攻撃と防御
「そういえば前やってたっていう店、どんな店だったんですか」
藤堂奈津はパスタをくるくると器用にフォークに巻きつける。それを真っ赤な口紅に差し込むところを何とはなしに目の端に止めながら、三保大雅はピラフにスプーンを差した。
「小さな店です。ばあちゃんがやってた喫茶店を継いで、2年くらい頑張ったんですけど」
今度は三保が「この前付き合ってくれたお礼に」とランチに誘った。散々悩んで、女性2人が切り盛りする、工夫を凝らしたランチプレートを出すカフェにした。メインをパスタ、ピラフ、フォカッチャサンドから選べ、大きな皿に前菜三種類とともに盛り付けられる。盛り付けの美しさもさることながら、一つ一つが丁寧に味付けされていて、野菜の種類が豊富なのも気に入っている理由の一つだ。
奈津は一通り店内を観察し、ランチは散々悩んでパスタにした。三保のピラフと一口ずつ交換して食べるときには、こんな感覚は何年ぶりだろうと三保は妙な感慨にふけった。
「三保さん、またやらないんですか。お店」
「んー、そんな資金もないし、なかなか踏ん切りはつかないですね。もう10年も経っちゃいましたし」
三保は改めて聞かれると、やはり弱気で否定的な意見しか吐けない自分を苦々しく思う。
「その彼は、野菜のムースの彼はもう店はやらないんですか」
三保は知らないうちに意地悪になっている自分を止められない。
「さぁどうなんでしょうね・・」
逃げそうになる奈津の背中をふっと捉えたくなった。
「その彼って、藤堂さんの恋人なんですよね」
奈津がそこで諦めたようにふっと息を吐く。
「バレちゃいました?すみません」
無理に笑おうとしているのか、奈津の顔は引きつっている。
「別に言いたくなければいいけど、彼はもう料理人には戻らないんじゃなかと思ったから」
「え、どうして」
「あんな繊細な味を作り上げる人が舌の感覚を失うってとても怖いと思う。そして、今恋人であるあなたは、料理を批評する立場にあってすごくその、素直だから。味に対して」
奈津はじっと黙って聞いている。迷いの中にあった彼女の気持ちがゆらゆらと目の前を漂っているようだ。
「私が彼を追い詰めてるってことですか」
奈津の口調は責めているようだ。
「そこまで言わないけれど、なぜあなたは料理を捨てなければならない彼の横で、グルメライターなんて仕事を選んだんですか」
「やめませんか、美味しい料理の前でこんな話」
奈津はやはり怒っているようだ。ただ三保は一度口から出たものをすっと引っ込めることはできない。そこまで器用ではないのだ。
「あなたはちょっと、強すぎる。それが彼を苦しめているんじゃないですか」
「強いだなんて、そんなこと」
奈津はうつむくと、そのまま動かなくなった。グスグスと鼻をすする音がする。三保は小さく震える彼女の肩を確認すると、途端に慌てた。まさか、泣いているのか。
「そんなつもりで言ったんじゃないんです」
「私が憎いんなら、どうして彼は」
奈津はふと決意したように顔を上げ、残りのプレートを黙々と平らげる。その顔を確認するけれど、真っ赤な瞳からは涙はこぼれない。三保は何も言えなくなった。
しばらく2人で無言で向かい合い、それぞれの皿を咀嚼する音だけが浮遊する。三保は初めて、目の前のものを味わうという余裕が持てなかった。
奈津はプレートを綺麗に平らげた後、吹っ切れたように顔を上げる。
「三保さんはじゃあ、料理はもう捨てたんですね。グダグダ言い訳作って、10年なーんにもしてなかったんですから」
「俺のことは、いいよ」
三保はうんざりしかける。女はこれだから面倒だ。感情的になって急に人を攻撃する。
「いいよって何ですか。ずるい。三保さんはずっと逃げてる。だからあんな風に妙に店に媚びた記事になるんですよ」
三保は奈津の目を見る。必死で戦っているその目。
「媚びた記事なんて書いてない。ただ、店を維持していくのは並大抵のことじゃない。そんなの店をやってない君たちに」
わかるわけない。言いかけた言葉の残酷さに三保は驚く。これまで思っても口にしてこなかった自分の傲慢な考え。それを思い切りこじ開けられた。
「三保さん、本当は料理にまだ未練があるんでしょう。だから書かないんだ、本当の事」
奈津は核心をついてきた。だから勘のいい女は嫌いだ。




