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Enigmatic Feeling - Part 1

 ◆ ◆ ◆

 

 その部屋は、御殿の一室のような広さを有するものの、非常に質素な内装をしていた。

 色調は無難な白っぽいベージュ色で占められている。ベッドのような大きさのソファや、会議テーブルのように大きなテーブルも、特に凝った意匠はなく極めてシンプルな造りだ。

 この室内において、色彩の点から異彩を放っているものがある。それは、部屋の出入り口――これもまたベージュ色で染められたドアだ――と正反対の位置に配置されている、黒い箱上の家財である。その正体は、テレビラックである。とは言え、その上にはモニターがデンと据えられたテレビ機器は設置されていない。代わりに在るのは、掌より少し大きいサイズの3Dディスプレイ投影装置だ。そしてテレビラックの内側には、これまた黒一色で染められたゲーム機が配置されている。

 テレビラックの手前には、非常に広いサイズの3Dディスプレイが展開されている。その高さは成人男性の身長を優に超えているし、幅はキングサイズのベッドよりも広い。巨大ショッピングモールの待合いロビーに設置されているモニターを彷彿とさせる代物だ。

 3Dディスプレイが映しているのは、アクションRPGタイプのゲームである。世界観は如何にも"剣と魔法"のファンタジー世界で、緻密なCGで構築された林の中を、戦うにはポップ過ぎる格好の女性戦士が、マスコットのように可愛らしいモンスター達とひたすら戦闘を繰り広げている様子が描画されている。

 このゲームをプレイしているのは、ベッドのようなソファの上にゴロリと寝そべっている、1人の少女である。

 歳の頃は、(ゆかり)(なぎさ)と同じくらいか。身につけているのはセーラー服タイプの制服で、彼女が学生であり、学校から帰宅してから着替えもせずにゲームにのめり込んだ事を示している。

 その顔立ちは、男子学生の大半が「可愛い」と評するようなものだ。しかし、校内の注目の的になれるかと問えば、彼らは「否」と即答するだろう。

 彼女は確かに可愛い。しかし、その魅力を減ずる欠点があるのだ。

 瑞々しさや元気の良さと云った"(きら)めき"が、全く感じられない。

 むしろ、乾ききったスポンジのような無機質感が漂っている。

 明るい栗色の髪をショートツインテールに纏めた頭を時折ボリボリと掻き、その手を拭わずに手元にある菓子入れからクッキーを取り出し、モシャモシャと頬張る。そして、ゲームのコントローラーを慣れた手付きでスイスイ操り、3Dディスプレイ内のマイキャラクターによるモンスター退治を作業のように繰り返す。

 "時間潰し"と呼ぶに相応しい、無為の時間が流れ続ける。室内は低く押さえられたゲームの効果音と、コントローラーのボタンを叩く音、クッキーを咀嚼(そしゃく)する音が、耳障りな不協和音を奏でている。

 

 そんな無為の空間に、コンコン、とノックがハッキリと大きく響く。

 「ひゃーい」

 クッキーを頬張ったままの少女は、モゴモゴと口を動かして返事をし、入室を許可する。

 

 「失礼します、ニファーナ様」

 磨かれた宝石のように至極丁寧な言葉と共にドアの向こうから現れたのは、1人の成人男性である。

 ソファで寝転がる少女――ニファーナ・金虹(かなにじ)とは対極的な雰囲気の人物である。ピンと伸ばした背筋や手足は定規で整えたように整然としていて、どんな強風に(あお)られようと揺らぐ様が想像できない。身を包む漆黒の牧師服には皺一つ見当たらず、クリーニングしたてのものを身に着けたようにも見える。

 男は、年の頃は20代半ばである。しかし、厳ついまでに鋭い表情が、もっと年上のような感覚を抱かせる。音を立てて凍り付いたような表情は、冗談など全く通じない、効率と理詰めばかりを重んじる無機質な性格を想起させる。

