【After the “On Deep Lake”/前編】
聖都イグニア:通常作品
『騎士長ジーク・ソルダートがアグリア軍に捕縛された。
救出せよ。ただし不可能な場合の処遇は、現場の判断に任せる』
団長補佐の密使からそう命じられたのは、やはりアグリアの捕虜になっていた上級騎士クロヴィスを救出し、その帰路についた直後のことだった。指名を受けたのはエリアスのみ。クロヴィス救出部隊の指揮官だった上級騎士イルは、そのままクロヴィスを護送するよう命じられた。
そして密使が去った後。
エリアスはいきなり、足が地面を離れるほどの勢いで胸ぐらをつかまれた。
『いいか。必ずあいつを助け出してこい。必ずだ』
イルの口調は静かだったが、思わず息を詰めるほどの迫力だった。
一瞬迷った。しかしすぐに思い至った。イルはジークとかなり親しいらしい。捕虜に取られたと聞いてここまで取り乱す程度には。
ならば、これは貸しを作る好機だ。
『わかりました。必ず』
以前から苦手意識のある上官に、恩のひとつも売っておいて損はない。
約束の言葉を口にしたのはそんな打算がほとんど唯一の理由で、守り通した理由も同様だった。騎士長奪還は、あくまで手段としてしか認識していなかった。――そのはず、だった。
* * *
「エリアス、ここにいたのか」
イグニアに帰還して後日。エリアスは訓練場へ行くところを呼び止められた。
歩いてくるイルの姿を認め瞬時に思考を巡らせる。ジークは救出後に一度昏倒したものの――負傷した体に無理やり強化を施した反動だったようだ――今は回復傾向と聞く。
ひとまず殴り倒される状況ではなさそうなので、素直に向き直った。
「はい。なんでしょう」
「これからヒマか? ならつきあえ」
「はい?」
「いいから来い」
有無を言わさずずんずんと前を歩き出すので、仕方なくあとをついて行く。そのまま騎士団の敷地を出た。向かうのは下町方面のようだ。
そして到着したのはさらに町はずれ、広い庭のある簡素な居所だった。
「邪魔するぞ」
「いらっしゃい。遅いご到着だな」
戸を開けて出迎えたのは、黒髪でしなやかな立ち居振る舞いの男。中級騎士ゾラ=ナダだ。エリアスは思わず半歩下がった。
「なんてな、今ちょうど準備が終わったところだ。――ようエリアス。来てくれたのは初めてだな。ここが俺の家だ」
イルほどではないにせよけっこうな長身を折り、ゾラ=ナダがのぞき込んできた。エリアスは「どうも」と曖昧に笑い返した。
実を言えばこの男、イルと同等以上に苦手な相手だった。兵舎ですれ違おうものならなぜか必ず絡まれる。しつこく食事に誘われたり意味もなく頭をなでられたりと、鬱陶しいことこのうえない。
「まあとにかく中に入れ。料理が冷める」
そんなことは承知の上とばかりにゾラ=ナダが灰色の眼を細め、無言のやりとりにまったく気づかない様子のイルがうなずいた。
「ああ」
「あの、待ってください。これは一体なんなんですか」
あわてて口をはさむ。わけがわからないまま引っぱり込まれてはかなわない。突然、ゾラ=ナダが思いきり噴いた。
「ひょっとして説明もなしに連れてきたのか? ひでぇな、そりゃあんまり舌足らずってもんだ!」
「……それもそうだな。すまん」
イルはちょっとあらぬ方を見やってから、ぽんと、エリアスの肩に手を置いた。
「先だっての詫びと、礼をしたい。エリアス。よくジークを助けてくれた」
手に力がこもる。熱を帯びた群青の瞳に戸惑い、エリアスはふいと目をそらした。
「そういうことでしたら、アルシオさんを呼んでいただいた方が」
「アルにも声はかけた。今日は忙しいらしい。あいつにはまた後日」
「まあまあ。感謝は素直に受け取っておくもんだ。っつーかなお前ら……飯が冷めるってさっきから言ってるだろうが!」
ゾラ=ナダがするりと動いた。あっと思うまもなく屋内に押し込まれてとっさにたたらを踏む。なんとかこらえて顔を上げると、すでに三人の先客がテーブルについていた。
「イブキにカラリア? お前たちもいたのか」
「イルさんこんにちは。歌の練習に来たらお呼ばれしちゃいましたー」
