心の在り方
「これは夢だ…………」
そう言って顔に手を当て疲れ果てた様子で呟いたのは一体何度目になるだろうか、いまだ事態がつかみ切れていない影斗は首を横に振りながらため息をついた。
「ちょっと影斗!あんた早く謝んなさいよ!!」
「そ、そうだそうだー」
「だからさっきから謝ってるだろ!ごめんって何回言えば気が済むんだよ!」
「誠意が足りないのよ誠意が!」
「そ、そうだそうだー」
「そ、そもそも事故なんだからもうこれでいいだろ!土下座を強要するな!いざってときのもんでしょーが!価値がなくなるのはよくないのですよ!?」
「あ、あああああああんたねぇ!!じ、事故で済むわけないでしょうがあああァァァッッ!!」
「そ、そうだ……そうだ…………」
影斗が貸したぶかぶかのシャツと短パンを身に着けた春風吹雪は怒っていた。それも異常なほど。
姉の虹雪の方はというと怒りよりも恥ずかしさの方が強く出ていたからか(まあ吹雪の怒りも恥ずかしさの延長線上のものなのだが)先刻起こった出来事がフラッシュバックし顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
しっとりと髪を濡らし、お風呂上がりのほてった体に美少女二人が自分の服を着ている。なんていう男にとって素晴らしいといっていいほどのビッグイベントも謝罪を要求されながらの説教の最中では雰囲気も何もあったもんじゃない。などと正座をさせられながら影斗は思った。
少しばかり顔を上げてみるといつもの二倍増しで吹雪は怒っているように見えた。しかしながらそこにいつもは存在しない羞恥心がかなりの割合で紛れ込んでいることに影斗は当然のごとく気づいてなどいなかった。
普段通りに話を右から左へ聞き流して数分前の出来事を脳裏に浮かべつつ、改めて影斗はこうなった原因を思い返してみた。
ことの発端は二時間ほど前にさかのぼる。
春風宅を突如として襲った火災は彼女らからすべてを奪った。
彼女らに残された財産と呼べるものは今手元にあるバッグの中に入っているものだけとなってしまった。
学校に許可をもらい二人でバイトをしたお金で借りて、一年ばかり過ごした家が完全に燃えてしまった。
幸いにも近所へ火が回っていないようではあったが、ご近所さんには申し訳ないがそんなことは彼女らの中では本当に些細なことでしかなかった。
走ってきた二人の存在に気付いた近所の人たちは様々な目を彼女らに向けた。
家が全焼したことへの同情をするような視線。
原因を今にも追及してきそうな批難の視線。
中には学生風情が一軒家なんて借りるから、などといった感情をぶつけてくるような視線もあった。
並の学生には耐えられない現実がそこには広がっていた。
ここで涙を流してもそれは少しも不思議なことではない。
自分らにはどうすることもできない圧倒的な運命の一撃にひれ伏したところでおかしなところは一つもない。
誰かにすがって文句の一つでも叫んでもいい。
次々と溢れ出てくる感情に流された行動をとったっていい。
むしろそうすることが高校二年生になったばかりの齢十六歳の彼女らが起こすはずの自然なことなのだ。
しかし、この程度の現実では彼女らの心を揺さぶることなどできなかった。
彼女たちの心はすでにもっと奥深くまで傷つけられた経験がある。たかが大切な家の一軒や二軒全焼したところでそれ以上の痛手を負う、なんてことはないほどの壮絶な過去を乗り越えてきているのだ。ダメージが少ないのもうなずける。
彼女らの過去についてはまた別の機会にするとして、今現在の彼女らについての話を進める。
もちろん、まったくショックではなかった、なんてことはもちろんない。少なからず家が燃えている様を目の当たりしたときは信じられないといった気持ちがすぐさま心を満たした。だが、数年前にぽっかりとあけられたままいまだ修復されきっていないその心の穴から、なんの抵抗もなくそれらは流れ出ていった。
