絵本
「…おかあさん?どうしたの?」
震える私を見て、愛理が心配そうに尋ねる。
「う、ううん、何でもないよ。大丈夫」
そういうと愛理は安心したようで、またご飯を食べ始めた。私の手など借りずに、一人できちんと食べる。最初のうちはあんなにこぼしてばかりだったのに。いつからか、きれいに食べられるようになったものだ。愛理は、一度怒られたら、二度と同じ失敗をしない。さっき怒られたことも、もう二度としないだろう。賢い子なのだ。私はちょっぴり自慢に思ってもいる。
「「ごちそうさまでしたー!」」
何も言わずとも愛理は自分の分の食器をもって、台所まで運びにくる。リビングと台所が同じ部屋にあるので、別にそこまでしてもらわなくても大丈夫といえば大丈夫なのだが、ありがとう、いい子だねと声をかけると、嬉しそうに笑って歯を磨きにいく。これも私が強制しているわけではない。(むしろまだ仕上げ磨きをしてあげたいぐらいなのだが、あそこまで完璧に磨かれてしまうと何もすることがないのだ。)
食器を洗いながら、愛理のことを考える。なんでも完璧にこなされてしまうと、母親としてはちょっぴり寂しい気もする。でもそれ以上に手がかからなくて楽だという思いのほうが強い。私が寂しそうなときは自分から膝にのりにきてくれて、逆に私がいらいらしているときは愛理自ら布団にくるまりにいく。本当に出来のいい、いい子に育ってくれた。
「よし、食器洗い終わりっと」
手を拭いて、自分も歯を磨きに洗面所に向かった。
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かちっ
寝室の電気をつける。ここからは読み聞かせの時間だ。愛理は、何か絵本を読んでもらわないと眠れないのだ。まだまだ子供だな、とこのときばかりは微笑ましい気持ちになる。
「むかーしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。」
愛理がきらきらした目で絵本をみている。
「おじいさんはある日、村の娘に恋をしました。おじいさんはおばあさんに気づかれないように、毎日娘の家にお米を届けに行きました。娘はとても喜びましたが、おじいさんと付き合う気はさらさらないようでした。」
なかなか五歳児には手厳しい絵本だな、と内心苦笑する。
「おじいさんは減った分のお米を、自分の食べる量を減らしてごまかしていたつもりでした。そうはいっても、料理を作るのはおばあさんです。すぐに減っていることに気が付きました。そして、おじいさんが毎日こそこそと出かけているのも。でも、おばあさんは気づかないふりをしました。そのほうが、うまくいくと思ったからです。」
そこまで読むと、愛理はきれいな目でこちらを見つめてきた。
「ねえ、おかあさん」
「どうしたの」
「んーと…」
愛理は発言をためらっているようだ。
「なに、愛理?」
「えーとね…」
「これって、おとうさんとおかあさんのおはなしみたいだね、って」
「…愛理?どうしてそう思うの?」
極めて冷静に聞いたつもりだった。でも、声が少し震えた。
「だって、おかあさん、いつもいっぱい我慢してるから」
愛理はいつもの暗い目でそう答えた。
私は手に持っていた絵本を落とした。
そこからあとのことは、覚えていない。