プロローグ:勇者と魔王
その魔法は、あらゆる命を奪い去るという。
世界が色褪せていく。一瞬前まで生きていた実感が失われ、急速に身体から熱と力が奪われていく。
ああ、俺は死ぬのか……。
アパートで一人暮らしを始めて幾数年。こんなにも早く人生が終わるなんて思いもしなかった。新年早々ついていない。
今年も、というか去年の大晦日も一人寂しくパソコンやP●4と向き合いゲーム三昧。もしくは携帯でネット小説を貪り読み自堕落な生活を送り年を越したばかりの新年。今年こそ可愛い彼女をゲットしてやる!という意気込みと共に画面の中へと現実逃避していたのが約10分前。運動不足は大敵とばかりに健康思考で夜に走り始めたのはつい昨日の出来事。その無理が祟ったのか、筋肉痛に苛まれた足が言う事を聞かず、初詣に向かう途中で人ごみに押されて車道に投げ出され……新年に浮かれ寝不足のバカップルが運転する車に盛大に跳ねられた。
ブレーキ音の欠片も聞こえなかった。チラッと見えた運転手の顔は横にいる彼女へと向けられ、明らかに俺の方は見ていなかった。
それから、十数年後。
「カーズドフレイム」
「壱撃一刀、【刃風閃】!」
人の指とは思えない干からびた五指から放たれた禍々しい闇紅色の炎。扇状に広がり生きとし生ける者すべてを呪い蝕み燃やし尽くす呪炎が迫る。しかしこの一撃によって炎は断ち切られる。その先にあった不可視の壁を斬り裂き本体へとダメージを与える。
「馬鹿な! 我が結界が破られたというのか!」
この壮絶な戦いにも遂に終焉の時が迫っていた。
「ケイオス、あいつの守りは破ったわ。今よ!」
「遂にやったか姉さん! これで俺の剣も届く! 覚悟しろ魔王。貴様を斬る!」
長杖の先端、宝珠に巨大な魔力を注ぎ続ける美女の言葉に青年は答える。青年は勇者であり、その姉である美女は聖女だった。
勇者は瞳でも感謝を伝えゆっくりと剣を構える。
愛すべき聖女の顔には濃い疲労の影が浮かんでいた。
「長くは持たないわ。決めなさい」
「勿論」
自信に満ちた言葉を返した勇者の瞳に映るのは、全身を覆う闇黒色のローブを纏い、鮮血の如き紅い双眸とミイラの様な皮と骨だけの細い手だけを外部に晒す悪しき存在。人類最大の敵。その圧倒的な威圧感と死の気配はモンスターと呼ぶにはあまりにも逸脱しすぎている。
姿形は不死者、それも最高位の賢者。元は人の身でありながら自ら魔に堕ちた者。俗に言う不死賢者。
ただそれだけでも厄介だというのに、しかし中身はもっと厄介な存在へと至っている。
敵は魔王。
相対するは勇者と聖女。
「にぃに、やっちゃいな!」
と、二人の妹。その三人。
(ああ、やっちゃいなケイオス!)
