異世界へようこそ! ~別の世界から来たので、魔法は一切効きません!~
チョッキを着た二本足で走るウサギを追いかけたら穴に落ちた。
誰かに言ったら怒られそうないきさつだけど、それが真実なのだ。
私の名前は尾張野 一和。黒髪黒目、平均的身長の取り立てて目立つところのない女子高生。
「……だったんだけどなぁ」
思わず私はため息をついた。マンホールが如き穴に落ちて、長い長い滑り台のような穴を、すべりにすべって辿り着いたのがここだ。
立ち上がりながら制服のスカートの土を払う。セーラー服のリボンがよれよれになっているのを直しながら、なんとか気持ちを落ち着かせようとする。
あれだけすべっていたわりに、大して汚れていないのが救いだろうか。途中で手放してしまった学生鞄はどこへやら。わやくちゃになってしまった髪の毛を整えると、ようやくひと心地ついた。こういう時は髪の毛が短くて助かったと思う一面だ。
「それで……、ここは、どこ?」
誰にともなく呟くが、もちろん答えはない。
私の目から見えるのは、今どきお目に掛かれない自然豊かな森と、その間に道路よろしく敷かれた石畳だ。
自分がすべってきたであろう穴の出口も見えないし、もちろん国道とビル群なんてものもない。
なんだろう、これ。どうやったら帰れるんだろう。
思わず服の胸元をぎゅっと掴む。何かを掴んでいないと、今にも泣いてしまいそうだ。
ふと、私は俯いていた顔を上げた。何かが聞こえたのだ。
思わず眉根が寄る。小鳥さん、とか、小鹿さん、とかそういった可愛らしい類じゃない。言うなれば、そう、何か大きな獣の叫び声のような。それと、悲鳴。
次いで、めきめき、ばきばき、と。
間違いない。近付いてきてる。
「え、ちょっ……ウソでしょ……!?」
おもわずわたわたと両手を振るが、それでどうにかなるものじゃない。
逃げる? 逃げない?
ここは安全? 動いた方が危険?
わからない! 決断なんてできない!
「うォッ!?」
「ひぃッ!」
突然茂みをかき分けて、飛び出してきた人影。私はびっくりして尻もちをついた。
「こんなところに、人!?」
私を見て思いっきり叫んだのは、まだ私とそう年齢も違わない青年だった。茶色気味の髪の毛は乱雑に切られていて、ワイルドな感じ。けっこう高い背丈と、真っ直ぐさを感じさせる瞳が、けっこう恰好よいかも。
ただ、気になるのはその恰好だ。
うん。どう見ても、鎧。鎧を来ている。
金属の鎧ではなくて、こげ茶な堅そうな板のような布のようなものが、複雑な模様を形成している。何がどうなって作られているかはわからないが、鎧だ。腰は大き目のベルトが巻かれており、小さめの革袋と何かの瓶がいくつか着いている。
何よりもコワイのが、その手に持っている剣としか言いようのないものだ。その刃の輝きや、地面をこする重そうな感じが、本物だと告げている。
刃物を持っている。これは危ない人だ。
一瞬逃げようとも思ったけど、逃げるあてもなければ、逃げ切れる自信もない。青年の腕は逞しく、鍛えているのがわかる。体力は段違いだろう。
青年の眉間に皺が寄った。怒ってる。
「お前! 何者なんだ!」
「私は一和って言います!」
思わず両手を挙げて降参のポーズ。
「違う! 名前じゃなくて……!」
「す、すみません! 道にまよっちゃったみたいです!!」
「クソッ。いるってわかってりゃこっちにゃ来なかったってのに……」
「それって……」
ふごぅふごぅ。ふいごのような音が背後から聞こえる。
生暖かい風。何か燃えているものでもあるかのような熱量を後ろに感じる。
青年は逃げてきた?
大型。森。猪。熊?
「ひぅ……」
背筋が凍るとは、このことか。
息がつまる。動悸は早まるくせに、手足が冷たくなる。死の。
「来いッ!」
手首を掴んで引っ張られた。
そのまま勢いよく、青年の後ろまで放り出される。もつれる足のせいで盛大にこけた。だけど、おかげでエンジンは掛かった。身体が動く。
振り向いた私は、真っ青になって息を止めた。猪でも熊でもない。
そこにいたのは、一匹の恐竜だった。
鱗に覆われた全身は、ワニのよう。後ろ足二本で立ち、太い尻尾でバランスを取っている。前脚は短く胸の前で構えられているが、その爪は鋭い。そしてあの太い顎。怖い顔。いつぞや見た恐竜映画で出てきたヤツに似ているのだ。
違うのは、鱗がバナナのような黄色をしているということか。
「なんなの、コイツ」
「サンダーラプトルだ! 普段はこんなところに出るモンスターじゃないんだけどな」
青年の声の後半は聞き取れなくなった。その目は黄色い恐竜に据えられ、集中しているのがわかる。
剣先を半ば上げ、いつでも飛び出せる姿勢。
先に動いたのは黄色い恐竜だ。
爪を振り、噛み付こうと襲い掛かる。
「――――シッ!!」
「おお!」
青年の剣が、黄色い恐竜を捉えた。
爪、弾く。ひらりと噛み付きをかわして、頭に一撃。
黄色い恐竜の本能的な動きに対して、洗練された青年の動き。余裕を持って攻撃している。相手が頭を上げる前に、二度、三度と剣を叩きつける。
優勢。優勢だ!
