【On Deep Lake /前編】
聖都イグニア:イベント
8/24診断結果『【上陸戦】[圧勝]手当て、長期戦、偽装』
出撃命令は突然だった。エリアスはそれに伴い、急遽、霊峰フィアフィルへ単騎で向かうことになった。場所はアグリア領のある西側の峰の一画だ。
団長補佐から派遣されてきた伝令によれば、アルシオ上級騎士の隊がそこに留まっているという。アグリアの中隊と一戦交えたのち撤退したそのままに。まずは彼らと合流せよとのことだった。
しかし、先のその一戦というのが問題だった。
元をただせば、フィアフィルから複数のドラゴンの幼体が連れ去られ、そのふもとの街に一時留め置かれているという情報が発端だった。イグニアはすぐに部隊を派遣した。指揮を執ったのはジーク騎士長だ。作戦自体は成功し、ドラゴンの幼体すべてを保護することができたという。が――
「クロヴィスさんに続いて……まさかジーク騎士長までとは」
ドラゴンの背に伏せながら、誰にともなくエリアスはつぶやいた。
それほど大きな声ではなかった。加えてパートナードラゴンのゲアマーテルは、目的地に向けて相当なスピードで飛行中だ。それでも聞こえたらしく、深紅の眼がちらりとこちらへ向けられた。
「もうじきフィアフィルに着くわ」
「わかりました。……いや」
エリアスは目を閉じた。
「少し、待ってください。もう少し……」
――騎士長ジーク・ソルダートが、アグリア側に捕らえられた。
その報はエリアスと、その場の責任者イルだけに伝えられた。にわかに信じがたかったが伝令殿はくり返して告げた。
アグリア中央府へ移送されるまでにジーク騎士長を救出せよ。
もしそれがかなわぬ場合、対処は現場の判断に一任する――
「大した策もなしに送り出したあげく最終判断まで押しつけるか。意外とろくでもないな、イグニアの上層部も」
声には出さず、心の中で毒を吐く。しかし言っても仕方のないことだ。
頭の中をもう一度整理してから、エリアスはふっと息を吐いた。
「ゲアマーテル」
呼ぶと、飛行速度が少し落ちた。聞こえているのを確認し、エリアスは少し長めの言葉をかける。
思った通り、ゲアマーテルは絶句した後怒りの声を上げた。
「そんな!! あなた正気なの!?」
「もちろん」
「わたしは賛成できないわ――それもわかっているのでしょうけど!」
「そうですね。ボクの中ではもう決定事項です」
自分を落ち着かせようとしたのか、ゲアマーテルはしばし、ゆるやかに円を描いて飛んだ。そうして不意にがくりとうなだれる。どうやら、納得してくれたようだ。
「もう少し先へ。ウォルプタースのほとりに下りてください。そこからは歩きます」
返答はなかった。その代わり急激にスピードが上がった。
霊峰フィアフィルの西側の麓には、広大な泉が存在する。対岸がかすかにしか見えないほど広く、深く。湛える水は年間を通して凍えそうなほどに冷たい。
その泉の名が『ウォルプタース』。小規模ながら攻略困難な砦を擁するアグリア軍の拠点のひとつだ。
「……この辺りが良さそうですね」
ゲアマーテルは泉の岸辺に着陸した。そこから暁暗に目を凝らせば、向こう岸に黒々とそびえ立つ影が見える。
方角を確認し、そちらへ1歩踏み出してから、エリアスはふとパートナーを振り仰いだ。
「それでは。ここでお別れです」
ゲアマーテルは無言のまま翼を広げた。飛び立つまでは一瞬だった。
あっという間にその姿はフィアフィルの稜線に呑まれて消えた。
そのことには特に感慨もない。エリアスはその場に剣を置き、武器になりえるものをすべて捨てた。
極限まで身軽になって泉のほとりを小走りにたどる。日が昇り、やっとフィアフィルの尾根から姿を見せた頃。砦の門が見えてきた。
「おい! 何者だ、貴様!!」
泉西岸から伸びる跳ね橋が、砦へと至る唯一の手段だ。そこの護衛にあたっていた兵士達があっという間にエリアスを取り囲む。槍を突きつけられながら、エリアスはゆっくりと両手を上げ、武器も抵抗の意思もないことを強調した。
