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ゼイオンの夜明け

目覚めた時には既に遅く。もう、逃れられはしない。始まってしまったのだから。

その新しき人生は。その新しき名と共に。

「――えっ!?」


 気が付くと、目の前には絶世の美女がいた。


「きゃぁっ!?」


 バシンっという耳に心地良い音が響く。発したのは俺の頬。そして彼女の掌。


「ごはぁっ!?」


 気が付くと、俺は張り倒されていた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「そ、そう。あなたもそうなのね。ごめんなさい」

「分かってくれればそれでいい。危うくキスするところだったのは本当だからな」

「ガハハッ。おぬしも災難じゃったな。こんな髭も生えておらぬ不細工娘を娶る羽目にならなくて良かったのぉ」

「はぁあ!? 誰が不細工ですって!? 品性の欠片もないモジャ髭男の癖して言ってくれるじゃないの! 私こそこんななよっとした馬鹿っぽい男なんて願い下げよ!」

「む、貴様、わしに喧嘩売っとるのか? まぁこやつが男の格好良さの欠片も持ち合わせておらぬというのは同意見じゃが、わしの大変ダンディーな髭の格好良さが分からぬのか。これだから今時の小娘は……」

「おいこら、しれっと俺をディスるな」

「俺、腹、減った」

「うひょひょひょひょっ。これはこれは愉快な方達ですね~。これからがとても楽しみです、はい」


 事の発端は、ほんの数分前だった。

 突然俺達は何処とも知れぬ場所で覚醒し、お互いの存在を認識した。


 目覚めた俺は翡翠色の瞳を持ったとてつもなく整った美貌を持つ耳の長い少女の唇と僅か1センチの距離にある事を知覚しギョッとした。その瞬間、驚きで唇と唇が触れあった気がしたが、それは「バシンッ」という衝撃と共に記憶の彼方へと消えた。

 思いのほか威力が高く身体の芯までダメージを受けた俺だったが、起き上がるとそこには彼女以外にも人がいた。


「………」


 まず目に映ったのは蜥蜴っぽい巨人。雄なのか雌なのか全く区別がつかない。威圧する様な瞳には今も俺の事を値踏みする色が浮かんでいる。ちなみに、先程喋った事が初言葉。


「時におぬしら、名前は何という?」

「……うひょっ!?」

「…………?」

「――あんたねぇ、人の名前を聞くならまず先にあんたが自分の名前を言いなさいよ。これだからモジャ髭はいやなのよ」

「髭は関係ないだろう」

「あんたは黙ってなさい。もう一回ぶつわよ」

「断る」

「もう一回ぶつわね」


 勿論、回避した。ってか、手が早すぎる。


「はいはいはいはい。少しご質問があるのですが宜しいでしょうか、はい。わたくし、とてもとても気になる事を発見したのですが、是非是非お三方がたにも聞いておきたいのですが宜しいでしょうか? あ、プラス一名いましたですね、はい。存在感が薄いのでうっかり忘れておりました。はいはい。ごめんなさいな」


 ニコニコ笑顔でチラッと俺を見てそんな事を言う男は、声から感じる印象とは異なり背が小さかった。俺の胸までもない。

 まるで常に動き続けていないと死んでしまう病に罹っている様に絶えず動き続け周囲をチョロチョロしていた。ちょっと目障りだと思っているのはきっと俺だけじゃ無いだろう。少女なんかは彼が近づくたびに手でしっしっと払っていた。


「うひょうひょ、どうやらお兄さん以外は気が付いた様ですね。お兄さん以外は」

「おい、俺に斬られたいのか?」

「うひょっ!? 斬るというのですか、このわたくしを。それは恐いですね~、怖いですね~」

「よし、斬ろう」

「うるさいわよあんた。今大事な話をしてるんだから、ちょっと眠ってなさい」


 ビュンッと風を切る音が鳴った。黙らせるんじゃなくて意識を断つのかよ。喧嘩っ早すぎる。もうこいつも斬ってしまおうか。


「ふむ、記憶が思い出せぬな。さて、わしはいったい誰だったか」

「モジャヒゲオでしょ。あんたの名前はモジャヒゲオ」

「んな訳あるかい!」

(ZZZzzzzz.....)

「あら、折角私があなたにとても似合う名前を付けてあげたのに辞退するなんてあなた何様のつもり?」

「おぬしこそ何様のつもりじゃ! 小娘の癖してこのわしをコケにするとは命がいらんと見える。その耳障りな口、溶かして鋳潰し接合するぞ」

「やってみなさいよ。そのヒゲ燃やしてあげるわ」

「おお、やってやろうではないか。後悔する事になるぞ」


 バチバチバチっと火花が散り始めた二人を見ながら、俺は俺で原因不明の事態に頭を悩ませていた。

 名前が……思い出せない。

 4人がその姿形からそれぞれエルフ、ドワーフ、リザードマン、小人?だろう事はすぐに思い至ったので全く記憶や知識が無いという訳では無かろうが、肝心の自分の事に関してがまるで分らない。

 自分が誰なのか。何故こんな場所にいるのか。どうして少女の高速張り手を簡単に躱す事が出来たのか。斬るという言葉が口からスッと出てきたのか。分からない事だらけだ。


「喧嘩は後回しにしておけ。先に現状を何とかする方が大事だろう」


 仲裁の提案は張り手と拳で答えられた。


「腹、減った。俺、御前、食う」

「うひょひょひょひょひょ。それはそれはとてもとても良い提案ですね。食糧の確保は何よりも優先すべきことです。わたくしは賛成に一票を投じましょう、はい」


 避けたら避けたでもう二人からも襲われた。本気では無いだろうが、掴みかかってきた手を躱し距離を取る。

 そして腰に手を掛け、剣を抜……。


「む、丸腰だったか」


 斬る事、叶わず。


「うひょうひょ、お兄さんもようやく気が付きましたか。はいはい、精神は大変未熟でも身体は正直なようですね。安心しました」


 首を左右に振りながら飛び跳ねる小人が、薄らと瞼を開き、その奥に隠されていた瞳で俺の姿を映す。笑顔に細目がちょっと怖い。


「わたくしが察するに、お兄さんだけが彼女に対し好意を抱いているご様子」

「迷惑よ。虫唾が走る」

「それ以外のわたくし達には今のところ中立というところでしょう。同じ雌でも彼女に対しては劣情を覚えないのですね」

「……グルルルゥゥ」


 雌だったのか。


「しかーし!」


 うひょっ、と小人が笑う。


「わたくしは思うのです。いえ、確信しています。お兄さん以外は皆、他の者が敵である既に認識していると!」


 そう言いながらビシッと俺を指差した小人は、後ろから伸びてきた爬虫類の手をスルッと躱した。余程お腹が空いているのだろう、蜥蜴娘は場の空気を無視して小人を追いかける。


