その旋律を奏でたのなら
『その旋律を奏でて』の別視点とその後を少々、でお送りします。お読みいただく際は、あらすじを確認の上、本文へお進み下さい。
(今日のおやつは何だろうねぇ)
頭の中にのんびりとした声がする。
幼い時分から、"彼"――長谷川恭也は、俺の中に居た。"彼"が言うには、長谷川恭也は俺の前世にあたる人格で、本来ならば俺という人格に溶け込んで認識もされないはずだったのが、何故だか今の状態にあるらしい。それは神の奇跡か、悪魔の悪戯か。例えそれが何者の仕業であろうとも俺は"彼"との出会いを感謝する。少しだけ笑って、先ほどの声に返事をしておく。今日のおやつはプリンだよ、と。自分が食べる訳でも無いのに、喜ぶ"彼"にまた笑った。
俺の生まれた家は、少し複雑な環境だった。名家と言えば聞こえは良いが、親戚間での醜い家督争いが横行し、親は子を道具として扱う。そんな家の長男として生まれた俺に、親の期待は大きかった。一挙手一投足を検分され、少しの間違いも厳しく叱咤される。相応しくあれ、それが親の口癖だった。
そんな生活を送りながら、俺が唯一心を許せる相手が、"彼"だった。"彼"だけが、俺を意思ある人間として扱ってくれた。
(当たり前だよ。子供に対してこんな扱い、普通じゃないって。お金持ちの家の事は分からないけど、でも君は意思の無い機械になんかなっちゃ駄目だよ)
俺のために憤ってくれる"彼"だけが俺の味方。最後に「まぁ僕の方がもう生身の人間じゃないけどね?」とおどけてみせられ、また笑った。
長谷川恭也という人物は生前、作曲家を生業としていて、とりわけピアノの曲を多く作ったらしい。そんな"彼"の影響を多分に受け、俺も音楽に興味を持つようになり、いつしか傾倒していった。
ピアノを弾いた。"彼"が作ったという曲を。それはとても綺麗な曲だった。
"彼"が愛した音楽は、俺にとっても大切なものになっていく。
しかし、そんな俺の状態を、やはり家の者たちは良しとしなかった。父も母も趣味以上の音楽を認めず、それは相応しくないとお決まりの言葉で一蹴する。やがて親の期待と自己の願いで板挟みとなり、身動きが取れなくなった俺に"彼"は言った。
(きっと僕に引き摺られているせいだ。君を苦しませてごめん。この思いが君を窮屈にさせているね。間違いなく僕は君で、君は僕だけど、在るべき状態はきっと別だから……君は君の人生を送るべきだと思う。だから、僕は眠るね。そしたら、君はもっと自由になれるはずだよ。……おやすみ、アキラ)
待って、と止める間もなく"彼"は微睡みの中に落ちていく。同時に俺の心から、大切だったはずの何かが零れ落ちていく。其処に残ったのは、喪失感。
――喪ったものは、何。"彼"と"彼"の作った曲、それと――。
それからの俺は、板挟みの苦しみから解放され、ただ親の期待に応える様に生きる。でも機械には、ならない。それが"彼"との約束だから。……眠ってしまった"彼"の目覚めを待つ。時折、喪った何かを求めるようにピアノを弾きながら。
――時は流れて、俺は「響盟学園」へと進学する。学業のレベルという点でも、家格としても、この学園への進学を親達は望んだ。彼らが望むなら、俺に否やは無い。
そして、長谷川恭也だった頃の記憶によるとこの学園が、とあるゲームの舞台で、俺は主人公の少女と"恋愛"をする……かもしれないらしい。正直、馬鹿馬鹿しい話だと思う。そんなのは、他の対象者とやらとやってくれ。俺には関係ない。
学業の傍ら、眠ってしまった"彼"を目覚めさせたくてピアノを弾く。幸いにも、同学年に天才ピアニストと謳われる碧海悠という人間が居て、彼が演奏会と称し講堂でピアノを弾く日ならば、目立たずにピアノに触れる事が出来た。碧海のピアニストとしての才能に少しばかりの嫉妬と、"彼"を目覚めさせることの出来ない焦燥を抱きつつ、俺はピアノを奏でる。"彼"を目覚めさせる鍵は未だ不明のままだ。