「警護お疲れさまです」
「何者だと聞いているんだ!!」
「ボクはエリアス=キルラッシュ。イグニア所属の中級騎士――でした」
「なっ……!!」
「あ、そこの方、すいません刺さないでください」
完全に色めき立ったアグリア兵達の中で、エリアスは少々おびえたそぶりを見せる。とにかく刺激を与えぬように。周囲が落ち着いた頃合いを見て、先を続けた。
「その。できれば、ここの責任者の方にお会いできないでしょうか? お話ししたいことがあるのですが」
「内容は!」
「……アグリアに亡命したいと考えています」
一瞬、時が止まった。
戸惑い。そして動揺したざわめきが広がっていく。
そっと両手を前に差しだして、エリアスはにこりと笑った。
「どうぞ。縛っていただいてかまいません。取り次ぎ、願えますでしょうか?」
* * *
入念に身体検査をされて後ろ手に縛られた後、思ったよりも簡単に砦の責任者との謁見が許された。その名をルース。上級騎士であるとだけ事前に知らされた。
「ふん……エリアスとかいったか、貴様」
数人の見張りと共に部屋に通され、一見したルース上級騎士の印象は「小物」だった。
割に歳のいっている神経質そうな男。『うだつの上がらない』という慣用句がぴったりだ。それよりもエリアスが気になったのは、男のうしろにたたずむ青年だった。
まっすぐ切りそろえられた白い髪、漆黒の瞳。凡庸な顔立ちで異様に線が細いにも関わらず、得体の知れない凄みが感じられた。
「亡命を望んでいると聞いたがな。まずはわけを聞かせてもらおうか」
ルース上級騎士の視線は懐疑に満ちていた。エリアスは慎重に言葉を選んで口にした。
「一言で言うなら『失望』でしょうか。イグニア上層部の無能さに、腹立ちを越えてあきれ果てました。そんな連中の下では戦いたくない。それが理由です」
「ほう?」
「直近の作戦で、立て続けに指揮官が捕らわれました。上級騎士に騎士長です。これを無能と言わずしてなんなのでしょう」
エリアスはそこで、わざと息を継いだ。
「しかもそのうちの1人……ここへ移送されたらしいと聞き及んでいます」
ピリリと緊張が走った。ルース上級騎士殿は見る間に顔を赤黒く染めて怒鳴った。
「どこから!! どうやってそれを知った!!」
「ボクは上から知らされただけです。おそらく、たまたま耳の早い者がいたのではないかと。心当たりもあります」
「その心当たりについて、もう少し詳しく話してもらえますか」
上官より早く口をはさんだのは白髪の青年だった。
エリアスと目が合った。彼は眼を細め、笑みのような表情を作った。
「私はエドワルド・ヴェルモント。中級騎士です。有益な情報は歓迎しますよ、エリアス殿」
「ありがとうございます、エドワルドさん」
エリアスはエドワルドに笑い返した。そうして一応の礼儀から、ルース上級騎士に再び視線を戻す。
「フィアフィルではすでに、ジーク・ソルダート奪還のための部隊が潜伏しています。ボクは元々そこへ合流するはずでした。指揮官はアルシオ・コルノーディス。情報収集力に優れますが、戦闘能力はそれほど高くありません。だからこそ、上からも『夜襲』の指示がくだったのだと思います」
縛られたままなのですべて口頭での説明になる。煩わしくはあったが、縄をといてくれとも言えなかった。方々から突き刺さる視線には、まだ敵意が色濃い。
「『あちら』にとって幸運なことに、今は月がない時期です。夜陰に乗じ今日明日中には作戦を決行するはずでした。まずはドラゴンによる空中での陽動、実働隊は泉から小舟で接近、潜入せよ、と。もっともボクが離反したという報が伝われば、違う作戦を立て直してくるかもしれませんが」
「ふん」
ルースは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。たいそう自信があるようだった。
「いかな精鋭であろうと、我が砦を破れるはずがなかろう」
「ですが騎士長の奪還となれば、あちらも全力で食らいついてくるはずです」
