18ハクション 真摯な昼下がり(後編)
「さ、着きましたよ」
天凰院夢GEN楼に到着。清川さんも帽子を深く被り直し、店内に入る。
「舞鶴の元帥いるかな?」
店内をキョロキョロと見渡してみるが笹原の姿はまだない。待ち合わせには30分前に来て心の準備をしておけと言ったのに。
「あ、いないと思います。待ち合わせは3時なんで」
まだ2時前だ。いくらなんでも早すぎる。
「舞鶴の元帥さんに会えると思ったら居ても立ってもいられなくて、早いけど来ちゃったんですよねえ。場所もわかるか自信がなかったし」
……何か弱味でも握ってんのか笹原。人気絶頂のアイドルがここまで笹原に入れ込む理由って何だ?
「じゃあ奥の半個室スペースをおさえておきましょうか。そこなら誰にも気付かれずにゆっくり待てますよ」
「ありがとうございます。お願いします」
ウェイトレスさんにお願いして奥のスペースを使わせてもらう。衝立の奥にあるスペースは2人掛けの席が2つ。片方に俺達が座れば清川さんも安心だろう。俺も笹原が来る前に色々聞きたい事があるし。
「アフタヌーンティーセット3つ、紅茶はダージリン2つにアールグレイですね。かしこまりました」
まだ一時間もあるし、清川さんもアフタヌーンティーセットを頼んだ。初対面の男の前でアフタヌーンティーセットを食べるのは勇気がいるから、笹原が来る前に食べてしまおうという算段らしい。俺からしたら好きなものを食べてる女の子を見るのは好きなんだけど、乙女心というのは複雑なものだ。
「今日はつぼみちゃんお休みなんですか? 今ってお忙しいんじゃないですか?」
花菜の疑問も尤もだ。
雛岸によるとUNK09+31のメンバーがテレビに映らない日はないらしい。今や飛ぶ鳥を落とす勢い、というか、自分達以外の鳥を全て落としてしまった大人気アイドルグループだ。テレビの仕事だけでなく、レコーディングやMVの撮影もあるだろうし、休みが取れるとは思えない。
「あー、これ内緒なんですけど、今日は体調不良って事でお仕事キャンセルしたんです」
「ええ? 大丈夫なんですか?」
「バラエティー番組の収録にはアゲハさんに代わりに行って貰ったんで大丈夫です。元々アゲハさんバラエティー出たかったみたいで感謝されちゃいました。『ありがと、もっと休んでてもいいよ』って。それに、体調不良っていうのは本当なんです。舞鶴の元帥さんに会えると思ったら熱っぽくなって、息苦しくなって、こんなんじゃ仕事出来ませんから」
アゲハとは宇野川09時代からグループを支えてきた、現在ナンバー2の羽根田アゲハの事だろう。歌もダンスも一流だが、何より話すのが上手い。毎回MCは彼女の仕事だ。案外これで結果を出してバラエティーの仕事も増えるかもしれない。
それにしてもだ。
「あの、失礼ですが、舞鶴の元帥とはどういう関係なのでしょうか? まさかあの清川つぼみがあんな普通の高校生に、その、首ったけになる理由がわからないのですが」
笹原が普通かと聞かれると普通ではないな。今度は「ガンドラ」の世界大会に日本代表として出るらしいし、ゲーマーにとっては憧れの存在かもしれない。それにインカムを着けたアイツは紳士だ。
「舞鶴の元帥さんと出会ったのは私がまだ清川つぼみになる前です。つぼみは本名ですけど、清川は芸名なんです」
公開オーディションでは名前は公表されず番号で呼ばれていた。受験番号771が清川つぼみとして発表されたのはUNK09+31としてデビューが決まってからだ。
「私、いわゆる不良だったんです。人様に迷惑かけるような事はしていないつもりですが、親には散々迷惑をかけたと思います。高校もすぐに行かなくなって、しばらくして家出をして、そこで色々あって人間不信になって実家に泣きつきました。それからは家から出ずにずっと引きこもっていたんです。手慰みに『提督ロワイヤル』を始めて、舞鶴の元帥さんと出会いました」
とんでもない事を話す。今や清川つぼみの過去なんて週刊紙垂涎のネタだろう。笹原に会えるからと舞い上がっているのはわかるが、いささか無防備すぎる。
「私、地声がこんなだから男の人がいっぱい寄ってきて、そこでも騙されそうになったんですけど、舞鶴の元帥さんが助けてくれたんです。彼は私の事を別段女扱いしないで、あくまで一人のプレイヤーとして優しく接してくれました」
