【紅の記憶・6 ―パートナー―】
聖都イグニア:通常作品
After The “Wheel of Fortune”by AMANE
聖都にほど近く、有数の水辺ドラゴンの繁殖地である水源――カースライド。
先の戦いでその一角には惨すぎるほどの爪痕が残り、アグリア軍の撤退後、イグニア騎士団はその事後処理に追われた。
処理のうちには水源に残された大量の遺骸の始末が含まれていた。ただでさえ湿度の高い土地だ。伝染病が発生する危険は高く、カースライド全体に広まっては目も当てられない。そのためしばらくの間、騎士団所属で炎を持つドラゴン達が駆り出された。
可能であれば遺骸の身元を確認し、イグニアもアグリアも、そしてそこに棲んでいたドラゴンも、かき集めては焼いて焼いて焼いて――
日を追うにつれ、出動を嫌がったり、途中で急に暴れ始めるドラゴンも出たという。ヒトの方にも心労は重くのしかかる。そんな中で、弱いながらブレスを持つゲアマーテルとそのパートナーのエリアスも、頻々とカースライドに出向いていた。
ひと月を超えるほどの時をかけて任務を終えた数日後。エリアスは丸一日の休暇を取って、竜舎を訪れた。
「ゲアマーテル。出ます」
舎内で体を小さく丸めていたゲアマーテルはぱちりと目を開き、首をもたげた。
「今日は訓練日だったかしら?」
「いえ。訓練ではありません」
「……? わかったわ」
不思議そうに言いつつのそりと起き上がる。――やはり、動作に精彩を欠いた。それを再確認しつつ鞍を置いて、いつも通りに騎乗する。
「どこへ行くの?」
「どこでも。あなたの行きたいところへ」
「……わたしの?」
よほど意外だったのだろう、声のトーンが上がった。
「いいの? お務めは?」
「今日は休養日にしました。このところ休む間もありませんでしたから」
「……本当にいいの?」
ゲアマーテルは大きく翼を広げた。喜んでいることがわかって、エリアスも苦笑した。
やはり、アルシオに相談して正解だったようだ。
――どうしたの? 君が相談なんて珍しいじゃないか。
任務の合間を縫ってアルシオを訪ねたのが三日前のこと。彼はわずかながら硬い表情で出迎えた。その前にこちらから声をかけたのがアグリコラでの上官の裏切り行為についてだったから、また何か深刻な事態を疑ったのかもしれない。
実際エリアスにとってはそこそこの重要事項だった。それを話すと、なぜか、まずはじめにきょとんとした顔をされた。
――ギーが?
――はい。どうするのが最善かと。
――そうか、カースライドだね……他のドラゴン達もだいぶ参ってるよ。ギーは何も言わないようだけど、やっぱり辛かったんだ……
そこで言葉を切って。アルシオは――笑った。
――よく気がついてくれたね。嬉しいよ、エリアス。
――パートナーの体調管理も仕事のうちと、アルシオさんからご指導いただきましたので。あの状態で戦場に出ることになれば支障が生じるのではないかと心配もありますし。
――なんかちょっと引っかかるけど、まあいいや。最善策を教えてあげよう。
――お願いします。
――君が、一緒に飛んであげることだよ。
アルシオは笑みをいたずらっぽいものに変え、迷わず言い切った。
――飛ぶ、とは。どこへ。
――どこでもいい。ただ飛ぶのでもいい。そうしたらギーはきっと元気になるよ。
絶対だ、と。
そんな些細なことでいいのかと半信半疑だったのだが、さすがは自他共に認めるドラゴン好き。覿面の効果があったようでほっとした。
ゲアマーテルは普段よりも軽く舞い上がった。手綱は握っているだけ。どこへ向かうのかと様子を窺っていると、眼下に続く風景は飽きるほどに見慣れたものだった。
見間違いや記憶違いでなければ、まっすぐにカースライドへ向かっている。もう任務の区切りはついたところだ。今さらどんな用があるのかと疑問を抱きつつ、行き先は任せたのだからと黙っておく。
ほどなくしてカースライドの、かつての戦地にたどり着いた。
焼けて干上がった泉の跡は緑の中にぽっかりとあいた穴のようだ。戦闘の後半から後始末が終わるまでの、「地獄だった」と誰もが口をそろえて表現するような有様からすれば、いくぶんかはましになったのだろうが。一切の命の気配なくひっそりと静まりかえる様もまた、別種の地獄に相違なかった。
「……降りるわ」
ゲアマーテルが降り立ったのは、かつての泉のほとりと思われる場所だ。赤茶けたぬかるみは不気味なほど粘りけが強い。ここにどれだけの命が吸われたのか――それを考えると、エリアスの表情も自然と硬くなった。
