Disorder - Part 4
レストラン"ココット・ダイニング"が提供する料理は、暮禰蓮矢が評価する通り、どれもが素晴らしい逸品であった。
まず――渚、ヴァネッサ、紫が頼んだ最高値の料理である、上等な牛肉のトマトソース煮込み。トマトの甘酸っぱさが最大限に生かされたソースと、最早ゼラチンかと見紛うほどに柔らかく蕩ける牛肉が絶妙に絡み合い、芸術の域の旨味を引き出している。ソースの中に隠し味として混ぜ込まれた、バジルを初めとした香草がまた、肉の脂臭さを初夏の野原のような爽快さに代えてくれる。
値が裏切らない、贅沢そのものの絶品!
「なにこれ…!? レストランの域を超えてるって、この料理…!」
紫が感激の余りに、ジト目気味で通していた眼をバッチリと開いて、未だにグツグツと煮出っているトマトソースに浸かった牛肉の塊を見つめる。
本家のお嬢様であるヴァネッサすらも、この料理には手放しで賞賛する。
「料理としてのバランスも素晴らしいですけれど、素材そのもののとても上品なものを使用していますわね!
脂の旨味で誤魔化している安物の肉ではなく、赤身の味がシッカリとした、ヘルシーで繊細なお肉ですわ…!
故郷で王族関係のパーティーにお呼ばれされた事がありましたが、あそこで食べたステーキよりも余程美味しいですわ!」
「…先輩、金持ちアピール止めて下さいね…」
紫が輝かしい表情から一転、眉根をピクリと動かしながら制する。しかしヴァネッサは耳に入っていないようで、美味しい美味しいと連呼しながら、貴族然とした優雅な手つきで肉を切り分け、口に運んでいる。
一方、渚の食べ方はヴァネッサとは真逆に豪快――悪く云えば、粗暴だ。ナイフなど殆ど使わずフォークで肉を切り分けては、ヒョイヒョイと口に放り込み、頬一杯に肉を頬張ってガツガツと噛み砕く。
「…うむ!」
ゴクリ、と大きな音と共に逸品を嚥下したすると、ソースがベッタリと着いた口元を拭わぬまま、ヒマワリのような笑顔を見せる。
「実に素晴らしい一皿じゃのう!
食べるほどに、腹が空いてゆくのう!
蓮矢よ、当然おかわりもOKじゃろうな!?」
「…却下に決まってンだろ。
少しは遠慮する態度ってモンを見せろよ…」
蓮矢はジト目で渚を眺めつつ、手元の白身魚のソテーを切り分ける。渚らの料理のような派手さは無いが、香草やスパイス、そしてスライスアーモンドが彩る外観は、配色を魅せる絵画を思わせる清々しさがある。
フォークに切り分けた魚の身と香草、そしてアーモンドを突き刺し、一緒に口の中に放り込むと…。
「おっ! これも当たりじゃんか!
いやー、やっぱこの店にゃハズレはないな!」
ジト目から一転、パッと笑顔の花を咲かせる、蓮矢。口に中に広がる絶妙の塩味と辛味。そして備考に突き抜けてゆく、手入れされた花壇のような芳醇な香り。それらの刺激は、どんな凄惨で難解な事件で悩む脳の緊張も解いてしまいそうだ。
「そんなに美味いなら、わしにも一口…!」
渚は語るが早いか、疾風のような動きでフォークを動かし、蓮矢の皿から魚の身をゴッソリと切り取り、口に放り込む。
「お、おいっ! そいつはオレの!」
抗議する蓮矢を後目に、渚は油でキラキラ輝く魚の身をパクリと、と口に中に放り込む。…そして。
「うむっ!
これもまた美味じゃわい!