それから笹原と清川さんはチームを組む様になって仲良くなったという。そしてある日、自作の曲を送ってくれたのがターニングポイントになった。
「舞鶴の元帥さんの曲にすっごい感動して、思わず一緒にゲームやってる時に口ずさんだ事があるんです。それを聴いてくれた舞鶴の元帥さんが『ござるござるござる!』って誉めてくれて!」
ござるって誉め言葉なんだな。
「それから元帥さんの曲に歌を入れさせて貰う様になったんですけど、歌ってたら不意に思い出しちゃったんです。そう言えば私、幼稚園の頃アイドルになりたかったなあって。フフッ、笑っちゃいますよね?」
小さい頃の夢なんて他愛もない笑い話だ。俺なんて錬金術師になりたかったからな。
「でも元帥さんは笑わなかった。『なれるでござるよ!』って普通に言うんです。その言葉に背中を押されて、私は久しぶりに自分の部屋を出て宇野川09のオーディションを受けました」
宇野川09を選んだのは公開オーディションだったのが大きな理由らしい。テレビでオープンにされる事で騙される事もないのではないか、そう考えたようだ。
「元帥さんが作って私が歌った曲、聴いてくれました?」
「は、はい。スゴかったです。個人的にはUNK09+31の曲より清川さんに合ってると思います」
「フフ、嬉しい。元帥さんがいなかったら清川つぼみはいなかった。あれが清川つぼみの原点なんです。だから、元帥さんは特別な人なの」
キラキラと輝くその目は見た事がある。
モモが泰の事を話すときと同じ。そしてたまに花菜が俺に見せてくれる眼差し。
「なるほど、無粋な事を聞きました。すみませんでした」
「いえ、照れちゃいますね。オフレコでお願いしますね。元帥さんも私の事をそういう対象として見てくれてると嬉しいんだけどなあ。無理かなあ」
とっくに笹原は清川さんに夢中になってる。けど、それは俺が伝える事じゃない。笹原の口から伝えなければ意味がない。
「お待たせしました、アフタヌーンティーセットになります」
俺達の前に3段の豪華なデザートプレートが置かれ、花菜は心底嬉しそうに目を細めた。昼御飯を抜いてきたからもう理性が保てないのだろう。「いただきます!」と手を合わせて勢いよくスコーンを口に運んだ。
「おーいし~!」
花菜は満面の笑みを見せるが、清川さんは食べずに固まっていた。その視線は店の入り口に固定されている。
想い人が到着したようだ。
笹原はまさかもう清川さんが着いてるとは思ってないから、キョロキョロしてどこに座ろうか考えている風だった。その様子にあのツッコミ職人のウェイトレスが気付いてこちらへと案内する。
やがて仕切りの奥へとやって来た笹原は俺と花菜に気付いて驚いた。
「稲村と杉野? 何でお前らがここに?」
「偶然清川さんに道を尋ねられたんだよ。俺達の事はいいから、ほら」
早く清川さんにその顔を見せてやれと顎をしゃくる。
笹原はハッとして、ソファに座った清川さんに向き直った。
「あっ……あの、T@MAこと笹原誠也です。糞人さんですか?」
「は、はい! 糞人こと、延田つぼみです。お会いできて嬉しいです」
清川さんも立ち上がって、気をつけで挨拶を返した。2人とも酷く緊張している。
「お、俺も会えるのを楽しみにしていました。座ってください」
どうやらインカムを着けていないみたいだ。忘れたのだろうか。
「あ、あの、糞人さん。俺はゲームをやってると口調が変わるというか、別の人格みたいになってしまうんです。でも、本当の俺は口下手で、女性と話すのが苦手です」
そうだ。だからインカムを着けて会うんだって決めたじゃないか。
「だけど、貴女には本当の俺を知って欲しい。その、上手く話せないかもしれないけど、頑張って話すから、よろしくお願いします」
恥ずかしい。
俺は自分が恥ずかしかった。きっと花菜もそう思ってるだろう。
勿論、インカムを着けた笹原だって笹原には違いない。だけど、本人は本当の自分で延田つぼみと向かい合いたいのだ。必死に言葉を考えて、自分の想いを自分の言葉で伝えたいのだ。
「花菜、席変えてもらおうか」
「うん、そうだね。スイマセーン!」
ウェイトレスを呼んで引っ越しの準備だ。ついでに奥のスペースに他の客を入れないようにお願いしたら快諾してくれた。この店は本当にいい店だ。
「い、稲村?」
「俺達が聞いていい話じゃないだろ。じゃあ、ごゆっくり」
精一杯カッコつけた後、親指をビッと立てて友の武運を祈った。
 