「ここでいいんですか」
「ええ。任務を離れたところで一度は来ておきたかったの」
なんのため、と問う前に、ゲアマーテルはエリアスを背に乗せたまま低く頭を垂れた。そうかと思うと今度は天空を仰ぎ、笛の音のような声を上げた。
高く低く移り変わる音色は、彼女が魔法を使う際に発するものと似ている。古より受け継がれてきたドラゴンの言葉だという。何を言っているかはまるでわからないが、意味するところはおぼろげながらわかる気がした。
死したものへの哀悼。ヒトが捧げる鎮魂の祈りのような。
奇しくもここから近い場所で、あのアグリアの女性騎士が歌に乗せたような――
「悲しい……」
ふと、ゲアマーテルがヒトの言葉でつぶやいた。
「戦いの度にたくさんの命が消えてしまう。そこからたくさんの悲しみが生まれると、わかっていても止められない。我々も結局は非力な存在だわ……」
「戦いは、嫌いですか」
「……好きとは言えないわね」
そうではないかという気がしていた。戦闘中、指示をきかないというわけでは決してないが、こと攻撃命令を出したときに、わずかな抵抗感が伝わってくることが多いのだ。
「それならなぜ、騎士団へ来たんです。元々あなたの故郷は戦火からは遠かった。あのまま留まっていれば、戦う必要などなかったはずでしょう」
――そろそろ、一年ほど前になるだろうか。
元ルマン隊の上官に連れられてイグニア領の山岳地帯に入ったことがあった。上官はパートナーを探しており、そこに棲むドラゴンの群に接近した。その中にいたのがゲアマーテルだった。
『あなた。名前は?』
先に声をかけたのはゲアマーテルの方だ。最初は相手にせずそのまま帰ったのだが、翌日彼女は騎士団にやってきた。
そうしてそのまま居座って、自分はエリアスのパートナーだと主張し続けた結果、最後には上から命が下った。自ら志願して戦いに出る、成体のドラゴンは貴重だ。受け入れるべし、と。さすがにそれ以上拒むことはできずペアとなり、その後すぐに中級騎士に昇格し、離れることができなくなった。
そんなことを思い返していると、ゲアマーテルが首を回し、横顔を見せた。どうも驚いているようだった。
そういえば、彼女に対してこんな風に問いかけたのは初めてだったかもしれない。
「それは、あなたとパートナーだから。あなたが戦うのなら、わたしはそのそばであなたを守りたいの。それだけよ」
「……なぜ……ボクだったんです?」
あの時は上官を含め、他の騎士が何人か一緒だったのだ。それでも彼女は、迷わずにエリアスを選んだ。
なぜ、と、本当はずっと思っていた。
しかしゲアマーテルは、この問いには静かに首を振った。
「わからないわ」
「わからない?」
「理由はわたしの方が聞きたいくらい。でも、こういう表現が妥当かどうかわからないけれど、あなたに会ったときにわたしは――『運命に出会った』と感じたの」
――運命。
ドラゴンという種の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。さらに考え考え、ゲアマーテルは続ける。
「それで、共に行かなければならないという気持ちに……いえ、行かなければ後悔すると、その方が近いかしら。内なる声に抗えなかったのよ」
「そういうものですか。酔狂な話ですね」
幾分冷たい響きの混じった返答は本心だった。
生まれた地を離れ、望みもしない戦地へ赴き戦う。それほどの価値が、見返りが、一体どこにあるというのか。
と――ゲアマーテルが笑った。
「仕方がないわ。それが『パートナー』というもののようだから」
『運命』という言葉をそのまま置き換えたようなもの言いだった。やはり理解は及ばない。それでもひとつわかるのは、今後、少なくともしばらくの間は、彼女と戦場に立つ日々に変わりはないということ。
「もう少しだけ、ここにいてもいいかしら」
「どうぞ。好きなだけ」
「……ありがとう」
微かな風が吹き抜けた。いまなお残る血臭に顔をしかめつつ、ふと、自分の手がダガーの柄をしっかりと握っていたことに気づく。――目の前には、鱗に覆われた無防備な首がある。
エリアスは静かに、ゆっくりと息を吐き出した。やや強引にダガーから指をはがすと、自分を落ち着かせるように目を閉じた。
(続
【一部キャラクターをお借りしています】
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