そして魔王達は夢を見る
生きたまま地獄を味わうか、それとも夢の中で地獄を夢見るか。
その選択肢が優しいとは限らない。選択肢は元から無い。
――アインよ――
――魔王アインよ――
――『水溶』の魔王アインフォシルよ――
――目覚めよ――
――永き眠りから目覚めよ――
――我が呼び声に応え、今こそ目覚めよ、魔王アイン――
――時がやってきた――
――汝の力を必要とする時がやってきた――
――近く、新たなる種が目覚める――
――その種を汝に託す――
――目覚めよ――
――目覚めよ――
――我は『処女』の魔王――
――我が銘に従え『水溶』――
――すべては悠久なる迷宮のままに――
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺の知らない名と称号を突然告げられてから、少し経った。
誰もが自らに告げられた名と称号に混乱するなか、俺達5人はアインに引きずられあの部屋を後にした。抵抗する暇もなく細い流動性の糸で縛られ、文字通りの強制連行だった。
長い迷路を右に左にと曲がり続け、時々頭をぶつけたりぶつけられたりして過ごす間に俺はすっかり落ち着いていた。俺の名に続きアインからエレンと告げられたエルフはこんな状況でも相も変わらず俺を目の敵にして事あるごとにちょっかいをかけてくるが気にしても仕方がないので無視し続けている。
他3人の名前? 興味が無いので覚えていない。
「あら、遅かったわねぇ。待ちくたびれちゃったわよ、アインちゃん」
「ん。寝坊した。めんごめんご」
「ま、そういう事もあるよな~。どうせ時間はたんまりあるんだから、一年や二年待ちぼうけさせられても問題ないって。気にすんな」
「そうですね」
「ん」
「オオオオォォォ……風が俺を呼んでいる……」
そして連れていかれた先で待っていたのは、長閑にお茶している魔物達だった。
下半身が蛇の女性、真っ黒な人影に瞳だけがある少年、修道服を着ている孔雀、そして自分の世界に浸っている巨大な蜂。室内なのにそいつのところだけ風が吹いているのは何でだ。
「説明は?」
「ん。とりあえず名前だけ。楽しみを奪うのは良くない」
「おー、分かってるねー。よしよし、飴ちゃんをあげよう」
「ん。ありがと。まいうまいう」
アインは俺達をその場に放置してお茶の席に着く。代わりに、瞳しかない人影が俺達の前にやってきた。
「やぁ、はじめまして。僕の名前はポトロリカ。『偽公』のポトロリカ。見ての通りの存在だ。そして君達の大先輩でもある。あっちは左からメロディラ、ビジャスゥ、ウオンリー。よろしくね」
少年の声で言う理外の存在に、誰も言葉を返せなかった。リザードマンがいたぐらいなのでラミアや鳥人間、虫はまだ分かる。が、明らかに生物とは思えない化け物にフレンドリーに話しかけられるとは思わなかった。謎生物性で言えばアインもそれなりだが。アインは人の姿をしている分、まだマシだろう。まだ、マシだろう。重要な事なので二回言った。
「と言っても、やっぱ急には仲良く出来ないよな。ねぇアイン。こいつらってやっぱ殺しあってたー?」
「ん。知らない。でもゼイオンは私の寝込みを襲ってきた。ちょっとけだもの」
「わおっ」
「あらまぁ」
「……おい、人聞きの悪い事を言うな。寝ぼけて俺を食べようとしてきたのは御前の方だろ」
当然、俺は抗議の声をあげた。
「ああ、君がゼイオンなんだね」
ポトロリカに凝視された。身体にビビビッときた。
「ちなみに、僕が担当する事になるゴズワースってのは誰かなー?」
「……わし、かの?」
「ほむほむ。おじさんがそうなんだ」
「私が面倒を見る事になるラギさんはどなたでしょうか?」
「俺。ラギ」
「大きな方ですね。力が強そうです」
「我が問いかけに応えよペルフィル! そして風の声を聞けぃ!」
「うひょっ!?」
「契約、成った也! 共に世界の風を統べようぞ!」
「という事は、そこの可愛い子ちゃんがエレンね。よ・ろ・し・く♪」
「はぁ」
「よ・ろ・し・く・ねっ♪」
「は、はい!」
組み合わせは以下になった。
エルフのエレンの担当はラミア?っぽい女性、『詩音』のメロディラ。
ドワーフのゴズワースの担当はシャドウストーカー?みたいな少年、『偽公』のポトロリカ。
リザードマンのラギ(一応、雌なんだよな……)の担当は孔雀人の修道女?、『卵聖』のビジャスゥ。
小人?のペルフィルの担当は暑苦しいビッグビー?の、『万勇』のウオンリー。
そして人である俺ゼイオンの担当はスライム?な少女、『水溶』のアイン。
銘とはいったいなんなのか。何で俺達が魔王なのか。疑問は尽きない。
ただ、担当者が決まっているという事は、これから何かが始まるのだろう事は間違いない。
「さて、君達は自分が何者だったのかずっと疑問に思っていた事だろう。あの部屋で目覚めてすぐ気が付いた筈だよね? 例えばゴズワース、君は以前どんな仕事をしていたんだい?」
「分からぬ。記憶が無いんじゃ」
「ペルフィル、君はどうだい?」
「はいはい、わたくしもゴズワース殿と同じでございますです、はい」
「ラギ」
「………(ふるふる)」
「おや、君は言葉を喋るのがあまり得意では無いのかな? それじゃ次はエレン……は飛ばして、ゼイオン!」
「なんでよっ!」
「うん、良い反応だね。つい虐めたくなっちゃう。ねぇメロディラ、僕のと交換しない?」
「ん~、二千万DPってところかしら?」
「わ、たかっ。遠慮しとくよ。そこまで価値があるようには見えないしね」
「勝手に人を売り買いしないで」
「ふふふ、残念なようだけど今の君に選択権はないんだ。僕達に見放されたら、君、すぐ滅茶苦茶にされてポイされちゃうんだよ? それでもいいのかな?」
「……よくない」
「何の記憶も持ち合わせていない君達は、地盤が整うまではどうしても僕達に頼るしかない運命なんだ。それをよーく理解したうえで僕達の機嫌を頑張って取る事だね。この世界は君達が思っているよりも遥かに理不尽で弱肉強食なんだ。かくいう僕も……」
「『偽公』の。その話はまた今度に致しましょう」
「ああ、そうだね。目の前に御馳走があるのにいつまでもお預けをくらうのはイヤだよね」
「……さっき、一年や二年待たされでも大丈夫とか何とか言ってなかったか?」
「それはそれ。これはこれだよ」
そう言いながら何が面白いのかポトロリカは笑っていた。顔がのっぺら黒介なので声以外に判断材料は無いが。
「それで? そろそろ君の答えも聞かせてくれるかな? まぁ答えは分かっているんだけ……」
「恐らく戦いに精通する職に就いていた。具体的に何かと問われても困るが、得物は剣なのは確かだな。となると戦士か剣士、少し捻って傭兵あたりか」
「なぬ?」
「あれ? ……記憶あるの? 綺麗サッパリ全部消えてない?」
「全部消えていたら会話も出来ないと思うんだが」
「おかしいなぁ。まさか君、『双児』か『天秤』の回し者だったりしない?」
それを本人に聞いてどうする。違うと答えるだけだろうに。
「そういう記憶は持ち合わせていないな」
「だよねー。僕もちょっと言ってみただけ。ただその疑いはありそうだね。アイン、どうするー?」
(ZZZzzzzz.....)
