1蝉
隣人の喚く声で目が覚めた。私は彼らの声を極端に嫌う。世間からすればそれは異常なものらしい。そんなことを指摘されても、これが私の感性なのだ。感じる心をとやかく言われても、どうしようもない。
だからといって、はねのけるわけにはいかない。だから文句のひとつも言わずに、挨拶をする。
「おはよう。君は朝から随分と元気だな」
彼は喚くのを止め、こちらに視線を向ける。少し考えるような素振りを見せ、溜め息のように言葉をこぼした。
「お前は、噂のまがいものか。随分と余裕なんだな」
私は、私の知らないところでひどいいわれようをしていることを知った。それを知ったからといって、特に気にはしないが。
「そういう世間も、私のようなまがいものの話をするくらいは、切羽詰まっているようではないな」
「お前ほんと変わってるよ」
彼はそう言って去っていった。
こうして、八日目が始まった。
まずは食事を取ることにした。私は食事にあまり重きをおく質ではないので、適当に済ませた。
最近の私は、人間観察に凝っている。彼らは見ていて本当に飽きない。他にも色んなものを観察するのだが、人間は別格に面白い。どいつもこいつも似たような顔をしていて、そのくせ、中身は全く違うのだ。騒ぎ回って女を探して、まるで蝉のような生き方をしている彼らは、非常に見ていて面白い。
例えばあそこにいる彼女は、一人で広場のベンチに座って、誰かを待っているようだ。誰を待っているのだろう。男か。女か。その表情を見ると、なんだか嬉しそうで、今日は彼女のことを考えて過ごすことにした。
どんなものを食べて、何を考えて、どう死んでいくのか。
私は学ばなければならなかった。
しばらくすると、彼女のもとに一人の男がきた。爽やかな、笑顔の似合う男だ。男は彼女を見つけると、爽やかな男らしい笑顔を見せた。
「早いね」
「ううん。今来たとこだよ」
二人は楽しそうにしばらく話した後、どこかに移動した。会話の流れから読み取るに、食事をしに向かったようだ。そこで私は今の時間が昼頃なのだと知った。どうやら私は朝食を取り損ねたらしい。二人はとある建物の中に消えた。私は中には入れない。彼らの食事は時間がかかるので、どこかで時間を潰さねばならなかった。
店前でぼーっとしていると、知り合いが話しかけてきた。
「ねえ、あんたまだふらついてんの? 他の奴らはとっとと女見つけて子供作ってるよ」
「子供作ることだけが人生じゃないだろ」
私は彼女が嫌いだった。ただ喚いているだけのような男に吸い寄せられ、動物的本能のままに子孫を作る。それを正義と自己解釈さえして、こちらを馬鹿にしてくる。
「短い人生だよ、楽しまなきゃ」
「楽しんでるさ、君らにはわからないだけだよ」
二人が店からでてきて、私は人間観察を再開した。これくらいしかすることがないのは悲しいが、これ自体は以外と楽しいので、やめれない。
店内で何を話していたのか知らないが、二人は暗闇で灯りを見つけたかのように、突然と目的地めがけて歩きだした。さっきまでのぶらぶら目的もなく歩いていたのが嘘のようだ。私は追いかけるのに大変苦労し、心身共に疲労した。世間ではこうゆうものをストーカーと呼ぶのだが、私が追いかけるのは今日だけなので、見つけた際には見逃して欲しい。
このストーカー紛いの人間観察は、私の趣味以外にも、目的がある。むしろそっちを突き詰めた上の結果が、このいきすぎた人間観察なのだ。
私は恥ずかしながらも拙い文章を書き、それを生業として生活している。いや、恥ずかしくない。私は自分の仕事にやりがいを感じているし、自分の作品に誇りを抱いている。たとえそれが世間からまがいもの扱いされる原因でも。私は私が納得する文章を私の為に書き、それを公開しているだけだ。
しかし、最近はどうも筆がのらない。それどころか話のネタも降りてこない。私は作家からただの金食い虫へと成り果ててしまった。現在は今までの貯金を切り崩して生活している。
私はこの現状から脱却するために、人間観察を始めた。なにか降りて来るのではないかと、微かに期待して。そうしているうちに、人間観察自体に目的ができてしまった。
ただの過程である筈のことが、目的になってしまったのだ。