 「エノクさん、お帰りなさい」

 ニファーナが男――エノク・アルディブラに声を掛けると。エノクは室内に一歩踏み入った位置に留まったまま、ニファーナ様へと言葉を返す。

 「今日は、お早い帰宅だったのですね。体調でも崩されましたか?」

 ニファーナはエノクにチラリとも視線を投じることなく、ゲームばかり見つめながら…ただし、パタパタと手を振ってみせて答える。

 「いやいや、学校側の都合。復興工事作業で騒音が酷くなるから、授業が切り上げになったワケ」

 すると、エノクの難儀な顔が曇り、険すら纏ったような有様となる。

 「まさか、ニファーナ様に何か…」

 「いやいや、それはもっとないって」

 ニファーナが再び手をパタパタと振って即答する。そして続けて、ゲームに一時停止(ポーズ)を掛けると、口にクッキーを咥えたぼんやりした表情をエノクに向ける。

 「ところで、エノクさん。もう"様"って敬称を付けるのは、止めてくれない?

 わたしはもう、"座"を失った身なんだし。エノクさんから見れば、私は単なる若輩の女子学生ってだけだよ?」

 「理解してはおります」

 とエノクは答えたものの、「しかし」と即座に付け加える。

 「"座"を失っておいでであろうとも、私がニファーナ様を敬愛し、崇めたいという気持ちには変わりはありません。

 敬意を込めてお名前を呼びたいというのも、純然たる私の意志です」

 「…ふーん」

 とニファーナは気のない返事を返したものの。一時停止(ポーズ)を解いたゲーム画面に向き直りながら、

 「堅いなぁ…色んな意味で」

 苦笑と溜息の混じった呟きをポツリと漏らす。一方でエノクは、嘲笑にすら繋がりかねぬその言葉を、ゆっくりと閉ざす瞼の内に閉じ込め、押し潰す。

 再び(まなこ)を開くと共に、エノクは問う。

 「本日の学校生活は如何でしたか?

 気を悪くされるような扱いなどは、ありませんでしたか?」

 ニファーナは振り返らぬものの、即座にパタパタと手を振って答える。

 「さっきも言った通り、エノクさんが心配するような事は何もないよ。

 いつも通り――そう、『女神戦争』が始まる前と変わらないよ。

 友達と他愛のないお喋りしたり。面白い先生をからかってみたり。通学路ですれ違った知り合いの人に声を掛けたり、掛けられたり。

 なーんにも変わらない。平々凡々な時間を過ごしただけだよ。

 強いて言えば…肉屋のおじさんから揚げ立てのコロッケを貰ったくらいかな。ゴメンね、エノクさん、1個しかないからお土産にしないでその場で食べちゃった」

 「お気になさらず」

 そう答えた後、エノクは氷の彫像のような無表情をようやく崩し、聖人像のように上品で、そして薄い微笑みを浮かべる。

 「肉屋の店主を初め、今なおこの都市国家(まち)の住人に慕われているのは、"座"の有無に関係なく、ニファーナ様自身の徳のお蔭でありましょう」

 「徳、ねぇ…」

 ニファーナはクッキーをボリボリと噛みながら、ぼんやりと語る。

 「成績も素行も特筆するような事はない。部活も頑張っているどころか、帰宅部だし。趣味と言えばゴロゴロ寝転んでゲームをするだけ。

 こんな人間に、どんな徳があるって言うんだろうねぇ?」

 「見せつけるような徳は真の徳ではない、とは旧時代の地球(このほし)の宗教の言葉です。

 勤勉な態度を見せつければ徳を得られる、というものではありません」

 ニファーナは「ふーん」と詰まらなそうに答える。それから一瞬の間を空けて、「ところでさ」と話題を転換したのは、これ以上自分の身の上について言及されたくないからであろう。