学園に入学してから、一年が過ぎた。恐らく今年がゲームとやらの始まりだろう。一応、警戒して主人公を観察するべきだろうか。確か主人公の名前は――天野雫。
そう思考を廻らせていた時、何処からとも無く聞こえてくる音があった。
「♪~」
澄んだ声音で奏でられる歌。その旋律は、恐らく俺が求めて止まない、"彼"の曲。誰が歌っているのかと辺りを見渡すが、既にその音は雑踏に紛れて聴こえなくなっていた。一瞬、久しく遠のいていた"彼"を近くに感じた気がした。
例の天野雫については、生徒会副会長としての権限の及ぶ範囲で情報を収集し、一応の警戒心を持って遠目に観察してはいるものの、特に妙な行動を起こす様子は無い。どうやら、杞憂だったようだ。望まない"恋愛"とやらを強いられないのであれば、これ以上彼女を気にかける必要はないだろう。
結局歌を歌っていた人物を割り出すことは出来なかったが、それからピアノを弾く際はあの歌声の曲を強くイメージする様になった。近づいている感覚はある。でも、未だ遠い。焦燥感だけが募る中、今日もいつもの様にピアノを弾くために音楽室へ向かう。すると譜面立ての上に見慣れない茶封筒が置いてある。誰かの忘れ物かと思い、所有者を確認するために中身を検めたところ、手紙と楽譜が入っていた。持ち主に悪いと思いつつ、手紙に目を通す。宛名は「ピアノの君へ」となっている。……ピアノの君?
『ピアノの君へ
不躾にこの様な手紙を差し上げることを、どうかご容赦下さい。
毎週木曜日、大変勝手ながら貴方様の演奏を拝聴させて頂いております。
貴方様の演奏は、不思議と懐かしく、遠い日の思い出を私に思い起こさせてくれます。
そんな演奏が出来る貴方様にお願いがあって、今回筆を取らせて頂きました。
無遠慮な行いと存じています。
ですが、どうか同封した楽譜を演奏しては頂けないでしょうか。
この曲は、この世界に喪われてしまった、私にとって何にも代えがたい大切な曲です。
私が今此処に在る意味とも言えるでしょう。
貴方様には私が何を言っているのか伝わらない事を重々承知の上で、お願い致します。
私を救って下さい。』
これは、もしかして、俺宛なのか。というか、何だ、この大仰な手紙は。救う? ……救われたい思いなのはこっちなのだが。まぁ、誰に聴かせているつもりも無かった演奏をこう褒められると、えも言われぬ面映さがあった。それでこの手紙の主が俺に弾いて欲しいという曲はどんなものか、と封筒の中に収められた楽譜を取り出す。それは、丁寧に記された手書きの楽譜。主旋律とコード進行のみの簡単なもので。
「あ……」
驚きが思わず口から零れる。同時に旋律をなぞっていたはずの視界が歪む。この曲は――この曲こそが、鍵。
(何故この曲が此処に在って、何故君の手元に届いちゃうかなぁ)
焦がれた"彼"の曲。そして、仕方が無いなぁと笑った"彼"との再会。
やっと会えた。やっと言える。精一杯の感謝と、俺の願いを伝えなければ。
あの日から今まで、否定されて壊れそうだった俺を守ってくれて、ありがとう。貴方が居なければ俺は潰れていた。でも、やっぱり俺は選ぶよ。俺は貴方で、貴方は俺だから。俺は……音楽が好きなんだ。
(……そっか。強くなったんだね、アキラ。わかったよ、君が選んだのなら。僕は君で、君は僕だけど。やっぱり、君は君だから。その道は、きっと苦しい事が沢山あるだろう。でも同時に素晴らしいものに出会える世界だと言うことも、僕は知っている。今までありがとう。これからも君の幸せを願っているよ)
その言葉を最後に"彼"の声はもう聞こえない。ただ、胸の内に鳴る"彼"の音と、目の前の楽譜と、かつて喪ったはずの音楽への切望が、"彼"の居たことを証明している。今はただ、この曲を奏でよう。"彼"への手向けに。
