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辛口日和とアポロン

『一言で言えば、お金を払う価値のない味。彼女を連れて行く予定の男性諸君、いますぐ店替えをお勧めする』


 ふうと三保大雅(ミホタイガ)は息を吐いた。

 相変わらず、キツイなぁ。

 瞬間、首のところがきりりと痛んで、自分が身を乗り出してパソコン画面を読みふけっていたことに気づく。小さく伸びをして椅子の背もたれに体を預けていると、同時期に入社した真瀬(マセ)が声をかけてきた。

「何、行き詰まってんの?」

「まあな」


 パソコンで原稿を書いている時、気分転換に覗くブログの一つに辛辣な意見を並べる、「辛口日和(カラクチビヨリ)」というグルメ日記がある。その更新頻度から推測するに、筆者はかなり熱心に食べ歩きをしていた。それはグルメ雑誌のライターである三保でも感心するほどで、正直としか言いようのない歯に衣着せぬ意見のオンパレードだった。

 あるワードが引っかかって、それからまめにチェックするようになったのだけれど、好き勝手に書き連ねる無責任な意見の数々に、店側に同情したくなることもしばしばだ。素人の意見などそんなものかもしれないけれど、美味しいものを提供していればいい、などという単純なものではないのだ、店の経営は。

「今月の特集は何だっけ?」

「パンケーキ」

「そりゃ息詰まるな」

 真瀬は笑いながら、ビルの一階に入っているコーヒーチェーン店のタンブラーを手に席に戻っていく。

 自分もコーヒーでも買ってこようか。

 三保は本格的に伸びをして、ノートパソコンを閉じた。


 グルメ専門雑誌のライターになって、もう10年になる。37歳になる体にはそろそろ食べ歩きはきつく、健康診断では常にイエローカードが出ているし、スポーツクラブの会費はもう2年も空払いばかりしている。せり出した下腹が座り仕事の妨げになっているのを確認してからは、夕飯を食べないダイエットをスタートしたけれど早くも挫けそうな気配だ。


 それにしても、お金を払いたくないレベル、とは「辛口日和」も言い過ぎだ。そのお店はビュッフェ形式でカスタマイズできるパフェがメインで、ランチに提供されるオムライスもハンバーグもカレーも平坦な味で、米は不味い。看板の文字も、「盛り放題パフェ」を一番大きなフォントにしているだけあって、ご飯はそのついでなのだろう。


 確かに舌が泣くようなレベルの味だったことは否定しない。


 取材のためとは言え、元料理人である三保は美味しくないものを食べたときにはこの虚しさをどう埋め合わせしたらいいのか、途方に暮れてしまう。取材でなければ絶対に足を踏み入れないような、「いかにもマズそうな店」にも実際に行って食べなければならない。グルメライターを始めた頃はそれこそいちいち落ち込んでいたけれど、今はずいぶん割り切れるようになった。

 ただ、この「辛口日和」の管理人はブログという自由気ままなフィールドで思う存分文句をぶつけている。三保にもそういう場所があったとしたら、持って行きようのないこの気持ちも少しは晴れるのだろうか。

 そう思い至った時に、もしかしてこの管理人は三保と同じグルメライターなのではないかと思うようになった。


 察するに女性のようだけれど、ただの会社員や主婦にしては食べ歩いている数が多いし、店の傾向もバラバラだ。評価もいちいち辛口すぎるけれど的を得ているし、書き方もこなれていた。それがまずいものを食べさせられた腹いせだったとしたら、わからなくもない。


 三保はかつては料理を提供する側であったし、昔から料理は得意だった。母親が苦手だったこともあり、自分で作ることを早くから覚えたのだ。外食すれば大抵のものは家で再現できたし、食べさせた人には必ず「美味しい」と言ってもらえた。それゆえ自分の舌にはかなり自信があった。

 自然な流れで調理師専門学校に入り、卒業後いくつかの店で修行し、やがて大好きだった祖母の喫茶店「アポロン」を継ぐ形で三保のオーナー人生はスタートしたのだ。

 当時付き合っていた控えめで可愛らしい恋人に一緒に店をやって欲しいと誘い、ゆくゆくは夫婦、そして子供に残す店に、そんな未来予想図も確かに描けていた。

 ただ、今三保の手元には祖母から譲られた店はない。そして彼女もいないし、結婚もしていない。料理人という肩書きもとうの昔に捨てた。何もない自分はそれでもまだ、しがみつくように食べ物の仕事をしている。その皮肉さに三保自身も苦笑するしかない。

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