【On Deep Lake /後編】
聖都イグニア:イベント
8/24診断結果『【上陸戦】[圧勝]手当て、長期戦、偽装』
どう考えたところで、妙だった。
増援到着予定日を迎えたエドワルドは、目覚めたときからそんなことを思っていた。
イグニア側の動きがなさすぎる。斥候の報告を聞いても、一隊がフィアフィル中腹に留まったまま動かないとそればかりだった。
それともあれは囮だというのか。実際は別の隊が移送の途中を狙ってくるのだろうか。しかしながらここから軍都へ至る路の周辺はすでにアグリアが固めており、そのような動きがあればすぐに伝わってくるはずだ。エリアスの話とも反する。鵜呑みにしたわけではないが、各地で戦端が開かれている以上、この場所に多くの兵を裂く余裕があるかどうかは疑わしい。
――エリアス自身は?
エドワルドは当初から、エリアスが本当に亡命を望んでいるのかと疑っていた。それでも、外部と接触しない限りは何もできまいと、泳がせつつ観察してきた。
妙な行動は多かった。しかしイグニア側と連絡をとり得るものではなかったはずだ。
強いて上げるならやたらと『笛』にこだわるのが気にかかったが、まさか、というところだ。光と違って音は散る。泉を越えた向こうにいるイグニア軍が、識別などできるはずもない。
「……さて……」
いずれにせよ、夜に増員を迎え入れることだけは決定事項だった。人数が増えるからにはそれなりの準備が要る。それがまず先決と、頭を切り換えることにした。
そろそろ時刻は朝より昼に近い。じきにフィアフィルから太陽が姿を見せる頃だ。
これからまず、すべきことは――
「てっ、敵襲――――――――!!」
悲鳴にも似た声が聞こえたのはその時だった。
エドワルドは執務室を飛び出した。各所に設置されているのぞき穴から、まずはフィアフィルの方角を窺う。
その光景に目を疑った。
「なんだ……あれは」
東の空を、太陽を背にドラゴンたちがやってくる。
その影はざっと80ほど。想定した最大数の、倍を超える数だった。
* * *
「どうした! 何があったぁ!!」
ルース上級騎士が、立入禁止の中間階の階段から転がり出ていった。エリアスは周囲に人の目がないことを確認しながら同じ階段にすべりこんだ。
予想通りだった。その廊下には鉄製の扉が並んでいた。地下スペースがないこの砦では、人の出入りのある地階でも攻撃拠点の上階でもなく、この中階に捕虜が収容されているということだ。
ジークはすぐに見つかった。監視室らしき部屋のすぐとなりだ。騎士長、と呼びかけるとわずかに反応があった。
もともと独房の扉は開かないものと想定していたが、不用心なことに――こちらにとっては幸いなことに――鍵は監視室に置きざりにされていた。エリアスはジークに駆け寄った。昨日のうちにマギーからかすめとっておいたナイフで縄と猿轡を断ち切った。
「動けますか」
ジークは弱々しい笑顔でエリアスを見て、己の脚に視線を落とした。痛めているのかもしれない。ならば取るべきは最終手段だけだ。
「騎士長……まずはボクを信用してくださったこと、感謝します」
傷の手当てをした時。一連の行動が救出作戦であると、エリアスはなんとか伝えようとした。言葉は使えなかった。だからエドワルドから見えない位置で、ジークの胸に『作戦』と文字を書いた。
そしてジークはあの状態だったにも関わらず、こちらの意図に気づき、応えてくれた。
「今は陽動のドラゴンが出ています。本隊の方も――」
ちょうどその時。砦全体を激しい揺れが襲った。何か巨大なものが体当たりしたような衝撃だった。エリアスはふっと口元をゆるめた。
「そろそろ来るはずです。ここからはちょっとした賭けになりますが」
ゲアマーテルの鱗を取り出した。小さな明かり取りの前に立ち、呼気の続く限り、音を放った。
それがとぎれると、すぐに鱗をしまってナイフを握り直す。この狭いスペースであれば充分な武器になるはずだった。ただし問題は、あの音を聞きつけてどれほどの敵がくるかということで。
「可能な限りはお守りします」
