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動いていく

 三保(ミホ)はパソコンの前で固まった。

 そうか、そうだったのか。

 薄々気づいていたかもしれない。衝撃というよりは、気づかないうちにモヤモヤしていたことが急にスコンと見えたという気分だ。

 辛口日和の管理人は、藤堂奈津(トウドウナツ)だった。


 グルメリーゼの記事を先行するような店選びと腹の中を全てさらけ出したような荒削りな表現。それをつなぎ合わせるこなれた文章力は、なるほど、彼女と繋がっていておかしくない魅力に溢れていた。失礼な文章への返信があの冷静な文面だとしたら、それは本当に奈津らしい。ただ妙に他人行儀な文面には寂しさも覚えた。この前のランチは感情に任せて気持ちをさらしすぎた。拗ねたような態度は大人気ないと、三保は早くも後悔していた。別に自分のことでもないのに、奈津の恋人に必要以上に感情移入していたのだ。

 ただ、辛口日和の管理人の書いた「アポロン」がもしかして自分の店だったとしたら、すなわち藤堂奈津は「アポロン」を気に入ってくれていたということになるのか。


「お前何ニヤニヤしてんだ」

 耳元の声に悲鳴にならない声をあげて飛び退くと、真瀬(マセ)がまた椅子の背を抱きかかえるようにして上体を遊ばせていた。

「お前いつからいたんだよ !!」

「声かけたんだけどなぁ。恋する少年って感じでニヤついてたからしばらく観察してた」

 三保は慌てて頬を引き締める。そんなにしまりのない顔してたか。

「なぁ三保ちゃん。ランチどう。デートなら遠慮するけど」

 真瀬の口調は軽かったが、表情は硬い。三保は頷いて立ち上がる。

「ちょうど区切りついたところだから行くか」

「あれ、愛しの彼女に返信はいいのかなぁ」

 三保は、真瀬の冷やかしを一切無視して、パソコンを閉じた。



 葉山(ハヤマ)は畑近くのベンチで、峰野(ミネノ)と並んでおにぎりを頬張っていた。

「本当はお店の試作品なんかを持ってこられたら良かったんですけど、やっぱりこの野菜たちで作ったのじゃなきゃって」

 丸々と握られたおにぎりは、海苔でくるんだ中に焼いたシャケが入っていて、塩加減もいい。

「うん、うまいな」

 葉山は久しぶりにこの言葉を吐いた気がする。それは喉の奥から自然に湧き出た本音だった。

「ただのおにぎりですよ」

 くすくすと笑う峰野のそばかすが、太陽に透けていた。

「こういうシンプルなのが案外難しいんだよな。シャケと米の配分もいい」

「あ、そうか。葉山さんって料理人なんですもんね」

 峰野の口から出た「料理人」という言葉に葉山はハッと我に返る。何を言っているのだ、偉そうにこの俺が。

「いやいや、もう辞めたし。すっかり感覚も鈍くなっちゃって」

「そんなことないですよ。だからこんな丹精込めた素敵な野菜が作れるんですもんね」

 目を細めて畑を見渡す峰野に、葉山は誇らしい気持ちが湧き上がる。

「このおにぎりも店で出したらどう?すごく美味しいし、ウケる気がするんだけど」

「えー、本当ですか」

 峰野が手の中にあったおにぎりをしげしげと眺める。「普通ですけどねぇ」とかしげる首がおかしくて、また葉山は笑った。



「そろそろ潮時かなぁって」

 うどん屋に入ってオーダーするなり、真瀬はいきなり本題に入った。三保が料理が届けば何も喋らなくなるのをよく知ってのことだ。

「辞めるのか、会社」

 薄々は分かっていた。真瀬が主に担当していたスナック菓子は月ごとにメーカーを決めて新製品をプレゼンさせるということで、話が決まったらしかった。真瀬は何でも屋のように特集記事の使い走りをすることが多くなり、心なしか表情も暗い。

「別に古巣に未練たっぷりってわけでもなかったんだけどさ、一発当てた同僚がえらい生き生きと仕事しててさ。スクープなんて大概芸能人の印象操作に加担するぐらいでロクなもんでもないんだけど、政治家の汚職とかそんなんも暴くチャンスがあったりする」

 真瀬の時計をいじる仕草をじっと見つめながら、三保は逡巡した。自分にこの仕事に対してプライドがあるとすれば、舌の感覚のみだった。それはすでに邪険にされている。

「とにかくお前には言っとくよ。同時期に入社したからな、親しみもあるし」

 真瀬は近いうちに会社を去る。さて、三保はどうするのか。


「あ、送別会はお前ん家でいいからな、好きなんだよ、お前のあのお手製ピクルス」


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