10ハクション 君とステップアップ(前編)
「ふあ~あ」
今の内に特大あくびを放っておく。
「ちょっと春太郎、お店の中ではあくび我慢してよ。恥ずかしいから」
「わかってるよ。店の中でしないように今出してるんだって」
花菜と二人でフレンチレストランのディナーにやって来た。二ツ星のやや高級店で、高校生がデートに使うには生意気と思われそうだがこれもバイトの一種だ。花菜のお父さんの会社でこのレストランの商品を扱うそうで、家族3人で視察の為にディナーを予約していた。しかし急に知人が亡くなったとかでおじさんもおばさんもお通夜に行かなければならなくなったらしい。「せっかくだから春太郎君と二人で行っておいで」とおじさんの計らいでお洒落して来たのだ。どうやら夏のお中元商戦に取り入れたいと考えているようで、コースの写真撮影を頼まれているのと、特にデザートについては感想を聞かせてくれと言われている。
「もうだらしないなあ。ほら、ネクタイも曲がってるよ」
俺の首に手を伸ばし、文句を言いながらもネクタイを正してくれる。学校の制服はブレザーだけど、ネクタイはワンタッチのカチッとはめる奴だからちゃんとしたネクタイは慣れていないのだ。
今日のお店にドレスコードはないらしいが、一応スーツにドレスとそれなりの格好をしてきた。父が若い頃に来ていたという細身の黒いスーツを借り、髪もオールバックにして背伸び感甚だしい。まあ自分はともかくとして、普段は見られない花菜のドレスアップした姿は本当に綺麗だ。黄色のドレスは春らしくて、可愛らしい花菜によく似合っていてまるで菜の花のようだった。これだけでも来て良かったと言える。雛岸の為に後で写メでも送っておこうか。
金の装飾が施された重厚な扉を開けて、花菜を先に行かせる。
「花菜、どうぞ」
「あ、ありがと」
二人ともこういう所は初めてで慣れていないからギクシャクしているけど、精一杯の俺のレディファーストに花菜は照れながらも嬉しそうに店に入った。この後に手を引いたり出来たら完璧なんだろうけど、今の俺にそこまでは出来ない。
ウェイターに名前を告げて席へと案内される。
さすが二ツ星のレストランだ。ドイツの古城を思わせるような内装の店内は黒と白に統一されており、天井には大きなシャンデリアがドーンと存在感を放っている。
「す、すごいね」
「ああ、落ち着かないけど、シャンとしないとな。何せおじさんの代理で来ている訳だし」
キョロキョロしないようにと視線をメニューに移すが、各コースの端に書かれた金額に驚き逆に挙動不審になってしまう。
一番安いコースで8千円?
っと、落ち着け俺。二ツ星なんだからそれぐらいして当然だろう。他の客をチラリと見ても男性は高そうな腕時計をしていたり、女性も高級バッグを持っている。大人って金が掛かるんだなあ。
「ね、値段もすごいね」
花菜もメニューを見て目を丸くする。
「すごいな。おまけに料理も訳がわからない。前菜は兎肉のテリーヌ……テリーヌ? しかも兎?」
ヨーロッパでは食肉用の兎も珍しくないそうだが日本では馴染みがない。それにテリーヌって何だ?
「テリーヌって言うのは長方形の箱の事なんだけど、その箱に野菜とかお肉とかを押し詰めて四角い形に作った料理もテリーヌって呼ぶんだよ。フランスじゃ家庭料理の定番。私作ったことないけど」
へえ、俺が知らないだけで意外と一般的なのかな。しかし味が一切想像出来ない。
他にもポワレとかアミューズとか、聞き慣れない単語ばかりでどんなものか全くわからない。
幸い、予約の時にコースメニューも注文しているらしい。悩む必要がないのは助かる。
「お父さんが頼んだのはこの下から二つ目の……何?」
突然店内に音楽が鳴り響いた。誕生日の人に歌うハッピーバースデーの曲。
何事かと辺りを見渡すと、ウェイターがトレイにジュエリーケースの様な小箱を乗せて、若いカップル客の席に運んだ。
緊張した面持ちで男性はトレイから小箱を取る。ウェイターが深い礼をして辞した後、ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえ、やがて箱を開いた。
「結婚しよう」
キラキラと光る指輪を取りだし、呆然とする彼女の左手の薬指にそっと嵌める。
彼女は驚いて言葉にならないようで、涙でくしゃくしゃになりながらしきりに頷いていた。
「うわぁ……生プロポーズだ。素敵……ハッ、『私も春太郎にプロポーズされたい!』」
花菜は二人を見てうっとりとしている。確かにお洒落なレストランでサプライズのプロポーズなんて、女の子なら憧れのシチュエーションだろう。
「杉野様。本日はご来店誠にありがとうございます」
支配人と名乗る中年男性が俺達のテーブルに挨拶に来た。中年男性、というと小汚ない印象を与えてしまうが、高級レストランに相応しく清潔感のあるシュッとした、如何にも仕事が出来そうな男性である。
そんな大人の男性が丁寧に頭を下げるもんだから花菜は恐縮してしまっていた。挨拶を返せない花菜の代わりに口を開く。
「杉野重蔵の代理で参りました。と言ってもただの高校生ですからそんなにかしこまらないでください。写真等を撮らせて頂きますが、ご迷惑なら言ってください」
「迷惑だなんてとんでもない。是非お父様にも当店の魅力をお伝えください」
高級店は写真なんて撮ったら怒られるかと思ったけどそうでもないようだ。さっきのサプライズといい、意外にそんなに肩の張った店ではないのかもしれない。
「こちらでは先程の様な演出もやっていただけるのですか?」
「はい。当店はカップルのお客様が多い店でございますから。当日に言っていただいても構いません。柔軟に対応させて頂きます」
確かに見渡してみると俺達を含めてほとんどの客がカップルだった。サービス面でも二ツ星という事なんだろう。
「わかりました。その辺りも杉野に伝えておきます」
「よろしくお願いします。それではお料理をお持ちいたします。アレルギー等はございませんか?」
「彼女は魚卵が苦手でして、出来れば二人同じものを」
「かしこまりました。失礼致します」
深く礼をして支配人は店の奥へと戻っていった。
ちなみに俺はセロリが苦手だけど、花菜の前だから見栄を張って言わないでおいた。
「ごめんね春太郎。本当は私が喋らないといけないのに。ハッ、ハッ『頼りになる春太郎カッコいいよ~!』」
「いいよ。こういうのは男の仕事だと思うし」
制服じゃなくドレスで着飾った、スーパー生徒会長ではない普通の女の子の時くらい俺がカッコつけたいだけだ。
ほどなくしてテーブルに食器が並べられる。
一応ネットである程度のマナーは調べてきた。食器は外側の物から順番に使うとか、パンはいつでも食べていいとか。
花菜と小声でマナーについて相談していると、隣の空いた席に見知った男性が座った。
「蒲田先生?」
「ん? 稲村と杉野? 二人か?」
現れたのはいつものヨレヨレのスーツではなく小綺麗にビシッと決めた担任教師、蒲ちゃんだった。
今回のお話も前後編の分割です。
後編は夜。