「寝てるわね」
「寝ていますね」
「寝てるな」
また空中に文字が浮かんでいるが、彼等が気にしていないという事は見慣れているという事なんだろう。ぶんぶん五月蠅い蜂が起こしている風に吹かれ揺れているのがちょっと納得がいかないが。
「ハハハハハッ! 別に放っておけば良かろう! 新米ごとき、いつでも我が潰してくれるわ!」
風が強くなった。Zの文字が流されていく。ああ、壁にぶつかってポトポトと地面に落ちた。面白いな、あれ。俺もそのうち使えるようになるのだろうか? 例えば敵を斬った時に必殺技名を空中にババーンと出すとか。ちょっと憧れる。
「ムムムッ! 何やら貴殿から同じ風を感じるぞっ!?」
「先を続けてくれ、ポトロリカ。そいつの言葉は無視してくれていい」
「君、何だか偉そうだね。まぁいいや。ビジャスゥ、アイン起こしといてー。あ、溶かさない様に注意してね」
「承りました」
やはり普通に起こそうとしたら溶けるんだな。そんな奴が俺の担当……なんか苦労する未来しか思い浮かばない。ちゃんと担当っぽいことしてくれるんだろうか……物凄く不安だ。
「ま、一部例外もいたようだけど、君達に記憶が無いのは正しい状態だから、あまり気にしないで良いよ。これから新しい人生を歩むんだから、過去の記憶なんて邪魔なだけだからね。もちろん知識や経験は大事だけど、却ってそれが障害になってしまい自由な発想が阻害されてしまう。僕達はそっちの方を特に忌避している」
「……それはつまり、俺は実は他の奴等よりリードしているんじゃなくて逆に出遅れているという訳か」
エレンが嬉しそうに笑っていた。そんなに俺が嫌いか、おい。
いっそ縛りプレイとでも考えておくか。
「いや、ただ馬鹿な発想が出にくいから面白みがなさそうってだけだね。初期の記憶の有無なんて誤差の範囲でしかないし」
エレンががっくりする。見ていてちょっと楽しかった。
「ん。起きた。なに?」
「おはようアイン。ちょっと聞いていい?」
「ん」
「君が担当してた子、なんか初期化に失敗してない? 記憶がちょっと残ってるみたいだよ?」
「ん。知らない。リッチに聞いて」
「げげっ。また主の気紛れかよ……」
ポトロリカの向き直り方が怖い。身体は動かず目だけが移動している。ちょっと便利そうだ。欲しくは無いが。
「ま、いっか。アインの子だし。でも念のため調べてー」
「ん」
溶けたアインがズルズルと身体を引きずりながら近づいてきた。おいこら、起こすの失敗してるじゃないか。
目の前までやって来たアインに、俺以外の皆はいつの間にか距離を取っていた。俺はポトロリカの目を見た時にビビビッと麻痺させられていたので逃げられない。どうする俺。ピンチだ。
「……お手柔らかに頼む」
「ん。天上のシミを数えている間に終わる」
「イヤな例えだな!」
「解析。ぴこぴこ。ちゅいーん。ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃり」
「その擬音になんか意味があるのか……?」
「ん。雰囲気は大切」
そんな雰囲気はイヤすぎる。
「思っていたよりも相性が良さそうねぇ。少し嫉妬しちゃいそう」
「そういえば、彼の銘は何なのでしょうか?」
「おっと、そうだったね。聞くのを忘れてたよ」
「風よ……我が問いかけに応えよ……其は何ぞっ!」
しかし応えは返ってこなかった。そんな気がした。
「ねぇ君達。自分自身を調べてくれるかな?」
「?」
「えっと……」
「と言ってもどうやれば良いかやっぱ分からないよね。ん~と……そうだ、ゼイオン。君だったらどうする?」
俺は今、アインの触手攻撃に耐えるのに忙しいんだが。触手で触診されている。絶対に必要な事だとは思えないのが嫌なところだ。
「そうだな……自分が対象だと思いながら『ステータス、オープン』と言うのはどうだ?」
============================
名:ゼイオン
迷宮銘:刀
迷宮タイプ:洞穴
迷宮位:第九位
迷宮格:赤鉄位 処女席番外
固有技能:創造召喚
============================
なんか出てきた。成功したよ、おい。
「ステータスオープン。きゃっ、なんか出てきたわ」
「ほんとか? ならわしも……おお、ほんとじゃ。妙なものが頭に浮かんできおったぞ」
「うひょひょひょひょ。これはこれは愉快愉快です、はい。このような方法でわたくしの名前は知る事が出来たのですね。新発見です、はい」
「ラギ。力。洞穴」
好奇心旺盛なエレンが即刻試したのを皮切りに、ゴズワース達も続いてその言葉を口にした。自分だけに聞こえる声量でごにょごにょっと。別に恥ずかしくないぞ。
「ステェェーータァァァーーーーーーッッッッス! オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオプゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンンンンッッッッ!!」
あと、五月蠅い蜂も一匹。
「あら、凄いわねぇ。しかも、とても簡潔。なかなか良いんじゃない?」
「えー、ほんとー? なら僕も試しに。ステータス、オーーーープンッ!」
「『偽公』の。『万勇』のように拳を振り上げる必要も叫ぶ必要もありませんよ。色々試してみましたが、どれも結果は変わりませんでした。口にする必要もなさそうです」
「こういうのは雰囲気が大事なんだって。な、ウオンリー」
「うむ!」
おい、なんで教える側である御前等も一緒になって驚いてるんだ。ちょっとやってしまったか?