「うひょっうひょっうひょっ! これはこれは本能なのでしょう、はい。わたくしも出来る限り心を落ち着けようと頑張っているのですが、気を抜けばすぐにでも暴走するかもしれません。この手が疼くのですよ、はい。お兄さんを殺せとこの手が叫んでいます。うひょひょひょひょひょひょひょっ」

「我慢する必要ないんじゃない? さっさと殺せば? 誰も止めないわよ」

「むしろ感謝すら覚えるの」

「処分、任せろ。俺、食う」

「互いが互いを敵と認識してる割には御前ら俺だけには容赦ないな。それも本能か?」

「理屈ではありませんですね、はい」


 犬猿の仲であるエルフとドワーフが仲良く協力するってどんだけ嫌いな存在なんだよ俺は。


「まぁ冗談はこれぐらいにして。そろそろ本格的に話し合おうではないか」

「グルルルゥゥ」

(ZZZzzzzz.....)

「そうね。この状況を見る限り、どうも一筋縄ではいきそうにないし。ただ、あなたの指図は受けないからそれだけは肝に銘じておきなさい」


 エルフが長い髪をかきあげる。

 ドワーフは自慢の髭を触る。

 小人は相も変わらず飛び跳ねながら不気味な笑顔を浮かべている。

 蜥蜴はチロチロっと舌を出し空腹に耐える様な鳴き声をあげる。


 そして俺は……さっきからずっと気になっていた存在へと近づく。


「では、本格的にお兄さんを殺す算段を皆で考えましょうか。うひょ」

「そっちかよ!?」


 もう付き合ってられん。


「おい、起きろ」


 誰もが気が付いていながらずっと蚊帳の外に置かれていた六番目の存在に俺は声をかける。


(ZZZzzzzz.....)


 何の冗談か、空中に描かれたZの文字の連なり。漫画かよ。

 明らかに現実離れした光景に、あいつらもどう扱って良いか判断が付かないんだろう。触らぬ神にあ祟り無し。まるでその現実から逃避するようにずっとその存在に対し背を向けていた。


「怖い物知らずですねぇ、はい」

「食えない、ヤツ」

「あんたでも食べられないものがあるのね」

「俺、悪食、違う」

「見た目が良ければ何でも良いんじゃろうの。わしには理解出来ん」

「……何でそこで私を見るのよ、ヒゲ」

「見た目が良くても中身がこれじゃあのぉ」

「おやおや? ヒゲが無くても彼女が綺麗だと思われるのですか? これは意外な。うひょっ」

「そう嫌そうな顔をするでない。美的感覚と趣味趣向は別物じゃという事じゃ」

「あんたに褒められても全然嬉しくない」


 外野がうるさいな。つーか、敵認識設定どこいった。


「おい、起きろ」


 壁をゲシッと蹴る。部屋の隅、地座りで壁に背を預け眠っている少女は、それでも起きなかった。

 幼さが残るあどけない寝顔で空中にZの文字を浮かべる異様の存在。膝上まで隠している白いワンピースには胸の凹凸は無く、肩から伸びる細腕は掴めば簡単にポキッと折れそうだった。推定年齢は12歳ぐらいか。

 ちなみに見た目と年齢のギャップが激しい種族であるエルフの少女は14歳ぐらいだと俺は見ている。性格が未熟なので間違っても三桁は越え「一発追加ね」ていないだろう。それ以外の奴は知らん。興味も無い。


「右に、同じ」

「うむ? 何の事じゃ?」

「雌、勘」

「うひょひょひょひょひょ」

「?」


 一瞬、背後で殺気が二つ生まれたが、気にするほどではないな。

 もう一度、壁をガンッと蹴る。先程よりも近い場所を。衝撃で身体が揺れるぐらいの強さで。


「ん……あと5分」


 反応はあったが期待していたものと違う。


「断る。すぐに起きろ」

「やだ」

「………」


 イラッときたので空中に浮かぶZの文字を蹴った。だがまるで手応えがなく、俺の足は文字を貫通した。

 足を戻すと、文字はまるで水面に映し出された映像のように元あった形へと戻った。これは俺達をおちょくるための魔法か? 手で触ってみても反応は同じだった。


「……エッチ」

「なんでだ!!」


 後ろでヒソヒソと話す声が聞こえてくる。本当に敵設定どこいった。まさか最初から示し合わせていたのか? 俺を虐める為だけに。それだったらなんか嫌だな……普通に敵として襲ってきてくれた方が何倍も嬉しい。


「お兄さんお兄さん」

「……なんだ?」

「次はスカートをめくって下着を見る事ですか? それとも胸タッチですか? うひょっ」

「んな事するかっ!」

「サイテー」

「ま、奴も男じゃからの。それが自然な行動じゃろうて。わしはせぬが」

「別、意味、ソレ、食う。アレ、下種。俺、理解」

「御前等……言わせておけば」

「お兄さんお兄さん、後ろ後ろ」

「?」


 小人に言われて振り返る。目を覚ましたのか?


「馬鹿が見る~。うひょっ」

「斬る」

「うひゃっ!?」


 一息で間合いを詰め、手刀の斬撃を放った。


「危ないわ~。お兄さん本当に危ないわ~。堪忍してや~」


 だがその攻撃は途中で中断せざるをえなかった。


「惜しいわね」


 振り抜かれた掌。俺が攻撃する瞬間を狙いエルフが横から割り込んできた。

 その一撃は正確に俺の頬を打ち払い……先行して飛ばした気の残像を消し飛ばした。


「やはり一筋縄ではいかぬか」

「ですね~」

「グルルルゥゥゥ」


 元々、寸止めにするつもりではあった。実力を測る意味も込めて驚かしついでに牽制として放ったフェイント。フェイク。意識せずとも出来ると感じ、実際にそれは出来た。


「次は絶対に当てるわ。あと3発分、きっちりとね」

「綺麗な顔をして怖い女だ」

「1発追加しておくわね」

「ガハハッ。おぬしも小娘も血気盛んじゃのう。二人とも若いんじゃから、どうせやるなら寝床の上でやりあえば良かろうに。4発か? 大変じゃが頑張れば不可能ではない数じゃの。わしも若い頃は必死に頑張ったものじゃ」

「………」

「……サイッテー」


 エルフの少女の気に殺気が混じった。勘弁してくれ。

 やぶさかでは無いが最中に殺り合う事は流石にしたくない。命が幾つあっても足りん。


 怒った美人から視線を外し、天使の寝顔へと向き直る。


(ZZZzzzzz.....)


