【 Novus Vox 】
聖都イグニア:通常作品
他参加者様のキャラで過去小話を書かせていただきました。
ジーク・ソルダート
イル・バルセイン
9年前
「バルセイン。新参者を見張れ」
呼ばれたので来てみれば、開口一番、団長補佐はそう言った。
ここ数か月だけとっても新しく入団した騎士はそれなりに多い。しかし、わざわざ言われずとも、それが誰のことかという見当はついた。
「ジーク・ソルダートか」
「そうだ」
「見張っていればいいのか?」
「余計なことをしなければな」
「……。わかった」
「何かことが起きた場合は、いいな。報告の必要はない」
命に背く気などないが、イルは隠そうともせず眉根を寄せる。つまり、何かあった場合には報告せずとも斬って捨てろと、そう言いたいようだ。
「話は終わりか。なら俺は行くぞ」
止められなかったので勝手に部屋を出た。そこでさらに眉間のしわを深める。
ジーク・ソルダート――ドラゴンの卵たったひとつを抱え、アグリアから亡命してきた男。ふた月ほど前にイグニア騎士団の門をたたき、あらん限りのアグリアの情報と引き換えに入団を許されたという話だ。
それが本当ならば、おそらく向こうで何かがあったのだろうと察しはつく。が、それでも行為自体は『裏切り』だ。それは往々にして高い代償を伴う。
気は進まないものの、イルはともかく外へと向かう。ジークの灰色の髪を探しながら。
◆ ◆ ◆
兵舎の裏手の壁に、強く、背を押しつけられた。ぎりぎりと襟を締め上げてくるのは、体格はいいが自分より一回りほども若い青年だ。褐色の瞳が怒りと悲痛とを強烈に訴える。絞り出すように発した声も同様に。
「お前の……せいで、兄貴は……っ!」
「……」
いつでもジークは黙って聞くことしかできない。
戦場に立った回数などもはや覚えておらず、そこで斃した人間の数となれば、あまりに多すぎる。その中の誰かが彼の兄だったとして、覚えていようはずもなく。また逆に、彼の兄とて誰かを殺しているはず。戦場とはそういう場所だ。
しかしそんな論理は彼に通用するまい。自分が彼の立場だったとしても、理屈など握りつぶして吼えるだろう。
反論の言葉は持ち合わせない。それに――たとえ言葉があったとしても、今の自分には『声』がない。
「なんとか言ったらどうだ、アグリア!! 貴様には血も涙もないのか!!」
衝撃が脳を揺さぶる。じわりと血の味が広がった。続けてもう一発。
きっと彼には見えていないのだ。ジークの首の包帯も、染み出す赤も。この壊れた喉から出るのは、ろくに言葉として聞き取れない唸り声だけ。それで何を言ったとしても彼を苛立たせるばかりだろう。
わかっているから沈黙を守る。なにも大したことではない。
卵だけはどうにか守ることができた。
それ以上は望まない。望むべくも、ない――
「おい。何をしている」
不意に耳慣れない声がして、青年騎士の手が離れた。
「い、イル、さん」
「そんなことをしている暇があるのか。行け」
イルと呼ばれた方もそれなりに若く見えるが、徽章を見れば上級騎士だった。褐色の目を伏せた青年は、悔しげにその場を離れていった。
「……殴られるのが好きなのか」
切れた口の端をぬぐったところへそんなことを言われた。顔を上げ、えらく高い位置にある青い眼を見上げる。
それから黙って首を振った。
「そうか。その割にはよくやらせているな」
やられて、ではなく『やらせている』と表現する。そのことに思わず苦笑を漏らすと、イルは複雑そうに目を細めた。
「これからしばらく、俺から見える場所にいろ」
「?」
「それが一番面倒がない」
わざわざ護衛をかってでる、という雰囲気でもなかった。おそらく首輪の役でも命じられたか。
それならそれで構わない。もう、どうでもいい。
「何をしてる」