「いいね、君。これ、いただきだな!」
ま、好印象を与えられたのでヨシとするか。あと、嬉しいのは分かったからその謎影手でバシバシ叩くな。怖いし痛い。
「……という訳で、君達は晴れて迷宮の主になった訳なんだけど」
「いきなり端折るな」
「これから君達はそれぞれの担当者に付き従い、迷宮の何たるか、ダンジョンマスターのなんたるかを少しずつ学んでいきながら人を殺し魔物を殺し他の魔王達を殺し頂点を目指していく事になる。僕達の様に」
聞けよ、おい。
「ちなみに、ダンジョンマスターとは魔王の事ねぇ。どっちでも好きな方で呼んでいいわよ。と言ってもー、ダンジョンマスターって言うのは長すぎるからみんな魔王の方を良く使うけどねぇ。しっくりくるのはダンジョンマスターの方だけど」
印象が全然違いすぎる。魔王は受ける印象が悪すぎるだろう。
いや、人を殺すと言ってる時点で魔王の方がしっくりくるのか? しかし迷宮の主と言っているぐらいだから……。
「……ダンマスで良いだろ」
「!?」
「!!」
ボソッとそう呟いてみたら、また大きく反応された。
そういえば、先輩とか言ってたな。もしかしてこいつら、俺達と同じように記憶ゼロからスタートした先達者か?
「ヤバいよヤバいよ。なんか文化革命が来そうな予感だよ」
「グーーーーレイッッット!! 世界に旋風が巻き起こるぞ!」
「主殿、感謝致します。『水溶』の、ダンジョンバトルを致しましょう。私、この方が欲しいです」
「どぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ。ばきゅーんばきゅーん……ん? 無理。これ、私の。賭けない」
「残念です」
どうでもいいが、いつになったらアインの解析とやらは終わるのだろうか。あと、早く麻痺を解除してほしい。手持無沙汰なのか尾持無沙汰なのかメロディラの蛇な下半身が巻き付いてきてギリギリ痛い。逃げたい。しかし逃げれない。
「フンっ、取り入るのが随分と上手なのね。それで私に勝ったつもり? すぐに私も力を付けてあなたを滅多メタにしてやるんだから。覚悟してなさい」
「抓るな。拗ねるな」
「拗ねてないわよっ!」
抓てるのは認めるんだな。それはそれとして、各々ステータスを確認し報告の結果、以下の情報が手に入った。
エレンは『月』。
ゴズワースは『土』。
ラギは『力』。
ペルフィルは『万』。
そして俺は『刀』
この銘はあくまで俺の主観・言語知識に自動変換された文字体系であり、実際には人それぞれ表示されている形・言葉は違うらしかった。目覚めた時に俺が疑問に思った『お互いに何故意思疎通が出来るのか?』という問題もこの時に判明した。曰く、そういうものらしい。答えになってねぇよ。
「手の甲を見てみなよ。自分の銘も判明した事だし、たぶんそろそろ見えてくるんじゃない?」
そう言われてみると、右手の甲に謎の紋様が浮かんでいた。エレンの方を見ると、同じように左手の甲に紋様が浮かんでいる。俺のとは明らかに違う紋様。何がどう違うというのは分からない。だた、それが何故か『月』を意味している事だけはすぐに分かった。
「見るなスケベ」
エレンが左手を隠すがもう遅い。しっかり覚えさせてもらった。
「その紋様こそが、君達がダンジョンマスターである証となる。ダンジョンマスターであり続ける限り、その紋様は消える事はない。逆に、ダンジョンマスターでなくなった瞬間にその紋様は消える事になる」
「とは言っても、大抵の場合、その時にはもう死んじゃってるんだけどねぇ。基本的には魔王かモンスターかを見極めるためだけのものと考えてくれて良いわよぉ。こんな風にね」
そう言って、メロディラはポトロリカの腕を俺達に見せた。一緒に見えたメロディラの手の甲には紋様があったが、ポトロリカの手の甲には紋様が無かった。
「紋様がないの……ああ、でも手はもう一本ある訳じゃから、そっちも見ないと確かな事は言えんのぉ。現に、その小娘は左手に紋様が出ておる訳じゃし」
「ふふふっ、そう思うでしょう? でも実はそうじゃないのよねぇ」
「なぬ?」
ふっ、甘いなヒゲモジャ。この場合の正解は、ポトロリカは不定形の存在だからそもそも腕が無い、だから必ずしも腕らしき場所に紋様があるとは限らないという事だ。
「『詩音』の。意地悪はいけませんよ」
「それを言うなら、いつも偽物を寄越してくるポトロリカの方が意地悪じゃない」
「……ねぇ、どういう事? 分かんないんだけど」
「バラされちゃぁしょうがないなー。本当の事を教えてあげるか。正解は、今ここにいるのは僕の本体じゃなくて、実は僕が影から使役してるモンスターなのでーっす。影を影から操る、なんちゃって」
風がひゅるりと吹いた。演出はウオンリー。
俺にも一つ風を起こして欲しい。思い切り外したのが少し恥ずかしい。
「ま、ダンジョンマスターはこういう事も出来るから、紋様が無いからといってそれが必ずしも魔王じゃない事の証明にはならないんだよな。だから十分に注意してねってこと」
「逆の場合はどうなんだ? 紋様らしいものを手に書いて偽る事も出来るんじゃないのか?」
「そこは大丈夫。僕達は紋様さえ見れば相手がダンジョンマスターかどうかを感覚で察する事が出来るんだ。ほら、何か感じない?」
「……おお、確かに。紋様を見ると銘っちゅうものが頭に浮かんでくるの」
