【静かな夕べ、揺らぐ夜明け】
聖都イグニア:通常作品
Before the “In Productive Mountain”
※犬井ハクさん作『静かな夕べ』エリアスサイドです。
「エリアス……なあなあ、エリアス!」
兵舎の廊下を歩いていたところ、急に柱の影から呼び止められた。同じルマン隊の中級騎士が三人。一様に興奮した様子なので、エリアスは小さく首をかしげた。
「どうしたんですか」
「あのさ、ずっと聞きたかったんだけどさ……あの二人って、結局のとこどうなんだ?」
『あの二人』が誰を指すのか、察した瞬間に笑顔で首を振った。
「知りません」
「知らないわけないだろ。このところよく呼ばれて行ってるじゃないか」
「知らないものは知りません」
「じゃあ聞いてきてくれよ! 気になって仕方ないんだよ! 前々から少し妙な感じだったけど、最近ますますべったりだからさあ」
彼らがそわそわと、何を気にしているのかといえば。
「仲がいい……っていうか、よすぎなんだよな。ゾラ=ナダさんとイルさんって」
エリアスにとっては頭痛の種である2人の関係についてだった。
身長182のゾラ=ナダと190のイル。並び立つだけで圧倒される二人は、まるで違うタイプだというのに、非常に親しく交わっている。無口でぶっきらぼうなイルを愛想のいいゾラ=ナダがフォローしているかと思えば、ゾラ=ナダの方でもイルにたよっている節がある。どんな経緯でそうなったのか、そしてもう少し下世話に、『どこまでの仲』なのか。その辺りが噂の種であることはエリアスも知っていた。
「前、宿舎の狭い風呂桶にいっしょに入ってたっていうし」
「よく揃って外泊して戻らないし」
「イルさんはイルさんで女に興味なさそうだし」
「やっぱさ。アレ、なのかな……?」
「みなさん」
軽く息を吐いてとりとめのない噂話を断ち切った。正直なところ、こうしている時間がもったいない。
「『あれ』が何を指しているかわかりませんが、聞きたければご自分で――」
「いたいた。今日はここだったか、エリアス」
びくりと無意識に肩が跳ねた。背後からは二人分の足音が聞こえる。ふり向くまでもなく、それがたった今話題に上っていた人物のものだとわかった。
「こんなところに集まって何をしている」
「なあ、今夜ウチに来ねぇか? 新鮮な食材が入ったんだ。来るだろ? 来るよな?」
「……はい。わかりました……」
「あんたらもどうだ。材料は足りてる、遠慮はいらねぇぞ」
ゾラ=ナダが気さくに声をかけるが、中級騎士達は裏返った声で辞退表明をした。
「い、いえ、僕達はっ」
「お邪魔するのは悪いので……!」
顔も手もぶんぶんと横に振りながら後じさり、最後は揃って脱兎のごとく駆け去っていく。彼らが何を考えたのかは想像に難くないが、本人達にはよくわかっていないらしい。
「なんだありゃ。逃げたよなぁ明らかに?」
「邪魔とはなんのことだ」
「いえ……気になさらない方がいいと思います」
どうせ気にするつもりもないだろうが、と内心で付け加え、エリアスは首をひねるイルとゾラ=ナダに向き直った。鬱陶しくてかなわなかったこの状況に、多少なりと慣れ始めている事実が恐ろしい。
「他に買い物は必要ですか」
「そういや調味料で切れかけてるのがあったな。途中バザールに寄ってくか」
一刻も早くここを離れたい。明日になれば自分も巻き込まれての噂がさらに広がっているのかもしれないが――
「やっぱ喜んで食ってくれる奴がいると、作り甲斐があるなあ」
屈託なく笑うゾラ=ナダの料理の腕は確かだ。
ひとまずは、食べて忘れることにした。
「よし。行くか」
さりげなく肩に置かれようとしたゾラ=ナダの手をこちらもさりげなくかわして。エリアスはふと、イルを見上げた。
「なんだ」
「……今日は余計なものを買わされないでください、イルさん」
八つ当たり気味の一言にイルがぐっと詰まった。意外というか案の定というか、商売人の押しに弱く、そのせいで寄る店ごとに様々な品を押しつけられているという自覚はあったようだ。そんなイルを慰めるようにゾラ=ナダがぽんと背をたたいた。
「まあ、その、人には向き不向きってもんがあるから」
「むう」