魚の身が焼かれた上でなお、口の中で躍り泳ぎ出すようじゃ…!」
頬に手を当て、にこやかに享楽の世界に浸る渚を見て、蓮矢はもう抗議する気力を失う。苦笑して渚を見送ると、これ以上取られまいと手早くナイフとフォークを動かして料理を口に運ぶのであった。
さて、残るアリエッタと言えば。カスタードクリームよりも少し薄い色をした、ドロリとしたマスタードソースがタップリ掛けられた魚の身を、ヴァネッサに引けを取らぬ上品な手つきで切り分ける。
口に頬張る前に、アリエッタは切り取った身の香りを楽しむ。小さく鼻から息を吸い込むと、ニッコリ笑って感想を漏らす。
「ツンとしたスパイシーな香りと…オリーブオイルね、この芳醇な香りは。
食欲をそそられるわね~」
それから艶やかに唇を開き、舌の上に載せてから、目を閉じて咀嚼すること暫く。
絵になるような彼女の姿を、ヴァネッサと紫がある種の緊張感を持ってジッと見つめ続ける。
たっぷ10秒ほどの時間を掛けた後。コクン、と口の中のものを飲み下したアリエッタは、ナプキンで口元を吹いてから、再びニッコリと笑う。
「うん、楽しい味ね~!
魚の身の持つ甘みと、マスタードソースの酸味の効いたスパイシーさが、互いを良く引き立ててるわ~!
このお店、本当に肉だけでなく、魚料理も得手にしているのね!」
アリエッタの口振りに、ヴァネッサも紫もゴクリ、と唾を咽喉の奥に飲み下す。アリエッタの感想のみならず、トマトソースの香りの中でなお引き立つスパイシーなマスタードの香りに誘惑されているのだ。
そして、誘惑に真っ先に負けて音を上げたのは、紫である。
「あ、アリエッタ先輩…!
私のお肉、少しあげますから…お魚一切れ、貰っても良いですか!?」
するとヴァネッサも、貴族然とした上品さをかなぐり捨て、がっつくように語る。
「わ、わたくしも!
こちらも美味しいですわよ! ですから…!」
対してアリエッタは、学生の身の上ながらも包容力のある母性を満開にして、ニッコリと微笑む。
「ええ、良いわよ。
交換しましょう」
紫とヴァネッサは同時に顔をパァッと明るくすると、自らの肉を切り分けてアリエッタに捧げる準備をするのであった。
――こうして一通り食事が終わった。
蓮矢は腹ごなしにコーヒーをオーダーして、満足げな顔をしていたが。星撒部の少女達はアリエッタを除いて、物足りなげな雰囲気を露にし、蓮矢を睨んでいる。
「な、何も出ないぞ!
ホント、これはポケットマネーなんだからな!
そ、それに! おまえ達だって、小遣い持ってるだろうし! 他の事件を解決しての謝礼だってたんまり持ってるんだろう!? オレより金持ちなんじゃないのか!?」
そう言われた事が堪えたワケではなさそうが、渚はヤレヤレ、といった表情を作って首を左右に振ると。
「仕方ないのう。今回はこの辺で勘弁しておくのじゃ。
ま、食い足りない部分は、3時のおやつにでも取り戻すとするわい」
(…女の子にあるまじき食い意地だな…)
蓮矢は笑みに浮かんだ苦みを、ブラックコーヒーの苦みと共に胃袋へと飲み下す。
「…それでは、さっきの話の続きとゆくかのう。
蓮矢、聞かせてもらうぞい」
渚が本格的に話題を変えた事に心底安心しながら、蓮矢は承諾の意を込めて首を縦に振った。
「…どこまで喋ったかな?」
「把握している被害者数が561と言うこと。そして、被害者の傾向は歌手のみにあらず、広いジャンルに渡ってのパフォーマーであること。
と、言ったところじゃたな」
「さすがはユーテリアの学生だ。ばぁさんみたいな口振りにゃ似合わない、バッチリの記憶力だな」
「当然じゃ! わしは正真正銘のうら若き十代じゃぞ!