メロディラが見せている手の甲の紋様から『音』という文字が頭に浮かぶ。しかし『詩』の文字は浮かんでこない。
「しかし片割れだけじゃの」
「詳しい事は追々各自の担当者に聞けば良いよ。ここでまず絶対に知っておいて欲しいのは銘の存在と確認方法だけだから」
「ねぇ、そもそも銘って何なの?」
「そうだねー。魔王としての力の強さと方向性とでも言えば良いのかな? ほら、名は体を表すってよく言うでしょ。銘は名で、それは自らを表している。これから君達は自らを成長させていく訳なんだけど、その成長先って実はみんな違うんだ。例えば、ラギなんかはとても分かりやすいよね。君の銘は『力』だ。だから、今の君の魔王としての資質は『力』に関連するものが多く存在している。それは物理的な力に限らない。あらゆる力に精通しているなかなかに将来性がありそうな銘だよね。『土』のゴズワースの場合は、やはり土に関連するものとの相性がとても良い。地獄属性の魔法なんかとても適性があるんじゃないかな?」
「土、か……何故かは分からぬが、なんかしっくりこぬのう。地獄属性や魔法というのも何の事かよく分からぬし」
「私の『月』の場合は? そもそも月って何? そもそもそれが分かんないんじゃどうしようもないんだけど」
「力。力。俺、強くなる。強くなれる?」
「それはラギの頑張り次第だね。覚える事はたくさんあるし、考える事も盛り沢山だから」
「考える、俺、嫌い。食う、好き」
「ま、その辺りの問題は君の担当であるビジャスゥが何とかしてくれるだろうさ。そのための担当だしね」
「そうですね。安心して私にお任せ下さい」
「む。任せる」
俺の担当は――。
(ZZZzzzzz.....)
凄く不安だ。寝るなよ。解析はどうしたコラ。
「さてさて、これで君達は銘を認識した。なんとなーくでも自分達の本質を知る事が出来た。つ、ま~~っり! 迷宮を作る準備が整った訳だっ!」
「むにゅむにゅ……ぱふぱふ……ZZZzzzzz.....」
「おおお……っ!?」
「と言ったところで、今日の君達へのレクチャーはお終いでーす」
「おおぉぉ……」
「え、終わり? もう? 本当に?」
「はい、本当です」
エレンの言葉にビジャスゥが答える。
「『月』の、まだお気付きになっておられないようですね」
「……え?」
「今一度、ご自身の状態を確認してみては如何でしょう? きっと面白い事が分かりますよ」
ビジャスゥのその思わせぶりな物言いに、俺もエレンの方へと瞳を向けた。するとそこには、力が抜けた状態でペタンと地面に尻もちを付きお姉さん座りをしている、いかにも守ってあげたくなる様なか弱い少女がいた。翡翠色の美しい瞳はキョトンとしており、何が起こっているのか分からないといった風に自分の身体を見下ろしている。紋様が浮かんでいる左手にも力がこもっておらず、肩からだらんと垂れ下がっていた。
あまりにも無防備に見える年相応の子供。少女というより子供。白金の髪は長く、細い手足のせいでほんのり盛り上がりを見せる胸にかかり、胸の下に僅かな空間を作っているのがやけに目立っていた。薄い絹の服はエレンの美しい身体のラインをしっかりと強調し、線の細さを綺麗になぞっている。そこに先程まであった大人びた印象は欠片もない。
その姿を見て、初めて俺はエレンに対し保護欲をそそられた。
「あれ、何で私、座って……」
恐らくそれは、重度の緊張によってもたらされていた身体の強張り、意識の張り詰めがなくなったからだろう。そう、俺は推測した。何故なら、俺の方もエレンと同じような状態にある事にすぐに気が付いたからだ。
察するに、これは紋様……。
「むぅ、力が入らぬ。いったいこれはどうした事じゃ」
「はらほろひれはれでございますです、はい」
「腹、減った」
見なくとも分かるため、そっちの3人の方は見ない。
「それはね、自分の本質に気が付いたからなのよ」
メロディラが長い尾をエレンの身体に巻き付け持ち上げながら言う。足に、胸に、首に、メロディラの尾が次々と絡みエレンの身体を少しずつ締め付けていく。俺にした時の様にぐるぐると蜷局を巻くのではなく、まるで痛めつけるかの様に。
「………っ!!」
エレンが小さく悲鳴をあげる。脱力しているためか大きな声もだせなくなっている様だった。その口もすぐに尾によって塞がれた。
「本質を認識したことで、あなた達の身体は次の段階に進もうとしているの」
「それは、どう、いう……ぐっ」
「ZZZzzzzz.....んまんま」
続けようとした言葉は、しかし襲い掛かってきた快楽の波に負けて中断せざるをえなかった。下半身が再びスライムの浸食を受け、捕食され始めていた。当然、逃げようとしたが、身体が思うように動かないためままならない。
捕食者が、今度は人の姿のまま俺の下半身を自らの下半身で包み込み、徐々に俺を体内に取り込んでいた。俺の足がアインの足の中に埋まり、太腿がズブズブと呑み込まれていく。快楽に抗えず俺の意に反して主張し始めたモノが、間違った意味でアインの中へと挿入されていく。スライムの中へと埋まっていく。そして下半身全てが取り込まれた。
「安心しなさい。明日の朝になれば全て終わっているわ。だから何も心配しなくていいのよ」