「そう拗ねるなって。今日はほら、また新しく考えた料理食わせてやるから」
「本当か」
たちまちイルが食いついて、ゾラ=ナダがさらに「よしよし」とイルの頭をなでた。それを横目に、エリアスはもうひとつため息をついた。
* * *
夕食を共にした日は、その流れで泊まりになることが多い。イルとゾラ=ナダは大抵遅くまで話し込んでいるのでエリアスは先に客間へ引き上げる。
そんなことが、もうこれで何度目だろう。
しんと冷えた月明かりが窓から差し込んで寝台にかかり、闇を四角く切り取っていた。そこから目を離して抱えた膝にひたいを押しつける。もう深夜を回ったはずだが、それでも眠れそうになかった。
よりによって。どうしてあの場面を見られたのか。
思い出すだけでも顔が熱くなり、さらに小さく身を縮めた。
遡って、半刻ほど前のこと――
まだ居間からの明かりは漏れているのに、話し声がやんだ。それに気づいて様子を見に行ったところ、床の上で、イルがゾラ=ナダの頭を抱え込むような体勢で寝こけていた。
あまりに無防備な寝姿だった。その様子は遊び疲れて眠ってしまったマリエルと変わらず、ただ視覚的には大柄な男二人で。なんいうか見ていられなくなり、仕方なくブランケットを持ってきたところへ、前触れなく声をかけられた。
『面倒をかけたようだな。すまぬ』
ふり返るとタカラがいた。彼はゾラ=ナダのパートナードラゴンで、カラリアと同じく人化の魔法を持っている。
人の姿のタカラはイル以上の巨躯であるにも関わらず、ヒトでないせいか気配をまったく感じさせない。声をかけられるまで部屋に入ってきたことさえ気づかなかった。驚いたあまり言葉も出ないまま、すぐに客間へ引き返してしまったのだが。
こうなるくらいなら放っておけばよかった。
今になって心底からそう思う。
「明日は演習もあるっていうのに……」
さすがに一睡もしないままではまずい。目を閉じ、意図して呼吸を深くした。空気が出入りする方に集中することで思考を遮断する。
余計なことは忘れろ。何も考えるな。
自身に強制しながら徐々に意識を落としかけ――ふと、また顔を上げた。
どこか遠くない場所から何か聞こえる。
唸り声、と、激しく咳き込むような。
「……ゾラ=ナダさん?」
何かあったのか。エリアスはすぐに気配のする方へ向かった。
「ん――エリアスか。どうした」
隣の客間の扉をそうっと開くなり、暗い中でイルの声がした。目を凝らしてみると、イルの方は寝台の上で上体を起こし傍らをじっと見ている。そこにいるのは、ゾラ=ナダのはず、だが。
丸めた背が震え、絶息するのではと危惧するほどの咳が続いた。驚いてそばに寄れば、困ったようなイルの視線が向けられた。
「ゾラは、時々こうなる」
「何か病気でも?」
「わからない。目を覚ませば治る。ゾラはいつも心配いらないと言うが」
咳の合間に押し殺した唸り声が漏れる。がちがちと歯が鳴るほどに震えている。普段の飄々としたゾラ=ナダからは想像できない有様だ。これで『心配ない』とは信じがたいが、それにしては、この場にタカラがいない。あれがゾラ=ナダを憎からず思っていることは常の言動から伝わって来るというのに。
――いても無駄、ということか。
だとすればこれは、もしかして。治療や薬で処置するような身体性の症状ではなく。
「精神性の症状、かもしれません」
そう考えるとしっくりくる。自分の経験とも、合致する。
「治らないんだろうか、これは」
「それは……原因がわからないことには。イルさんは以前にも、こうなったところを見たことがあるんですね。他に何か気がついたことはありませんでしたか」
「そうだな。前にうなされながら『親父殿』と言ったことがあった」
「そういえば弟さんがいるような話も聞きましたが、どちらも実際にお会いしたことはありませんね」
思えばそれも必ず過去形で語っていたような。今はもう、『いない』のかもしれない。だとしたらそれはなぜか。ゾラ=ナダの背にある拷問の痕とは、何か関係があるのだろうか――
「エリアスは、ゾラから聞いていないのか?」
考え込んでいたところに不意に聞かれ、一瞬、反応が遅れた。
「え?」
「お前なら何か知っているんじゃないかと思ったんだが」
