世界の真実①
時刻にして天神影斗が床に頭を押し付ける少し前のこと。
今日もまた境田一也とその担任であるところの秋月祭は生徒指導室にて顔を合わせていた。そしてやはり変わらないことに昨日同様空気は重苦しく、心臓を直接握られているような感覚が胸を圧迫していた。
空気が重いというのはもちろん比喩で、本当に質量として重さを体に感じているわけではなかったのだが体にまとわりつく雰囲気が彼らの口をこれまた重く、閉ざさせている。
だが、それで話をしないのでは時間の無駄になるということは二人共しっかり理解をしている。体感的には長く、実際にはそんなに経っていない沈黙の後、この空気を押しのけ先に口を開いたのは、呼び出した側の責任感からだろうか、祭の方だった。
「……さて、要件は分かっているとは思うが、今回は春風姉妹がターゲットになった。十中八九ヤツらが動き出している……そう考えるべきだろう」
「夏目莉音に春風吹雪と春風小雪……俺もそう思いますぜ。でも今回は『火事』の方だった。莉音の方には『失踪』を使って、春風には『火事』を使った。これは上か下か違いがはっきりでている。この違いは無視できない…………」
「その通りだ。……やはり予定を早める必要がありそうだ。天神には申し訳ないが……」
「らしくねぇじゃんよせんせー。俺も影っちの出番はもうちっとばかし後だって思ってたし、そうがいいと考えてたけどよ、時間とヤツらはそれを許してくれなさそうなのも事実。影っちからは明日は来る、って連絡もらってるし明日にでも話してやろう。どうせ話すなら早いほうがいい」
「あ、あぁそうだな……うん。そうしよう。明日の放課後、加賀美のところに連れてきてくれ。それから天神のところに居候することになったあの姉妹はなんとかごまかしてついてこさせるなよ」
「もちろんわかってますぜい」
「それでは続きは明日だ。まっすぐ帰れよわんぱく坊主」
「りょ~かいです」
最後は努めて明るく振舞った祭の声に、笑顔で答えた一也は静かに生徒指導室を後にした。
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合わせ鏡とは向かい合わせにした二枚の鏡のことである。
延々と続くトンネルの様な画を作り出すそれは真っ暗な闇を人々に見せる。手鏡程度の大きさならば一度は誰もが作ってみたことのある合わせ鏡は人に不思議な感覚を与えるだけであるが、姿見サイズにもなるとある種の恐怖を人に与えてしまう。
ホラー感とも違うが得体の知れないものがそこに巣食っている様な、そんな錯覚を引き起こす。
「ちぃ~っす。ちゃちゃっとやってきましたぜ、せ・ん・ぱ・い。これでよかったんだろ?」
学校にある一般的な体育館ほどの大きさの建物の壁に縦四メートル、横七メートル程もある巨大な鏡が向かい合わせ、つまり合わせ鏡のように設置されている。その先が全く見えない深淵の中から頭をぼりぼりと掻きながら、気だるそうな足取りでひとりの男がズブズブと姿を現した。
「あぁ上出来だ。ようやく能力の使い方がわかってきたようだな」
そう、まるで鏡の中を歩いてきました、といわんばかりのその光景に(実際に歩いてきていたわけだが)その鏡の前に立っていたもう一人の男が驚いた様子は全くなくそう答えた。
「でもよぉ先輩よぉ。あれじゃあ俺たちがやってますよ~っていってるようなもんだろ?当初の計画じゃ向こう側にはっきりと確証をもたれるようなやり方は避けるって話だったじゃねぇか」
「詳しい理由を貴様が知る必要はない、が……そうだな……ただ、予想していたのと違う結果が上の方ででた、そう思っていろ。お前が知るのはそれだけで十分だ。下っ端が余計なことは考えるな」
鏡から出てきた、歳は二十代前半に見える男は実際の年齢も見た目通りで、少年と呼ぶには少し歳をとりすぎているように見えるが決して老けているのではなくまさしく青年、と呼ぶにふさわしい顔立ちをしている。口調の通り、チャラチャラした格好で髪の毛は金髪に染められ、耳には趣味の悪いドクロのピアスがぶら下げられている。