――そして、転生に失敗し勇者の中に閉じ込められた幽霊な俺。
人生に転生はつきものだ、とはいったい誰の言葉だったか。死の先の国で待っていた神の手により(半ば強引に)記憶を持ったまま転生した俺は、しかしその転生に失敗した。どういう訳か俺の転生先の赤ん坊はちゃっかり自分の意識を持ったままで、俺は身体を手に入れる事が出来なかった。
自我が確立されていない赤ん坊の意識を乗っ取るなどというそんな悪辣な事を平和大国生まれの俺に出来る筈もなく。数年後に二つの精神が突然合体して「前世を思い出した!」的な展開もなく。頭の中で囁く妖精さん宜しく、以後、俺はケイオスの頭の中で生きてきた。
まぁそんな人生があってもいいかとのほほんと日々をだらだら過ごしていたらいつの間にかケイオスが勇者となっており、そして気が付いたら魔王なんかと戦っているという事態。どうしてこうなった。おお、神よ。転生させるのは良いが余計な運命を付けてくれるなよ。
「魔王、覚悟しろ。俺は御前を斬る」
「小童が。随分と奢りおる。この我を斬るだと?」
「ああ、斬る。御前を倒して、俺達の未来を……いや、この世界の未来を取り戻す」
「我が箱庭で飼われていた家畜の分際で、我に歯向かうと言うか。身の程を弁えよ」
「俺達は御前の家畜じゃない!」
家畜にも多少の自由はあるが、俺には無い。魔王と戦うなんて止めようよと囁き続けた俺の頑張りは無駄に終わった。
(ゼン)
(……あいよ。ちゃんと受け止めろよ。じゃないと俺も辛いんだからな)
(分かってる)
「燃え上がれ俺の魔力! 天空に煌めく星々より来たれ炎熱の精霊!」
(燃え上がれ俺の宇宙! 天空に煌めく星々より来たれ炎熱の精霊!)
上段に構えた剣に炎が宿る。燃え盛る炎は一瞬激しく瞬いた後、剣身に沿って集束される。
「<エンチャントホーリー>」
その赤き刃の上に神聖な力が宿る。ケイオスと俺が重ね掛けした炎の力が聖光に包まれ、青き炎の刃へと変化する。
「……斬る」
絶対的な意思と共にケイオスが爆発的に加速。
「小賢しい。<デモンズバレット>」
魔王が無数の魔弾を放つ。一つ一つは小さくとも、当たればただではすまない威力をそれは秘めている。
ケイオスはそれを右に左に躱す。目まぐるしく移り変わる視界。身体へとかかる過度の負担。物凄く痛い。
剣と魔法の世界で体感する異世界機動の辛さは経験した者にしか分からない。俺とケイオスは感覚を共有している。俺に身体の自由は無いが、五感の全ては俺にも伝わる。情報を処理する脳だけが別にある状態。だからこそ出来る事もある。
魔王との戦いに集中するケイオスを五感を使い、俺は別の事に意識をさく。さながらテレビ画面を見ているように。ゲーム感覚の如く。
防御結界を失った事で魔王の行動にこれまでの様な遊びは無くなり、魔弾の軌道はケイオスだけでなく遥か後方にいる姉ちゃんまでとらえていた。
(そいつは避けるなケイオス! 迎撃しろっ!)
(なにっ!?)
だが一足遅かった。聖女の瞳が迫りくる脅威を映し大きく見開かれた。
「くっ、間に合え!」
(違う! 戻るなっ!)
「なっ、ぐぁっ!」
(ぐぁっ、いてぇっ!)
俺の警告も虚しく、まるでそれを待っていたとばかりに突然カクっと鋭角に軌道を変えた魔弾がケイオスにぶつかった。咄嗟に籠手で防御したもののその衝撃は頑丈な金属の壁を越えてケイオスの身体を吹き飛ばす。
それで攻撃の手が止まるなら三流魔王。残念ながら相手は一流魔王。
(緊急回避!)
「逃がさぬ」
(いや逃げる!)
誘導弾と化した魔弾の猛威に、ケイオスの足が俺の意に従い背面走行。どんな曲芸だと言わんばかりの体勢でその場から一目散に逃げだす。
(待てゼン! 姉さんが!)
すぐに俺の魔法をディスペルしたケイオスが地面に手をつき己の足で軌道変更。勇者同様、魔弾が降り注ぐ聖女目掛けてケイオスは矢弾の如く超速移動。その瞳に聖女が息を飲む姿が映し出される。
「させない!」
(信じろケイオス! 此処にいるのは俺だけじゃない!)