 「エノクさんは、今日もこの都市国家(まち)の見回り?」

 「はい。それが『士師』の努めですから」

 "士師"の言葉を聞いた途端、ニファーナの呼吸に苦笑が混じる。

 「エノクさんはもう『士師』じゃないよ。"『士師』の努め"なんてものが存在するとしても、それをする義務も責任もないじゃん。

 この都市国家(くに)には立派な警察組織があるんだから、彼らに任せて置けば良いのに」

 エノクは決して気を悪くせず、眉をピクリとも動かさずに、涼やかに答える。

 「染み着いた習慣というものは、中々抜けきらないものです。

 それに、私は何事も自分で確かめねば気が済まない性分でありますから。

 "チェルベロ"などと言う部外者に蔓延(はびこ)られては、尚の事です。この都市国家(くに)の気概を軽んじるような警察組織は、信頼するに値しない…と確信しております」

 ニファーナははっきりと、ハァー、と溜息を吐いて「ホンット、岩石みたいに堅い…」と呟く。勿論、エノクの耳には入ったが、やはり彼は顔色を変えたりしない。

 「それで?」先の失言を塗り潰すかのように、ニファーナが声を上げる、「エノクさんの目から見て、この都市国家(まち)の様子はどうだったの?」

 「こちらも、変わりは有りません」

 エノクは牧師というよりも、平時における軍の伝令のように淡々と答える。

 「どこもかしこも賑やかで、活気に満ちています。多くの民草は、現在の都市国家(まち)の姿に対して概ね好意を抱いているようです。

 勿論、気に入らぬ様子の者も居りますが。特に衝突する様子はありません。今日もプロジェスは平和であると言えましょう」

 「そっか、そっか」

 相変わらずゲーム画面を眺めてばかりのニファーナだったが、この時の口調は弾むような、ポンポンと花が咲き乱れゆくような愉快げなものであった。

 その言葉の最後にニファーナは、こう付け加える。

 「これも"鋼電"さんのお蔭だね~!」

 

 "鋼電"――(すなわ)ち、"鋼電の女神"は、プロジェスの『女神戦争』を集結させた『現女神(あらめがみ)』である。

 

 その名を聞いた途端――氷のようであったエノクの顔が、亀裂が走るかのように急変する。眉根に渓谷のような深い(しわ)が刻まれ、眼はナイフのように鋭くなる。薄い色の唇は右の口角が(いびつ)に釣り上がり、唇の間から除いた歯はギリリと音を立てる。

 明らかな不快感を露わにした、鬼気迫る表情だ。

 ゲーム画面ばかりを見つめているニファーナは、エノクの表情に気付かない。それどころか、更に気を良くしたのか、「フンフフン♪」と鼻歌まで口ずさんでみせる。

 その間、エノクは暫く無言のまま、歯肉を引き裂くような歯噛みと、血の滲むような力を込めて拳をギリギリと握り込んでいた…が。

 「エノクさん?」

 流石にエノクの雰囲気に気付いたのか。それとも、単に無言の時間が続いたのを不審に思ったのか。ニファーナがゲームを一時停止(ポーズ)して振り返り、声を掛ける。

 すると…その頃にはエノクの表情は、さざ波だった水面が静まり返ったかのような、元の表情の乏しい面持ちに戻っている。

 「どうか致しましたか?」

 「いや…急に黙り込んじゃったから、どうしたのかな…と。

 わたし、なんか気に掛かるような事、言っちゃったのかなー、って…。わたし、そういうのに鈍いから」

 「…いえ、問題ありません」

 エノクはそう語るものの、その雰囲気の何処かに先の激情の気配が残っていたのだろうか。ニファーナはちょっと視線を泳がせて素早く何かを考え込むと、ポン、と手を合わせる。

 「あ、そうだ、エノクさん。

 今日はわたしも早くに帰宅したことだし、一緒に昼食しませんか?