それに、"ばぁさん"ではない! この話し方は、おじい様へのリスペクトを込めてのものじゃ!」
渚が眉を鋭くしかめ、頬を膨らませてプンプンと憤り叫ぶ。どうやら、この話は渚にとっての地雷であったようだ。外野で紫も掌で顔を多い、"あちゃ~"とでも言いたげである。
「すまんすまん。そうか、じいちゃんっ子なのか、渚ちゃんは」
蓮矢もこれには苦笑しながらも、ペコペコ頭を下げる。
渚は、フンッ! と不機嫌そうに荒い鼻息を吹いたが。いつまでも脇道の逸れた話に頓着することはしない。すぐに佇まいを直して、蓮矢に話の先を求める。
「それで? 話の続きは何なのじゃ?」
「あー、そうだな。続けるか。
えーとだな。さっきは被害者の傾向についての話の途中だったが、その前に、症状についての説明しても良いか?」
「うむ、異存はない。
わしらはまだ、たった1人の被害者しか診ておらぬからな。
今回見た症状の内、どこまでが汎用的な症状なのか、知っておきたい」
蓮矢は頷いてから、語り出す。
「どの被害者にも共通している顕著な症状は、やっぱり、舌の傷だな。
こちらで把握している561人は例外なく、舌に定規でキッチリ測って切り取ったような、十字の傷穴が開いている。
十字の形状は、舌先に向かって延びている直線が他の3本に比べて長い。つまるところ、キリスト教の十字架の形ってワケだ」
[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]を経た現在も、地球には旧時代の三大宗教――乃ち、キリスト教、イスラム教、仏教――は存在している。数億単位の信者を抱える宗教が、30年そこいらで存在が潰えるワケはないのだ。とは言え、異相世界から流入した新しい宗教や、もっと直接的な信仰対象である『現女神』の存在に押され、人気は旧時代よりは随分と下火になっている。
「んで、」蓮矢が続ける、「君らが見た通り、傷穴の断面は出血もなく化膿もなく、血抜きした生物標本のような感じさ。ただし、標本とは違って、被害者の舌にはキチンと血が通ってるがな。
ただ、傷穴の中に術式が存在した、というのは君らによる発見だ。他の被害者も同じかどうかは、是非とも調査したいと思うが…普通の形而上相視認じゃダメなんだろ?
コツとか教えてもらえれば、助かるんだが?」
「コツと言っても、注意深く繊細に意識を集中させるとしか言いようが無いのじゃが…。
まっ、この都市国家の鑑識課と肩を並べる機会があるのならば、教えてやらぬでもない。減るものではないからのう」
「そん時はまた、驕らせてもらうぜ。
ただし…おかわりだけは、勘弁願うがね」
渚は"了解じゃ"と言わんばかりに肩を竦めて、苦笑する。
蓮矢の症状に関する話は更に続く。
「次に、精神症状の方だが。こっちは大きく2パターンある。
1つは、今回のグエン氏のように、抑鬱状態を呈するパターンだ。自責的にして自傷的、そして極度に無気力というものさ。
そしてもう1つは、強迫観念と統合失調の混合とも言うべきパターンだ。自責的で自傷的なところは同じだが、創作活動に関して病的に情熱を注ぐんだよ。それこそ、寝食忘れて、瞬きすら惜しむくらいに、机だのキャンバスだのにガツガツのめり込むのさ。
