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葉山と奈津

 藤堂奈津(トウドウナツ)は、ため息をつくと自分用のマグカップに口をつけた。すっかり冷めた紅茶が喉元を刺すぐらいに濃くなっていて、その苦さに思わず顔をしかめる。先ほど見た胸の悪くなるようなメールのおかげで、その不快感が倍増した。


 傍に置いた、「月刊ウマイモン」を何の気なしに開く。表紙に大きく「噂のパンケーキを食べ比べ」と書いてあり、すでに人気の店から小さなカフェ、ニューオープンの店が網羅されていた。ライターの名前を確認すると「三保大雅(ミホタイガ)」とある。奈津はじっくりと評価の一つ一つを読み解く。


 月刊ウマイモンは、毎月テーマを決めて幅広く飲食店を紹介している。その他、市販されているお菓子や、コンビニの最新作までとにかく目を通していれば食うに迷うことのない、食べる専門誌だ。


“駅から少々遠いのが難点だが、公園の側なので散歩がてらに行くのもいいだろう。生地の素材にこだわり、味のバランスにも気を配るオーナーの気合を是非一度味わって欲しい”


 そう書いてある番外編の店を、奈津はインターネットで検索した。この三保というライターはややオーナーに肩入れしている感はあるものの、駅から遠いというマイナス面も入れながら味にも言及しているコメントのバランスで、いい印象を抱いているのがわかる。パンケーキは、写真の写りが物を言うので派手で華やかなものに注目が集まるのだけれど、地味に真摯に配合や味のバランスを追求している店がある、そういう主張が伝わってきた。

 近いうちに行ってみよう。

 奈津は気持ちを切り替えたところで、先ほど胸を悪くしたメールをもう一度開く。先日訪問し、記事を仕上げた店から届いた、掲載拒否の連絡だ。


“通称グルメリーゼ、藤堂さんの記事は酷い内容ばかりだと聞きます。当店のためにならない記事の掲載はお断りさせていただきます”


 何だよ、自信がないなら店なんか開くな。

 正直、悪い印象はなかった。共同経営している4人のうち、料理担当の腕は確かなようだったし、ホールの教育も行き届いていた。ただ、文句を言ってきたのは挨拶すらしなかった他の共同経営者で、文面も感じが悪い。奈津は面倒に感じつつも、掲載予定の写真とともに文章も添えてメールを返した。

 もしかして長くないかもな、あの店。


 あくびをかみ殺して、奈津は次に行く予定の店の下調べを始める。大衆紙のワンコーナーで誰がどれだけ期待しているかなど全くわからないけれど、奈津の記事は一定の評価を得ていた。正直に書くゆえ抗議も批判も一定数は届いているけれど、暇人のストレス解消に過ぎないと気にしていない。


 店は客を楽しませなければならない。

 それには店内の雰囲気も店員の愛想も大事だけれど、味は絶対に外せない条件だ。これがブレていなければ、多少他に難があっても乗り越えていける。奈津はそう信じている。

 ただ、そのポシリーが彼を苦しめているのだとしたら。

 奈津には一緒に住んでいる人がいる。ともに店をやろうと期待と野望に満ちていたその男は、とうに料理人ではなくなっていた。

 このままでいいのだろうか。


 もしあの人、葉山輝也(ハヤマテルヤ)がこの先もシェフとして独立しないのであれば、自分が今やっている事は全く意味がないのではないか。自分はグルメ記者になりたかったわけではない。ただ、葉山のパートナーになりたかっただけなのだ。


 料理人だった葉山輝也からプロポーズされたのはもう5年前。異変が起きたのはその頃だった。葉山はその研ぎ澄まされた味覚を失い、彼が失意に荒れる中、奈津は自分ができるのは、舌を磨いて腕をふるう彼とともに2人で一人前になることだと思った。小さな地方紙の食べ歩き日記から始めて5年。隔週ではあるけれど、ワンコーナーを任されるようになった。その頃から逃げないでいつだって味と向き合ってきたというのに2人の関係は何も変わらないままただ時だけが流れている。


 葉山と結婚し、葉山の美味しい料理を出す小さなビストロで働く。その夢がお預けになった時、奈津の頭に浮かんだのが三保大雅というグルメライターのことだった。葉山は知り合った当時、すでにレストランの料理長をしていた。ただそのレストランが数か月先まで予約困難の店になったのは、三保というライターが「月刊ウマイモン」で絶賛したのがきっかけだった。

 特に、葉山が試行錯誤した野菜のムース仕立てにスポットを当て、地味だった前菜が必ず注文の入る人気メニューになったのだ。聞けば「事前に個人的に食べに来てこれはイケると確信した」と言う。葉山に独立の意識が芽生えたのもそれがきっかけだったと奈津は思う。そんなきっかけを生むことがある仕事に俄然興味がわいたのだ。

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