 クラスの女子の間で話題になってるレストランがあって、そこに行ってみたいなー…って」

 するとエノクは、両の瞼を閉じて、(うやうや)しく礼をして辞する。

 「すみません、ニファーナ様。

 昼食につきましては、先約がありまして。それに伴いまして2、3、片づけねばならない事もございます。そのため、ご一緒出来かねます。

 ご友人の方と行かれてはいかがでしょうか」

 するとニファーナは、非難の半眼を作ってエノクを睨む。

 「またヴィラードさん達とコソコソ何かやってるんでしょ?」

 するとエノクは、ちょっと口角を上げて微笑む。

 「…まぁ、そうですね。

 元『士師』同士の親睦会と言いますか、なんと言いますか」

 「まぁ、仲が良いだけなら、問題ないんだけど」

 ニファーナは釘を刺しながらも、興味を失ったようにゲーム画面に向き直り、プレイを再開する。

 そんなニファーナの寝込んだ背後に、エノクは丁寧に、深々とした礼をする。

 「それでは、失礼いたします」

 そして彼は、静かにドアを開くと、広大な部屋を後にする。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「嘆かわしい…」

 ニファーナがくつろぐ室内と似た、白っぽいベージュ色の壁紙に囲まれた廊下。エノクはその場を大股の早足で歩きながら、呟く。

 その姿は赫々(かっかく)に熱した石炭を放り込み、今にも走り出さんとする蒸気機関車のようでもあり、ジェット流のような水蒸気を上げて今にも噴火しそうな火口のようでもある。

 エノクの顔は、爆発せんばかりの不満によって険しい(しか)めっ面を作っている。その有様は発言にあるような悲観に暮れたものではなく、胸中が嵐のように渦巻く憤怒を示唆している。

 ――そう、彼は憤っている。

 そして、彼が真に口にしたい言葉は、"嘆かわしい"などと言うオブラートに包まれた言葉ではなく…。

 (憎らしい…ッ! 恨めしい…ッ!)

 今、彼の眼前に無抵抗にして殺傷自由の肉塊が存在したとすれば。彼は身に着けた牧師の衣服に見合わぬ残虐な暴力を振るって引き裂き、悲惨な肉片へと砕き散らしたことだろう。それほどに、彼の感情の嵐は(はげ)しい。

 大股の早足ながら、足音を静かに廊下を進み、階段を一気に昇る。足音を響かせないのは、館の主であるニファーナに配慮してのためだ。

 それに第一、彼の憤怒や憎悪はニファーナに向けられたものではない。彼女を威嚇したところで、心を痛めるのはエノク自身である。

 エノクは2階の広い廊下を迷わずに進み、とある一室に辿り着く。そのドアには、鈍い銀色を放つ筆記体の"エックス"に似た装飾がはめ込まれている。装飾の表面には、やや荒い手(さば)きで刻まれた文字があり、4隅には小さなガラス製の玉が埋め込まれている。

 これはエノクの故郷である異相世界バルカーウで広く信仰されている宗教のシンボルだ。そしてこの館の中においては、エノクの部屋である事を示すシンボルでもある。

 エノクは数瞬、扉の前で立ち止まってシンボルを見つめる。

 (これは主神たる貴方が、我らの女神に貸せた試練なのですか?

 もしくは、私から貴方への信仰を奪った我らの女神を嫉妬しての暴挙なのですか?)

 溜息と共に共通で呟いた後、ドアノブを回して部屋の中へと身を入れる。

 

 エノクの部屋は、ニファーナの部屋とは対極的な嗜好に満ちている。

 まず、室内の色が暗い。壁紙の色こそ、廊下と同一の明るいベージュ色であるが…家財は黒が多く、壁にも黒い壁掛けが広げられている。

 そして、所々に家財道具とはまた違う、鈍い銀色を放つ装飾品がインテリアのように配置されている。大きな(さかずき)やら燭台やら、細やかな装飾が施された鏡やら、様々な物が置かれている。