時間にして数秒。
まばたきにして数回。
すべてが流れ切ったころにはすでに頭の中は切り替わっていた。
「とりあえず住むところの確保よねぇ……」
いまだ燃え続ける我が家から妹へ目を移し、虹雪は言う。
「孤児院に戻る……のはなしよね、当然」
「警察がどう判断するかわからないのよねぇ……。私は放火の可能性が高いと思うんだけどどうかしら」
「……私もそう思うわ」
「じゃぁやっぱりあそこに行くのはなしね」
「うん、わかった」
吹雪と虹雪はこんな状況でも動揺するどころか、周りの人間を気遣うだけの余裕があった。
もう四月に入ったとはいえ、まだ上旬。夜は昼間とは違いかなり冷え込む。そんな中での野宿など二人の中では考えるまでもなく却下であった。
ならばお世話になった孤児院にしばらくの間だけでも泊めさせてもらう、というのは一番最初に出てくるアイディアとしてはとても自然なものである。
だが、火災の原因が放火の可能性が高いとなると、無差別によるものか、はたまた何かしらの意図があっての犯行かが重要になってくる。
前者であれば不運だったで済む(不運で済ませられるレベルの案件ではない)のだが、後者であればそうはいかない。
理由がなんにせよ春風姉妹を狙ったものであるとするならば彼女たちが孤児院に居座ると多くの人に迷惑がかかる可能性がゼロではないのだ。それこそまた火をつけられるなんてことがあったとすると今度はもっと大変なことになる、彼女らはそう考えたのだ。
だが、その考え方をするならば大きな問題が発生する。
それは二人はこのまま誰のことも頼ることができずにどこにも泊まらせてもらうことができない、ということだ。
誰かに迷惑がかかるかもしれないという可能性を度外視することができないままでいるならそれは当たり前のことだ。それも人並み以上に責任感が強いこの姉妹においては度外視するどころか考えをまとめる際の中心においてしまっているのだからどんなに必死に頭をひねろうとも初手で詰まってしまう以外の結果にたどり着くことはまずなかった。
様々な意見を二人で出し合うも、結局はどれも同じ結論に達し続け、頭が痛くなってきたような気がし始めたその時、
「吹雪、虹雪…………なんだよ……これ…………」
唐突に耳に届いた聞き覚えのある声に一瞬ビクッとした二人が後ろを振り返ったみたそこには
「この状況、きちんと説明しろよ」
本日病欠で自宅にて療養中のはずの天神影斗が普段は見られないほどの真剣な表情で立っていた。
☆☆☆☆☆
「…………ってことがあったらしいんだけど、私たちもまだよくわかってないのよ」
「……なるほどな」
「だから吹雪とどうしようか、って」
影斗が二人の前に姿を現したあと、とりあえず消防士の方に話を聞き、今日は大変だろうからということで出火原因に心当たりはないか、などといった話は明日に回してもらって行く場所はありますからと適当に言い今日のところは解放してもらった。実際には行くあてなんて前述の通りなかったわけだがやってきた影斗にひとまずうちで話を聞かせてくれ、と言われやってきた次第だ。
当初の予定とは全く違う理由での訪問となったがとりあえずは影斗の体調は良さそうで彼女らは少しホッとした。
そんな彼女らの気苦労には全く気づく様子はなく影斗は話を続ける。
「加賀美さんのところは?あそこなら喜んで受け入れてくれるだろ」
加賀美、とは昔影斗らが過ごしていた孤児院の園長先生の名前だ。つまり孤児院そのものを影斗は提案したのである。
「だめ。あそこは絶対にだめ。さっきも言ったでしょ、私たちが行くと迷惑になっちゃうかもしれないって」
「じゃあどうすんだよ。二人の考えてることは間違ってないし、そこまで考えてるなんてすげぇっても思うよ。でもその理屈だとお前らどこにも行くあてないじゃんよ」