 今の騒ぎでも起きないか。残像を飛ばす瞬間、闘気は全方位に放ったというのに。気が付かなかったのか、気付けなかったのか、気付いて無視したのか……それとも、気にするほどのものではなかったというのか。

 ……うん? なんか顔のデフォルメがさっきとは違うような。若干崩れている?

 いや、気のせいか。眠っているからそう見えるだけだな。


「うひょひょひょっ。鬼畜なお兄さんはどちらを選ぶのですかね~、はい。あ、わたくし達の事は空気だと思って気兼ねなく好きな事をして頂いて結構ですよ。ひょひょひょ。わたくし達はお兄さんが彼女に何をしようともただ暖かい目で見ているだけです。全ては鬼ぃさんの自由です、はい」


 最後だけなんか呼び方が違った気がするが、とりあえず小人の言葉は無視する。

 小人が自分を囮にして俺の事を誘っているのは間違いないだろう。エルフはそれに便乗し、ドワーフは限りなくグレーに近い中立。蜥蜴は……よく分からん。静観しながら機を狙っていると考えるべきか。

 四人が俺を敵視する理由は相変わらず不明。その理由をこの少女が知っていれば良いんだが……。


「起きろ」


 ちょん、と眠る少女の頬を突く。

 瞬間、バシャっと少女が溶けた。


「なっ!?」

「「「「!?」」」」


 液状と化した少女から咄嗟に距離を取る。

 少女は着ていた服もろともドロドロのスライム状となっていた。

 おい、マジか……。


「なななななななっ、お兄さんなんて事をしてはるんですかっ! その娘っ子はんにいったい何の恨みがあるんでっか!」

「ぬぅぅぅ、指先一つで人をあそこまでドロドロにするとは……触れたら最後という事か。とどのつまりそれは」

「私はもう死んでいる!? ちょっと待ってよ、ねぇ。嘘でしょっ!? 私、もう死んでるのっ!?」

「そんな訳ないだろう! 俺はやってないぞ。こいつが勝手に溶けたんだ!」

「困った。食えない。どうする」

「鬼や~、鬼畜や~。お兄さん、本当に鬼ぃさんやったわ~。うひょうひょ」

「いや、だから……」

「困った。食えない。どうする。俺、食われる? 最後、晩餐」

「骨も残らずとは恐れ入ったのぉ。着ていた服すら溶かすか。これは金属を溶かすのにも使えるのじゃろうかのぉ……うむ? いや、下着だけは残っておるの。なるほど、きっと趣味の成せる匠の業じゃな。思い通りに溶かす力か。方向性さえ問題なければ是が非にでも師事したいところなのじゃが、流石に変態はのぉ。変態は無理じゃ。わしの誇りが、いや人の尊厳としての誇りが絶対に許さん。キッパリ諦めるとしよう」

「イヤッ、こっちに来ないで! 近づかないで変態色欲魔っ! 私もドロドロにされちゃうっ! 汚される!」

「おいこら」

「はいはい、分かりました、遂に分かりましたですよ、はい。謎は全て解けました。お兄さん、実はわたくし達よりも先に目を覚ましていましたね? そして彼の少女をこれ幸いと美味しく頂いた、と。美味しかったですか? 楽しかったですか? こういうのを睡姦というのでしたか。ああ、わたくしには記憶が無いので確信が持てません。でも言葉としては間違っていない様に思いますです、はい。そしてそしてお兄さんはそのまま二人目を頂こうとした訳です。うひょひょ」

「!?」

「うひょひょ。そう、つまりお嬢さんです。前菜を頂いた後のメインディッシュとして、お嬢さんほど相応しい相手はいないでしょう。他は見ての通りですからね。お兄さんがよほど特殊な趣味を持ち合わせていない限り間違いないでしょう。ああ、そういう意味では実はわたくしが次に危ないかもしれませんね。貞操の危機です、はい」

「俺」

「可哀想に。お兄さんの反応からして不合格みたいです」

「殺す。乙女、心、傷」

「それはここにいる皆に共通する思いですので安心してください。うひょひょひょひょひょ」

「………」


 なんか逆に冷静になれてきた気がする。もう殺の一文字だけ心にあれば良いか。


「美味しく頂いた後は折を見て溶かして処分ですね、はい。所謂、ポイっというやつです、はい」

「サイテー」

「見下げ果てた奴じゃ」

「屑」

「………」


 ゆら~り。御前等がそれを望むなら俺は悪鬼羅刹になるとしよう。

 神は天に居まし魔は地で嗤う。全て世は事も無し並べて世は事も無し。斬る事其れ即ち意味無く其れ故に想い無し。


「あ、やば……」

「む」

「うひょ!? やばいわ~、ちょっとおちょくりすぎたわ~」


 一つ斬り一つ終わらす。四つあらば四つ斬り四つ終わらす。


「――裁く天元の轟。静なるは鼓動――」

「俺、止める。頑張る」

「ちょちょちょちょちょちょっとちょっとたんまたんまやお兄さん。気を静めてぇなー」

「おい娘子! おぬしちょっと裸になってあやつに一発抱かれてこい! それできっと万事解決じゃ!」

「イヤよ馬鹿っ!?」

「俺、一肌、脱ぐ。初めて、でも、頑張る。グルァァァァアアアアッ!!」

「あかん! 早まったらあかんで!」

「援護するわ。どうせ早いか遅いかの違いだったんだし。やぁ、やるならやってみなさい! あなたの攻撃、全て受け止めてあげるわ!」

「いだだだだっ! おいコラっ! わしの自慢の髭を引っ張るな! つーかわしを盾にするんじゃない!」

「あ、わたくしも後ろにいれてーな。うひょひょ、これで三枚盾や。そして最後に生き残るのはわたくしやでー」

「………」

「グルァァァァアアアアッ!! グルァァァァアアアアッ!!」

(ZZZzzzzz.....ZZZzzzzz.....)

