重なる偶然
「最低だ……」
影斗は自分の中にあったものを音声として認識することで改めて自分がしたことがどんなにひどいことだったかを知ることができた。
言われるがままに意地を張って生徒指導室を出て行った影斗は教室で自分の荷物を回収してから自宅へと帰った。
今朝は必死になって走った道も、急ぐ用がなければ短く感じた。いや、そう感じたのは別のことが頭の中を占めていたからかもしれない。
説教からは解放されたというのに自宅へと向かうその足取りは一也とともに生徒指導室へと向かう時のものよりもはるかに重く感じた。
特に何かを考えていたわけではなく純粋な怒りのみが影斗を支配し、先刻行われていた会話を頭の中で繰り返し再生しているうちに家に着いた。そしてそのまま自室に入るとバッグを机の上に置き、ベッドへと身を投げ出した。
体を休めることができる環境になってようやく意識がはっきりしてくる。そして、ただ再生されるだけだった会話に意味を持たせ始め、ようやく落ち着き始めた頃には怒りは自己嫌悪へとシフトしていた。
しっかり話し合いの場を設けてくれ、隠すことなく莉音の友人である自分たちに話をしてくれた祭の善意を全く考えないで好き勝手に文句を言ってしまった。いや、考慮していなかったのは善意だけでなく莉音を大切に思う祭の感情もである。教え子の失踪に彼女も大きな不安や何もできないことへの歯がゆさを感じていたのだから。
そういった諸々に気づいたことで影斗は自分の身勝手を悔いた。
(明日は一也と祭先生に謝ろう……)
影斗は心の中でそう決心し体を起こした。いつの間にか陽が落ち、暗く静かな部屋の中で気持ちを立て直すべく自分の顔をパンッと叩いた。
「よしっ!」
立て直した気持ちを言葉に変えて部屋を出る。
こんな時でも通常運転の自分の体は正直で流石に少しお腹が減っていた。だからといって料理をするような気にはなれなかった影斗は胃を満たすモノを求めて冷蔵庫へと向かった。
影斗の家は一人暮らしとは思えないほどの大きさである。
両親に捨てられ、それからすぐに祖父母が他界した影斗と妹のみらは孤児院に入れられた。しかし、亡くなる直前に自分の命が短いことを悟っていた祖父母はその先のことを予見し、自分たちの財産全てを使ってなんとかこの家を残した。いずれ大きくなった時に二人が帰ってこれるようにと。
だから本来はこの家は少なくとも四人の人間が住むことができるのである。
影斗は中学に上がるとき、育ててくれた孤児院の人たちにお礼を言ってこの家に帰ってきた。たった一人で。
彼が十歳の時事件は起こった。その時の記憶がなぜかないのだが周りの人たちは自分は洗面台の前で気を失っていたという。
そしてそれからみらはいなくなってしまった。
最愛の妹で影斗に残されたたった一人の家族が姿を消した。その事件は彼の人生を狂わせた。
笑顔を失い、気を使って話しかけてくる友人の遊びを断り続け、たった一人で毎日毎日妹を探し続けた。夜中になっても街を歩き続け、時には山の中で遭難しかけたことも、警察に補導されることもあった。それでも彼は妹の無事を祈り、彼女の帰りを座して待つのではなく探し続けた。
しかし、そんな生活をたった十歳の少年が続けられるわけがなかった。
自分では気がつかないうちに心は疲弊し、体はボロボロだった。毎日のように見るようになった悪夢に苛まれ続け、ある日、彼はとうとう倒れてしまった。そんな自分の姿が本当に情けなく感じた。妹がどんな目にあっているかもわからない状況で自分が倒れてしまうなど、と。
そんな時、影斗の心に寄り添ったのが一也、吹雪、虹雪、そして莉音だった。
彼らは孤児院に一緒にいたただの友達だった。だが、彼らは絶望の中にいた影斗に気安く遊ぼうなどと話しかけてきた連中とは違って遠くから見守っていた。影斗の好きにさせてあげよう、そして疲れてつい弱音を吐いてしまったその時そっと手を差し伸べよう。わずか十歳にして影斗の気持ちを理解した上でそう決めていたのだ。
それが影斗には嬉しかった。自分を理解してくれた上で一緒に影斗にとって大切な妹を探そうと言ってくれた彼らのその言葉が本当に嬉しかった。その時のことを影斗は鮮明に覚えている。忘れられるはずもなかった。影斗にみらと同じぐらい大切な人たちができた瞬間でもあったのだから。
今思えばさっきのあの感情はみらがいなくなったと知った時の気持ちと同じ気持ちだ、と影斗は自分一人には有り余る広さの家の中で思った。
自分は何も成長しちゃいない、一人でどんなに頑張ったってみらを見つけることはできなかったのにまた同じことを繰り返そうとしている、それに気づけただけでも影斗は成長をしているのだがそんな程度のとこで自分のことを許すような人間ではない。