「そうそう。君達の面倒はちゃ~んと僕達が見てあげるから。ものすっごく痛くて苦しくて死にたくなる様な目に一晩中悩まされるうえに、そのあまりの痛みに色々と垂れ流したりやらかしちゃう事になるんだけど、そこはきちんと処理してあげるからね。これは僕達も通った道なんだ」
「と言っても、私達の時よりもあなた達は随分と恵まれているのよ? 何しろ、私達が面倒を見てあげるのだから。感謝してくれても良いのよ?」
「そうですね。私の場合は、一方的に主様から銘について告げられた後、そのまま何の説明もなくあの部屋に他の方々と一緒に放置されましたから。目が覚めた時にはそれはそれはとても恥ずかしい状態でした。……一緒にされた方々を皆殺しにしてしまうぐらいに」
そうとんでもない事を暴露した鳥顔は毛の先端まで真っ赤に染まっていた。恥ずかしくて死にたくなるんじゃなくて、目撃者全員殺す方を選んだのか。怖いな。
アインが首下まで俺を埋める。顔は人型のままなので、眠るアインの顔がちょっと近い。あどけない寝顔は天使に見えるのに、今は同時に悪魔にも見えた。そのままキスする様に俺の顔を取り込むのではなく、急にその顔がガバっと大きく二つに別れ、ギザギザの巨大歯に涎を滴らせながらガブッと食いついてきそうで怖い。スライムに歯は生えていないとは思うが。
「ま、具体的に言うとね、痛みに耐えきれず暴れられても困るから気絶させるんだけどな! ものすっごく悪い夢を見る事になるけど、あまりの痛みで眠れない夜を過ごし精神がボロッと壊れちゃう危険性に比べればか~るいか~るい。諸々の排泄物もアインからレンタルしたスライム達がちゃ~んと美味しく頂いてくれるし。ほんと、僕達ってとっても優しいよね~」
「ですね」
「うむ!」
「そうよね」
全身をギリギリと締め付けられ超苦しそうに悶えているエレンを見る限り、本当に優しいのかは物凄く疑問だった。おっ、ようやく落ちた。股間の辺りが濡れているが、メロディラが気にしていないみたいなのできっと見間違いだろう。スライム液越しの光景なので。
「ああ、そうそう。一つ言い忘れてたけど、君達5人の中で生き残れるのは一人だけだからそのつもりでいてね。だいたい五日後にダンジョンバトルしてもらうから。君達の命とも言える核、ダンジョンコアを賭けてね」
酸欠で薄れゆく意識の中、最後にとんでもない事を聞いた気がしたが記憶に刻まれる事は無かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、悪夢の夜が始まる。
――胸に突き刺さった誰かの腕。目の前には恍惚とした表情を浮かべる何処か見知った女性。美しく、格好良いと表現できる整った美貌。ボブカットに切り揃えられた髪は血に濡れ朱く染まっていた。
彼女の唇が言葉を呟く。ねぇ食べていい? そんな言葉を紡いだ後、本人の了承を得ないまま彼女は俺の胸から心臓を引き出し食事をし始めた。むしゃむしゃと美味しそうに血塊の肉を頬張る美女を前にして、俺は金縛りにあっているかのように全く動けないでいた。死ぬことも出来ないまま。
心臓を食べ終わると、次は肝臓だった。すぶりと腕が体内に入ってくる感触。物凄く痛かった。あまりの痛みに魂が悲鳴をあげる。だが意識を失う事はない。心臓を失っているのに死ねない。この最悪の状況と苦痛から逃れるために早く死にたいのに死ねなかった。
生きたまま内臓を引き抜かれ捕食される。長い長い腸がずるずると引っ張り出され、まるで麺をすするように彼女の口の中へと消えていく。実に美味しそうに食べていた。食べている物が自分の内臓でなければ、その至福の表情を浮かべる彼女の姿に見惚れてもおかしくないだろう、そんな幸せいっぱいの表情。
俺の中身が無くなった後は、指を一本一本丁寧に折られ食われた。ボリボリと。コリコリと。その食感を味わう。
指が食べ終われば腕。腕を食べ終われば足。皮を食み、肉を齧り、骨を噛み砕く。その全ての痛みが鮮明に俺の脳へと伝えられる。食われている間の激痛だけでなく、四肢の喪失感も俺の精神を苛む。
四肢が無くなれば次は胴体。まるで獣の様に齧り付かれ、残さず余さず血の一滴まで丁寧に啜られる。
血塗れの口に、強靭な顎。人一人分をまるごと食べる時間は十分や二十分程度では終わらない。早送りも無く、ただただ食べられていく。地獄の晩餐。
遂に胴体も無くなり、首だけの存在となった。身体が無いという恐ろしい感覚に狂いそうになる。しかし狂う事は出来なかった。淡々と現実の痛みを受け入れ続けるしかなかった。
彼女の唇が俺の唇を塞ぐ。官能的な接吻。乾いた口の中を彼女の水液が舌によって塗りたくられる。とてもディープなキスだった。そして、濃厚な血の味がした。俺の血の味。
俺の舌が彼女の歯によって外に引き出される。そしてそのまま食い千切られた。残った舌は彼女の唇によって固定されたまま、目の前でクチャクチャと美味しそうに舌を食べられる。ゴクン、と喉の奥に消えた後に待っているのは、また少し舌を食い千切られ食われるという現実。彼女の舌の上で俺の舌が転がされている。首だけしかない俺にそこから逃れる術はない。もっとも身体があったとしても逃げられなかったから今こうなっている訳だが。
顎を外され、口から下半分が喰われた。上の歯は一本一本引き抜かれ、ゴリゴリと噛み潰された。頭の皮が剥がされ、髪ごとクチャクチャと喰われる。とても食べにくそうだった。でも彼女は食べ尽くした。