「数日中には、彼奴の移送要員も含めた援軍も軍都から到着する。その間連中の侵入を食い止めればことは済む。造作もない」
「一応夜間警護は増員、牽制しましょう。警戒するに越したことはありません」
さりげなく口をはさんだエドワルドが視線を振り、兵の1人がさっと敬礼して部屋を出ていった。
エリアスは小さく息を吐いた。全方位から圧迫してくるような空気にさらされ続けるのは、さすがに堪える。
「それで……ボクは信用していただけたのでしょうか?」
これに関しては賭けでしかない。もはや用なしと斬り捨てられてもおかしくないのだ。
つかの間の静寂。
不意に、ルースがエドワルドをふり返った。
「連れてこい」
ゆるやかにうなずいて、エドワルドも退室した。何が連れてこられるとも聞かされないまましばしの時が過ぎた。
そして。
「……!!」
再び扉が開いたとき、目に入った姿に息を呑んだ。
2人の兵に両腕を支えられ、半ばひきずられるようにして。ぐったりと顔を伏せているが、『その人』だということはすぐにわかった。
「エリアス=キルラッシュ。アグリアに忠誠を誓うというならば、イグニアへの決別を示してもらおう」
ルースが無造作に何か投げてよこし、それは足下に落ちた。エドワルドがエリアスの縄をナイフで切る。ひとまずと拾い上げたものは、騎馬用の鞭だった。
「痛めつけろ」
いやな予感よりも早く、そう命じられた。
視界の端ではエドワルドがさりげなく抜剣の構えに入っていた。ここへきてなお高まる緊張感の中、エリアスは重い足取りで彼の前に立った。
両側の兵士が手を離した。力なく崩れ落ち、膝をついたその人に、エリアスはかわいた声を漏らす。
「ジーク、騎士長」
もちろん顔は知っている。のんびりと竜舎へ向かうところを見かけたこともある。同じ戦場に立ったことが一度だけ――その勇壮な戦いぶりを目にしたことも、一度だけ。
むしろこんな形で対峙している事実こそが悪い冗談のようだった。
今、うしろに回されたジークの両手は縄できつく戒められている。灰色の髪は砂埃に薄汚れ、あらわな上半身には無残に刻みつけられた痣と傷。憔悴しきって、自力で立つことも、顔を上げることさえままならないようだ。
「……。すみません」
エリアスはゆっくりと腕を上げる。ジークの肩が小さく揺れた。
恨み言は聞こえない。元より彼は喉の傷のために発声を不得手としているが、その上にしっかりと猿轡を噛まされていては、言葉など出るはずもなかった。
加えてその傷の具合から、エリアスは推測する。
これは情報を引き出すためというよりも、ただ戯れにいたぶられているのではないだろうか。
「どうした、早くやれ!!」
愉悦に満ちたルースの声で確信を得た。
同時にエリアスは勢いよく鞭を振り下ろした。
強い衝撃。こちらの手が痺れるようだった。肉を打つ音も苦痛にあえぐ息遣いも、何も聞こえないことにして、無心に手だけを動かし続ける。
と――
「そこまでです」
ぱしっと手首をつかまれた。それがエドワルドだと認識するまで、少し時間が必要だった。
「これ以上続けては死んでしまいます。こちらもそれは困ります」
「……あ」
無意識に呼吸を止めていたらしく、ひとたび肺に空気が入るととたんに息が上がった。背に冷たい汗がにじんでいる。それを見て、エドワルドが苦笑した。
「あなたもひどい顔色ですね」
「まあ良かろう。エリアス=キルラッシュ、貴殿を我が砦に迎えることを許可する」
どさり、と重たい音がした。視線を落とすとジークが横様に倒れている。
エリアスは鞭を床に放り捨てた。
「……手当を。させてもらえませんか。死なれては、困るのでしょう」
ルースを見返る。上級騎士殿はやや渋い顔をしたものの、否とはいわなかった。
「となりの部屋でやれ。エドワルド、見張っていろ」
「わかりました」
そんなやりとりを遠くに聞きながら、エリアスは静かに天井を仰ぎ、深く息を吐いた。
* * *
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