「ねぇ、叫んでないで早く突っ込んでくれない? 後が閊えてるんだけど」

「だから押すなっちゅうに!」


 ……冗談のお返しに俺も冗談で答えてみたんだが、流石に喜劇で返されるとは思わなかった。

 暫し沈黙し、そのまま様子を伺う。


「隙有りや! 生贄確保やで!」

「きゃぁっ! ちょっとどこ触ってるのよ!」

「よし、でかしたチビッ子!」

「え、ちょっ……冗談、よね?」

「うひょひょひょ。昨日の敵は今日も明日も敵やで。敵の敵も敵やで。お嬢はん、いつからわたくしのこと味方やと思ってはったんや? 甘いで~、砂糖菓子より甘いで~」

「グルァァァァアアアアッ!! グルァァァァアアアアッ!! グルァァァァアアアアッ!!」

「よーしよしよし。まずは一人脱落じゃの。計画通りじゃわい。ガハハハッ!」

「でっしゃろでっしゃろ。計画通りでっしゃろ。あのお兄さんはべっぴんさんには目がない見たいやからな。これで暫くは大人しゅうしてくれますやろ、はい。厄介そうな相手は潰しあってもらうのが一番一番。うひょひょひょひょひょひょひょ」

「むー! むー!」


 黙って見ているだけでエルフを好きにして良い権利が手に入る?

 小人が紐でエルフを縛り、猿轡を噛ませ、床にゴロンと転がした。


「交尾中、無防備」


 何かを期待する蜥蜴の瞳がウザい。

 エルフはまるで親の仇を見る様な瞳で俺を睨み、薄着である事に構わずジタバタと暴れ服を乱していた。

 思わず食指が動きそうになった。だがあまりに馬鹿馬鹿しすぎて気が萎える。本当にどこまでが冗談なんだろうか。頭が痛い。


「……はぁ。まともなのは俺だけか?」


 そう溜息を吐いてから、俺はエルフの紐を緩めた。

 もちろん警戒まで緩めるつもりはなく、自由になるやいなや閃いたビンタは躱させてもらう。助けてやったのにこの始末。何が彼女をそうさせるのか。混乱しているとしか思えない。ああ、そういえば記憶を失っているんだったな。混乱するのも仕方なしか。


「私を生かしておいたこと、絶対に後悔する事になるわよ」

「だと良いな」

「くっ、覚えてなさい!」


 記憶喪失になっている手前、その自信は無いぞ。


「おぬし……まさかとは思うが、実はわしが好みか?」


 ドワーフは混乱している。

 俺は、薄闇の室内で互いに距離を取る四人の姿を一人ずつ確認しながら、言った。


「そろそろ自分達が正気を失っている自覚を持て。記憶が無くて心細いのは俺にも分かる。俺もそうだからな。気が付けば誰とも知れぬ相手と、敵か味方かも分からない異種族と一つ部屋に押し込められていた。怖く無い訳が無い。その気持ちに嘘を吐き続ければ待っているのは殺し合いでしかない。御前達は死にたいのか?」


 警戒の色は却って色濃く染まるが、構わず言葉を続ける。


「死にたくなければ不用意に近づくな。恐怖や不安を紛らわすために適当に喋るな。もう少し慎重になれ」

「――それが嫌だと言ったら?」

「俺が力尽くで黙らせても良い。さっき御前がそこに転がっていたようにな」


 キッとエルフが俺を睨み、そっぽを向く。慎重になれと忠告した矢先から隙を作るか。

 やはり一番御しやすそうなのは彼女だな。それなりに平和な土地で、我儘放題に育ってきたんだろう。華奢な体格に似合わず身体能力は高そうだし、種族柄魔法に関してもかなり才能を持っていると思われる。だがそれが全く活かしきれていない。高いポテンシャルも使う者の精神が未熟であればただの宝の持ち腐れ。人攫いにとっては格好の獲物でしかない。

 こんな場所にいるぐらいなのだから、記憶を失う前はきっと碌な目にはあってないだろう。純血の可能性はゼロとみておくか。

 ――ん? なんでそんなどうでも良い事を俺は気にしているんだ? まぁ良いか。


「ところで、エルフ。御前が目を覚ましたのは俺と同じタイミングか?」


 その質問に、誰も答えなかった。

 蜥蜴が首を大きく傾げ、他3人は訝し気な目で俺を見ている。


「エルフ、とは……誰の事かの? もしや、わしの事か?」


 と、間違ってもありえない答えが返ってきた。なるほど。


「……どうやら俺達の中でも記憶の偏りがあるみたいだな。もしくは、全員が異なる世界から、場合によっては多種族が存在しない場所から此処に集められた可能性もあるという事か。ただ連れてこられただけなのか、冬■させられていたのか、実は死後の世界なのか、■世界に転■させられた結果なのか。実は■想■界の中に俺達はいるのか。それならばあの事象もこの記憶の混濁も知識との辻褄が合わない事も全て納得が出来る。現実で無ければ問題は問題にならない」


 俺自身の胸中に渦巻く疑念をそのまま口にしてみた。返ってきた反応は、益々の混乱。エルフに至っては目を瞑ってうんうん唸っている。蜥蜴は首を傾けすぎだ。90度を超えるな。気味が悪い。

 ところどころ雑音が混じっているのは……記憶が欠如している所為か?


「例えば、先程の俺が口に出した言葉。エルフというのは種族名を指す。人の名前じゃない。誰もこの言葉に聞き覚えはないんだよな?」

「聞いた事が無いわね」

「ありませんねー」


 小人の言葉は信憑性が感じられないので無視する。雰囲気的に一番のダークホースだからな。


「ならば、鬼は分かるか?」

「それもわしは知らぬ。だが鬼畜という言葉なら分かる。およそおぬしの様な存在の事を指して使うのだろう?」

「あ、そういう事。なるほど、つまりあれね。変態や色欲魔と一緒って事ね」

「正解や~。パフパフ、うひょうひょ」

「………」

「じょ、冗談やって。そない怒らんといてーな、お兄さん。ちょっと場を和ませようとしただけやないか。わたくしも記憶がスッカラカンでめっちゃ心細いんやって。信じて下さいです、はい」

「短気、良くない」


 そう言ってる割には挑発する態度は崩さない。一見、隙がある様に見えて3人が3人とも目は全く笑っていなかった。

 もう一人はというと……。


「汚らわしい目で見ないでくれる?」


 本気でそう思っています、と顔に書いてあった。解放せずにひん剥いて吊るして置けば良かったか。


「――そもそも、記憶が無いのにこうして会話出来ている時点でおかしいとは思わないのか? 単語の意味が分からないのは良い。意味が分からなくとも雰囲気で察する事は出来るからな。だが、5人が5人とも種族が異なるのに共通の言葉を喋っているのは何でだ? 明らかに容姿が他4人と違うヤツも混じっている。どうして俺達はこんな風に何の問題も無く意思の疎通が出来ているんだろうな」