「だから困ってたのよねぇ……」
影斗に問題点をズバッと言われ虹雪はため息をついた。それに釣られて影斗と吹雪の二人もため息をつく。
三人寄れば文殊の知恵、とはよく言うがそもそも初手から詰んでいるのだから三人寄ったところでどうにもならずに話し合いは堂々巡りをしていた。
沈黙が空間を支配し始めた頃、
「こ、このままじゃ話も進まなさそうだし!私からあんたに聞きたいことがあるわ。影斗!なんであんたはあんなところにいたのよ!実は学校はサボリで、どこかに遊びに行った帰りにたまたま遭遇しました!なんて言わないでしょうね!?」
数十秒の無言の空間に耐えられなくなった吹雪が「あぁもうっ!」と髪をぐしゃぐしゃとかきながら顔を上げて話題を少しばかり逸らした。
「えぇっと……影斗くんって本当は不良さんなの?」
吹雪の質問にまぁっ!とでも言いそうな表情で虹雪が続く。
「ち、違う!朝から体調が悪くて熱があったのは本当だ!でも陽が落ち始める少し前には熱も下がったから外の空気でも吸おうと思って窓を開けたらさ、外が騒がしくてな。それで外に出てみたら二人の家の方面がその……騒動の中心っぽかったからなんか胸騒ぎがして……それで……」
「「それで?」」
歯切れが悪くなった影斗の言葉を姉妹は二人して促す。
「し……心配だったから…………」
長い付き合いの友人とはいえ、本人たちの目の前ではっきりというのが恥ずかしかった影斗はついに二人と目を合わせていられなくなり目をそらしてボソッとつぶやくように言った。
「しゅ、しゅしゅしゅ殊勝な心がけねっ!」
「そ、そういうことを言うから…………」
かろうじて聞き取れた(聞き取れてしまった)二人は影斗の恥ずかしそうな態度も相まってか、影斗以上に顔を真っ赤に染めてわかりやすく慌てた様子になった。
しかし、二人が慌てる理由が全くわからなかった影斗は二人の様子に首をかしげつつ目をそらしたままでさらなる一撃を彼女らへ叩き込む。
「そ、それから行くあてがないんなら、う、うちに泊まってけよ」
「「…………………………………………へっ?」」
人間とは脳の処理が追いつかなくなりすぎるとテンパった様子から一周と少し回ってほうけてしまうという事実を観測した影斗は間の抜けた返事をした二人にもう一度はっきり告げる。
「だから、うちに泊まれば?って言ってるんだけど。ほら、うちのすぐ近くに交番もあるし、なんかあったらすぐ相談に行けるだろ?」
「「…………………………いいの?」」
恋は盲目とはよく言ったものである。
先程まで凄まじい力を持ってして彼女らを悩ませていたどこにも行くあてがない理由をたかが近くに交番があるから、なんて、確かに納得できなくもないが完全に信用しきるには値しないレベルのことで納得させてしまうのだから恐ろしい。
相変わらず彼女らの心情を正しく察することができない影斗は、口では言っててもやっぱり不安だったんだな、と簡単に影斗宅へのお泊りを受諾した理由を解釈し、完全にふわふわ状態の彼女らを今は使われていないみらの部屋へと案内した。
「えっと服は嫌かもしんないけど我慢してこれでも着てて。それから下着は……サイズとか全くわかんないから俺が全サイズコンビニで適当に買ってくるから!とにかく今日は疲れてるだろうし、お風呂にも入りたかったんだろ?お湯はもう沸いてるから先に入ってて!じゃっ!」
部屋に案内し、とりあえず二人をベッドに座らせた影斗は今後の問題よりも今は気持ちの整理をつけさせるほうが先決だろうと判断し二人にゆっくりと入浴することをオススメした。温かいお湯の中に入っていればちょっとはショックも収まって、このぼーっとした状態からも回復するだろうと考えた影斗なりのはからいだ。