それからというもの、毎週楽譜が届くようになった。律儀にも馬鹿丁寧な手紙を添えて。犯人の目星は付いている。本人はばれていないつもりらしいが、音楽室の入り口に取り付けられた監視カメラを確認すれば妙にコソコソした動きの少女が毎週映っていた。ただ、いつも何処で聴いているのかは不明だった。何を遠慮しているのか知らないが、聴きたいのなら堂々と聴けば良いものを。そう伝えようと思い探してみるも、ピアノの音が止むと彼女はこの近辺からは離れてしまうらしい。故に俺は一計を案じる。碧海に音楽室でピアノを弾いて貰い、その間に彼女を捕獲する作戦だ。
かくして作戦決行の日、いつものように置いてあった楽譜が『雫』だったという予測外の事態はあったものの、捕獲作戦は無事成功した。――この『雫』という曲は、碧海が彼女へ告白する際に弾く曲なのだ。流石に何を考えている、と文句を言おうとしたが、「この曲も大好きなのです!」と言い切られては怒るに怒れなかった。彼女――件のゲームの主人公であるところの天野雫は、俺と同じく転生者で、そして純粋に前世の俺、長谷川恭也のファンだったのだ。
長谷川恭也という存在を覚えていてくれてありがとう。"彼"は確かに俺だけど、かつての俺の恩人で、そして"彼"と再び出会わせてくれた君に、心からの感謝を。
◆◇◆
「黒金さん! 今日はこの曲をお願いします!」
今日も楽譜を片手に元気良く部屋に飛び込んできた彼女は、最早手紙を介していた頃の慇懃さを感じさせない。実際の天野雫という人間は、考えていたより快活な人間だった。その快活さは好ましいものではあるのだが、やはり手紙との違いが気になり訊ねれば「そういうものですよ?」と、心底不思議そうな顔をされた。この件に関しては、これ以上の回答を得られないらしい。
捕獲に成功してからは、彼女は直接楽譜を手渡し、その場で演奏を聴くようになった。彼女は耳が良いだけでなく肥えてもいたらしく、曲を聴かせる度に的確に何処が良くて何処が違うのか指摘してみせた。その客観的意見は、今世でも音楽家という道を選ぼうとしている俺の経験不足を補ってくれるもので、感謝の念が絶えない。
そんな彼女がたまに目を輝かせて発する言葉がある。曰く
「そろそろ、『雫』を弾いてみたくありませんか?」
と。その意味を正しく理解して言っているのか疑わしい、あまりにも純粋な目で催促するものだから、俺は閉口するばかりである。辛うじて「その内な……」と言えば、とても綺麗な笑顔で「楽しみにしています」という。
しかしながら叶うなら、そのタイトルの曲を彼女に捧げる時は、俺が――黒金アキラが作った曲を奏でたいと思う。果たして彼女はその意味に気付いてくれるだろうか。
おまけ、たぶんいつかの二人の会話文。
「今のは新曲ですか? 素敵でした! 曲名は何と……」
「ああ、『雫』だ」
「……」
「『雫』だ」
「……ありがとう、ございます。嬉しいです。とっても」
「……なら、良かった」
「あ、でも長谷川さんの作曲した方のも聴きたいです」
雫ちゃんは、別に察しは悪くないはずです。ただやや行き過ぎた長谷川氏のファンなのでした。
黒金君にとっては、自分自身がライバルの様な良く分からない状況ですが、想いはたぶんきっとおそらく届くのではないでしょうか。
……こんなことを言っているからでしょうか。活動報告にそっと言わせたいと書いておいた「そろそろ、長谷川恭也じゃなくて、俺の事を見てくれても良いんじゃないかな?」って台詞を言って貰えませんでした。作者、無念です。
前作に思っても見なかった評価を頂いてしまい、本来予定していたのに作者の根性不足で断念した黒金君視点もきちんと書き上げなければという思いに駆られ、本作の投稿に至りました。前作を読んでくださった方の考えていた話と異なってしまったかもしれませんが(そもそも望まれていなかったかもしれませんが……)、作者としてはこの様な結末とさせて頂きます。
拙作に最後まで目を通して頂き、本当にありがとうございました。