 これらはドアに掲げられていたシンボル同様、エノクの故郷の宗教に由来する品々だ。

 ――これらの点や、エノクの姿から分かるように、彼は故郷においてこの宗教の神父を勤めていた人物である。

 今なお、故郷の宗教への敬意の念は忘れていない。だからこそ、これら数々の品が部屋に保管されているのだ。

 しかしながら、彼の信仰の対象はこの宗教の主神――多神教である――ではない。今なお彼が崇拝して止まぬのは、この都市国家(くに)に君臨していた『現女神』。"夢戯の女神"ニファーナだけである。

 

 そう、1階で寝転がって遊びほうけている少女ニファーナは、元『現女神』なのだ。

 "元"であるのは、先に渚達が言及しているように、このプロジェスを舞台にした『女神戦争』に()る。

 この戦いでニファーナは敗北し、『現女神』の座を失ったのだ。

 

 「黄金時代とは常に過去の時代に在り…だな」

 エノクは壁際に配置された背の低いタンスへと歩みを進めると。その上に置かれた一つのデジタル写真立てを手に取る。

 十数秒感覚で切り替わる表示映像には、エノクやニファーナは勿論、その他多数の人物が写り込んでいる。()る物は皆がカメラ目線でポーズを取っていたり、別のものはカメラなど微塵も気にせず躍動感の溢れる様子が捉えられていたりする。

 その全てに共通するものは、皆賑やかで楽しげで、そして優しい時間を切り取った光景であると云うことだ。

 そしてこれらの光景は、エノクとニファーナがこれまで歩んで来た過去――エノクが先に口にしたように、正に"黄金時代"と呼べる時間のものだ。

 フェードインとフェードアウトを繰り返して切り替わってゆく画像を幾つか眺めた後に。エノクは、ハァ、と溜息を吐く。その吐息に混じっているのは、遠き昔を懐かしむ老人のような、追慕(ついぼ)哀愁(あいしゅう)だ。

 エノクは写真立てを右手で胸に抱き、両の眼を閉じると。赤暗い(まぶた)の内に、己の"黄金時代"の盛衰を回想する。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「とてもやりがいのある仕事だよ。一緒にやってみないか?」

 恩師である老神父から誘われたその言葉は、エノクがプロジェスへ足を運ぶ切っ掛けである。

 それは約10年前のこと。当時のエノクは10代半ば。神学校を卒業する直前のことで、家族に勧められて進学を考えていた頃のことだ。

 エノクは学内でも成績は優秀で、教団の幹部として将来を嘱望されていた。一方でエノク自身は、幹部として組織を切り盛りするよりも、教義に(のっと)り働く一信者でありたいと考えていた。

 故に、エノクは恩師の誘いには即座に首を縦に振り、失望する家族を背に一人故郷を飛び出して、地球へとやって来た。

 

 当時の――いや、厳密に言うならば現在も――エノクが信ずる宗教は、"メジャナの瞳"と云う。男性格の主神メジャナを中心とした多神教であり、エノクの出身世界バルカーウでは最も信者の多い宗教の一つである。

 その教義は、良い言い方をすれば"器が大きい"――悪く言えば"いい加減"だ。"来る者拒まず、去る者追わず"のスタンスであり、且つ、表だった布教活動には非常に消極的である。これは、"メジャナの瞳"の原則として、"真の信仰とは、強制されるものでも誘われるものでもなく、自然と身の内から生じるものである"と云う教義がある為である。故に、手を出さず口を出さず見つめるのみ、という意味を込めて"瞳"という名が冠されている。

 そんな"メジャナの瞳"に所属するエノクや彼の恩師が、地球で成し遂げようとする"やりがい"とは何か。勿論、布教ではない――これは原則に反する。では何かと云えば、純然たる"人助け"である。