笑顔で手を振ってきたくせっ毛の少年は、下級騎士のイブキだ。ということは、そのとなりの席で頬杖をついている変わった風貌の男がカラリアか。名は初めて知ったが、騎士団でイブキといっしょにいるのを見かけたことがある。クリーム色の髪に紫の瞳、そして一枚布を体に巻きつけただけという馴染みのない服装は、遠目に見ただけであっても簡単に忘れられるものではない。
そして最後の一人は。
「ジーク。待たせて悪かった」
イルが声をかけると、ゆったりした平服姿の騎士長は微笑と共に首を振った。
そののど元、蝶々結びの青いリボンが視界に入る。エリアスは軽く頭を振ってひらひらするものを強引に意識から閉め出した。のどにある傷を隠すためとは聞いているが、直視するには刺激が強すぎる。
「これで揃ったか。さあ主賓は座ってくれ。イブキ、料理を運ぶの手伝え」
「はーい」
ゾラ=ナダとイブキが奥から次々に料理の皿を持ってくる。その間にイルが指をさしたのでジークのとなりの席につく。その反対側にイルが座って、もう逃げられなくなった。
六人で楽に囲めるテーブル上がほぼ埋まる。その脇に酒樽が据えられると、ゾラ=ナダが宣言した。
「料理はまだまだ作れるからな。遠慮なく食ってくれ!」
それからはあっという間に無礼講になった。イブキとカラリアはすぐさま料理をつつき始め、両側からは湯気の立つ魚料理を取り分けた小皿に、木製の酒杯が回されてきた。どうしたものかとためらう目の前で、年長騎士三人はそろって杯を掲げ、ほぼ一息に飲み干した。
「……こうやってゆっくり飲むのは、久々だ」
「だな。このところやたらと忙しかった」
イルに同意したゾラ=ナダは、こくりとうなずいたジークに苦笑を向けた。
「旦那は特に大変だったみたいですね? 骨休めのつもりでゆっくりしてってくださいよ」
今度は首を横に振る。唸るような低い声は、喉を損傷しているジークの地声だ。
「俺だけ特に、ということは、ない。クロヴィスも、お前も、そう、だったろう」
「ははっ……相変わらず大きい方だ。本音を言えばここに坊っちゃ――クロヴィスも呼びたかったんですがね。あいにくと今日はふられちまった。そういやアルといっしょだったみてぇだが」
「あ、すいません騎士長。そこの魚、ちょっと取っていただけませんか?」
ひたすら食べまくる二人と年長三人の会話を所在なく眺めながら、エリアスは酒杯をさりげなく奥へ押しやった。すると横からイルの声が飛んできた。
「酒は苦手だったか?」
「……すみません。あまり得意な方では」
「それは残念だ。割といいのを見繕ってきたんだが」
「はいっ、僕は飲みます、ください」
「わしもわしもー」
すかさず立ち上がったのはイブキとカラリアだ。「お前らは飲みすぎるなよ」と笑いながらゾラ=ナダが注いでやる。
「飯はどうだ。こいつのは下手な店よりうまいぞ」
重ねてイルが言ったのと同時に、ジークが別の小皿をそっとすべらせてきた。火を通した野菜にとろみをつけてあるようだ。ふわりと湯気が立ち、鼻先をくすぐった。
「ありがとう……ございます」
ここまでされて食べないわけにもいかない。観念して木のスプーンを取る。白い固まりを転がし口に運ぶところまでを注目されて、なんとも居心地が悪い。
が。
「!」
「お。旨いか?」
普段は食事の味などあまり気にしない。空腹が満たされればそれでいいと思っている。
だから、初めてだった。目の前のものをもう少しほしいと思ったのは。
「……おいしいです」
「そりゃよかった。作ったかいがあったってもんだ。あとはどれだ? 好きなものはあるか?」
「はいはいはいっ、僕もエリアスさんに質問したいことがありますー!」
イブキがぱんぱんと平手で机をたたいた。酔い始めているのかほんのりと頬が赤い。エリアスは即座に、記憶の中にある彼の情報を探った。聞かれるとしたらどんなことか、どう答えるのが最善か。ある程度の予測はたてておきたい。
イブキ・ムンドリー。まだ騎士団に入り立ての下級騎士だ。どちらかといえば武よりも音楽の才に長け、さまざまな楽器を弾きこなすという。加えて見ていた限りでは素直で物怖じしない性格のようだ。
そして、これはおそらくだが。いっしょにいるカラリアの正体は――
「なんですか?」
「あ、急にすいません。僕はイブキといいます。訓練では時々お世話になってます」