宣言したところへ、廊下を足音が近づいてきた。5人、か。
その姿を確認するより先に強化魔法を唱える。
『ウィレース・ヴェロキタス・バルバロス・ダ・リートゥス!』
ぐんっと全身に負荷がかかった。強化とは己の身体を認識するところから始まり、すべての細胞を支配下に置いて操る術なのだと、エリアスはそう理解している。
熱が廻る。あふれ出しそうになるものをなだめつつ目を上げる。と、先頭の男と目が合った。
苦々しく、しかしどこか楽しげに笑っていたのは、他でもないエドワルドだった。
「やってくれましたね……エリアス=キルラッシュ」
パンッと鞭を鳴らした彼の横を4人の騎士が固める。その中には信じられないという顔のマギーもいた。
「最高ですよ。砦は混乱の極みだ。いったいイグニアのどこにあれほどのドラゴンが? かき集めて総動員でもしたのですか?」
「さあ。どうでしょう」
エリアスは薄く笑い返した。
タネはある。しかしここで教えてやる義理もない。せいぜい頭をなやませればいい。
そこで急に、エドワルドの笑みが消えた。
「しかし、あなた方の目的がジーク・ソルダートである以上、本命はいずれここへ来るはずだ。逃がしませんよ――給金に響きますので」
エリアスはなお笑顔のまま、独房の入り口をふさぐように立ち、ナイフを前方に掲げた。
「ボクもボクで事情があります。ここを通すわけにはいきません」
「……。そうですか」
エドワルドが長い革鞭を振り上げた。蛇のようにしなり、一瞬のうちにエリアスの首を捉える。とっさに左手を入れて凌いだものの、間髪入れず他の4人が動いた。
大ぶりのナイフが、短剣が、次々に狙いをつけてくる。幸い部屋の入り口付近という狭い場所なので一度で受けるべき手数は限られる。ただ厄介なのが左手を封じられていることと、敵の連携が思いのほかよくとれていて間断なく斬撃がくることだ。
隙を見て鞭だけでも断ち切ろうと試みるが、それだけの余裕もなかなかもらえない。
――まだ、か。
腕と、脇腹。浅く斬られた。強化中にそれほどの痛みはこないが、あまり長引けば魔法の持続が難しくなる。
――まだか。まだか――
「っ!」
不意にぐんと鞭を引かれ、体勢が崩れた。斬られると覚悟してぐっと歯を噛みしめる。
その時。
『禮! 禮! 體! 禮! 禮!!』
獣のような咆吼が響いた。と思うや、独房の壁がはじけ飛んだ。
その勢いのまま飛び出したジークが、男の一人の頭をつかんで反対の壁にたたきつけた。その手から短剣を奪い、返す動きでマギーののどを掻き切る。満身創痍とは思えない身のこなしだった。
「! 騎士長」
エドワルドがジークに気を取られた隙に、エリアスはナイフで鞭を切り払った。
それはちょうど、奥の独房の壁が赤く染まり、膨張を始めたときでもあった。
「エリアス、ここなの!?」
「いらっしゃいますか騎士長!!」
どっと外壁が崩れた。そこに二頭のドラゴンの影を認め、エリアスは叫ぶ。
「外へ!!」
待ちなさい、とエドワルドが上げた声にはもう構わない。
ジークと共に壁の穴から外へと飛んだ。待っていたのはゲアマーテルと、ジークのパートナードラゴンのナハルルだ。小柄な体格ながら、ナハルルはうまく二人を受け止めてくれた。一瞬身体が沈んだもののゲアマーテルがそれを励ました。
「ナハルル、がんばれるわね?」
ゴァ、と声を上げ、ナハルルが体勢を立て直す。すぐさま二頭は身をひるがえした。ゲアマーテルが空に向けて高く啼く。それが撤退の合図だった。
「ジーク騎士長――よくご無事で!!」
フィアフィルに待機していた部隊の隊長、上級騎士アルシオが、ゲアマーテルの背から潤んだ目をジークに向けた。ジークが小さく手を上げる。ナハルルが興奮気味に二度、三度と吼えた。まるで勝利の雄叫びのようだった。
「援護ありがとうございました、アルシオさん」
「エリアス、君も! あんな危険な役割をよく果たしたものだ……!」
「そちらこそさすがです。あなたの『耳』があってこそのこの作戦でしたから」
「その通りよ騎士アルシオ。フィアフィルの同胞の説得も、きっとあなただからこそできたの。ありがとう、エリアスを信じてくれて」
