【紅の記憶・4 ―恩人・前編―】
聖都イグニア:通常作品
また来る、と彼女が言ったことは覚えていた。それでも、こうも早い再会になるとは思わなかった。
「ジーク騎士長の了解は得ています。今日いっぱい、彼女のお相手をたのみます」
突然エリアスの前に彼女を連れてきたのはまたしてもクロヴィスだった。そしてアミンは、先日と違い七分丈のパンツ姿で――ロングスカートでは転ぶと学んだのだろう――期待するように赤の瞳を輝かせていた。
そういえば「また会いたい」とも言われた記憶があった。なぜ自分なのかと不審に思うが、すぐに聞ける雰囲気でもない。
これから受講を予定していた座学は、そう大した内容ではなかったはず。そのあとの予定は元々なかった。これはもう仕方がなさそうだった。
「拝命しました」
「よろしい」
「ありがとう、エリアス」
アミンがいそいそと歩み寄ってくる。クロヴィスがふっと笑んできびすを返したので、その背に敬礼してからアミンに向き直った。
「今日はどこをご案内しますか」
「……よければ食堂で、少しお話ししたいのだけど」
「それはかまいませんが」
そんなことで気が済むのだろうかと思いつつ、上目がちにこちらを窺っているアミンには、本当にそれ以上の望みはなさそうだった。
まっすぐ食堂へ移動すると、幸い席は空いていた。隣り合わせに腰を下ろせば、アミンは首を傾けて、下からエリアスの顔をのぞき込むようにした。
「聞いてもいいかしら」
「なんでしょう」
「生まれはどちら?」
「フィアフィルの麓です」
「いつから騎士団に?」
「入団は六年前になります」
「どうして……騎士になろうと思ったの?」
探るように問われてアミンを見返し、微笑と共に目をそらした。
少しの間を置いて、ゆっくりと言葉を落とす。
「――人を。探していました」
入団の面接を含め、まだ少数の人間にしか話していないことだった。大抵は理由を聞かれてもうやむやにごまかして、相手の勝手な想像に任せている。しかし彼女には、話しておいた方がいいように思えた。
「ボクの命の恩人です。アグリア軍の襲撃があった時に、あぶないところを助けられました。後になって、それがイグニア騎士団の誰かということまではわかったもので」
アミンが目を見開き、「そうだったの」とつぶやいた。――信じてくれたようだ。今の話は嘘ではないが、優先順位としては下位のものだ。
第一の理由は、とても公言できるようなものではない。
「探し人はどんな人だったの? 男性? 女性?」
「何分あの時はまだ子供で、ひどく混乱していたもので。男性だったとは思いますが」
「女性だったなら、少しは捜しやすかったかもしれないわね。イグニアでは女性騎士というとある程度限られるわ」
「ええ。そうかもしれません――」
言いながらふと思い出した。
もう少し近い過去のこと。もう一人の『恩人』と呼ぶべき人物。あれはほんの一年半ほど前だ。『彼女』の方は、今、どうしているだろうか。
「エリアス?」
「……実は、今はもう探すのをやめてしまっているんです。最初の一年で会えなかったので、もしかしたら……と」
「……あ……」
「誰であれ、いつどこでいなくなるか知れない状況ですから」
言うと、アミンはしゅんとなった。悪いことを聞いたかも、と顔に書いてあるので、エリアスはゆるやかに首を振った。
「それはボクにも、あなたにも言えることです。あなたは命を大事にしてくださいね、アミンさん」
これでもう、彼女が入団理由を聞いてくることはないだろう。アミンがこくこくとうなずくのを見て、エリアスはやわらかく微笑を返した。
* * *
カラン。
硬い音が響いて、エミリアはふり返った。
足下には刃を潰した短剣が転がっており、その持ち主らしき少年騎士があわてた様子で駆けてくる。
「す、すみませんっ」
「気をつけて。はいどうぞ」
ダガーを手渡し、落ちてきた黒髪を掻き上げながら、少年騎士が元の場所へ戻っていくのを見送った。すると剣術訓練の相手だったシェスティアがくるりと剣を回して首を傾けた。
「なぁにぃエミリア、変な顔しちゃって」
「え? そうかしら?」
「恋しい人のことでも思い出してるような顔だったわよぉ? だれだれ? 誰のこと想っちゃってたのぉ?」
「そ、そんなんじゃないわよ。ただちょっと、昔治療した患者さんを思いだしただけ」
「ホントにぃ?」
歳も近く仲がいいだけに、シェスティアの追求には容赦がない。ただ、さすがにこれを詳しく話すわけにはいかなかった。
――まだ生きてるのかしら、あの人……
ダガーを手にした青年。イグニアの――敵騎士団の所属で、あの時は確か下級騎士。