とはいっても着替えもろくにない彼女らのことを思って言ってみたものの主に下着は……のくだりが健全なる青少年には発言がためらわれたため早口で一気に言ってしまい、自分の昔着ていたTシャツやらなんやらを押し付けるように渡して影斗は走ってコンビニへと向かった。
そうして呆然とした様子で影斗を見送った二人はようやくはっと我に返った。それから、たった数分の間に激変した事態の整理に脳の全システムを動かした結果、
「「お風呂に入らせてもらおう……」」
これまた息ぴったりに同じ結論にたどり着き、渡された着替えを持ってドキドキしながらお風呂場へと向かった。
☆☆☆☆☆
さて、話は冒頭へ。
今まさに土下座をさせられそうになっている影斗であるが不幸(?)な事故が原因であることは間違いない。
近所のコンビニに辿り着き下着のサイズがほとんどないことに驚きつつも手に取るのが尋常じゃないほど恥ずかしく、さらに今日に限って店員さんが女性しかいなかったためもう今すぐ死んでしまいたいとまで思いながらもなんとか苦難を乗り越え影斗は帰宅した。
しかし、安堵もつかの間、神は彼に更なる試練をお与えになられた。
「おーい、買ってきた下着渡したいんだけど入っていいかー?」
脱衣所でラッキースケベ。
これだけは回避しなければと慎重に慎重を重ね、ノック→呼びかけを四回ほど繰り返し、奥から返事がないことを確認。
(下着は渡してないし、まだ入ってるだろうから、返事がないってことは聞こえてないってことだよな。なんとなくシャワーの音も聞こえるし、今のうちのぱっと入ってぱっと置いていこう)
注意は払った。
今ならいける!そう判断し影斗は廊下から脱衣所につながるドアを勢いよく開けた。
後になって彼は思う。どうしてゆっくり声をかけながらドアを開けるという選択にいたらなかったのかと。
強運か凶運か。
影斗がドアを開けるのと同時に虹雪が風呂場のドアを開け放ったのだった。
影斗の眼前に現れたのは水を滴らせる真っ白な肌と綺麗にまっすぐ、長く伸びた黒髪。
一応気をつけてはいたのか、バスタオルほどではないが少し大きめのタオルを体の前に当てていたため、肝心なところは見えずにすんだのだが、そんなことは純真な心を持つ男女には関係のないことだった。意外と着やせするタイプなのか普段では気づかない、でるところはでて、ひっこむところはしっかりひっこんでいる抜群のプロポーションに濡れたタオルが張り付いておりかなり艶かしい姿だった。
吹雪はといえばタオルこそ持っていなかったものの虹雪の後ろに居たため、これまた肝心なところは見られていない。だがやはりそれも彼女にとっては関係なく、男に裸を見られた、という事実だけが頭を占めていた。
「は、はははは早く出てけえぇぇーーーーーーーーーーーーーー!!!」
影斗は吹雪の叫び声がこだまするとともに手に持っていた購入した下着を放り出しながら慌ててドアを閉め、その場にうずくまった。
「あぁぁぁぁぁ…………やっちまった…………」
今日一番顔を真っ赤にした春風姉妹が着替えて出てくるまでたっぷり五分。細心の注意を払っていた気になって大失敗をしてしまった影斗は反省と後悔でその場から動くことができなかった。
といった理由でやはりただの謝罪では吹雪と虹雪の両名(主に吹雪)の許しを得ることはできず、ついにしっかりとおでこを地面につけた土下座をし、明日、二人の好きなお店の美味しいチーズケーキを買ってくるという約束をすることでとりあえずの許しを得た。
一体いつまで彼女らは機嫌を治してくれないんだろうか、と不安に思っていた影斗だったが、リビングにあるテレビゲームを一緒にしたり、影斗が借りてきていた映画を見たりしているうちに二人に笑顔が戻っていた。
そんな彼女らの横顔を見てほっとする影斗。
彼女らの笑顔と真っ赤な顔の湯上り以外の理由にはやはりまだ影斗は気づけないのであった。