いつの間にか歩を進めていたイルが肩越しに振り向いた。早く来いと目が伝える。それから、ふと思い出したように口を開いた。
「卵を、持ってきたそうだな。本当か」
ジークはうなずく。すると、ほんのわずかながらイルの表情が変わった。
「どんなドラゴンの子だ。山脈ドラゴンか?」
――ナァダ。
手で口を覆う。喉の奥からぐっと込み上げたものを押さえつけ、無理やり息を吸い込んだ。
ナァダ。ナァダ。
お前の仔だけは、この命に代えても――
「答えたくないか」
少し残念そうな声にまた見上げると、イルはもう元の仏頂面だった。ジークに対してそれ以上の興味はないようだ。その反応は逆に新鮮だった。
無関心。今はそれくらいがありがたい。
彼が首輪ならば悪くはないと、皮肉ではなく、そう思えた。
◆ ◆ ◆
その、半年後。
初めてジークに出陣命令が下された。当然のようにイルも同じ戦場へ。
そこはあまりにひどい現場だった。
「ここはもう駄目だ!! 撤退するぞ!!」
フィアフィルにほど近い小さな町。住民の避難はどうにか間に合ったようだが、アグリアの猛攻にあってイグニア軍はすでに壊滅状態だった。上層部は何を思ったのか、そこへ中途半端に増派をかけたのだ。
兵数はさほど与えられなかった。完全に焼け石に水の状態で、大多数が失われるまで時間はかからなかった。
「他に――他には、生き残っている者はいないか!!」
イルは吼えて、大剣でアグリアの黒い鎧をなぎ払った。
冗談ではなかった。今イルの目の届く範囲に、味方はたった十人ほどしかいない。中には十代半ばの少年騎士も数人いて、完全に戦意を喪失し震えていた。
どこかに突破口は。ぐずぐずしていては囲まれる。
「イルさん……っ!」
「あきらめるな!! お前達だけは、必ず帰還させる!!」
焼けた建物の陰から、また黒鎧の一隊が現れる。イルが道の敷石を蹴ると、もう一人が従った。少し年長の上級騎士。にっとこちらに笑いかけて、イルよりも先に斬りこんだ。
それは下級騎士の少女が細い悲鳴を上げたのとほぼ同時だった。飛来した矢を、ジークは剣の一閃で払い落とした。しかし次々に射かけられて一人が肩を、別の一人が脚を貫かれる。
「い、いやだ……死にたくない……!!」
「落ち着け、こっちだ!!」
ここはいけない。見通しがよすぎて格好の的だ。パニックになりかかっている少年騎士をなだめながら、場に残っていた中級騎士の先導で建物の陰へ向かって走る。
途中――一人が、背を射られた。
「フリード!?」
「だめ、だ……止まるな!!」
彼は踏みとどまった。いまだ断続的に降り注ぐ矢の雨の中、その場で両腕を広げる。
「行け、ロベルト」
「……すまない!」
二人の中級騎士は、最後に目を見交わし、別れを告げた。
そうして当面安全だと思われる場所に滑り込んだ者は、とうとう八人にまで減っていた。
――もしかして、試されたのか――
呼吸を整えながらジークは思う。ふつふつと、内に怒りを湧き立たせながら。
この極限状態。もしも『裏切り者』が再び裏切るとしたら、これほど条件の整った場もないはず。それがかなわず死んだとしても、かえってイグニア陣営には都合がいい。上層部の思惑は、そんなところではないだろうか。
自分が疑われるのはいい。疑わないのは逆に愚かだ。
しかし許せないのは、多くの騎士を巻き添えにしたこと。しかも、こんなに若い騎士まで。
なぜだ。そんな必要があったのか。
「お前達――無事だったか!」
人の気配を感じた瞬間、ジークはそちらへ切っ先を向けた。が、駆け込んできたのはイル一人だった。イルの白銀の鎧は血にまみれ、青い瞳はぎらぎらと異様に輝いていた。
「お前の指示か。よくやってくれた、ロベルト」
「しかし、これからどうしたら」
「北だ」
イルはぐいと顔についた血を拭い、黒煙に霞む空を見上げた。
