プレッシャーと戒め
葉山輝也は、つやつやと光る野菜たちを眺めているだけで、収穫してほしいやつともう少し頑張っていたいやつの声を聞き分けることができた。
最初は自分が料理したい野菜を小さな畑を借りてちまちまと作っていただけだった。ただ、大きな挫折を味わい、喪失の暗闇の中でただ、野菜たちの声だけが雄弁に自分に語りかけてくれたのだ。それは申し訳ないけれど、一緒にいてくれた藤堂奈津の声よりも数倍、自分に生きる活力をくれた。
料理の道に進んだのは、母一人子一人の家庭だったためにとにかく早く自立したかったからだ。専門学校を卒業後は黙々と努力し続け、気づけば何人かの見習いがいるような大きな店で料理人のトップになっていた。やりがいを感じ、収入も安定し、さぁ母親を楽させてやりたいとそう思った矢先に、呆気なく母が亡くなった。喪失感でどうにかなりそうな時に、奈津に出会ったのだ。これから自分が守るべきはこの女だ。そう思った時、自分の作った野菜のムースが爆発的な人気を呼んだ。
グルメ本の取材で「ぜひあのムースを取り上げたい」と言われた時は嬉しかった。店はすでに固定客もいたし、定番料理も幾つかあった。ただそれらではなく、自分が初めてメニュー開発を任された前菜にスポットを当ててくれたことは葉山の自信になった。
店は予約困難と言われるほどになり、野菜のムースはすべてのコースに入れざるをえないほどの人気料理になった。
だから、奈津との結婚を意識する頃には、これまでにない欲を感じた。
独立し、その店を奈津と二人でできたら。
頭に上ったその欲望を一度気楽に口にしたところ、奈津の表情は輝いた。母親を楽にさせるという大きな夢に破れた葉山は、お前の次の夢はこれなのだと言われている気がした。
いよいよ店を去る日を決め、独立するための準備に忙しくしていた時に最初の異変が起こったのだ。
まず賄い料理の味が濃いと指摘されるようになった。疲労からくるものだと気休めを言っていたけれど、内心では酷く焦りを感じる。それからは徐々に鈍くなって行く舌の感覚に、いよいよマズイと感じた頃にはいくつかの病院を巡ったのちに、心療内科に通されていた。
「機能的な問題ではなく、心労や精神的なものではないでしょうか」
そんな曖昧な診断があるか。葉山は憤った。そしてその怒りの向こうにあったのは、ただ虚しさだけだった。ろくに後輩指導もできないまま、店を去り、新店舗の準備も進まない。隣にいてくれた奈津がどんなに心配してくれていたか、当時の自分にはそれを感じ取る余裕もなかった。彼女からの連絡にもろくに返事もせず、店で出したいと思って借りていた畑に通う日々が続いた。そこで一日をぼうっと過ごしていたら、育ち過ぎた野菜が「もう収穫しないと知らないよ」と語りかけ来て、いざもごうとすると「まだ早いからこっちはダメよ」と拒否してくる。そんな風に一つ一つの声が太陽に溶けて葉山の頭の中に染み込んできたのだ。葉山は必死に耳を傾けた。そうしていると、何もかも忘れられた。
その一方で、奈津はグルメライターという仕事をスタートさせていたのだ。
「私が味見をすればいいんじゃない?2人で1人分だよ」
まさかと思ったけれど、奈津は自分の舌の感覚を磨くために、食べ歩きを仕事にしようと思い立ったようなのだ。
葉山は今でも思う。あの野菜のムースを取り上げた記事がなかったとしたら、今でも自分は料理人として腕をふるっていられたのではないか。爆発的なヒットはないかもしれないけれど、堅実に確実に信頼を得ている料理人として後輩を指導し、日々粛々と美味しいものを作り続けていられた。
あいつらはずるい。完全に外の世界にいるのに、ズケズケと踏み込みんできて、好き勝手に評論する。グルメライターなどと名乗って、それらしい雰囲気を醸し出して、見ているものを騙しているのだ。別にプロでも何でもない。ただ名乗ればいいだけの職業など、葉山は認めない。
今や素人でも勝手に人の料理を評論する。それはもうグルメライターが市民権を得ているからであるに違いない。なぜみんな他人の舌を参考にしたがるのだろう。なぜ自分で行き、感じ、判断を下さないのだろう。葉山は全く理解できない。ただ、そういう怠慢に加担しているのが奴らなのだ。
葉山は思う。自分の舌の感覚がおかしくなった原因は、もしかしてふっと湧いた独立へのプレッシャーだったのではないか。そもそもそんな器ではないのに、あの頃の自分は浮かれていた。そこに水を差したのが、「舌の異常」だった。あれは自分自身が出した、戒めだったのだと、今ではそう感じている。