ただし、そうやって打ち込んで出来る作品ってのは、例外なく、病的な作風のものばかりだ。
ラブソングばかり歌っていた歌手が、いきなりB級ホラーも真っ青なゴアグランドを作曲してみたり。ポップな画風の似顔絵イラストレーターが、鑑識の連中すら目を背けたくなるようなグロテスクなイラストばかり描いたり…ってな具合さ。
ちなみに、被害者がどのパターンになるか、って点には傾向はない。そもそも、両方のパターンが躁鬱病のように代わる代わる発現する事も珍しくない」
蓮矢はここまで語ると、コーヒーを一口飲み下す。その合間に、アリエッタが言葉を挟む。
「そこまで聞くと、呪詛が人為的なものかどうかに関わらず、厄介な病気として"アスクレピオス"の方々が動きそうですけれども。
彼らは動いていないのですか?」
"アスクレピオス"は、『異相世界際保険機関』の通称である。"チェルベロ"同様、地球圏に限らず広大な超異層世界集合を股にかけ、保険衛生の普及と向上に従事している機関である。
「いや、動いたんだよ。最初はな」
蓮矢はパタパタと手を振りながら答える。
「だが、職員が被害者に殺害されたんんだよ。
…まぁ、今回のケースを鑑みるに、呪詛による犯行っていうのが真相だろうがな。
とにかく、同僚を殺されたことにショックを受けちまってな。入都したままでは居るんだが、自分達で調査はせず、市軍警察の鑑識課のヘルプみたいな扱いになっちまってる。
腑抜けた話さ。ま、交戦なんて一部たりとも考慮してない組織だからな、仕方ないのかも知れんがね」
「"アスクレピオス"にだけは、どんなに落ちぶれても、就職しないようにしておくわ。
ま、最初から眼中に無いけど」
紫が頭の後ろに手を回して、椅子をキイキイ鳴らして揺らしながら毒づく。
蓮矢はケラケラと乾いた笑いを上げてから、再び続ける。
「んで、被害者の傾向についての話に戻るんだがさ。
さっき言った通り、ミュージシャンを初め、絵描きやら大道芸人やらと、パフォーマーなら種類を問わず広く罹患してる。まぁ、割合的にはミュージシャンが多いんだが、プロジェスに入都したパフォーマーの内訳として最大の割合を占めてるからな。特別視する必要はないかも知れん。
…で、ここからがちょっと重要なんだが。
発症対象の条件には、パフォーマーであるって他にもう一つ、共通する条件があるんだよ」
「奇抜な格好をしている、とかですの?」
ヴァネッサが人差し指を顎に当てて呟く。
「こちらの都市国家に入都したプランツワルドの方々は、例外なく、奇抜な格好なさっておりましたわ。
グエン氏もそうですけれども、派手な国旗のように髪を染めている方ばかりでしたし、ライブの際の衣装も際どいと言うか…」
ヴァネッサは適切な言葉を見つけられず、どぎまぎしながら視線を左右に動かしてから言葉を次ぐ。
「浮浪者のような、不良少年のような格好しておりましたし…」
「むうぅ…あの成りでベッタベタなラブソングだの、家族感謝だのを歌うのじゃからな。寒疣が立って仕方ないわい」
渚が本当に冷気に襲われたかのように、己の両腕を掻き抱いてブルリと身震いしながら語る。
(渚ちゃんって、普段どういう歌聴いてんだろうな…? おじい様リスペクトだって言ってたし、演歌とかか…?)