 主神メジャナ曰く、"弱きや貧しきは救うべし。さすれば、我が恩寵は汝に降り注ぎ、汝の足は永劫の楽園への階段の第一歩を踏む。ここに金は要らぬ、楽園への階段においては鉛の如き重荷である"。

 当時のバルカーウでは、教団は利潤を追求し、"器の大きな"原則を曲げようとしていた。これに反発したエノクの恩師は、教団の(たもと)を遠く離れた地球に敢えて足を運び、教義を全うしようとしていたのである。

 

 地球では史上最悪の災厄である[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]を経て、約20年が経過していた。しかしながら、約10年を経た今(なお)そうであるように、問題は山積していた。

 特にプロジェスのような小さく、そして規模の大きな組織の援助を受けていない都市国家(くに)においては、その傾向は顕著である。

 日を追う毎に魔法が生み出す新たな災害や凶悪な生物に対応し続けなければならないと云うのに、情報や技術を共有するべき相手が極々限られてしまうという弱み。加えて、プロジェスのような都市国家(くに)に対してトラブルを起こすことでビジネスを成立させている連中――盗賊団のような単純や輩から、不十分な都市国家機能を突く悪徳企業まで――にも、毅然と相対し続けなければならない。自立心旺盛なのは結構だが、それを全うするためには必ずや巨大なリスクと対面する羽目になるのである。

 

 エノクは恩師と共に、貧弱なプロジェスの魔法技術をカバーする技術者として、および魔法技術を伝授する指導者として、忙しい日々を送ることとなった。

 プロジェスに比べて、バルカーウにおける魔法技術の教育水準は非常に高い。故に、神学校を卒業したての若いエノクでも、プロジェスの成人より余程卓越した技術者兼指導者として活躍できたし、人々も多大な敬意を示してくれた。

 こなした数々の業績の内で、エノクの名を広くプロジェスに知らしめたのは、とある魔法性感染症を駆逐したことである。これを機にエノクは、プロジェス中の人々から、

 「若神父様」

 と呼び慣わされるようになった。

 

 多大な信頼を得たエノクは、恩師と共に度々行政に呼び出されては、有識者として意見や助言を求められたり、国外勢力との様々な交渉事にも携わった。

 特に、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)や『[現女神』の勢力からの「傘下に下れ」と言う要求――後者の場合は脅迫の場合もある――を突っ張る際には、知識人としてだけでなく、卓越した魔法技術を操る護衛としても必ず用いられた。

 時には荒波のような、時には厳冬の真夜中のような応酬を何とか潜り抜けると。同席していた行政機関の幹部――もはやエノクの顔馴染(なじ)みである――は、ホッと安堵の息を吐きながら決まってこんな台詞を口にした。

 「ウチから、『現女神』様が現れてくれないモンかねぇ。

 そしたら、女神庇護下の都市国家として、堂々と構えてられるだろう?

 魔術を(もっ)てしても破るに容易でない『神法(ロウ)』に、『天使』に『士師』と云う強大な戦力! それらが手に入りさえすれば、やれ盗賊団だの、やれ魔法性質動物だのって程度で慌てることもなくなる。それどころか、場合によっちゃ"獄炎の女神"の統べる『炎麗宮』ともタメを張れるかも知れなくなるんだぜ!」

 「そうなれば、確かに、この都市国家(プロジェス)にとって喜ばしい限りですね」

 エノクが純粋に同意し、微笑んでそう答えると。行政機関の人間は夢から醒めたようにハッと顔色を変えると、バツの悪い笑みを浮かべて語る。

 「…すみませんね、若神父様。

 あんたにゃあんたが仕える神様が居るってのに。『現女神』なんて余所(よそ)の神様の話をされても、困っちゃいますよねぇ?」

 するとエノクは、微笑みを浮かべたまま首を左右に振り、「いいえ」と答える。

 「我らの主神メジャナは、こんな言葉を(たまわ)れました。

 "何処の世に住まう、正道を(たっと)ぶ神々は皆、我が朋友である。彼らを拒む無かれ、(さげす)む無かれ。手を取り合いて歌い踊ることこそ、我が心に適いし行い(なり)"。