そんな俺の心の声は一瞬届くのが遅く。魔弾の雨は聖女の前に躍り出た小柄な少女によって斬り散らされた。その細い手に握られた短剣によって尽く斜めにたたっ斬られ霧散した。
「姉貴はアタシが守る。にぃには目の前にいるあの化物に集中集中」
と言いつつ、妹ちゃんは返す刃で魔弾を打ち払ったばかりの短剣を魔王目掛けて投げつけた。魔を断つと言われていた刃は魔弾を斬った事で刃がボロボロとなっていた。二度目は無い、それを斬った感覚で理解したのだろう。
迷う事無く最後の役目をその短剣に対し命じる。
「さよならミーちゃん! [ 解・バニッシュメント ]ッ!」
「ぬぅ!? <デモンズケージ>ッ!」
短剣に込められていた魔法が解除され、周囲一帯を消滅させんと眩しく輝く。その白い輝きは、しかし咄嗟に魔王が放った魔の檻によって封じ込められた。
だがその一瞬に生じた隙をケイオスは逃さない。その場に残像を残し、聖魔の打ち消しあいに乗じ死角から暗殺者の如くケイオスの凶刃が魔王に迫る。
「弐撃一閃、【霞二段】!」
「ぐっ、ぬぅぅぁあっ!?」
聖なる焔の刃が魔王の身を傷付ける。ただの斬撃であれば斬られたとしても痛みなど生じないが、ケイオスの振るった剣には不死者が嫌う炎と聖なる力が込められている。肉体だけでなく精神体の方へのダメージに、さしもの魔王も瞳を明滅させ怒りを露わにする。
「貴様ぁぁぁ……よもや我に痛みを与えるまで成長するとは。少し遊ばせ過ぎたか……カァッ!」
「ぐっ! なっ、か、身体がっ」
「にぃにっ!」
魔王が不可視の波動を放ちケイオスの身を束縛。が、そんな悪い波動は精神体である俺の手に掛かればとるに足らない児戯。見えない力に対する防御は俺の担当。
(むぅぅ……はぁ!)
「はぁぁ……斬る!」
心眼一閃。俺とケイオスの言葉が重なり魔王の束縛を断ち切る。俺が波動を斬ると同時にケイオスの剣が加速。斬撃が空刃を生み出し魔王に襲い掛かる。
「カァッ!」
腕の一振りで蹴散らされた。もっとも、牽制で放った一撃なのでケイオスもそれは承知している。
「容易く我が呪縛から逃れるか」
束縛から解放され自由落下する勇者。自然の摂理を無視し空中に浮く魔王。睨みあう対極の存在。
見上げる魔王の姿は相変わらずの化物容姿。唯一先程までとは異なるのは身に纏うローブには斜めにバッサリと斬られた痛々しい痕。だが魔王が痛がっている様子は見えない。実はダメージが届いていないのか。
ふむ……少し試してみるか。
「羽虫が。消し炭となれ」
これぞフォースの力だと言わんばかりに伸ばされた腕。再びカーズドフレイムの炎がケイオスを襲う。
呪炎は火と魔の混合属性。水の属性だけでは防げない。さっきは風属性の一撃で無理矢理断ち切ったが、あれを放つには残念ながら条件が整っていない。対策装備があれば手っ取り早いのだが、残念ながら希少性と幸運、金銭的な問題、レディーファースト精神によりケイオスは装備していない。なのでほとんどの魔法攻撃は躱すか自前で打ち消さなければならない。残念ながら水の魔法が苦手な俺にはあの規模の魔法は打ち消す事が出来ない。最後の選択肢として聖女の支援魔法を信じて突っ込むという手もあるが俺が怖いので却下。
つまりここは回避一択。
「その羽虫に貴様は今日ここで倒される運命にある!」
「クカカッ、奢りおる。例え勇者であろうと我には叶わぬと知れ」
――ではなく特攻ぉぉ!? ちょっと待てこらぁっ!! 魔王相手に何考えてんだ脳筋馬鹿野郎っ!
俺の心の叫び虚しく眼前一杯に広がる炎の群。覚悟を決める暇なく炎に包まれあちちちちちち熱い熱い熱い熱いっ!!