蓮矢の脳裏に好奇の疑問が湧いたが、一々口にしていたら話題が進まない。なので、咳払いを挟んでから、正解を語る。
「折角、意見してくれた処で申し訳ないが、見てくれは関係ない。
正解は、被害者は全て路上でパフォーマンスをしていた者に限る、と言うことさ」
「ほほぅ。それはちと、興味深いのう」
渚が同調して、腕を組みながら声を上げる。蓮矢は「だろ?」と同意を返してから、言葉を次ぐ。
「そして、この点こそが、オレが今回の件が人為的な"犯罪"だと断じてる根拠でもある」
「出る杭を目の敵にして、打っている者が居る…というワケじゃな?」
渚がサラリと言ってのけると、蓮矢はポンと拳と掌を叩き合わせてから、ちょっと興奮気味に渚を指差す。
「ご明察! 流石はユーテリアの学生だな!」
対して渚はフフンと鼻を鳴らしながら、上から目線で悠々とこう言ってのける。
「そここそ、"流石は立花渚"、と誉めるところじゃろうが」
2人の飛び石の羅列のような会話に、外野の3人の少女達はそれぞれの個性を出しながらも、頭上に疑問符を浮かべている。それに気づいた蓮矢と渚は、3人に対して解説を始める。
2人の解説の内容は、次のようなものだ――。
『女神戦争』により傷ついた都市国家。そこの住人は、大きく2つのタイプに分けることが出来る。暗澹とした気持ちを払拭したいと奔走する者と、暗澹とした気持ちに飲まれたままを良しとする者…である。
前者は凄惨な過去を忘れ去る事を願い、輝かしい未来を求める"前向き"な者。後者は凄惨な過去を同情されることで安堵や快感を得ようとする"後ろ向き"な者…と、言うことが出来よう。
この両者が同時に存在してしまうことは、ヒトの十人十色の個性ゆえの必然である。
さて、この2タイプのヒトビトの中に、ポッと出の余所者達が入り込むとする。
彼らは都市国家の凄惨な過去を知らない――ニュースなどから情報を聞き知っているかも知れないが、実体験をしていない以上、本当の意味で"知っている"と言うことは出来ないだろう。
そんな彼らが――無知な彼らが、前向きさを賛美する活動を始めたのならば、どうなるであろうか。
彼らが何処か区切られた場所――例えばライブハウスを初めとした、参加者が限定される施設――で活動する分には、さほど問題は起きないであろう。彼らの活動に同調したい"前向き"な住人達だけが足を運ぶであろうし、彼らの活動とは真逆の性格を持つ"後ろ向き"な住人達は足を運ばなければ済む話だ。
だが、無知なパフォーマー達が、不特定多数を無差別に巻き込むような形で活動する――最たる例として、路上でのパフォーマンスがある――した場合は、どうか。
"後ろ向き"な住人達は、聞きたくもない、無責任な励ましに晒され続けることになる。そこに加えて、同調する"前向き"な住人達の騒ぎが、彼らに更なる不快感を与えることだろう。
この状態が長く続けば、無知なパフォーマー達を路上から駆逐したくなる"後ろ向き"な住人が現れてもおかしくはない。
渚は、"後ろ向き"な住人の視点から、路上で無責任な励ましを流すパフォーマーを"出る杭"に例えたワケである。
そして"出る杭を打つ者"と云う言葉が指すのは、勿論、今回の事件の犯人である。
「なるほど」
紫が口元に手を置いて頷く。
「そういう事なら、確かに、人為的である可能性が強まりますね。
犯人ならライブハウスに行くワケないですから、路上の無節操なヤツらばかりを呪う事にも納得です」
「それに、『現女神』に対する思い入れの点とも、整合性が取れますわね」
今度はヴァネッサが頷きながら語る。
「崇めるべきは『現女神』であるはずが、路上のパフォーマーが人目を攫って行くワケですから、『現女神』を差し置いて求心活動されているように感じているのでしょうね」
すると蓮矢は、ニカッと片方の口角だけを上げて笑う。
「人為的である事を裏付ける、もう一つの物証がある。それは発症時、被害者が活動していた場所だよ」
蓮矢は上着の中から情報端末を取り出すと、3Dホログラム映像をテーブルの上に広げる。そこに描かれているのは、プロジェスの一部を描いた平面の地図だ。その中に点々と赤い点が記されているのは、被害者の活動場所である。
「見ての通りさ。
多少バラ付いちゃいるが…ココとココの通りに、特に被害が集中している」
「そこが単に、パフォーマーの方々がより多く集まっているからではないのですか?」
アリエッタが尋ねると、蓮矢は即座に「いや」と否定する。
「まぁ、確かに、パフォーマー達が多く集まる場所ではある。
だが、多くのパフォーマーが活動している通りは他にもいくつもある。
例えばな…」
蓮矢は「ココとか」と言いつつ、素早く5、6地点を指差す。そこでも確かに発症を示す印は付いているが、さほど多い数ではない。
「なるほどのう。
確かにこれでは、自然的な発生という意見は肯定しにくいわい。
とは言え、完全に否定出来るワケではないがのう」
「それでな、どうだ?」
蓮矢は渚の方に身を乗り出すと、上目遣いのニヤニヤした笑みを浮かべる。
その表情を見た渚は、即座にジト目を作って警戒する。彼女の経験則から言って、蓮矢がこの表情をする時は、厄介事を押し付けようとしているか、勝ち馬に乗せてもらおうとしている時か…あるいは、その両方である。
「君らだって、もっと被害者を診て、解決の糸口を探りたいだろ?