「これなら勝てる!」
「だと……いいんだがなッ!」
ギィッと一声鳴いた黄色い恐竜はバックジャンプ。距離をあけると威嚇音を出す。
黄色い恐竜の眼前に、“ウィンドウ”が開いた。
「…………へ?」
ほら、ゲームでよくある、“ウィンドウ”。
コマンドを選択する。あれ。太い枠、デジタル風の文字、もう、それにしか見えない。
「――ちくしょう!!」
青年の声は、かなりの焦りを含んでいた。
彼は腰から引き抜いた小瓶を地面に叩きつける。途端にボンと小爆発。きらきらした煙が拡がった。
「ギャグェエエエエエ!!!」
黄色い恐竜が叫びながら“ウィンドウ”の何かを選択した。
その咢から、雷が。
バリイイイイイイ!!!
「ひィ!?」
思わず目をつむり、両手で耳を押さえる。頭の横を叩くような音なんて、初めて聞いた。
空気が焼けるような匂い。
そうだ! 彼は!?
ハッとして目を開けた先、剣を地面に突き刺して、今にも倒れそうな青年がいた。全身から薄く煙を上げているのを見える。
さっきの雷、直撃したの?
「だい……だいじょうぶ……?」
「いいから……逃げ……」
こちらを見もしない一言。
逃げる? 逃げるって言ったって……。
目があった。
だめ。これは、だめだ。
黄色い恐竜は、じっとこちらを見ている。幸い、青年のおかげでいきなり飛び掛かってくるような距離じゃない。だといいな。そう思いたい。
ギョロリと爬虫類めいた瞳が私を射抜く。
ふと、青年が動いた。ふらふらしながらも、何とか立ち上がる。彼に反応して、黄色い恐竜は爪を上げる。だが、目線はちらりと私を見た。
あ、これ。
“ウィンドウ”が虚空に開かれ、選択されるまでは一瞬。
空間を焼き焦がし、雷撃が。
「いやあああああああ――――」
パァンと弾け飛んだ。
「――――ぁあ、あれ?」
思わず全身をはたくが、なんともなってない。焦げてないし、焼けてない。
黄色い恐竜も、青年も、何が起こったかわからない顔をして私を見ている。
私にもわかるもんか。目の前まで来た雷は、いきなり弾け飛んだのだ。何か硬い物にぶつかったように、水しぶきのように、弾け飛んだのだ。
再び“ウィンドウ”。黄色い恐竜は再度。いや、二度、三度と雷を口から吐き出す。
「なんだろ、これ」
だが、その全てが私にぶつかると飛散するのだ。音は派手だが、なんともなければやがて慣れて来る。
都合十回ほど試したか、黄色い恐竜の口からガス欠のような煙しか出なくなった。
なんか、ごめんね。
その瞬間を狙って、青年が動いた。剣を掲げ、渾身の勢いを持って突き刺す。
「くっ、おおおおおおおおおお!!!」
雄叫びを上げると、さらにずぶずぶと鱗の内部へと突き刺さっていく。
いきなり青年の前にも“ウィンドウ”が出てきた。あなたも使えるのね、それ。
「【フレイムソォォォオォド!!!】」
ドボォンという、くぐもった爆発音。
内部から燃えたのか、黄色い恐竜の顔じゅうから煙が噴き出す。
う、うわあ。
重い音を立てて、黄色い恐竜が倒れた。青年も、疲れた顔でへたり込む。
なんだか大変なことになった黄色い恐竜をできるだけ見ないようにしつつ、私は彼に駆け寄った。
「ええと、その、大丈夫?」
「すまん……、ちょっと疲れた」
「いや、ええと、お、おつかれさま!」
疲れた顔に、にやっと笑いを含ませる彼。な、なかなかいいじゃない。
「こっちこそ助かったよ。すまなかった、誰もいないと思ってたんでな」
青年はちらりと黄色い恐竜を見る。
「こいつは俺のレベルじゃ勝てるような相手じゃなくてな。引き付けて逃げるつもりだったんだが……。ま、これでミスった儲けはプラスだな」
「あ、うん。よ、よかったね?」
「ええと、イチワって言ったか。いろいろ聞きたいが、他のモンスターが集まってくる前に、コイツを持って、とりあえず街まで戻ろうと思うがいいか?」
挙動不審になった私を見ずに、再び出した“ウィンドウ”を操作しながら彼は言う。
まあ、街まで連れて行ってくれるなら。
うう。なんだか頭が痛くなってきた。街って、街だよね?
でも、どう考えても、知ってる街に辿り着く気がしない。しないよ。
「もうちょっと近寄れ。よし、じゃあ行くぞ! 【ムーブ】!!」
青年がウィンドウを押すと、半径十メートルほどの光り輝く円が地面に現れた。神々しく光るそれは、とても暖かい光を出して。
――――青年と恐竜だけをどこかに飛ばした。
私の周りに飛び散った光が名残惜し気に消えていく。
……なんてこと。