 人道に(もと)らず、あなた方を幸福に導く『現女神』ならば、私は彼女を快く迎え、喜んで助けましょう」

 この言葉を初めて耳にする地球の住民は皆、驚いて目を丸くする。信仰の違いは往々にして対立を生み出し、しばしば凄惨な争乱さえ引き起こすというのに。"メジャナの瞳"のいい加減とさえ映る器の大きさが、彼らに困惑と感服の念を抱かせるのだ。

 この器の大きさこそが、エノクの出身世界で"メジャナの瞳"を人気たらしめている最大の要因である。いかなる異教とも親交を求める平和主義であり、教義的制約は非常に緩い。加えて、死後に極楽浄土へ入る条件も、他教に比べれば非常に容易い。一般人にとってみれば、教団からの加護が受けられるメリットを得られる一方でリスクが極端に少ないので、軽い気持ちで入信出来てしまうのだ。

 「…それじゃあ、もしも本当にこの都市国家(くに)に『現女神』が降臨したとしてさ。これまでの業績を鑑みて、若神父様を『士師』に召し抱えたいと仰られたら…なっちまうのかい?」

 当時のエノクは流石に即答できず、暫し黙考すると。最後には微笑みを浮かべて返す。

 「それが我が主神の曰く正道に悖らぬならば、喜んでお引き受けしますよ」

 すると行政機関の者は、ニッカリと笑ってエノクの方をバンバンと叩いた。

 「そりゃ良かった、良かった!

 若神父様が『士師』になって『現女神』様を支えてくれりゃ、百人力だ!」

 直後、行政機関の者ははにかみながら、「とは言ってもさ…」と続ける。

 「『現女神』様が降臨してくれないことにゃ、何を言ったところで、始まらないんだけどな…」

 

 『現女神』に対する需要は極めて多い。その事情は地球上に限らず、超異層世界集合(オムニバース)中のどこでも当てはまる。

 プロジェスの行政機関の者が語るように、強大な武力を所有出来ると言うのも大きな魅力である。だが、それ以上に超異層世界集合(オムニバース)を支配し得ると言われる『天国』の所有権を持つという性質――ただし、この性質には学術的な根拠はない――が人々の欲望を掴んで離さない。

 では、『現女神』を得る――または"成る"――条件とは何か。対象者の性別が女性である、という他に解明されていることは何もない。

 傾向的には、何らかの突出した"強み"を持つ女性が成っているようだ。確かに、名の通った『現女神』達は、神格を得る前より才能または能力に秀でていた…と言う話を聞く。だからこそ『現女神』を目指す若き女性達は、数々の英雄を輩出している"自由学園都市"ユーテリアに身を置いて、修練や実績を積んでいるワケである。

 (ただ)し、勿論、努力すれば皆が『現女神』に成れるワケではない。そんなに易々と成れるのならば、ユーテリアの女性卒業生の大半は『現女神』として降臨していることだろう。

 …さて、プロジェスには『現女神』の候補と成りうるような才女は存在したのだろうか。

 勿論、天才だの秀才だのと呼ばれるような女性は居る。しかし、それはプロジェス内の――もっと言えば、近隣地域内の範疇での話だ。建国以降、プロジェは世界レベルで活躍するような女性を輩出してはいない。

 「オレたちゃどうせ、石頭な田舎者の集まりだからなぁ」

 『現女神』降臨の可能性について話をするとき、プロジェスの住民はそんな自嘲の句を口にしては、決まって諦観するのであった。

 

 ――だが。

 エノクがプロジェスに入都して約8年の月日が流れた時の事。

 プロジェスに、『現女神』が降臨した。

 彼女こそ、言わずもがな、"夢戯の女神"ニファーナ・金虹である。

 

- To Be Continued -

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