願わくば
神谷先生視点です。
「宗佐、おまえ何回同じメール見てるんだ。気持ち悪いやつ。ついでに言うと、完璧に脈なしだな」
「・・・森川先輩、原稿は昨日渡しましたよね。何しに来たんですか、しかも後ろからメール読まないでくださいよ」
俺は基本的に締め切り前に原稿をあげることをモットーにしている。それによって自分も書いたものを見直すことができるし、あとの動きもスムーズになるからだ。
「竹倉から言われてるんだよ“先生の原稿があがった次の日は掃除を促してください”ってな。ほら、ちゃっちゃと掃除しろよ」
「竹倉・・・よけいなことを」
俺はため息をつくと、先輩とともに掃除を始めた。
掃除を終えると、森川先輩は俺の好きな豆大福を出してくれる。
「おまえ、これに渋い日本茶を合わせるのが好きなんだよな。見た目は甘いものなんて食うか!!って顔してるのに」
「顔で嗜好を決めないでください。先輩も日本茶でいいですか」
「悪いな~」
そういえば竹倉は豆大福を出しながら“きれいな部屋で食べると豆大福がよりいっそう美味しく感じませんか?”といつも言う。
それは豆大福がケーキやバームクーヘン、あんみつやプリンにワッフル、葛餅に変わることはあるが、どうも甘いものというえさに釣られて竹倉に転がされている気がしてならない。だけど、それもいいかと思っている自分がいて、それを先輩にからかわれることにも慣れた。
まあ、思えばあいつが担当になってもう3年・・・いや4年になるのか。俺は茶を飲みながらその頃のことを思い出す。
デビューしたときから俺の担当をしてくれていた森川先輩が、本人曰く「余計な責任を負わされてしまった」と出世し、担当を外れることになった。
「宗佐、安心しろ。お前の担当は俺が太鼓判を押す若手だ」
「俺は人見知りなんで誰でも気が重いですよ。でもまあ先輩が太鼓判を押すんならしょうがないですね」
「明日、挨拶に連れて行くからな。いいか?今度の担当者は女性だから、少なくとも服は着てろよ」
「あ~、はいはい」
締め切り前に原稿をあげて、一眠りしようとしていたところだったので眠気がまさってあんまり先輩の話をきいていなかった。
だから、先輩と一緒に来た竹倉を見て俺は驚いてしまった。
「あれ?今度の担当は女性?」
「・・・・おまえ、人の話を聞いてなかったのか。まあいい。竹倉、神谷先生に挨拶して」
竹倉、と呼ばれた女性は、はいと立ち上がって、はきはきとした口調で挨拶をしてきれいなお辞儀をした。
だが、彼女は俺の恰好よりも部屋の乱雑さに衝撃を受けているようだった。
あれは担当になって半年後だったか、竹倉がしみじみ言っていた。
「私、神谷先生の作品がデビュー作から好きで、編集長から私が担当しろといわれて、驚きつつも先生がいい作品を生み出すために役に立つことができればと思いました・・・・でも、まさか編集長から部屋の掃除と先生の日常生活の世話まで頼まれるとは思わなかったです」
思わず謝ると、もう慣れましたからと笑われてしまった。そんな彼女の笑顔をいつも見たいと思った。願わくば、俺の隣でずっと。
だけど彼女が結婚すると聞いて、俺はあきらめようとしていたが状況が変わった。
「豆大福を食うか、思い出し笑いをやめるかどっちかにしてくれないか。あー気持ち悪い」
「俺は思い出し笑いなんてしてませんよ」
「いーや、してた。・・・・お前のことが好きで心配だからメールをくれとか言えばよかったのに。このヘタレ。竹倉は神谷先生って意外と心配性だなーくらいしか思ってないぞ」
「うるさいですよ、森川先輩」
「はいはい。神谷先生はしょうがないねえ」
そういうと森川先輩は日本茶を飲んで、じゃあなと会社へ戻って行った。
俺はパソコンに向かうと飛行機の到着時間を調べ始めた。