【碧の闇・2 ―反感―】
聖都イグニア:通常作品
イグニアの竜舎には、若い――というより幼いドラゴンも多い。おまけに歳は若くとも多くのものが10メートル超えの体躯を誇る。
そのせいで、あちこちの戦闘がひと段落した時期ともなれば常ににぎやかだった。
『タカラじーさまー! にっき、かけた! よんでー!』
8歳のアリアがタカラにせがんでいる。血統は異なるはずだが、最近のこの2頭は本当の祖父と孫のようだ。
『だからアリアよ、じい様ではないと何度……まあともかく見せてごらん』
『クロビス、もうすぐ来るの。そしたらみてもらうのー!』
同時に別の仕切からは、興奮気味のルフトの声が聞こえる。
『あ、ヴェルナー! 早く行こう! 早く飛ぼう! 速く!』
「はいはいはいはい」
「おう、ヴェルナー。お前たちはこれからか」
「イルさん。……今日はすれ違いのようですね」
竜舎を出ようとしていた騎士ヴェルナーと、セレスティンを連れて戻ってきた騎士イルとが、すれ違いざま視線を交わした。そしてルフトとセレスティンも、お互いを見合って火花を散らしたようだった。
「それではまたの機会に」
「ああ。またな」
騎士ヴェルナーとルフトが出ていった。二組のコンビの間に何かあったのか、ひどく好戦的な空気が残る。しかし悪意は感じられない。いいことだと思った。若い者は切磋琢磨することで良い関係を築くこともできる。
そんなことを無意識に分析しながら、ゲアマーテルはゆっくりと午睡のまどろみからさめつつあった。ぱちぱちと瞬き、小さくあくびをして――
「……いけない!」
一気に、覚醒した。
待ち人の声が聞こえたのはちょうどその時だった。
「ゲアマーテル。中ですか」
瞬間、しんと竜舎が静まりかえった。直後に聞こえたのは、ミーハーなノルニルがもらした歓喜のため息だけだった。
『エリアス様……!』
「ごめんなさい、エリアス。もうそんな時間ね」
ヒトの言葉で答えたゲアマーテルは、急いで身を起こす。不機嫌なうなり声がいくつか聞こえてくる。――こうなるだろうとわかっていたからいつも屋外で彼を迎えていたのに、今日はうっかり寝過ごしてしまった。
「ん? なんだ、どうした?」
居合わせた騎士イルが困惑気味に辺りを見回す。それに続いて、エリアスのうしろからも不思議そうな声が上がった。
「何かあったのか」
「あ、クロビスー!」
ぱたぱたと子犬がしっぽを振るような調子でアリアが叫んだ。しかしいつものように、パートナーである騎士クロヴィスのところへ飛んでいこうとはしない。
騎士クロヴィスは前へ出て、竜舎全体の様子をうかがってから、エリアスに目を向けた。
「……皆が君を見ているようだな」
対してエリアスは気にした様子もなく、やわらかい微笑を浮かべるばかりだった。
「そのようです」
「何かしたのか?」
「特に覚えはありませんが……」
「エリアス、外へ出ましょうか!」
ゲアマーテルは急いで促した。エリアスはうなずき、騎士クロヴィスに一礼すると、きびすを返して屋外へ向かう。
それを追う途中、騎士クロヴィスとすれ違った。
彼は何も言わずにこちらを見上げていた。ゲアマーテルも無言のまま、ただ会釈だけして、横を通り過ぎた。
* * *
いつものように大した会話もないまま、エリアスに体だけ拭いてもらった。
「それでは」とだけ言い残して去っていく背を見送り、竜舎内に戻ると、騎士クロヴィスがまだアリアにつかまっていた。
『あ、ギーばあさまだ! おかえり!』
両名がこちらに気づいたようだ。ゲアマーテルはのそのそとそちらへ歩み寄り、自分より少し大きな幼子を見上げた。
「何を話していたの、アリア?」
『クロビスに、バイオリンひいてっておねがいしてたー』
「もしかして無理を言っていたのではないの? あまりパートナーを困らせてはいけません。それはオトナのすることではないわ」
『えー』
「お返事は?」
『……はい……』
アリアはしゅんとうなだれた。その足下で、少しばかり疲れた様子の騎士クロヴィスが苦笑した。
「助かりました。今日はいつになく粘られていたもので」
「いえいえ、大したことでは」
『だってだってー! や、だったんだもーん!』
人間であれば大きくほほをふくらませているところだろうか。そんな様子を思わせる声音で――ドラゴンとしての言語ではあるが――アリアは訴えてきた。
『エリアスきてた。アリア、エリアス苦手! こわい! こわいから、クロビスのバイオリンがききたかったのー!』
「……それは」
「ゲアマーテル。アリアはなんと言っているのですか」
クロヴィスに問われた。ゲアマーテルはためらいつつも、聞いたままを人間の言葉に直して伝える。すると、クロヴィスは静かにうなずいた。
「彼は昔、火口ドラゴンを率いたアグリア軍に故郷を焼かれたと聞きました」
「わたしもそう聞いているわ。噂でだけれど」
「そのためにドラゴンを敬遠していたとも。それでもこのところは定期的にあなたを訪ねているようなので、少しは変わったのかと思っていたのですが。竜舎の皆の反応からすると、どうやら……」
ゲアマーテルは首を振った。あれはただ騎士アルシオに従った結果の行動だ。今でも『敬遠』という表現がぬるすぎる程度には、ドラゴンに向けられるエリアスの視線は、昏い。
それがわかっているから、ゲアマーテルとしては笑うしかなかった。
「エリアスの方から話しかけてくれたことさえ、まだ数えるほどしかないのよ。悲しいわ」
「――ああ、駄目だな。思えば彼とは、直接会話をした覚えがありません。思い浮かぶのは他の者の噂話ばかりです。幾度かは作戦を共にしたこともあったはずが」
「なかなか心の内を見せてくれないのよねぇ。誰に対してもそのようだけど」
ゲアマーテルは努めて明るく言った。逆にクロヴィスは、思案するように軽く眉を寄せた。
「良い傾向とは言えないようです。ドラゴンとの不和は、場合によっては戦場で致命的な事態を招きかねない」
言葉を切る。そうして再びゲアマーテルを見上げた。
「彼のことは気にかけておきましょう。私自信、彼に興味がわきました」
「!」
ありがとう――と、ゲアマーテルが言いかけたときだった。
「やー! クロビス、エリアスのとこ行っちゃやー!」
「あ、こら、アリ……うっ!」
アリアがクロヴィスにのしかかった。いかな上級騎士であろうと8メートルの巨体にかなうわけがない。押し倒されぺろぺろと舐められて、助けを求める悲鳴が響いた。
彼には悪いと思いつつ、ゲアマーテルは笑ってしまった。
そして同時に、うらやましくなった。
――アリアのように、せめてこんな風に、素直に甘えられたなら……
一瞬だけそう考えた。しかしすぐにうち消した。仮定の話など意味がない。
自分は待つだけだ。パートナーが自らの意思で心を開いてくれることを。
きっとその方が喜びも大きいからと、ゲアマーテルは内心で自分を励ました。
END
【一部キャラクターをお借りしています】
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