「ふむ……」

「おや、そういえば」

「グルルゥゥ」

「?」

「お前達は何を何処まで理解出来ているんだ? 何となくで会話している訳じゃないんだろう事は聞いていて分かる。敵だと言いつつ馴れ合ってみたり、かと思えば思い出したように裏切ってみたり。行動に一貫性がないのを記憶の所為にするのは良いが、結局御前達は何がしたくて何を求めているんだ? 実はその時その時の感情のままに動いているだけか?」

「……私はあなたが大嫌いだって事は確かね」

「随分と嫌われたものだな。ちなみに、それは目が覚めてから今に至るまでの間の過程で芽生えた感情か?」


 俺の問いかけに暫し沈思してから、エルフは静かに言った。


「客観的な評価で言えば嫌いというのは変わらないけど、そこまで嫌うほどとは思えない。でもダメ。良く分からないけど感情的にも生理的にもあなたを好きになる事は絶対に無いって分かる。私はあなたを見たその瞬間から殺したいと思った」

「なるほど、理屈じゃないって事か。もしかしたら失った記憶の中に答えがるのかもしれないな。実は以前に俺達は会っているとか。だが俺の方にはそういう特別な感情は沸いてこない。逆の感情、例えば虐めたいという思い等も特に無い。種族的な問題か、それとも知らぬ間に恨まれるような事をしでかしていたのか。どちらにしても現時点では解消のしようが無いというのは困るな」

「わたくしは困りませんですがねぇ、うひょひょ」

「わしも全く困らぬの。むしろ潰しあってくれると嬉しいぐらいじゃ。正直言えば、わしもその小娘の事は好かん。記憶の無い部分、目が覚めてからの部分、両方の意味での」

「私だってあんたの事は大っ嫌いよ! あいつをぶっ殺した後はあんたの番よ。ぶん殴ってそのダっさいヒゲを燃やしてやるわ。覚悟してなさい」

「おうおう、出来るものならやってみよ。小娘が、返り討ちにしてくれるわ」

「いー、だ」

「喧嘩、両成敗」

「漁夫の利、漁夫の利。うひょひょひょひょひょひょ」


 苦笑すればいいのか、呆れればいいのか。エルフとドワーフの仲が悪いのはむしろ自然。だが、エルフが抱いている俺への憎悪は結構根深そうだ。平和に暮らしていた所をとっ捕まえて奴隷に落とし身体を散々弄んだ挙句に多人数で更に廻して好事家に売り払い死ぬまで地獄を舐めさせでもしたのか。いやこうして生きているのだから後半の大部分はカットだな。年齢詐欺で無ければの話だが。

 しかし、目に見える問題点をあげてもそれほど気にしている様子がみられないのは楽天家ばかりが揃っている所為なのか。俺が感じている不安や恐怖がこいつらにはあまり無い? エルフも一度絶体絶命の窮地に陥ったというのにあまり焦っている様子がない。実は奥の手を隠しているのか? 俺が一番警戒している魔法を誰かが使う様子もない。

 俺が警戒しすぎなだけとも思えない。


 俺はエルフの、綺麗な翡翠色の瞳を見つめながら、そっと切り出す。


「話を少し戻す。さっきの答えだが、エルフというのは御前の種族としての名だ」

「……私の?」

「ああ。正確な種族名は流石に分からないし地方によっては呼び方は異なるんだが、大まかな呼び名でエルフ、エルヴン、エルフェン、アーヴ、アールヴなどと呼ばれている」

「いろいろあるのぉ」

「名、美味そう。腹、減った」

「俺の中での一般的なのはエルフだな。そのエルフの中でも高位存在である種や、住んでいる場所や部族等からまた違う呼称が付いていたりする。ハイエルフ、ダークエルフ、デザートエルフ、ルーンエルフ、ルリエルフ。後の方は兎も角、エルフ、ハイエルフ、ダークエルフの三つはよく出てくる」

「お兄さんの好みはやはりエルフ、と。うひょひょひょひょひょ、遂に本性を表しましたなぁ」

「………」


 蜥蜴の言葉と微妙に繋がってしまったか。とはいえ否定しようにも嘘では無いので言葉に困る。

 などと沈黙してしまってから、俺はこちらをじっと侮蔑の色で見ているエルフに気付き肩をすくめる。

 あっかんべーされた。子供か!


「ちなみにわしの種族は知っておるのかの?」


 ドワーフがアイコンタクトを送ってくる。


「モジャヒゲオ」

「なぬぅっ!?」

「もちろん嘘だ」

「じゃろうの」


 驚いた振りしてあっさりと手の平を返すドワーフ。喜んでいるのは小人だけだった。


「何故おぬしだけ記憶を持っとるんだ?」

「それは俺の方が聞きたいぐらいだ。だが、俺にとって問題と感じている部分はそこには無くてな」

「うひょひょ。持っている人はやはり違いますね~、はい。余裕があって羨ましいですね~、はい」

「なんであんただけ特別なのよ。実はあんたが黒幕なんじゃない?」

「遊び半分にしても趣味の悪い黒幕じゃの」

「残念ながら、俺は趣味の悪い黒幕でもその協力者でも無い。何やら偏った知識は持っていても、過去の記憶は何一つ思い出せない」

「知識があるだけ十分よ」

「それだけでも十分にアドバンテージになりますですからね~、はい」


 身体の方も高い戦闘知識を覚えているみたいだしな。恐らくこの4人を同時に相手取っても倒すのは何ら難しくないだろう。警戒すべきは蜥蜴の膂力ぐらいか。小人を即行で潰しておけば憂いも無くなる。


「して、おぬしの感じている問題とはなんじゃ? わしらより知識を持っているぐらいじゃからの、現実問題、今わしらが置かれているこの困った状況の解決の糸口になるかもしれぬ。言うてみよ」


 混乱に拍車を掛けるだけかもしれないが。当人達が目の前にいるのだから伝えてやる。


「俺の知る知識では、現実世界にエルフは存在しない」

「………」

「おやまぁ」

「?」

「ふむ」

「それだけじゃなくてな、あんたら3人も存在しない。4人とも皆、作られただけの架空の存在でしかない」


 姿形だけならドワーフと小人なら似たような人は何処かにいるかもしれないが。特徴的過ぎる長く尖った耳を持った人はまずいない。人型の喋る蜥蜴など以ての外だ。ファンタジーすぎる。