エミリアが彼と出会ったのは一年半前だ。今でも血臭と深い緑を思い起こさせる、ひどく印象深い邂逅だった。
◆ ◆ ◆
アグリア軍の小隊が、アリエーヌム森林に展開している。
その報がもたらされたのはほんの数日前だった。狙いは森林の先にある水源、そこに棲むドラゴンの卵か幼体と考えられた。
それを阻止すべく派遣されたイグニア軍の騎馬隊は、その大多数を例を見ない早さで進軍させた。馬が何頭か潰れたほどの強行軍だった。そして森林に到着すると、天幕の設営道具およびわずかな兵を残し、そのまま打って出た。上級騎士に上がったばかりの隊長殿が威勢よく宣ったためだ。
『アグリア本陣の場所はすでに割れているのだ。奴らがこちらの接近に気がつくよりも早く、奇襲攻撃を仕掛ける!!』
エリアスは設営担当班の所属だった。隊長を含む糧食運搬の後続隊が到着するまでに天幕を張っておく――というのが、本来の手はずだった。
「……!!」
まっ青な顔で悲鳴を上げかけた少女の口をふさぐ。落ち着け、と肩をたたく。
「声を立てないで。気づかれます」
唇だけを動かして伝える。そのすぐそばに、赤い飛沫が散った。背にした大樹と茂みの向こう側でどさりと人の倒れる気配。
不穏な気配に気づいてここに身をひそめてからほんの四半刻ほどだ。その間に本陣となるはずだった場所は壊滅した。およそ20人いたはず。それがもうエリアスと、エリアスより年若い二人の下級騎士しか残っていない。この場所に奇襲をかけてきたアグリア兵は、見えた限りたった数名だったというのに。
手際がよすぎる。最低でもこちらの動向は読まれていたということだろう。エリアスは軽く眉をひそめながら思いを巡らせた。
彼らは森林に展開していたはずのアグリア軍なのだろうか。しかしそれにしては本隊の気配がまるで感じられない。糧食や補給線狙いだとして、もっと人数を裂いてきてもいいのでは――
「まったく。なんて手ごたえのない連中だ」
不意に弦の震えるような低音が響いた。
そっとのぞき見れば、漆黒の火口ドラゴンが作りかけの天幕の間を悠々と闊歩していた。その背には体格のいい飴色の髪の男。洗練された所作や整った造作から上流階級の出かと思わせるが、人相はどことなく野卑だ。あまり関わらない方がいい種の人間と判断する。同時に、あまり協調性のあるタイプではなさそうだとも。
「エリアスさん……!」
これが初陣という少年が震え声を発した。どうすればいいのかわからないと目が訴える。エリアスは落ち着かせるように微笑して、視線で一点を示した。
夜に備えて準備した篝火の台が一本だけ残っている。幸い火も見える。その近くには、馬が一頭だけつながれていた。
「本隊・後続隊に襲撃を報せます。まずは篝火で信号煙を上げますが、万が一気づいてくれなくてはことです。二人はあの馬で後続隊へ報告に行ってください」
ゆっくり、口の動きだけで二人に伝えると、どちらも大きく目を見開いた。
「で、ですが、エリアスさんは」
「後から追いかけます。大丈夫、勝算はありますから」
馬は他にもいたはずなのだ。それをうまくつかまえれば逃げられる。
なんともいえない表情の二人に、エリアスは再度、笑いかけた。
「これは、命令です」
同じ下級騎士の三人しか残っていない以上、最年長のエリアスに指揮権がある。二人もそれはわかるのだろう。少女が、続いて少年がうなずいたので、二人の肩をぽんとたたいた。
「合図を出したら馬に向かって走ってください」
隠し縫いから赤い発煙丸薬を取りだし機をうかがう。どこか遠い場所から声がして、黒竜とその騎手が背を向けた。
もう少し。あと少し離れてくれれば――
「ハウエル君、シャロンさん。……無事で」
黒竜から視線を離さずにつぶやいた。茂みを出る。音を立てないよう慎重に移動しながら、途中で手を振って合図をした。
かすかな足音を聞きつつ篝火の下に到達する。少しだけ待って、馬の興奮気味な嘶きと同時に丸薬を火の中へ投げ込んだ。ぽ、と破裂音が響き、『敵軍来襲』を表す赤い煙が立ちのぼる。ちょうど、馬が高く啼いた。蹄の音がすぐに遠ざかる。ここまではうまくいっている。
「イグニア! まだ残っていたか!」
先ほどの声がどこか楽しげに叫び、足音が入り乱れた。エリアスは剣を抜き天幕の陰で姿勢を低くした。
すると否応なく、近くに転がる血まみれの白鎧が目に入った。無表情にそれを見やってからふいと顔を背ける。もう足音はすぐそこだ。
「馬が行った」
「逃がすな!」
気配からして先頭にドラゴンがいるはずだ。力を矯め、白い幕の向こうに影が映った瞬間、鋭く刃を突きだした。
ドラゴンの咆吼が轟いた。剣は過たず赤褐色の首に突き刺さっていた。
さっきのドラゴンではない――?