対して先輩と呼ばれている男の方はというと、金髪の男よりも年下の高校生である。金髪の男とはうって変わって真面目な雰囲気が漂う顔立ちに、メガネをかけており知的に見える。
どう見てもメガネの男は年下だが、それでも金髪の男に先輩、と呼ばれていることからこの組織は所属した時期からか、はたまた先ほど少しだけ会話に出てきていた『能力』に起因するものなのかはわからないが年功序列的制度の元に作られているわけではなさそうだ。
それが当たり前のように末端まで浸透しているのか、金髪の男は明らかに年下の少年に命令されたのにも関わらず、嫌そうな顔一つせず「ふぁーい」とあくび混じりに返事をして立ち去っていった。
「そろそろ出てくるんだろ、天神影斗」
一人残ったメガネの少年はそうつぶやいて初めに金髪の男が出てきた巨大な鏡の中へと消えていった。
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四月九日。
天気は晴れ。
時刻は十二時二十分。
春の陽気に当てられ、冬の間は閑散としていた校内の中庭のベンチには人がたくさん集まっていた。
特別、なにかのイベントが催されるわけではない。本当にただお昼休みのひと時を、暖かな日差しの中で友人たちとゆっくり過ごしたいだけなのである。
そんな中、険しい表情の少年が二人。
「それで、話って何?」
「もう大体予想はついてんだろ影っち。夏目莉音と春風姉妹のことだぜ」
「いや、それだけじゃわっかんねぇよ……。お前、なんか知ってんのかよ」
「あぁ……それについてはここじゃ言えないのよな。ってことで今日の放課後、ホームルーム終わったらすぐに加賀美さんのとこに来てくれ。いいか?一人で来い。あの二人は絶対に連れてくるな」
「……っくそ。聞きたいことが多すぎてまとまんねぇ…………。呼び出しておいてここじゃ話せません、ってか?だったら最初からそっちに呼び出せよ……」
「そのことに関してもそっちで話す」
「…………わかった、とりあえずはお前の言うとおりにしてやる。その訳知り顔から全部聞き出してやるからな」
「もちろんだ」
中庭の一番隅にあるベンチで影斗に伝えるべき要件を伝えた一也は
「これから俺は先に加賀美さんのところへ行く。俺と影っちが放課後、一緒に教室からすぐに出て行くとあの姉妹なら何かに感づく可能性が高い。今の状況が状況だしな。だから影っちはなんとかして二人がついてこないように適当に言ってから後から来てくれ」
と一方的にそう言ってベンチから立ち上がり、校門のほうへ歩いて行った。どうやら本当にこれから影斗らが育った孤児院、加賀美のところへ行くようだ。
「何が起きてるってんだよ……」
影斗はその後ろ姿を見送ったあと、手に持っていた残りのパンを口に放り込み、苛立った様子で咀嚼した。
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時刻は午後四時半。
少し遠くの安いスーパーに買い物に行ってくると言って影斗は話をつけた。
実際には
「私、ついて行くわ!」
「私も!お邪魔してるんだし……なにか手伝いたいなって」
「いや、気持ちは嬉しいけど、二人はまだ遅い時間に外を出歩かないほうがいいって。そりゃなんかあったとき俺が守れればいいけど……あいにくながらそんなスキルは皆無だからね」
と、ついて来たがる二人を影斗は自虐的に(実際にそんなスキルはないのだが)説得して家にまっすぐ帰るように指示した。
学校を出た影斗はまるで行きつけの喫茶店に行くかのような調子で加賀美のところへ向かっていた。
今回向かう目的はどうあれ、幼少期を大事な友人たちと過ごした思い出の場所だ。自分たちよりも年下の子たちは多くがまだ残っている。久しぶりに会う加賀美とその子達の顔を思い浮かべては頬が少しばかり緩む。