頭蓋が割られ、脳みそを愛おしそうに手に取る。自分自身の脳を見せられた後、彼女はその脳を喰らった。脳を失ったのに瞳がまだ映像を映し情報を俺に届けているという異常な状況はもはやどうでも良くなっていた。これが夢でないと誰が証明できるのか。知っていたら是非教えて欲しい。出来れば俺を殺した後で。ああ、死にたい。
そして最後に、瞳をパクっと口に入れられ、視界は闇に染まる。
――見渡す限り砂漠だった。砂と空と灼熱の太陽以外に何もない世界に、気が付けば俺はいた。
喉が渇く。しかし水は無い。だから水を求めて砂漠を歩く。しかしどれだけ歩いても水の元へ辿り着く事は出来なかった。
無限に続く砂漠の光景。そして疲れを知らない身体。ジリジリと肌を焼く太陽。そして、飢え。
昼も夜もなく、停滞した世界。何をしても、どれだけ待っても、一向に状況が変わる事はない。無限の地獄。そこに生死の概念も存在しない。ただ未来永劫に停滞した時を過ごし続けるのみ。
いつしか俺は地面に絵を巨大な描いていた。風も無く、誰もいない世界なので、描いた絵は俺が消さない限り残り続ける。砂を掘り続けた時期もあったが、どれだけ掘っても何も変わらず何も見つからずただただ深いだけの穴が出来ただけなのですぐに止めた。サラサラとした砂の中に掘った穴なのですぐに横から砂が落ちてくるからだ。より深く掘るためには穴を広げなければならない。穴の直径が30メートルを超えたあたりで止めた。無限の体力と時間があっても無限の忍耐は持ち合わせていない。だから暇潰しはお絵描きの方にシフトした。
思い浮かぶ限りの美女を描く。まずは記憶の片隅に残っていた女性を描いた。完成した時、何かが違うと思い、長い耳を短く修正した。砂なので修正が容易だ。キャンパスも無限の広さがあるので、大きく描けば描くほど綿密に表現できる。見る為には砂山を作る必要があったが。
基本は服を着た姿を描く。裸姿も描いてみたが、誰かに見られたら死にたくなるので止めた。穴を掘って入ったところで巨大絵が消える訳もなし。後の時代まで残るのなら体面は気にしておきたい。うん、まだ精神は正常だ。恐らく、きっと。
砂山を作り、そこから見下ろして見える大きさの女性を描く。横に移動し、また砂山を作った後に女性を描く。同じ女性をポーズを変えて描く時もあれば、時々魔が差してチラリズムを演出する事もある。動きを感じさせる絵はなかなか難しかった。しかし時間は無限にある。気に入らない時は消し、また描く。喉の渇きと飢えは相変わらずあったが、ピーク時期を越え絵に集中しさえすればどうにか忘れる事が出来たので問題ない。
目が覚めて飢餓に苦しみ悶え、そのあまりの苦しみで地面に倒れ暫く太陽の光にジリジリと焼かれる。暫くすればピークを越え動けるようになる。ゲッソリと頬がこけ落ちていても無限の体力任せで絵を描く。絵に集中しさえすれば全てを忘れる事が出来た。そしてひたすら絵を描き続け、完成し、その絵を見下ろして満足したところで集中力が切れプツリと意識を失う。目が覚めれば新しい地獄の一日の始まりだった。
そんな風に美女画を描き続けて三千年。日数など全く数えていないのでその数値は出鱈目だが、それぐらい描いていた気がする。そしてその長い年月に反比例するように、描く女性は固定されていった。最初は想像に任せて色んなタイプの女性を描いていたものだが、気が付けばほとんど同じ人物を順番に描いていた。
耳長の少女、天然系の少女、下半身が蛇の女性、聖女姿の女性、妹系の少女、ボブカットでボーイッシュな女性、その他十数人。特に最初の三人が多く、次点で次の三人。彼女達が俺とどういう関係にあったのかは覚えていない。ただの気に入った順なのか、それとも失われた記憶の奥隅から無意識のうちに引っ張り出されてきたのか。考えるのが面倒になったのか。
描く女性に偏りが出てきたので、別の事に頭を使う事にした。ダンジョン。何故かその言葉が今でも頭の片隅に残っていたので、ダンジョンを思い描いてみる。入口があり、最後の部屋があり、猫がいて……。
――侵入者の手によって、愛すべき子達が次々と殺されていく。手塩にかけて生み出し、我が子の様に愛しながら育み、共に長い時間を過ごし今や家族とも呼べる存在となっていたモンスター達が殺されていた。一片の慈悲もなく、一体一体念入りに確実に命を奪われていく。それを俺は手をこまねいて見ている事だけしか出来なかった。
敵は勇者。そして俺は魔王。相反する存在同士。俺の言葉は勇者の耳には決して届かない。届かなかった。
俺達はただひっそりと暮らしていただけなのに。時折にやってきては住処を荒らす冒険者達を確実に返り討ちにする事はあっても、ダンジョンの外に迷惑をかけたことなど一度も無かった。俺達がいったい何をしたというのか。何もしていない。
また一人、我が子が逝った。既に亡き十六番目の妻との間に作った子だった。戦いは好まない性格をしていた子だったので安全な場所で静かに嵐が過ぎ去るのを待っている筈だったのに、好きだった相手が勇者によって殺された事を知り敵討ちに向かってしまった。俺にそれを止める事は出来なかった。勇者の力が、魔王である俺の力を妨害していたからだ。