「<ホーリーブレス>」
聖女の祈りが奇跡を呼ぶ。焼けた肌がみるみる回復していく。
いやいやそこは回復より炎を蹴散らすフローズンコートかディバインコートでしょう! 熱いのが全然和らいでない! むしろ焼かれた神経が回復されて焦熱地獄が継続中! それ選択ミス! 熱い熱い熱い熱いっ、いっそ早く焼き殺してぇっ!
「カァッ!」
「ぐっ……たぁっ!」
「効かぬわっ!」
炎を突破した先で魔王は悠然と待ち構えていた。奇襲になってねぇ!
「そんなに我が憎いか勇者!」
絶賛美味しそうな匂いが漂う中、勇者と魔王が空中で高速戦闘を繰り広げる。
「だがその憎しみは我の糧にしかならぬぞ」
「憎しみなど無い! 俺はただ貴様を斬るのみ!」
「だが貴様の剣には多くの憎しみが宿っておるわ。いや、ここは願いと言うべきか。ククク、随分と重そうな願いだ」
風の魔法で空中に足場を作り不規則に飛び跳ねる勇者に、自然の摂理を曲げ重力と慣性を完全に無視して動く魔法は理詰めの要領でケイオスの行動を狭めていく。言葉でも揺さぶりかける。
「その剣で救ってきた命と救えなかった命、どちらが多い?」
ガキッ、と剣が魔王の手に捕まれる。
「救ってきた命だ! 貴様が生み出したモンスターを斬れば斬るほど命は救われる」
ケイオスが険しい表情を浮かべて言う。俺の魔法で剣に衝撃を与え魔王の腕を弾き飛ばす。
「ほほぅ、モンスターには命など無いと? あれらも列記とした生物なんだがのぉ。人は良くてモンスターは悪というのが勇者の正義か」
魔王の五指が鉤爪の如く空間を凪ぐ。
ケイオスは宙を蹴り後ろに加速。爪刃が生み出す攻撃の間合いを紙一重で見切り、過ぎ去ると同時に前へと加速し斬撃を叩き込む。
「貴様が生み出すモンスターは全て不死者のくせに良く言う。斬り捨てる以外に救う術など無い!」
「おっと、そうだったな。元は人だったモノに血も涙も命も無かったか。心だけは残しておいてやったのだが、さて斬り心地はいかがなものだったか。ぜひ感想を聞かせて欲しいものだ」
だがその勇者の剣は振り下ろされた死神の大鎌に遮られた。剣と鎌の衝突音が響く。
続いて剣と鎌が弾かれギィィンっという音が鼓膜を震わせた。
「楽しく無かったに決まってるだろう!!」
(楽しく無かったに決まってるだろう!!)
憎悪よりも怒り。二つの思いが重なった瞬間、一撃の重みが数倍膨れ上がり大鎌を刃を断つ。打ち鳴らされた音が鎮魂の福音の如く大反響となって響き渡る。
「クカカカカカッ! そうか、楽しくなかったか! それは愉快愉快」
投げ捨てられた漆黒の鎌が虚空へと消え、代わりに魔法陣がケイオスの剣の行く手を阻む。だが破魔の力が宿った剣に斬れぬものなし――とは言い過ぎだろうが、一瞬のぶつかり合いの後に迫り勝ったのはケイオスの方だった。
破砕音とともに魔法陣が砕け散り剣が加速する。だが魔王の身をとらえる事は出来ない。返す刃も、生み出された風刃も回避される。
「ケイオス、魔王の言葉を聞いてはダメ! もっと戦いに集中しなさい!」
「にぃにを誑かすなー!」
怒りの炎で赤み掛かっていた勇者の剣が聖女の支援魔法を受け彩りを取り戻す。一瞬の停滞を狙いすましたかのような見事なバフ。
その一瞬の間を埋めるため妹ちゃんが魔王に噛みつき一撃離脱。
ケイオスが握りを確認し、次の一閃に向けて力を込め始める。次は……あれか。丁度いい。
背中から生えた翼にも似た第三の腕が何も無い虚空へと潜り込み血飾色の長剣を引き抜く。その切っ先は離脱する少女へと向けられる。
間違っても斬られてはいけない一撃。少女は二本の短剣で防御し、その力を利用して弾かれる様に距離を取る。それを追って第三の腕が伸びる。
正面では魔王が勇者を迎撃していた。距離を詰めるケイオスに、それをさせまいと針の雨が横薙ぎに襲い掛かる。躱す隙間の無い無数の攻撃。ケイオスは意に介さず直進。