「いえ、イルさんが知らないことを、ボクが知っているはずが」
「そうか。残念だ」
「……どうしてそう思われたんです?」
どんな名称で呼ばれるべきかはさておき、傍目にも無二と見える関係のイルとゾラ=ナダだ。そんな二人の間にもまだ明かされていない部分があったのかと、逆に驚きだった。
「ゾラはお前を特に気にかけているようだから」
「……そのようです」
「それだけだ。で、本当に知らないのか」
「残念ながら」
「なら仕方がない」
イルは大きく息を吐き、苦しげなゾラ=ナダの背に手を置いた。大きく無骨な手がゆっくりと優しげに動く。壊れ物でも扱うかのように。
「こうしていると多少ましになるらしい。エリアス、お前はもう寝たらどうだ」
「……いえ……」
「そうか? だったらそこに座れ」
もう眠ることはあきらめた。イルに促されるまま寝台の端に腰かける。
少しの間はゾラ=ナダの喘鳴だけが聞こえていた。それでも確かに、先刻より幾分かは和らいでいるようにも思えた。
「……ゾラは、お前のことを」
ぽつりと、口を開いたのはイルの方だった。
「『自分と似ている』と言う」
「ボクが? ゾラ=ナダさんと?」
「それで放っておけないそうだ。似ているのか、二人は」
こちらに聞かれても困る。そうは思いつつ一応考えてみることにする。
ゾラ=ナダの過去に何かがあったのは確かで、そこは共通点と言える。しかし長く戦争を続けているこの国で、家族を失っただの後ろ暗いことだの、そんな事情は珍しくもない。それに、現状の方はだいぶ違っている。
あんな風には笑えない。他人に優しくなどできない。
そんな余裕が、自分には、ない。
「違う……と、ボクは思っています。そもそも、ゾラ=ナダさんのことをよく知っているわけではありませんが」
イルがうなずいた。何を肯定したのかよくわからなかったが、ひとまず納得したような顔をして話を変える。
「ゲアマーテルとはうまくやっているか」
「ゲアマーテル、ですか。やっと騎乗に慣れてきたばかりなので、もう少し調整が必要そうです」
「時々演習を見かける。彼女はいい飛竜だ」
「指示をよくきいてくれます。あとはボクの技量です」
「まずは何度でも一緒に飛ぶといい。互いの癖がわかる。まずは理解することからだ」
「……善処します」
そんなことから始まって、ぽつぽつと、当たり障りのない話をする。その相手がイルというのは妙な感覚だった。半年前の自分はこんな光景など考えてもみなかったはずだ。
そうこうするうちに空は白んで。
やがて、ゾラ=ナダが目を覚ました。
* * *
「二人ともごめんな。みっともねぇとこ見せちまったなー」
簡単な朝食をてきぱきと用意してから、ゾラ=ナダが気恥ずかしげにそう言った。イルが即座に首を振り、エリアスも微笑で応える。
「いえ。少し驚きましたが」
「まぁ治るようなもんじゃねぇからな! なんとかつき合ってくしかねぇんだ。弱い部分は弱いまんまで、結局仕方ねぇ!」
ゾラ=ナダが明るく笑う。と――イルががたりと席を立った。
「ゾラ」
「ん」
「本当に大丈夫か」
言いながら、上からかぶさるようにゾラ=ナダを抱きしめた。ゾラ=ナダも手を伸ばし、イルの背を軽くたたく。
「いつものことだろ」
「しかし」
「大丈夫だって。……ああ、イルがいてくれると、やっぱほっとするな」
「……噂になるわけだ……」
思わず口に出してしまった。間髪入れず、二人が抱き合ったままでこちらを見た。
「噂とはなんだ?」
「いいえ。なんでもありません」
「なんでもないってことはねぇんじゃ」
「な ん で も あ り ま せ ん」
強めに言い切って、エリアスはにっこりと笑った。
「それよりいいんですか。そろそろ支度を始めませんと、全体演習に遅れるのでは」
「おっと、そうだった!」
あわただしく時が動き出した。卓の紅茶を飲み干してからエリアスも立ち上がった。
――見た目は色恋のような関係でも、やっぱり少し違うらしいな――
ふとそんなことが頭をよぎり、そんな自分に愕然とし、ろくに寝ていないからだと強引に結論づけてすべてを思考の外に追いやった。
END
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