「ああ、言っておくが別に御前達の存在を全否定する訳じゃないぞ」


 むしろエルフは全肯定しておきたい。


「俺にとって此処は■世界。俺の生まれ育った世界では決してない。そんな場所に放り込まれて俺はまともに生きていけるのか? 記憶を失っているのは勿論問題だが、目覚めると殺す殺されるという話が飛び交い、何度も殺意を向けられ、挙句の果てに縛られたエルフを献上され好きにして良いと言われる始末。価値観があまりにも違いすぎる」


 零れ落ちそうになる溜息を飲み下しながら、俺はハッキリとそう言い切った。


「なら死ねば良いじゃない」


 言ったそばから返ってくる言葉がこれか……。この世界では欲望のままに行動した方がいいのか? その場合、真っ先にやってくる未来はアレでしかないんだが。間違いなく死体が量産される。


「軟弱じゃのう。そういえばさっきも似たような事を言っておったな。分からぬ言葉ばかりでよく分からなかったがの」

「ひょひょひょひょひょひょ。念のために聞いておきますが、自殺する気はありませんか?」

「勿論、無い」

「ありませんよねー。とてもとても残念です、はい。うひょひょひょひょひょ」

「俺、御前等、食う。全て、解決」

「相変わらず面白い冗談ですねー。うひょひょひょひょひょ」

「俺、本気」


 やはり誰もまともに話を聞く気は無いか。さっさと見切りを付けて行動に移すのが吉だというのがハッキリ分かった。

 あまり気がすすまないが……。


(ZZZzzzzz.....ZZZzzzzz.....)


 まだ空中に文字が浮いてやがる。俺以外、誰も触れたがらない話題。

 この場で最も異質な存在。


「このまま話を続けても埒があきそうにないな。やはりヤツを起こして聞いた方が早そうだ」


 漫画の様な顔が浮かぶスライムもどきに向けて、足を踏み出す。


「おい、起きろ」


 文字通り踏み付けた。

 ぶみっ。感触がなんか気持ち悪かった。


「うひょっ! お兄さん、やはり怖い物知らずですねぇ……感情、何処に置き忘れてきたん?」


 記憶が無く精神が不安定な奴等と殺し合いに興じるより何倍もマシだ。

 俺は容赦なく足に体重をかけ、スライム女の顔を踏み潰した。粘土と割れない水風船の中間のような物体に足がズブズブと沈んでいく。スススッと逃げる様に目と鼻と口が横に反れていく。不気味な生き物すぎる。

 少しあった罪悪感も薄れたので、そのまま一気に力を入れ地面まで踏み込む。


 ――地面のラインを越えて足が沈みこんだ。


「な、なにっ……?」


 見た目には肌色のドロリとした水溜まり。それが、不定形の底なし沼の如く俺の足を飲み込んでいく。足首が地面の下に埋まっても一向に固い地面には行き当らない。

 地面があるものとして力を込めた為、その想定外の出来事に身体のバランスを失い壁に手を付く。足を引っ張るも、抜けなかった。


「チャンスね」


 そうこうしているうちに、エルフがスキップでもしてそうな軽快さで近づいてきた。


「動けないの? 大変ねー。ねぇ、私が力を貸してあげよっか?」

「いや、遠慮する」

「遠慮は無用よ。大人しく私に殺されなさい!」

「ぐっ!!」


 飛び蹴りでもしてくるのかと思ったら、エルフは背中から俺に抱き着き首に手を回した。絞め殺すきかっ!?

 ちなみに背中に当たる柔らかな感触が……ないな。ふむ、不憫な。

 む。首を絞める力が一段と強くなった。


「どれ、わしも少し手伝うとするかの。そーれ」

「きゃぁっ!?」

「ぐ、ぅっ……」


 伸し掛かるエルフの体重が激増した。重い……。


「ちょっと! 重いじゃない! どきなさいよ! というか、変なところ触るなヒゲモジャッ!」


 倍増した重みに支えの無い足が更にスライム女の中に埋まっていく。脹脛を越え、膝下まで沈み込む。

 生暖かい人肌に包まれた足。残るもう片方の足で片膝を付き、伸し掛かる重たいエルフの首絞め攻撃に耐える。ただ、素人技の為か首はあまり締まっておらず窒息の危険性はほとんどなかった。

 ただ単純に重い。重い重いと思う度にぎゅっぎゅっとエルフの細腕が首を強く絞めるが、それだけ。


(ZZZzzzzz.....)


 謎文字が俺の顔を貫いている。目の前には漫画調のあどけない寝顔。下着が頭に被っているような位置にあるのは何の冗談だ。


「本来ならわたくしも混ざるべきなんでしょうが……お兄さん、そのプレイはちょいとばかし特殊過ぎませんかねぇ、はい」

「変、態、位?」

「やめてよ馬鹿! 私まで変な人に見られるじゃない!」

「おかしなヤツじゃと思われるのは一目瞭然じゃろうに。殺したい相手に抱き着く馬鹿がわしの目の前におるわい。発情したかの、小娘」

「誰がこんなヤツとっ! コイツとそんな事するぐらいなら死んだ方が何百倍もマシよっ!」

「ならばお兄さんと一緒に死んでくださいな、うひょっ」

「イヤよ! コイツと心中なんて真っ平御免よっ!」


 膝が完全に飲み込まれた。不安定な体勢でほとんど片足でバランスを取らなければならないのが地味に辛い。


「もう、あんた、いつになったら死ぬのよ。早く死んでよ。手、疲れてきたんだけど」


 本当に殺す気が有るのか無いのか。死ね死ね暴言を吐きながら、エルフは追加で俺の耳にカプッと齧り付いた。しかし噛み千切られない。ちょっと痛いが、それだけだった。

 エルフの足はお腹の方へと絡みつき、ほとんど妖怪子泣き爺状態。実際の重さはドワーフのもの。ブレーメンの音楽隊よろしく四人目が上に乗っかってないのが救いか。蜥蜴と小人は動く気がないらしく、傍観しているだけだった。