「なにぃっ!?」
しかし針の雨はケイオスの身を貫く事はなかった。針の雨の方がケイオスを避けたからだ。
勿論それは俺の仕業だ。一本一本異なる呪印が込められどれに当たってもヤバげな状態異常をくらいそうな攻撃でも当たらなければ意味はない。当たった後の結果を求めるあまり肝心の当てる事に対する対策が不十分な攻撃だった。直線的で軽すぎる故に、少し気流を弄り極力逆らわない様に軌道を誘導するだけで事足りる。
「くぅっ、ダークネスエッジ」
「遅い! 参撃武双、【雪月花】!」
光を狩る闇の刃の下を潜り抜け三閃。力任せの三斬撃。だがその斬撃一つ一つが属性を帯び、加えて聖女による聖属性が付与されている。ケイオス自身の炎属性を加えると合計5属性。だが真に魔王にとって脅威なのは勇者が持つ魔王特攻の効果。
重力と慣性を無視し浮遊する魔王の身を剣刃が触れた先から凍らしていく。それはただの氷ではない。灼熱する氷。融点が非常に高い魔氷が魔王の身を焼き外と内から同時に蝕む。それが第一閃。
刹那の間に返された第二の刃が闇黒の力を断滅する。月光の刃が下から上へと三日月の弧を描き闇色の刃ごと魔王を斬り裂く。
そして最後の第三閃。散る花が如く。全力で叩きつけられた一撃に、一閃目の斬り口を閉ざしていた氷が急激に成長し華を咲かせる。それは儚くも一瞬の後に破砕し散っていった。
だが、この手応えは……ならば考えられる最悪の手は……。
「ぐぬぅぅぅっ! ば、馬鹿な、深淵に眠る我が身まで届いただとっ!?」
「斬ると言った筈だ魔王! 我が剣に斬れぬものなし」
「理を曲げたというのか! ありえぬ、ありえぬぅぅっ」
狼狽する魔王の手にはいつの間にか錫杖が握られていた。死神の大鎌を持つ姿も十分似合っていたが、賢者の呼び名にはこっちの方がそれらしい。いよいよ魔王も本気か。
再び勇者の剣と魔王の杖がぶつかり合う。斬れないものは無いと言ったそばから斬れていないが、ここで指摘するのは野暮だろう。そんな余裕もない。
見た目には魔法のない泥臭い鍔迫り合い。だがその裏では魔法の行使と打ち消しが繰り広げられていた。魔王は超至近距離で勇者に魔法を叩き込もうとするが、聖女の力によってその尽くが発動を潰されていく。聖女の力を的確に魔法発生地点に誘導する俺と言う存在がいる事で魔王は得意の魔法をファンブルし続けるしかない。超至近距離にいるからこそ俺もそれが出来ている。
攻撃が飛んでくる恐怖にガクブルする毎日も今日限り。魔王さえ倒せばこんな命がいくつあっても足りない毎日におさらば出来る。それを希望に俺は頑張る。
俺、この戦いが終わったら姉ちゃんと妹ちゃんに告白して絶対に結婚するんだ。
倫理的にも現実的にも無理だと分かっていてもこの世に生まれてきてからこの方ずっと二人に対して抱いてきたこの想いは純粋なる愛! 肉体的な繋がりを持つ事は叶わなくても心が通じ合えば結婚は出来る。結婚は魂同士の契約。俺はただこれからもずっと二人と一緒にいられればそれでいい。
フラグを立てたところで出会ってしまった勇者と魔王の運命を変える事は出来ない。勇者が勝利し、魔王が敗北する。聖女まで揃っているのだからその未来が変わる事はない。ハッピーエンドは目前。
「神剣アイデスよ、俺に力を貸せ! [ 神装・アイデス ]ッ!」
幸せの未来に向けてケイオスの視界がブレる。一瞬の間に間合いへ飛び込んだ勇者が高速で剣を振るう。
そのあまりの速さに、俺が次に認識したのは錫杖によって受け止められた光景だった。あの超速斬撃に反応したというのか。
「……ふっ……!」
息を吐くような規制と共にケイオスが神剣を煌めかせる。閃光にも等しき斬撃の雨が生まれる。
だがまたしても魔法の錫杖はその尽くと打ち落とす。ガガガガガ、ギンギンギンギンギンッと絶え間なく剣戟の音が響く。