そのことにわずかに驚きながらも、さらに刃を押し込んで跳び離れる。ドラゴンはどっと倒れてのたうち、少しずつ、動きをにぶらせていった。
よく訓練されていたのだろう。襲撃の間に啼き声などまったく聞こえなかった。どうりでたやすく落とされたわけだ。そしてアグリア騎士の方は――四人。
「貴様、よくも!!」
騎乗していた騎士の憎々しげな顔を見る。その青眼と視線が合った途端、相手は憎悪よりも嫌悪の色を強めた。
「何を、笑っている……!」
それには応えずに腰のダガーを抜いた。彼の後ろから黒い体が現れる。その姿が、胸の内を震わせる。
自分がどんな表情をしているかなど知ったことか。
「気をつけろアラム。どうもまともな騎士ではないようだ。エンティエロ、シュトローマン。馬で逃げた方を追え」
「わかったよヴェレーノ」
今は唯一となった竜騎士、ヴェレーノの指令に、二人が動いた。それを見たエリアスはすっと息を吸う。
『ウィレース・ヴェロキタス・バルバロス・ダ・リートゥス』
自身に強化を施すや否や土を蹴る。
まっすぐに黒竜に突っ込む、と見せて左に折れ、赤毛の中級騎士に斬りつけた。残念ながら優先事項は『二人の下級騎士を逃がすこと』だ。もうしばらくはアグリアの連中をここに足止めしなければならない。
「て、てめぇっ」
ダガーは剣に弾かれ、わずかに赤毛の頬をかすめた。止まらず駆けて黒髪の巨漢の足下に飛び込む。大腿を浅く掻き切ってすぐに離脱。先ほどと違う天幕の裏側へ退避する。
「強化魔法か」
「下級騎士ごときが調子に乗りやがって!」
「いやいや。落ち着けシュトローマン。やっとおもしろそうなのが出てきたということじゃないか」
口々に言われているのを聞きながら、小さく「カルム」とつぶやき強化を解く。あまり長い時間継続させると反動が来る。細く息を吐き、先ほど遠目に見た馬の位置をもう一度確認した。
あと少し時間を稼いで、あの馬で隊長殿のいる後続隊と合流する。少なくとも後続はあの信号煙で進軍を止めたはずだ。本隊への新たな指示まではこちらで考えなくとも。
そこで思考を切る。うしろに跳び下がると同時に天幕の骨組みが戦斧の一撃で吹き飛んだ。その向こうから柄の短い投槍が飛来し革の肩当てをかすめる。衝撃はあったものの皮膚には届かない。それは無視して再び唱え始めた。
『ウィレース――』
「エリアスさん!」
突然、途中で割って入った声。思わずとぎれさせた呪文の合間にこちらへ走ってくる足音が聞こえる。
『……ヴェロキタス・バルバロス・ダ・リートゥス!』
声のした方へ駆ける。が、すでにアグリア兵も動いている。
姿が見えた。それは先刻逃がしたはずの下級騎士の少年だった。目が合うと、彼は強ばった表情のまま剣を抜きかけた。
「エリ……」
「なぜ戻った!!」
怒鳴りつけ、地を踏みつけた足を軸に急回転をかける。迫っていた黒髪の巨漢に牽制の斬撃。しかし平行するように赤毛の男が来る。そちらも止めなければ。
「な、なぜって、おひとりだけ残していくわけには!」
震えの混ざる返答に内心で舌打ちした。余計な騎士道精神など発揮してくれない方がよかった。
ともかくもう一度、彼を――
「青いな」
なぜか自らは動かぬまま、黒竜の背でヴェレーノが言った。
次の瞬間、右脚に衝撃を感じた。
「……くッ……!」
青眼の男の放った投槍が突き立っていた。じわりと赤が広がり、その後から、痺れるような痛みがついてきた。
◇ ◇ ◇
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