今の俺にダンジョンを自由にする力は無い。此処にいない者と連絡を取る事は出来ない。勇者がダンジョンに足を踏み入れた瞬間から俺はあらゆる行動に制限がかけられ、これまで出来た事が出来なくなった。出来るのは今この場にいる者達に言葉で指示を与える事と、ダンジョン内部の様子を知る事だけである。この場から動く事も出来ない。勇者と魔王という存在の縛りがそうさせている。それを今日初めて知った。
居住区を守っていた門番、四天王の中で最も弱い一人が討ち取られた。その後はもう耳を背けたくなる様な惨殺撃が繰り広げられるだけだった。負傷していた兵士も、病で動けない病人も、力を持たない子供も、生まれたばかりの赤ん坊も、生まれる前の子を宿した妊婦も、平等に勇者一行の糧とされていった。逃げ惑うなか後ろから槍で串刺しにされ動きを封じられたあと首を跳ねられたり、巻き散らされた毒により動き封じられ苦しんでいる間にザクっと心臓に剣を突き入れられたり、兇悪な魔法を打ち込まれ慈悲もなく焼き払われたり。全ての隠し部屋、逃げ道をまるで最初から知っていたかのように暴かれ、誰一人として生かされる事は無かった。数多の悲鳴と俺に助けを求める声が絶える事は無かった。
巨大なハンマーで頭から潰された我が子が最後に浮かべていた絶望の表情。
お腹の中にいた子を殺され、瞳から光を失ったところで生きたまま火葬されていく妻。
百の腕を全て失ってもまだ戦い続けた兵士は最後には全身を細切れにされ跡形もなく消し飛ばされた。
逃げ場など何処にもない。全て根絶やし。勇者一行に続きダンジョンに入ってきた無数の兵士達によって通路は全て塞がれ、人海戦術と魔法を駆使してこのダンジョンに住んでした者達の命すべてが見つけ出され、そして屠られていく。平等に。ただこのダンジョンにいたというだけで虫一匹も残らない。調べつくされた部屋は魔法によって密閉された後に空気を抜かれたり毒や酸の霧で満たされる。何が彼等をそうさせているのか。以前に討伐した冒険者の中に国の重要人物でも混じっていたのか。全ては後の祭り。
四天王の全員が討ち取られ、最後の門番までがもはや虫の息。流石に勇者一行もただでは済んでいないが、それでも終わりの時が遂に近づいているというのは確か。
そして遂に門番が沈む。残る命は俺ただ一人。
少しして、重厚な扉が力強く開かれた。扉からは血の涙を流した勇者だけが入ってきた。それ以外の者達の命は、我が後継者たる息子が討ち取ってくれた。見事な最後だった。
俺の瞳からも血の涙が流れ落ちる。全てを失った俺に、もはや手加減の文字など存在しない。
お互い、ただ眼前の敵を殺すのみ。
勇者と魔王。
その最後の戦いが始まった。
――攻略不能な毎日が続く。今日もまた、生きる事が出来なかった。いつになったら明日がやってくるのか。
俺はゴブリン。最弱の種族。そして、僅か一日しか生きる事が許されていない。
今日も新しい人生が始まった。俺を産み落としたのは人間の女。少女と言うよりも幼い子供。それが俺の母親。父親が誰なのかは知りたくもない。母親達は望んでこのゴブリンの集落にいる訳では無い。何処かの村から捕らえられてきてゴブリン達に延々と種を植え付けられ子供を産まされている。その一匹として俺はこの世に生を受けた。
母親達に死ぬことは許されない。空いた母体は休む暇も与えられず狂宴の部屋へと連れていかれる。俺が母親を目にする事が出来るのはその時だけ。涙する事も忘れ生きた死体と化している虚ろな母は、謎の薬を強引に飲まされていた。
ゴブリンは産まれた瞬間から自らの力で生きていかなければならない。この集落が特別という可能性もあるが、俺は産まれてすぐ放置された。この部屋には同じ境遇の奴等がゴロゴロいる。俺は迷う事無く種の兄弟の一匹の首に全力で齧り付き殺した。経験値が手に入る。腹を満たす為に喰う。衰弱していた身体に力が漲り始める。
何も行動をしなければ数時間後には動けなくなり、そのまま俺は死ぬ。餌を与えてくれるような奇特な兄ゴブリンや姉ゴブリンはいない。未熟な母親から産まれた俺は未熟児である為、他のゴブリンよりも非常に生きる事が困難だ。体格もかなり小ぶり。そんな俺に、産まれたばかりで無力な赤ん坊ゴブリン以外に勝てる存在はいない。産まれてすぐが最後のチャンス。それ以上時が経つと、そこそこ動ける様になった兄ゴブリン達に歯が立たなくなる。弟ゴブリンの誕生を待ったところで、衰弱による能力低下で殺す事すら出来なくなる。それはこれまで何百回とループした人生で学んだ事実。
ほぼ同タイミングで産まれた兄弟を喰い腹を満たした後に待っているのは、兄ゴブリン達との壮絶なバトルだ。赤ん坊であっても本能で同族殺しは忌むべきものだと認識し、彼等は俺を排除しにかかる。ようやく見つけた生きる為の選択肢、その次に待っているのが集団リンチだったと判明した時の俺の絶望感は分かるだろうか。衰弱から回復したとはいえ俺は未熟児。つまりステータスでも俺は彼等に劣っている。そんな状況で多人数から袋叩きされれば……。
攻撃パターンを記憶し、切り抜ける事に成功した時にはループした回数は千を軽く超えていた。一回の人生は三十分未満。時々その短い人生に疲れて同族食い以外のルートを探すが、やはり見つからなかった。そもそも食べなければ動けなくなり、誰も助けてくれないし恵んでもくれないのでそのまま餓死するだけ。長時間続く飢えが結構辛い。どっちの地獄がマシなのか、いつも悩む。希望がまだ持てる分、同族を喰うルートを選ぶ訳だが。ハッキリ言ってクソ不味い。死にたくなるぐらいに。