「滅びよ、カァっっ!」
「その邪眼はもう見た! 俺に二度同じ攻撃が通じると思うな!」
「クカカッ! 貴様にはそうだろう。だが後ろを見てみよ。貴様の姉は随分と苦しそうだぞ?」
「く、ぅぅ……」
しかしケイオスは振り返らない。魔王の一挙手一投足から目を離さず斬撃の雨を降らす。その一撃一撃を繰り出す度にケイオスの身体は悲鳴をあげる。
「……貴様を斬れば全てが解決する」
内なる熱い感情を押し殺してケイオスが言う。
「その前に失われる命があったとしてもか? ククッ、剣が鈍っておるぞ。さて、いつまで持つかな。5秒か、10秒か。聖女と言えど随分と脆い魂だ。いっそ不死者にして貴様を襲わせてみるか。魔堕ちの聖女を生み出すのは久方ぶりよのぉ」
あらゆる角度から繰り出される斬撃を、振るわれる度に加速する刃を、目にも止まらぬ速度で振るわれる剣の閃き全てを魔王は漏らさず捌いていた。瞳に映る錫杖の数は5つ。腕は6つ。また一つ闇の衣の中から伸びてきた異形の腕が虚空へと突き込まれ、6つめの錫杖を取り出す。加速し続ける勇者の攻撃に対し、魔王は数の防御で圧倒する。
「姉さんはそんなに柔じゃない。やってみろ」
数で勝負にならない事を悟ったケイオスが剣を両手で持ち渾身の一撃を放つ。
「カカカッ、既に堕ちたぞ。見よ、なんと禍々しき姿か。あれが元は聖女であったなど誰も思わぬであろう」
(騙されるなケイオス! 今目を離せば幻術に掛かる! 二人の声が聞こえないのは魔王が遮断しているからだ!)
(分かってる!)
「さぁ聖女よ。御前の愛する弟の心臓を存分に貫くがよい」
「ぐっ!?」
6つの錫杖を斬り弾いたケイオスの瞳に、己の胸から生えた腕が映し出された。勇者の剣からも光が失われた。
(幻覚だ! 気をしっかり持て!)
だが、俺に痛みは無かった。
(分かっていると言っている!)
「はぁぁぁぁ……斬!」
「が、はっ!」
返す刃が命中し、魔王の体勢が崩れる。瞬間、痛みも胸から生えた腕も掻き消え、勇者の剣にも光が戻る。
続けて放つ刃で魔王の左腕を斬り飛ばし、聖女の力を導きその腕に封印を施す。まだまだ第三第四の腕が闇の衣の中かから生えているが、それでも封印が成功したという事実はとてもでかい。相手は不死者の中の不死者。最悪殺しきれない事も考えていた。そうなった場合、五体バラバラにして封印する事も考えていた。
「おのれぇぇぇ! 絶対に生かして返さぬ!」
魔王の瞳が再び怪しく輝き不可視の波動を放つ。力の指向性を読み邪眼ではなく束縛であると見切る。一時的に行動不能に陥れその間に強力な魔法を叩き込むつもりか。
だが無駄だ。束縛される前に俺が消し飛ばす。
「それはこちらの台詞だ!」
コンマ一秒も停止しなかったケイオスの追撃が魔王の眉間に突き刺さった。
同時に第三から第六の腕が掻き消える。
「があああっ!! く、おのおおおっっ!!」
重力を思い出し落下する中、更なる追撃を繰り出すケイオスに、唯一残っている腕で握る錫杖の先端を魔王が向ける。その錫杖の動きに他5つの錫杖が一斉に向きを変え、その先端をケイオスへと向ける。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉのぉぉぉぉぉぉぉぉぉれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! ゆぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
巨大な魔力が錫杖より生まれ収束する。5つの錫杖が五芒星の頂点に位置取り、五芒星の魔法陣が宙に描かれる。これまでにない兇悪な熱量が錫杖の先端に集まり炎の球を形作る。その熱量は自らをも含め周囲一帯を灰塵に帰しても尚足りないほどの超高熱。自滅覚悟の大魔法術。
だが、それを待っていた!