オレなら凡庸から極端なケースの被害者の所在を把握してる。
ってことで、どうだ? 午後は一緒に、被害者達を回ってみないか?」
渚はジト目のまま溜息を吐く。
(結局、"協力してくれ"、と云う事に集約されるワケではないか)
そんな文句を胸中で漏らすものの、蓮矢の提案に対しては気が乗らないワケではない。確かに彼の情報や協力があれば、調査の足しに十分成り得る。
観念したように、もう一度溜息を吐くと。同意するにしても、さて、どんな風に"譲歩してやったのだぞ"と上から目線の言葉をかけてやろうかと逡巡する――その最中。
バンッ! と、落雷でも落ちたような勢いの音を立てて、店の扉が全開になる。
渚達のみならず、他の客も店員も皆が入り口を見つめると。そこに居るのは――大きく肩で息をして立ち尽くす、1人の若手警察官。
蓮矢と行動を共にしている、ウォルフ・ガルデンである。
ウォルフは暴れる肺を鎮めるように早く深い呼吸を数度繰り返しながら、店内を見回す。そして、渚達――取り分け蓮矢を見つけると、汗まみれの顔にニヤリと笑みを浮かべる。
「…よっしゃっ!」
そう呟いたの口火に、ウォルフは大股でズンズンと蓮矢の方に歩み寄りながら、「よっしゃ、よっしゃ、よっしゃ…!」とブツブツ呟く。
そして、蓮矢の真ん前でピタリと足を止めると。
「よっしゃっ! ギリギリ、蓮矢さんのランチタイムに間に合ったッ!」
その声は、店内を揺るがすような轟声である。蓮矢は苦笑しながら、唇に人差し指を当てて、"もう少し声を落とせ"と訴える。
が、ウォルフは構わずに、疲れた状態を倒れ込ませながらバンッ! とテーブルを両手で叩くと。噛みつくような視線で蓮矢を見つめ、そして訴える。
「鑑識との現場検証、終わりましたよッ!
はいっ、残念ながら、ユーテリアの学生さん達が言った通り! グエン氏の同僚の殺害は、純粋に、呪詛による犯行でしたッ!」
気合いを入れているように一々声が大きいのは、まだ暴れている肺を抑え込みながら喋っているからだ。彼の汗にまみれ、そして紅潮した顔を見ると、仕事が終わって直ぐ現場からこの店まで全力疾走してきたらしい事が読み取れる。
「…呪詛はヒトじゃないから、"犯行"とは言わんぜ、ウォルフ君…」
ウォルフの態度に気圧されながら、蓮矢が静かに突っ込む。
しかしウォルフは意に返さず、再び両腕で机をドンッ! と叩いて熱弁する。
「蓮矢さんッ! いくら"チェルベロ"からの応援だからと言って、1人だけ良い思いなんてさせませんよッ!
(渚ら星撒部の少女達を眺めながら語る、)ちょっと変わってますけど、こんな可愛い娘達を独り占めして、優雅にランチタイムを楽しむなんてッ!
僕を除け者にしようだなんて、させませんよッ!」
「いや…別にそんな気はないってば。
これは純粋に情報収集目的の行動だし、お前と別行動を取ったのは適材適所を考えてのことだよ…。
そもそも、この店を待ち合わせにしてたんだ、1人でどっかに行ったりしねーよ…」
蓮矢の台詞を聞き入れてのことかどうかは分からないが、ウォルフは疲れた体に見合わぬ速い足取りで、空いている席――ヴァネッサとアリエッタの間にドッカと腰を下ろす。
そんな行動にヴァネッサはドン退きの表情を浮かべたが。アリエッタは相変わらず柔和な態度のまま、ウォルフにメニューを勧めさえする。
「どうぞ」
「ありがとうッ!