ゲアマーテルが飛行しながら頭を下げた。
しかしそこで、アルシオはきょとんと目を見開いた。
「エリアスを? って、どういうことですか?」
「……ゲアマーテルに伝えてもらった救出作戦は、ボクが考えたものです」
「……え? 団長からの指令じゃなくて!?」
「あらごめんなさい。それをまだ伝えていなかったかしらね?」
飄々と言い放ったあたり、ゲアマーテルも意外に食わせものだった。エリアスは思わず軽く噴きだしてしまった。
* * *
――ボクは亡命を装って砦に潜入します。それで中を探っている間にふたつほど、平行して準備しておいてほしいことがあるんです。
ウォルプタースで別れる前。エリアスはゲアマーテルに、アルシオへの伝言を託した。
――ひとつはフィアフィルのドラゴンを説得して、陽動役に仕立てること。先の戦いではジーク騎士長の隊が幼体を助けたと聞いています。それが交渉材料になるはずです。砦上空を飛ぶだけ、姿を見せるだけでいい。とにかく数をそろえて、時が来たら一斉に飛ばせるんです。その時に、どのドラゴンでもいい、一撃だけは攻撃を加えてください。そうすれば見せかけだけの囮と気づかれるまでの時間を稼ぐことができます。
――もうひとつは砦内からの合図を聞き取ってもらうこと。通常使う光での交信は、見られた時点で偽装がばれる。だから『音』で代用します。以前他の騎士が遊び半分で吹いていたドラゴンの鱗の笛……あの音はかなり遠くへ響くようです。アルシオさんなら、それを聞き分けてくださるはずです。
アルシオはかつての傷が元で目がよく見えず、代わりに並はずれた聴力を持っている。だから彼が控えていると聞いて、それに賭けることにした。
その点に関しては分は悪くないと踏んでいた。事実彼は『音』で指示した通りのタイミングで陽動を仕掛けてくれた。
「すみませんでした、アルシオさん。怒っていますか?」
先ほどからアルシオはずっと黙っている。半分はゲアマーテルのせいという気もするのだが、もしかして殴られるくらいのことはあるだろうか。
そんなことを考えつつ声をかけると、アルシオはようやく口を開いた。
「いや。怒ってるわけじゃない」
「本当ですか」
「結果的に騎士長は戻られた。それに私も、あれほどたくさんのドラゴンたちと共に飛ぶことができた。充分だよ」
ただし、とアルシオはエリアスを軽くにらんできた。
「あとでヴェルのところへあいさつにくること! 水中から砦に攻撃を加える役はヴェルがやってくれたんだ。いいか、絶対だぞ!」
「ヴェル……あなたのパートナードラゴンですか」
それはエリアスにも意外だった。齢80の水辺ドラゴン、ローヴェルは、前線に出るよりも戦局分析など後方支援に徹していることが多い。それが出てきたとあれば、確かに礼くらいはしておいていいだろう。
「わかりました。あとで必ず」
うなずくと、アルシオは満足げに目を細めて空を見上げた。自他共に認めるドラゴン愛を誇る彼のこと。ドラゴンが空を覆ったあの光景でも思い返しているのかもしれなかった。
「……エリ、アス」
なんの気もなしにアルシオを眺めていたところへ、獣の唸るような声が聞こえた。
目を移せばジークの笑顔にぶつかった。先の戦闘時とのギャップに一瞬ぎょっとするが、そういえば彼は、平時にはいっそ影が薄いほどに穏やかなのだった。
「ありがとう」
「いえ、そんな。ボクはただ――」
「ありがとう」
なぜかくしゃくしゃと頭をなでられた。どう対応するべきかと迷っているうちに、フィアフィルの尾根を越えた。
「ただ……イルさんにたのまれただけです」
そうっと手をどけながら言い訳のようにつぶやくと、ジークは少し目を見開き、うなずいた。
アルシオが叫んだ。
「下りよう! 救護班がこの近くに来ているはずだ!」
ナハルルがひときわ大きく啼いた。二頭のドラゴンは、ゆるやかに円を描きながら降下を始めた。
END
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