死のリンチを返り討ちにするのは諦め、隣の部屋に逃げる。逃げた先で親ゴブリンに遭遇すれば即ゲームオーバー。見つからないタイミングまでリンチから逃げ続けるのは至難の技。スネークよろしく暢気に親ゴブリンが通り過ぎるのを待つという余裕などある訳もなく、追ってきた赤ん坊ゴブリン達の喧騒で親ゴブリンが何事かと集まってきてアボン。他の赤ん坊ゴブリンごとゴミ屑の様に殺される。つまり、最善のタイミングで最初の部屋を抜け出し、誰にも見つからないルートを通りこの集落からおさらばする必要があった。
そのタイミングを探る為に何度殺されたかもう覚えていない。あるタイミングで抜け出した時、総当たりで分岐を探し続けた結果どの逃走ルートも八方塞がりだったと分かった時のあの絶望感。ただただ死に続ける毎日。殺される毎日。
ゴブリンの集落を抜け出せても世界はすぐに牙を向く。ゴブリン以上に凶悪なモンスターが跋扈する弱肉強食の世界。植物ですらモンスター。だいたい産まれてから1時間後ぐらいから始まるサバイバルな生活。俺は捕食される側でしかない。何度も生きたまま食われた。ようやく見つけた集落から抜け出すルートの先で待っていたのは、やはり八方塞がりの状況。より分岐する世界に俺は挫けそうになる。実際に挫けた。だが挫けたところでこの死のループは終わらない。
逃げる事を止めて戦う選択肢をここにきてまた模索する事になった。生きる為には強くなるしかない、それを外の世界を嫌というほど思い知った。最初のゴブリンを殺した後、俺は他の赤ん坊ゴブリンも殺し強くなる方法を探し始めた。とはいえ赤ん坊ゴブリン一匹すら殺すのは全く容易ではない。一匹倒したところで手に入る経験値は1。レベルアップに辿り着くまで、赤ん坊ゴブリンを二十匹以上殺す必要があった。言い換えるなら、赤ん坊ゴブリンを全滅させてもレベルアップしなかった。本当に絶望した。
親ゴブリンを罠に嵌めて殺す。手に入った経験値は1。それを知るために費やした命は数百。毎回のループで殺している最初の一匹の恨みの数が物凄い事になっている。いつかその恨みパワーで呪い殺されるのでは。レベルアップまでが遠すぎる。そして、半日を生きる事すらまだ達成できていない。この無限ループの達成条件はいったいなんなのだろうか。これはないったい何の罰なのか。精神が擦り切れていく。狂う事も許されない。辛すぎる。
念願のレベルアップ。決め手は母親殺し。実の母親でなくとも別に良いらしい。経験値の入りがまるで違う。同時に、ゴブリンが救いようのない糞雑魚だというのが分かった。そして数の暴力があれば結構色んな事が出来るようになるんだなと痛感する。その為の種床か。南無。
いつの間にか殺す事に躊躇いが無くなっている自分がいた。もっとも、こんな最悪の人生を生き続けるぐらいなら死んだ方がマシだろう。悲しき母体達に死の安らぎを。どうか俺の様にループしていませんように。南無。
例えレベルアップ出来たとしても数の暴力には叶わない。元々の地力も違うので、まともに殺しあって勝てるゴブリンはあまり多くなかった。むしろ連戦連敗記録を更新中。罠に嵌まるゴブリンの数は知能指数から分かる通り非常に多いが、罠に嵌まっても殺せるかどうかはまた別の問題。職持ちゴブリンなど以ての外。レベルアップが叶った時には下剋上も考えたが、それが絶対に無理だとすぐに気付かされた。ゴブリンキングがいやがる。あれ無理。
レベルアップからの旅立ちルート。下剋上ルートが絶対存在しない以上、その道に進むしかない。この頃にはどの方角にも逃げられる事を学習していたので、前よりも選択肢は格段に多かった。とはいえその分だけ分帰も多い訳で。殺されては振り出しに戻るのは相変わらず。一回のループに掛かる時間は増えているうえに針に糸を通すような修羅場を潜り抜けないといけないので精神的な負荷によりミスも目立つようになっていた。同族喰いと母親殺しの業を俺はいったいどれだけ積み上げ続けるのか。これで実はループを抜け出す条件は1億回死ぬ事だけだったりしたら超泣ける。
超泣けた。悪夢だ……。
――胸に腕が突き刺さっていた。目の前にはうっとりとしている女。美しいと思った。例えその髪が血に濡れ朱く染まっていたとしても。何故か久しぶりに生きた瞳をした人を見る気がする。不思議な感覚。
彼女の唇が言葉を呟く。言葉が良く分からない。知っている筈なのにもう忘れてしまっていた。
彼女は俺の胸から心臓を引き出し食事をし始めた。むしゃむしゃと美味しそうに食べている。俺も食べたいと思った。自分の心臓なのに。ああ、美味そうだ。
俺の身体がその女性に食われていく。その度に何故か俺の心が満たされていく。食われる痛みが何故だか心地良い。とても新鮮だ。食われた経験は星の数ほどあっても、これほどまでに喜ばしいと思った事は一度としてなかった。いったい何が俺をそう感じさせているのか。分からない。分かりたくもない。
あ~ん、と。俺の瞳が最後にパクリと喰われた。
御馳走様。
月 :エレン
土 :ゴズワース
力 :ラギ
万 :ペルフィル
刀 :ゼイオン
詩音 :蛇のお姉さん
偽公 :怪しい影
卵聖 :シスターな鳥
万勇 :ぶんぶん蜂
水溶 :スラリン
処女 :???
勇者 :???
人喰い女 :???
ゴブ喰われゴブリン:モブキャラ