 本当に、こいつらはいったい何を考えて行動しているのか。訳が分からない。


「んっ……」


 そんな事を思いながら兎にも角にも耐えていると、少し艶のある少女の声が耳に届けられた。


「……ごはん?」


 背筋に悪寒が走った。このパターンは、まさか……。


「捕食。羨ましい」

「うひょひょっ。お兄さん、足、飲まれとる飲まれとる」

「マジか……」


 太腿まで地面に飲み込まれたと肌で感じていたが、実際に目を向けるとスライム体が膝上までうぞうぞと登り、浸食していた。それは今も絶賛進行中。むしろ加速していた。

 スライム体が足を完全に飲み込み、股を越え、ズボンの隙間からアレを包み込んでいく。液体とも固体ともいえない蠢く粘体の浸食に肌が刺激され不愉快な快感が走る。


「きゃぁあっ!! な、何よこれ! 気持ち悪いっ!」

「ぬおっ!?」


 背中のエルフが耳に痛い悲鳴をあげた。齧り付かれていた耳が解放された事に少し寂しさを覚える。

 少し遅れて背中の重みが消えた。


「離せエルフ。逃げられない」

「言われなくても離……なっ!? きゃあっ!!」

「こ、こら。暴れるなっ! 髪を引っ張るな!」


 逃げようとしたのを察知したのか、スライム体が瞬時に触手を生やし背中へと伸ばしていた。


「何よこれ! 離してよバカバカバカッ!」

「いたたたたっ! 俺を殴るなコラッ!」


 ポカポカと頭が殴られた。後ろでいったい何が起こっているのか。


「んまんま」


 その合間にもスライム体が浸食を進め、俺のお腹にしがみ付いていたエルフのおみ足ごと包み込んだ。眼前にある漫画タッチの寝顔の口から漏れてくる台詞の意味を考えたくない。


「ふぅ……間一髪じゃったな」

「おかえりなさいです、はい」

「なにやら面白い事になっておるのぉ。あれに巻き込まれずにすんで良かったわい」

「わたくしと致しましては是非に貴男も巻き込まれて欲しかったのですが。とても残念です、はい」

「同意」

「ガハハッ! 正直じゃのう。ならばわしも自分に正直になるかの。おぬしらも放り込んでやろう!」

「それ、俺、困る」

「うひょひょひょひょひょっ! 返り討ちにしてくれますですよ、はい!」

「グルァァァァアアアアッ!!」


 外野が騒がしくなったが今はそれどころではないので無視する。


「いやっ、ダメ……んっ……そんなところ、入っちゃ……っ! んんんっ、だから、ダメだって、ばぁ……イヤぁぁ……」

「ぐっ、ぅぅぅ……」


 熱い吐息と艶の籠るエルフの悶え声が耳元で囁かれているが、その音響を愉しむ余裕は俺にも無かった。俺の背中に完全に身体を預け必死に抱き着くエルフがいったい何に耐えているのか。同じ状態にある俺には痛いほど、いや、気持ち良いほど良く分かった。

 全身を無数の触手と粘液体がまさぐる。気を抜けば簡単に果ててしまいそうなほどの激烈な刺激。男の俺でそうなのだから、背中にいるエルフは押して図るべし。

 だがこれは捕食行為に他ならない。


「むにゅむにゅ……ちょっと、しょっぱい……味付け」


 生きたまま食べられていた。踊り食いされていた。しかも急に何やら美味しそうな香りまで漂ってきた。

 気が付けば腰の後ろあたりが濡れていた。言葉から察するにドレッシングでも掛けられたのだろう。


「これ、は……本当にヤバい、かもな……エルフ、まだ生きて、いるか……?」

「っ!! っっ!!」


 どうやらそれどころではないらしく、返事は無かった。ビクビクと震えながら俺の身体を強く締め付けてきたので、まだ生きているのは確かか。

 つまり、この窮地を抜け出すのにエルフの助力は期待できない。むしろ俺の身体を羽交い絞めにしている分、障害にしかなっていない。つくづく使えないヤツだ。


 仕方ない。ここは本気を出して……。

 ………。

 ………………?

 む。どうやって出すんだったかな。忘れた。


「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっがぼごぼ……!?」

「ん。うるさい」


 どぷんっ。


 最後の悪足掻き。本能のままに暴れようとした瞬間、スライムに全身全てを取り込まれた。

 まるで底なしの泥沼プールに落ちたかのように、重力の枷から解き放たれる。ついでにエルフからも解放される。


 溺れもがき苦しんでいるのか、バシバシとエルフの手が当たっていた。蹴りも飛んできた。水面方向だと思われる背中の方に向き直るも、視界が闇に閉ざされているのでエルフの姿は見えなかった。というか、この謎液の中で目を開けたくない。

 ガツンと固いものが頭に当たった。恐らく頭突きをくらった。張り手も飛んできた。水中で自由がきかない。見えないので張り手が来る瞬間も分からない。躱す事は不可能だった。確かこれで残り3発分だったか?


 その後も攻撃は次々飛んできた。やりたい放題だな。動きが制限されているのを良い事に、ここぞとばかりに攻めてきている気がする。

 とはいえ酸素がもつ訳がない。苦しくなってきた。

 攻撃方法が変わった。俺の身体を蹴って浮上しようとする方向に。

 逃がすか。

 エルフの蹴り足を掴み、引き寄せる。反動を利用して体位を入れ替える。失敗した。

 掴んでいない方の足が執拗に俺のお腹を蹴り、俺の手から逃れようとする。威力が無いので痛くは無い。が、共にどんどんと深度が下がっていく。危険な兆候。


 暴れるエルフの足はこの際無視し、掴んでいる足の方に抱き着く。細いな。そのままエルフの足を棒に見立ててエルフの身体を上に昇っていく。嫌がるエルフの手が頭を押しのけようとするが、力はこちらが圧倒的に上。その細腕で俺の行動は阻めない。

 腰を掴み、更に上を目指す。掴みやすそうな凹凸がないので、次の狙いは肩。暴れていた両足は同じ足で黙らせる事に成功した。よし、これでより昇りやすくなった。

 酸素がもう心もとない。エルフの方も同じらしく、抵抗が徐々に弱くなっている。早く決めに掛からなければ。


 現在の状況は、察するに、下半身に前から抱き着く形。これより先に昇るには後ろに回るのが吉。

 水を強く蹴り身体を一気に後ろへと回す。

 衣服の感触が無い。既に溶かされたのだろう。水中という状況ばかりに目がいっていたが、考えてみれば今いるのは恐らくスライムの体内。あの身体の中に無限の空間が広がっていたとは流石はファンタジーだな。

 それは兎も角。

 スライムの体内にいるのだから溶かされていない訳がない。念の為、目を開けていなくて良かった。しかし、エルフは暗い所でも見えていたのだろうか? そこそこ攻撃の命中率が高かったのが少し気になる。


 背後に回った事でエルフの抵抗が更に弱る。酸欠でもう力も残っていないのか、身を捩るなどの暴れも小さい。

 ――気の所為か、身体が想定より小さい気がする。こんなに華奢だったか?

