がない。
とても安い賃金で働かされるか、放浪するかだ。
アンだって、明日からどうなるか分からない。
「ようし、じゃあ、私が雇います!私を海沿いの町まで連れて行ってください。その代わり、私はあなたを治療しましょう!」
「海沿い?」
「そこは、王都から離れればどこでもいいんで。なんとなくです」
アンは立ち上がり、シュレイの腕を引く。
彼は驚いているようだが、おとなしくついてくる。
もともと、アンをきちんと送り届けるつもりでもあったのだろう。首を傾げながらも、「帰るのか?」と並んで歩き始めた。
「治療といっても、俺の腕はもう動かないぞ」
国お抱えの治療師が治療して、動かないと言われたのだ。
シュレイは眉を下げて右肩を上げて見せた。
手首の神経がやられているという。
「なるほど。痛みはありますか?冷たさや温かさ、温度は感じます?動かないというのは、指先も?」
歩きながら、矢継ぎ早に質問され、シュレイは目を瞬かせながら、律儀に一つ一つ答えていく。
「痛み……?時々、思い出したように痛むかな。温度は感じる。指は、動かす訓練をしていて、少し、動く」
アンはその答えを聞いて、にっこりと笑う。
神経はなくなってない。なんとかなりそうだ。
アンの家は、すぐ近くだ。
繁華街の端っこ、花屋の二階を間借りしている。本当ならば店主が住む場所なのだが、店主が市場の近くの方がいいと引っ越して、こちらを貸し出していたところを借りた。
家賃の割に綺麗で気に入っている。
アンは家の前まで来て、シュレイに向き直って言う。
「わざわざ言うのは自意識過剰のようなのですが、そういうつもりではありません」
早速帰ろうとしているシュレイを捕まえて、アンは言う。
彼は戸惑うように、アンを見る。
アンは、彼が変質者でないことを改めて感じて、内心ほっとする。
「私は、治療ができます。そして、腕はいいと自負しています」
その言葉に、シュレイは頷くが、困ったように首を傾げる。
食堂でのアンの呟きを聞き取っていたのならば、アンが治療師だと思っているのだろう。本当は免許も持たないサポーターなのだが。
彼を押し込むように家に招き入れて、アンはリビングへと通す。
「有難い話だが、無理だと思う」
唇を引き結んで、彼は言う。
今までも、何度も試してきたのかもしれない。
アンも、無駄に期待させるつもりはない。
「絶対とは言いません。ただ、私はもう治療院をクビになったので、数週間治療が行えなくても問題ないのです」
リビングの入り口に立ったままの彼を放って、アンは毛布を持ってきてソファーに寝る準備を整える。
「あの……泊まるつもりはないから」
「当たり前です!だから、そういうつもりじゃないって言ったでしょう!」
説明が足りなかったと、アンは慌てながら彼を振り返る。
シュレイもどことなしか、頬を染めていた。
イケメンのそんな表情を直視できなくて、アンは寝る準備ができたソファーに身を沈める。
「私は、思いっきり力を使うと、そのまま眠るんです。そして、数週間は力が使えなくなります」
アンはシュレイに、ソファーの前に座るように促す。
彼はおずおずと近寄ってきて、アンを窺いながら腰を下ろした。
「そんなに警戒しなくても、襲いませんよ」
思わず憮然とした表情を向けてしまう。
さっきまでは、アンの方が警戒していたというのに、この立場の逆転はいかがなものか。
乙女としては物申したい。
「今から治療をします。数週間分の力を一気に使います。すると、私は眠るので、シュレイさんは帰ってください」
こんな夜に自宅に連れ込んで、目の前で眠る。
シュレイを信用して、こんなことをするのだ。さすがに寝室に入れるのは憚られるのでソファーに寝床を準備したわけだが。
「そんな治療は聞いたことがない」
シュレイは目を丸くして呟く。
アンも、他にこのような使い方ができる治療師の話は聞いたことがない。
幼いころから力の使い方が上手だったアンだからこそできる技だ。
数週間分の力を、一気に放出する。
アンはシュレイの驚きには返事をせずに、倒れても大丈夫なように周りを固める。
「鍵はこれです。かけて出てくださいね。そして、ポストにでも入れておいてください」
手紙など来ないので、誰かが覗き込むことも無いので大丈夫だろう。
「危険だ」
シュレイが眉間にしわを押せてアンを咎める。
本気で怒っている様子の彼に、最後の不安が解消される。
「こんなことやるのは最初で最後です。助けてもらったし、さっきのお話に感動したので」
いたずらっぽく笑って、彼の怒りを無視する。
「手を貸してください」
彼の動かない右手を取って、目を閉じる。
「お、おい?」
まだ戸惑っている彼を無視して、一気に集中して、力を引き出す。
「――――っ!?」
シュレイの体が震えた。
アンは彼の右手を強く握りしめて、ありったけの力を流し込む。
他の治療師が、どんな風に力を使っているのか知らない。
アンは、患部に小さな光を見つけることから始める。そして、その光を手繰り寄せるのだ。
もう、古傷と化してしまいそうだった怪我。定着してしまえば、この腕はそういう腕だったとして元に戻すことは叶わない。
だけど、腕を見てわかった。
彼は、腕を動かすことを諦めていない。
指だけが動くわずかな可能性を求めて、自力で努力していた。
国に携わる優秀な治療師がもう治らないと判断しても、彼は一人で努力をしてきたのだ。