先に気がついたのはランドルフだった。半ばから折れた剣でアグリア兵と押し合いながら、ふと、視線を上に向けた。
『イル!!』
力任せにアグリア兵を押し返して胴を蹴り飛ばし、イルも空を仰いだ。
そこには細く立ち上る狼煙が見えた。あの色。
イグニア軍が近くに来ている。
もちろん罠という可能性もあるが、どの道このままでは全滅だ。
『ランドルフ、戻るぞ!!』
『……いや』
折れた刃先をアグリア兵の喉元に押し込み、相手の腰から剣を奪って。
『後をたのむ、イル』
振り返ったランドルフは、ごぼ、と血の塊を吐いた。その脇腹には短剣が埋まっていた。それでも戦意だけは衰えず、怒声と共に斬りかかってきた新手の剣を受けた。
イルはぎりりと歯噛みをしながら彼に背を向けた。
そして。
「おそらくだが援軍が来ている。そこまで抜けられれば、助かる」
残るはイルを含め九人。彼らをなんとしても生かしたい。そのためにはまず希望を。罠という可能性は、あえて伏せた。
「いいか。ここから生きて帰るぞ。全員でだ」
「……イルさん、俺は」
小さな声がした。脚に矢を受けた少年騎士だ。治療の道具などここにはない。矢羽を折ったきりで矢じりはいまだ肉に埋まっている。
ろくに歩けない、と彼は告げた。
「足手まといになります。お、俺のことは、もう……っ」
イルはきつく眉根を寄せる。少年は今にも泣きそうだった。彼も生きたいだろう。しかし、足手まといになるのは事実だ。
と――
「だめ、だ」
ひどく人間離れした、地の底から沸くような声が聞こえた。
ジークが、ギン、と剣を敷石にたたきつけた。
「ぜんい、ん、たす、ける」
自身が沸騰しそうになりながら、ジークは全員を睨みつける。あきらめさせてはいけない。全員とはいかなくとも。一人でも多く、生かして帰す。
同じだ。アグリアでも『ここ』でも。やるべきことは結局変わらない。
「イル……かれ、を。おれ、が、みちを、ひら、く」
声を発するたびに喉が痛む。
だが、死ぬほどのものではない。
「わかった。やろう」
気圧されたような空気を、いち早くイルが破った。少年を肩に担ぎあげたのを確認し、ジークは、息を吸った。
「禮! 禮! 體! 禮! 禮!!」
久しく使わなかった身体強化の魔法は、たった一度で体を引き千切りそうになった。
いや。
まだだ。死にはまだ、ほど遠い。
「禮! 禮! 體! 禮! 禮――!」
重ね掛けて剣を握りなおす。
「いく、ぞ!」
「ああ」
ジークは道へと飛び出した。途端に降る矢の雨を巧みに剣ではらいのけ、迷わず射手に迫る。
「おおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああ!!」
黒鎧。かつて自分が纏った色。
それはもはや過去だった。己の過去に向け、ジークは剣を振り下ろした。
◆ ◆ ◆
北へ抜けた。無事にイグニア軍と合流したところで、ジークの体がぐらりと傾いた。
「大丈夫か」
イルはそれをしっかりと受け止めた。腕の中でジークはうなずいたが、実際のところ自分の足で立つこともままならない。無理もないだろう。あの後、この男は単身で行く手のアグリア兵のほとんどをなぎ倒し、あの場にいた九人全員を生き延びさせた。
顔を上げれば町が燃えている。――アグリアがここまで追ってくる気配はなかった。
「なかなかやるな」
「そ……か」
「お互い、ひどいありさまだな」
全身に返り血を浴び、自身が負った傷も少なくない。それでもこうやって話して、笑っている。
生きている。
「ジーク」
イルはおそらく、初めて彼を名で呼んだ。顔を上げたジークの目の前にこぶしを出す。ジークもふっと目を和ませ、腕を上げた。
こつ、とこぶしを合わせた二人は、しばらくの間笑い合った。
END
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