孤児院までは影斗が現在通っている学校から決して近いとは言えない距離だが徒歩で行けない距離ではない。少し長めに歩いたがそんなことは気にならないぐらいの足取りで影斗は目的地に到着した。
車が通れるぐらいの門を通り過ぎ裏手の方へと回る。来客は基本的に門の脇にあるドアから入るが、ここにいる人や、以前ここでお世話になっていた影斗らのような人たちは裏手のドアをよく利用していた。直接加賀美の部屋に通じているのは何かと都合が良かったのだ(よくお菓子などをもらっていた)。
今回影斗はここの扉を癖で利用した。
コンコンとノックを二回。
はーいと若い女性の声がドアの向こうからすぐに返ってきた。
「あら!影斗ちゃんいらっしゃい!待ってたわよ」
「お久しぶりです加賀美さん」
ぺこりと一礼して扉を開けて出迎えてくれた女性、加賀美に挨拶をした。
影斗の目の前でニコニコと笑っているこの女性。本来なら五十歳をとっくに過ぎているはずなのだが、どういうわけか見た目と声色は二十代のそれだ。顔にシワやシミはなく、しっかりと張りがある。何年たっても年をとる素振りが見られない。身長はそれほど高くはないものの体の線が細いせいで見た目よりも少し背が高く見える。大人のお姉さん、という表現がよく似合う人だ。まぁそれでも事実としては五十歳を過ぎているのだが。
「もう二人は中で先に待ってるわ。さぁ、入って」
影斗が加賀美に促されるまま部屋の中へ入ると中には既に一也と祭が座って待っていた。
「遅れてしまってすみません」
特に時間を指定されていたわけではないし、学校が終わってから急いできたのだからそんなに遅くなっているわけではなかったが、二人がいつからこうして自分のことを待っているのかわからなかった影斗は頭を下げた。
「気にするな天神。予定より少し遅かったな、といった程度の誤差だ」
「やー、そうだぜ影っち。もう少し早く来るかなって思った程度だぜ」
「絶対気にするなとは思ってないですよね!?」
影斗に目を向けることもせず手元のスマートフォンを操作し続けながらそう言う二人に影斗は既に気疲れが生じ始めていた。
そして影斗は表口を使わず、いつもの感覚で裏口を使ったことを悔やんだ。今日、ここに来る楽しみの一つであった後輩たちに会うことができなかったからである。
心の中で涙を流しながら、影斗は加賀美が用意した座布団に座り、ひとつの机を影斗、加賀美、祭、一也の四人で囲んだ。
慣れた手つきで加賀美が全員分のお茶を配り終えたところで、祭が早速話を切り出した。
「さて、集まってもらった理由はおおよそ検討がついているだろうが……今一度確認する。夏目莉音の失踪と春風家の放火についてだ」
「あらあら……話には聞いてたけど本当だったのね祭ちゃん」
「えぇ……想定していたよりもずっと早いです。……天神の能力がはっきりと奴らのなかで確信が持てたのでしょう。加賀美さん、力を……貸してください」
「えぇ、えぇもちろんよ。だってあなたたちは私の可愛い実の子供のような子達なんですもの」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!えっどういうことですか!?加賀美さんと祭先生はどんな関係なんですか!?俺の能力って?奴らってなんなんですか?今一体何が起こってるんですか!?」
始まって三十秒もしないうちに既に聞きたいことが山積みになった影斗は二人の会話を遮ってとりあえず思いつく限りの質問を早口に投げかけた。
頭の中でなんとか整理しようにも知らないことが多すぎるため、どうしようもない。何も繋がらない。察することもできない。
せめてどれかひとつにでもわかりやすい答えを、と念じていた影斗に祭は宥めるように答える。
「落ち着け天神。さしあたってお前が理解すべきことは、この世界は鏡の世界だということ。簡単に言えば……まぁ偽物ってところだ」