「覚えていますのでご心配なく。質問をどうぞ」
それでは、と前置きして、イブキは小首をかしげた。
「噂を聞いて、気になってたことがあるんです。エリアスさんはドラゴンが嫌いって本当ですか? 本当なら、それってどうしてなんですか?」
ぶ、とゾラ=ナダが酒を噴きかけた。ジークとイルの興味深げな視線が向いたのがわかる。カラリアも同様だ。
エリアスは微笑を浮かべた。その質問ならば想定の範囲内だ。
「嫌いというか、苦手、ですかね。僕は以前、住んでいた町をアグリアのドラゴンに焼かれて、両親と妹を失っていますので。特に珍しくもない話ですけれど」
「! そうだったんですか」
「『苦手』か。ふむ。本当にそれだけなのかな?」
初めてカラリアが口を開いた。紫の眼を細め、年齢不詳な顔にどこか挑戦的な表情を浮かべる。
「わし、みんなとよく騎士達の話をするんだけど――まあ主に自分とこのパートナーの話なんだけど、とにかく君の話だけはほとんど聞かないんだよね。若いのやちっこいのなんかむしろ君をこわがってるみたいだし。それってなんでだろうね?」
「……それは竜舎のドラゴンの話でしょうか? あなたの『お仲間』の?」
さりげなく問い返せば、カラリアはあっさりうなずいた。
「そうかと思えば、わしがドラゴンと知って普通に話してるしね。本当に不思議だなーおもしろいなー君って」
――ドラゴンの『人化』。魔力の高いドラゴンの中には、我が身を人に似せて化けるものがある。
知識としては知っていた。が、カラリアもやはりそれだったかと納得する一方、実感としてはわいてこなかった。そして自分でも意外だったことは、『ヒト』の範疇から明らかにはずれた姿を目のあたりにしても、あの巨躯を前にしたときのようには感情が揺らがなかったことだ。その理由については、また後ででも分析してみる必要がありそうだった。
「ああそうだ! イブキ! そろそろいつものをやってくれないか!」
今度はゾラ=ナダが割り込んだ。イブキの質問の辺りから頭を抱えている風だったので、お人好しな気遣いのつもりだろう。エリアスもこれ以上の問答は面倒だったからありがたく便乗する。
「いつもの、とは?」
「あれ、いいんですかやっても?」
「せっかくだ。盛り上げてくれ」
「そういうことならわしもやるぞー」
二人は喜々として足下から楽器をとりだした。町でもよく見かける弦つきの楽器はリュートというものだったか。椅子をうしろへずらし、ぽろろと軽く調整をしてから、まずはイブキが軽快な旋律を奏で始めた。そこへすぐにカラリアが和して、異なる旋律を絡ませる。やがてイブキが歌い出す。のびのびと響く歌声の合間にイルがつぶやいた。
「いい声だ」
騎士団では聞いたことのないような穏やかさだった。少し驚いて横を見ると、普段は鉄仮面のような表情も心持ちやわらかい。逆隣では、ほっと息を吐いたゾラ=ナダを見てジークがひそやかに笑っている。
そんな中、エリアスはふと考えた。
ここは、どこだ――?
まるで自身だけが透明な箱の中に隔離されたような感覚だった。
その外にあるのは果たして現実なのか。もしかして夢か幻なのではないかと、わけもなくそんな錯覚にとらわれる。――単純に、部屋を漂うアルコールの匂いのせいかもしれなかったが。
「ゾラ。たのむ」
「ん。旦那ももう一杯どうです?」
しかしそれにしては、年長三人には酔った気配がまるでない。ゾラ=ナダが足して回る端から飲み干されていくのは、酒、なのだろうか。
「飲んで、みるか」
ついぼんやりと眺めていると、ジークと目が合ってしまった。さしだされた酒杯を反射的に受け取る。若干の興味から口元へ近づけると、思ったほどきつい香りもない。
好奇心に負けた。エリアスは一口、澄んだ琥珀色の液体をのどに流し込んだ。
「……、っ!?」
衝撃は一拍遅れてやってきた。灼けつくような熱がのどを駆け上がってくるのと同時に、世界がぐらりと傾いた。
傾いたのが自分の方だったと、理解したのは後のこと。
「は!? 旦那いったい何飲ませ……あーこれ、よりによって一番強い…………」
あわてたようなゾラ=ナダの声を最後に、ふつりと、意識がとぎれた。
* * *
【一部キャラクターをお借りしています】