(……明日は土下座かな……)
などと自分の失敗をさらに自分で重くした影斗は謝り方のバリエーションをアップさせつつ冷蔵庫の中から作り置きしておいたハンバーグを温めて夕餉とした。
そして、ひとり黙々と食べ終えた影斗は自分が予想以上に疲れていることに気づきその日は眠りについた。
しかしながら病は気からとは本当によく言ったものである。心の疲れは体の変調に繋がるようだ。
――――影斗は翌朝、久しぶりの発熱により、学校を休む羽目になってしまった。
☆☆☆☆☆
夏目莉音、天神影斗が学校を休んだことで事情を知らない春風吹雪はとにかく心配した。
普段滅多に学校を休むことのない親友二人が欠席した。しかも莉音に至っては欠席は二日目であるということで心配性の吹雪は傍から見てもわかるぐらいには動揺していた。
「あの二人が同時に休むなんて……何かあったに違いないわ!」
ばんっと机を叩いて吹雪は勢いよくその場に立ち上がった。その音に驚いたクラスメイトらの視線が一斉に集まる。
「落ち着きなさいな。夏目くんは親戚のおじさんの所に行ってるって秋月先生がおっしゃってたから安心でしょ。影斗君の方は……放課後お見舞いにでも行ってみればいいじゃない、ね。」
「っ……それは……そうね。」
いつもはふわふわとしているのにこういう時は意外と落ち着いている(ここでもふわふわとしているだけなのかもしれないが)虹雪になだめられ吹雪はうんうんと頷きながら自分の席に座った。
虹雪もその様子に少しばかり微笑んだ。
「なーなー虹雪っちよー。俺はずっと思ってたことがあんだけどさーぁ?今、聞いちゃってもいいかなぁ?」
この場の緊張感が少し緩んだとみるやいなや吹雪の後ろの席から一也の憎たらしい声が聞こえてきた。
「なによ、その声から察するにまたアホみたいな質問をしようってんでしょうけど、このタイミングでお姉をこれ以上困らせるようなことをしたら私が許さないからね。」
虹雪だって影斗と莉音のことを心配しているんだと分かっている吹雪が一也にあらかじめ釘を刺した。この境田一也という男は本当に空気を読まない男だと長年の付き合いから把握している吹雪にとってはさほど大した気遣いでもないのだが。
しかし一也は予想外の言葉を紡ぐ
「やー?そんなこと言っていいのかな?これはブリザードにも重要な案件だと俺は思ってたりするぜ?」
「ブリザードはやめい!……どういうことよ。」
不本意な呼び方に忘れずにツッコミを入れつつも理由を聞いた。
「まーまー聞けばわかるって。」
「……仕方ない、許可するわ。」
「私の意見は聞かれないのかな……。」
当の虹雪の許可は結局取られず、勝手に話を進めていく妹になすすべなくポツリと呟いた一言も聞き取られることはなかった。
こういったときに自分の意見を強く言えないのは良くないことだとわかってはいるのだがなかなか治すことができないでいた虹雪は今回もまた会話の流れに飲み込まれるのであった。
そういった虹雪の気持ちはいざ知らず一也はズバッと直球で質問した。
「ズバリ!俺のことは境田くん、夏目っちのことは夏目くん。他のクラスメイトも○○くんって苗字で読んでるのにさーぁ、ど~して影っちだけは影斗くんなのかなーぁ?」
あまりの直球すぎる問いかけに虹雪となぜか吹雪の顔まで姉妹揃って真っ赤に茹で上がった。
「わ、わわわわ私も気になってたわ!お姉!」
少しばかり震えた声でなんとか取り繕おうとしつつもしっかり失敗した声で吹雪も答えを促した。
「な……なんでって……言われても…………それは……その……」
虹雪は普段の優しそうなニコニコ笑顔を崩してしまい、たいそう乙女な顔でほっぺたに手を当て顔をそらす。
「「それは?」」
口ごもる虹雪を息が合った二人は追い詰める。
「そ……それは……。そう!みらちゃん!影斗くんの妹のみらちゃんも当たり前だけど同じ苗字だったから……わかりやすいように……って……」
言いながらも確信的な笑を崩さない一也の表情に押されて尻すぼみに声が小さくなっていった。
「へぇ~本当にそれだけなのかなーぁ?……まぁいいやなんとな~くわかってたことだし。吹雪っちもちゃ~んとわかっただろうからねぇ?」
「やっぱりお姉もお姉もお姉もお姉もお姉もお姉もお姉も………………」
一也が虹雪から視線を吹雪に向けると吹雪は何やらブツブツと呟いていて途中から聞いていなかったようだ。意識を現実へ引き戻すのは少々難しいようである。
それから虹雪の方はというと、もう言い訳の余地もないことを悟ったのか、それ以上はもう何も言わずすっかり熱くなってしまった顔を両手で覆い俯いてしまった。
そんな二人の様子を見て満足げに頷いた一也はようやく口を閉じて静かに一時間目の開始を待った。