 まぁそれは今考えても仕方が無いか。俺の方も酸素がやばくなってきた。活動可能時間の限界が見えてきている。

 急いでエルフの身体を昇り詰めた。抵抗はほぼなし。


 悪いが、俺も死にたくないんでな。


 そのまま一気にエルフの身体を下に落とし、悪いとは思いつつその身体を全力で蹴って上昇する力へと変え――しまった!

 足がガシッと掴まれた。

 折角得た加速が消える。抵抗が弱まっていたのは、まさかこれを狙っていたのかっ!

 死なば諸とも、助からないのならせめて俺も道連れにしてやろうという訳か。

 くそっ。最後の最後で詰めを誤った。


 くっ。意識が暗闇に沈んでいく。希望を失った事で集中力が切れた。

 脳裏にエルフが憎ったらしく喜んでいる光景が浮かぶ。走馬灯の様にエルフの姿が何度も現れ遠くに消えていく。

 とても短い人生だったな。その記憶の大半がエルフの姿に埋め尽くされているのは間違いなく見た目の問題だろう。男や蜥蜴をわざわざ鮮明に記憶する趣味は持ち合わせていない。

 スライム少女の姿は……きっと不気味すぎて記憶からカットしてるなこれは。精神衛生上、気持ち悪いし。


 ああ、そろそろ本当にダメそうだ。

 もはやこれまで。

 次に生まれ変わった時には、もう少し生きやすい世界であらんことを。理不尽は、もうコリゴリ、だ……。


「ペッ」


 ばしゃっ!


「がはっ! げほっ、げほっ、げほっ……」


 間一髪。なんか吐き出された。


「あ、まだ生きてる」


 空気が美味い。貪る様に空気を食べる。文字通り胃に落とし、代わりに水?を吐く。

 ドロドロしたものが出てきた。これは、スライムか。

 おぇっ。


「今がチャンスね。死になさい!」

「ごはぁっ!?」


 そこに容赦の無い張り手が「バシンッ」と炸裂した。耳が遠くなってはいたものの雰囲気で何となくその未来を察していたが、流石に身体が動かなかった。

 吹き飛ばされ壁に頭を打ち付けた。一度で二度おいしい連続したダメージに、ちょっと本気で泣けてきた。

 なんかもうこの世界いやだ。理不尽すぎる。


「ほえほえ、ほんとえらい目にあいましたです、はい。わたくしにはそっちの気は欠片も無いのですがねぇ、はい」


 ……ほんと、もう死にたくなってきた。

 一緒にスライムの中に取り込まれていたの貴様かよっ! いったいどこで入れ替わった!

 絶望だ。絶望した。


「ん。人の身体、入るの、良くない。おしおき」

「がはっ!?」

「うぎょっ!?」

「グルァッ!?」


 風の塊っぽい不可思議が力に叩きつけられ、また壁に激突させられた。

 一度で二度おいしい連続ダメージ。今度は仲間がいたが全然嬉しくなかった。

 というか蜥蜴、何で御前も巻き込まれている。まさかこっそりトドメを差しにきていた……!?


「御前は……」


 膝をついた体勢で、それをした少女を見た。

 少女は最初に見た時と同じ衣服を身に着け、感情の薄そうなのっぺら表情で俺の事を瞳に映していた。そこにドロドロに溶けていた様子は微塵もなかった。近くにZzzの文字も見えない。むしろそっちの方がほっとした。


「私?」


 少女が首を傾げる。

 少女の向こう側では、エルフとドワーフが警戒の色を浮かべ立っていた。但し五体満足なのはドワーフだけであり、エルフは服を乱し少し頬を赤く染めていた。という事は、一応あれは現実で、幻覚を見ていたという訳では無かったという事か。


 ドッドッドッ、と高鳴る心臓の鼓動。少し痛い。もう少しで死ぬところだったのだから、この動悸と息切れは当たり前の事象だろう。しかし一向に収まる気配はない。何故だ。

 空虚さと能天、天然さが感じられる幼気な容姿を持った少女を見ると何だか心が落ち着かない。何故だ。そんな筈はない。記憶を失う前の俺はロリコンの趣味でも持ち合わせていたのか? いや、そんは筈はない。

 正常さを求め、後ろにいるエルフの美少女をそれとなく見る。視線は少女の方に、しかし意識はエルフの方に。乱れた服がエロいな。隠れるべきところは隠れているが、ところどころ溶けているので露出は過多。スライムの恩恵だ。その姿を穴が空くほどじっくり見ればきっとこの心臓の高鳴りも維持され続ける筈……何故だ、どうして落ち着いてくる。いやそうか、きっと俺はこれまでのエルフの仕打ちを憎からず思っていたんだな。いい気味だと感じているんだろう。だから心が落ち着いてきた。そうだ、そうに違いない。

 再び少女を見る。心臓が高鳴った。ちょっと待て。どうしてそうなる。ああなるほど、そういう事か。得体のしれない存在に俺は無意識のうちに恐怖しているんだな。良く考えればそれは当たり前の反応だ。少女の皮を被った化け物。理解できない事が多すぎる。Zzzzとか。常識が通じない相手は怖い。

 エルフを見る。嫌そうな目で睨み返された。無い胸や細い腰を抱いて隠し始める。どちらにしても目の保養になるな。少し気が落ち着く。


 そんな風に時間だけが過ぎていく。誰もが黙り、少女の次の言葉を待ち耳を傾ける。まさか彼女まで記憶喪失という事は無いだろう。いや、あって欲しくないと願う。


「ん。自己紹介。私はアイン。銘は『水溶』」


 抑揚のない声で少女はそう言い放った。そして『エッヘン』という謎文字が空中に浮かび上がった。


「青銅位、処女席番外のダンジョンマスター。転変万化のアインフォシルとは私のこと」


 それから、俺を指差し最後にこう言った。


「魔王ゼイオンの矯正が私のお仕事」










エルフ  :残念美少女

ドワーフ :ヒゲモジャ

蜥蜴   :俺俺雌

小人?  :うひょひょひょ

魔王?  :ゼイオン

スライム?:アイン

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