(ケイオス! 今だ、あれをやれ! 俺を使え!!)
その俺の言葉にケイオスの身体が一瞬強張った。だがすぐに覚悟を決め、その切り札をきる。
「始源の炎、我が意と言の葉に従いて灼熱と成せ。その力、魔を断つ刃と化し斬る全てのモノに煉獄の裁きをくだせ」
(始元の焔、我が意と言の葉に従いて灼熱と化せ。その力、魔を断つ刀と成し斬る全てのモノに煉獄の裁きをくだせ)
ケイオスが俺の魔力を吸い上げ勇者の剣に力を注ぐ。
俺は魔王が作り出した灼熱の業火球から魔力をドレインし自らの魔力を回復させる。
通常、魔力を吸収する事は出来てもその変換効率は非常に悪い。良くて十分の一。相性が悪ければゼロ。魔力はその人その人の特性に染め上げる事でようやくまともに使えるようになる。
だが魂と魂で繋がっている俺とケイオスの魔力の相性は最高。魔力の吸収変換効率はほぼ1。
そして、精神体である俺は魔法そのものとの相性がそこそこ良い。肉体という余計なものを持っていない所為か、魔力の回復も早いし、魔法そのものを操ったり吸収する力に優れていた。
一心同体の俺とケイオスだからこそ出来る超必殺技。相手の魔法の威力が高ければ高いほど、この一撃は相乗して高くなる。
「ケイオス、私の全て力をあなたに託すわ! だから、世界を……世界を救って!」
まるでその時を示し合わせたかのように聖女の力が勇者の剣に注ぎ込まれる。聖女の祈りに世界中の人々の思いが束ねられ、膨大な魔王の魔力を取り込み暴走しようとする勇者の剣を優しく包み込んでいく。
「にぃに、私の全てをあげる! 全部あげちゃう! だから勝って! 絶対に、絶対にっ!」
その届けられる思いの一つに少女の愛が加わる。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ケイオスが勇者の力全てを剣に託し吼える。俺から吸い上げる膨大な魔力を、ケイオスが最も得意とする炎へと変換する。
(ケイオス!)