☆☆☆☆☆
春風姉妹は迷っていた。
今朝の一件が頭から離れずにいた彼女らは一時間目から気持ちはどこかへ飛んでいっていた。
そしてそうこうしているうちに時間はあっという間に過ぎ放課後になった。つまりは影斗のお見舞いへ向かう時間だ。
今朝はただただ影斗のことが心配だから、お見舞いへ行く理由は本当にそれだけだった。いや、それ以外の感情が介入することができるほど心に余裕がなかったのだ。
それが今はどうだ。一也のふざけた質問(確信を持って言っていたのだから質問と言っていいのかわからないが)のせいで心の奥底に沈んでいた、長年大切にしてきた感情が浮上してきてしまったではないか。いまさら彼に恨み言を言ったところで全部元通り、なんて都合のいい話はないわけで、それが彼女らを余計もやもやとさせた。
(う、薄々思ってはいたのよ、実はお姉もそうなんじゃないかってことは……)
(や、やっぱり吹雪もだったのね……はぁ……どうしたものかしら……)
「「はぁ……」」
お互いの気持ちをはっきりと知ったことで発生してしまったかなり気まずい雰囲気の中、二人してため息をついた。
そして、これもまた二人揃って「一也に必ず何かしらの仕返しをしてやろう」と心に決めてお見舞いへ向かうことにした。
教室を出るとき、吹雪は長年の友人のよしみで一応一也も誘ってやったが「お二人でゆ~っくり~」とふざけた返事が返ってきたので足を思いっきり踏んづけてやった、というのはまあどうでもいいことである。
ここで話は最初に戻る
今春風姉妹は校門の前に立っている。
そこで何を迷っているかといえば……
「今日は体育もあったし、やっぱり一回お風呂に入ってから行くべき!絶対そうするべきよ!」
「私もお風呂に入りたいことには入りたいんだけどね……それじゃ影斗くんの家に行くのがかなり遅くなちゃうじゃない」
「いいじゃない!別に早く帰らないといけないってわけじゃないんだし!お姉だって汗臭い女、だなんて思われたくないでしょ!」
「た、確かにそれはそうね……」
春風姉妹の家はこの校門を出て真っ直ぐ進み、三回ほど角を曲がったところにある。それに対して影斗の家は校門を出て右。まったくの逆方向にあるのである。
二人は影斗とは違って中学生までを孤児院で過ごした。流石に高校生になってまで迷惑はかけたくなかったので安くであった一軒家を高校入学前に借りていた。あまり広くはなかったが姉妹二人で住む分には十分な広さだ。
影斗の家とそんなに離れている、というわけではなかったがやはり正反対の方向というところにあるだけに少しばかり時間がかかってしまうのは仕方がないことだった。
その少しの時間をおしもうとした虹雪であったが、物凄い剣幕でお風呂に入ってから!という吹雪の意見に負けてしまっていた。
普段だったらなんでそんに気を使うの?などといって少しばかり茶化していたであろう虹雪であったがそれを許さないのが現状である。どんな状況なのかはここで詳しく説明する必要はないだろう。
意見が一致(?)した吹雪と虹雪の二人は家についてからの動き(どちらが先にお風呂に入るかなど)を話し合いながら見慣れた風景の中を歩いていた。
しかし、二人はすぐに違和感に気づいた。
「お姉……なんだか騒がしくない?」
「そうね…………なんだか嫌な予感がする」
莉音と影斗のことがあったからかもしれないが吹雪と虹雪はなにかよくないことが起こっている、そんな気がしてならなかった。
何も起こっていないでください、そう願いながら二人は走った。しかし願望とはえてして叶うものではなく家に近づくにつれ騒がしさはどんどん増していった。
そして家への道のりのうち曲がらなければいけない三つの角のうち二つを曲がったとき、騒動の原因が目に映った。
それは目の前にいくつか建っている豪邸と近くにある公園の木に隠れて遠くからでわからなかったが、
「お姉!あれ!」
「……か、火事……?」
吹雪が指差す方向の空が赤く染まっていた。夕暮れの陽の光ではない。夕焼けに紛れて、もっと凶悪な赤がそこにはっきりと見てとれた。
「はぁ……はぁ……はぁ……う、うそでしょ…………」
「……はぁ……ごほっごほっ……っぐ、そ、そこは…………」
息も絶え絶えに最後の角をようやく走って曲がり、見えた先には信じられない光景が広がっていた。
既にたどり着いていた消防隊員が危ないですから下がってください!と叫んでなんとか取り囲む野次馬を遠ざけている。
燃え上がる炎。
バキっと何かが折れ、柱が崩れる。
その音に声を上げながら一歩下がる人だかり。
また何かが落ちた。
火の粉が舞う。
取り囲まれている騒動の中心、文字通り渦中(火中)のそれは紛れもなく
春風姉妹の住居、まさしくそれであった。