いやー、本当に綺麗な娘は、心まで綺麗なんだねーッ!」
汗まみれの顔で精一杯眩しい笑顔を浮かべると、メニューに視線を注ぎ真剣に吟味を始める。
そこへ、蓮矢が申し訳なさそうに、怖ず怖ずと声を上げる。
「あのな…ウォルフ君。
今日は…自分で支払ってくれな」
「はぁ!?」
ウォルフは顔を上げて、絶望と憤怒が入り交じった凄絶な表情で、見開いた眼を蓮矢に投じる。
「1人だけ良い想いしたくせに!? 今日に限って、僕だけ除け者ですか!?」
「いや、だってな…。オレにも財布の事情ってモンがあるからさ…」
ウォルフが更なる抗議を叩きつけようと口を動かすが、機先を制して蓮矢が言葉を続ける。
「そ、それと…オレ達、もう食い終わったからさ…。そろそろ、捜査に戻ろうと思うんだ…。
お前が食ってる姿を見ながら待ってても、時間が勿体ないだけだし…」
「ちょ、ちょっと!? 蓮矢さん!?
それは勝手に過ぎるんじゃないですか!? 何ですか、その連れない態度!!
硬派で知的な方だと思って、今日まで一緒に付いて回ってきたのに!! それが、本来の姿なんですか!? 女の子にデレデレして尻尾を振るのが、暮禰蓮矢という男なんですか!?
うっわ、幻滅ッ! ドン退きッ! 最悪ッ!」
「いや…そうじゃなくてな…!
純粋に、効率を考えた結果であって…」
たじたじと言いくるめようとする蓮矢と、更に噛みつくウォルフの姿。それを見て、ハァー、と深い溜息を吐いたのは渚である。
彼女は蓮矢の肩をポンと叩き、語る。
「この場合は、おぬしが悪いじゃろ。
いくら捜査活動とは言え、うまい飯を食うばかりか、こんな可憐な乙女達に囲まれておったのじゃ。良い想いに他ならぬではないか。
今の今まで、散々な部屋の中で仕事をしておったこやつに、少しは報いてやれい。
それに、無駄な時間ではないぞい」
渚は両腰に手を置いて、小振りながら形の良い胸を張ってみせる。
「食い足りんところじゃったからな! デザートの1つや2つ、頼もうかと思っておったところじゃ!
デザート分は自分で払うからのう、安心せい!」
「あ…そうですか…」
蓮矢はくたびれたように苦笑いすると、テーブルの上に倒れ込みながら、溜息を吐く。
「分かったよ…。ウォルフ、払ってやるから、サッサと食ってくれ…。お嬢さん方も付き合ってくれるとさ…」
するとウォルフは表情を一変。曇天が強風によって一瞬によって快晴へと吹き散らされるように、暗い表情から眩しい笑顔がパッと浮かぶ。
「ゴチになります!
それじゃあ…!」
ウォルフがやたら元気にメニューをめくり出す一方で、蓮矢は渚に半眼を向ける。
「…君らは、食べ終わったらどうするつもりなんだ? 一度ユーテリアに帰るのか?」
「いや、あと2、3人の様子を診て回るつもりじゃよ。
流石にたった1人診ただけでは、何とも判断出来んからのう」
「そっか…。
じゃ、オレも一緒に連れてってくれ。
オレは既存の情報を君らに提供出来るし、君らはオレに新しい発見を提供してくれる、両方にとって得な話だと思うんだが?」
「うむ、わしは構わんよ。好きにせい」
…それから、ウォルフがメニューを決めたのは、たっぷり数分掛けた後のことであった。
- To Be Continued -