恐ろしい速度で命が吸われていく感覚と消滅する運命への恐怖。何もかもが失われていく喪失感と虚脱。
それでも精神が焼き切れる覚悟で魔王の膨大な魔力を吸収し続ける。魂が焼かれているような想像を絶する痛みがこの身を襲う。
「ケイオス!」
この世界から悪しき魔王を拒絶するために、聖女が勇者を信じ、未来を信じて祈りを神に捧げる。
「にぃに!」
ぎゅっと姉にしがみつき、少女は勇者の姿を澄んだ瞳に映していた。この戦いの先にある幸せな未来を願い、これまでに散っていった仲間達の想いが無駄でなかった事を皆に伝える為に、最後の瞬間を瞳に焼き付ける。
「ゆぅぅぅぅぅぅぅぅしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! 灰塵とぉぉぉぉぉぉ帰せぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ!!」
何もかもを焼き尽くす炎が放たれる。役目を終えた6つの錫杖が砕け散り、その瞬間に終焉をもたらす獄炎は更なる魔力を受け取りその火力をあげる。触れるだけで焼滅は免れないだろう黒く燃ゆる巨大な炎の球が勇者目掛けて加速する。
「滅びるのは貴様だぁっ、魔王ぉぉぉっ!! 斬り裂け、肆撃一対――」
光輝く勇者の剣が、純白の剣閃となり振り下ろされる。
「<メキドフレア>ぁぁぁぁっ!」
魔王の力ある言葉に炎の球が一瞬で拳大まで収縮し、爆ぜる。
「【灯桜散火・炎断】!!」
次の瞬間。
世界を飲み込んだ太陽は一閃され、あらゆる音が世界から消えた。神速で返された対の一閃で、煉獄地獄と化し赤黒く灼熱色に染まった世界は、その圧倒的な熱量ごと白き刃に斬り裂かれ消滅した。
「ば、馬鹿な……そんな、事が……」
魔王が茫然と呟いた。
完全に無防備となった魔王に向けて、ケイオスは神剣を構えたまま重力に引かれ降りていく。
「終わりだ、魔王! この一振りに全てを込める――」
静寂の中、トンッとケイオスが空中を蹴る音が響く。
終わりの時に向けて、世界が加速する。
「肆撃一終」
閃光が煌めく。
「【緋櫻斬華・裏紅】!」
瞬きをする間もなく、魔王の身体が縦二つに分かたれた。
神の力を宿した聖なる炎の剣によって斬られた二つの身体が白き炎に包まれ燃え盛る。
「ぐぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
ああ、耳に痛い絶叫が遠くから聞こえてくる。既に視界も虚ろだ。
魔力が尽きた俺にも最後の時が訪れようとしているのか。
「死の、先へ逝くがいい。その先で貴様がこれまでしてきた悪しき行いを悔いながら、未来永劫、その断罪の炎に焼かれ続けろ」
魔力の粒子が霧散するかの如く、俺の意識が、感覚が、幾つもの粒に別れて相棒との繋がりを失っていく。
「ケイオス、信じてました」
祝福の言葉でケイオスを賞賛する姉ちゃんの顔がもう良く見えない。
心地よく響いてくる筈のその言葉もほとんど聞こえてこない。
「やったね、にぃに!」
感動のあまり抱き着いてきた妹ちゃんの温もりも感じられない。
いつも鼻をくすぐってきた乙女の香りをせめて最後に嗅ぎながら消えていきたかったんだが……どうやらその小さな願いすらもう叶わないらしい。
「ああ、これで平和な未来がやってくる」
聖女の腰にも手を回し、勇者は両手で美女を抱く。
「俺達の、勝利だ!」
「私達の、勝利です」
「ん~~、ビクトリー!!」
勇者が剣を抱え、聖女が杖を掲げ、少女がVの字を掲げて宣言する。
(ゼン、やったよ俺)
だが俺にはもうそこに参加する事は出来ない。
俺にはもう何も出来ない。
(おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ……)
燃え尽きていく魔王の叫びだけは聞こえていた。魂があげる叫びだからなのか。
――ああ、そうだ。まだ出来そうな事が一つだけあった。
あの魔王の魂が寄り道せずちゃんと死の先に辿り着けるように、俺が監視として導いてやるか。
(おおおぉぉぉぉ……これで……終わり、だと……思ったか…………終わらせぬ……終わらせは、せぬ…………)
(いや、終わりだ。諦めろ魔王。御前は俺が連れていく)
この世界に生まれて始めてケイオスの中から抜け出し、俺は不可視の魂の手で魔王の魂を掴む。
(な、に……?)
瞬間、違和感が襲った。
違う!? これは、魂じゃ……!?
(この我を、倒しし者……勇者だけは……道連れに…………おおぉ……主よ、感謝します…………)
「<デス>」
勇者 :ケイオス
聖女 :姉
少女 :妹
魔王 :敵
???:ゼン
???:???