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【紅の記憶・3 ―戦闘訓練―】

聖都イグニア:通常作品


「――そうですね。もう通常の訓練程度では壊れそうにありません。まことに残念。しかしリタイアして実験体になりたいというのであればいつでも申し出ていただいて結構ですよ、エリアス=キルラッシュ」

「ありがとうございました」

 エリアスは白衣の女性に笑いかけ、席を立った。あらゆる角度で普通ではない彼女と接することにももう慣れた。初対面ではさすがにいろいろと戸惑ったものだが。

 エルザ・アトウッド。医療班常駐の中級騎士である彼女は、鳥を模した仮面を常時着用しており、噂によれば入浴時でもはずさない。おまけにあやしげな薬を調合しては騎士達を実験台にしているというマッドサイエンティストで、彼女の名を聞けば震え上がる者も少なくない――

 などなどなどと言われつつ、医療の腕が確かであることもまた事実だ。何度か世話になった上で、エリアスは医療者としての彼女を信用できると踏んでいた。

 あくまで、医療者としては。

 それはともかく、これで隊再編成後初めての屋外訓練に間に合った。手早く身支度を整えて訓練場へ向かう。と、途中で新しい同輩達と合流した。

「よーエリアス。もしかして、そろそろ身体訓練出られるのか?」

「エルザさんから許可が下りました。今日からよろしくお願いします」

「お」

 彼らは顔を見合わせた。瞬間、高揚感を伴う緊張が走ったようだった。

「じゃあ今日は、アレだな」

「だな」

「『あれ』というと?」

「知らせに行ってくる」

 答えるより早く、一人があっという間に駆け去った。それを見送っていると、別の一人に肩をたたかれた。

「何ヶ月かに一回と、新顔が入った時にやってる訓練があってな。一種の歓迎会みたいなもんだ」

「そうそう」

「何か穏やかでない雰囲気ですが……」

「そう心配すんな。俺らみんな経験済みだ」

 残っていた五人が快活に笑った。そうこうするうちに屋外へ出る。訓練場へ視線を移すと、彼はもう、そこにたたずんでいた。

「集合ー!!」

 傍らの上級騎士が声を張り、その場の全員が一斉に従った。

 ルマン隊にいたころとはまるで空気が違う。以前は隊長殿自身がルーズで、利用するには便利でも、隊ごとの訓練はぬるく物足りなかった。

 今度はどうやら、その逆になりそうだ。


「第三班、得意武器を、取れ! いくつでも、かまわん!」


 獣の吼えるような声がビリビリと空気を震わせた。発したのは騎士長ジーク・ソルダート。エリアスは元ルマン隊からただ一人、ジークの隊に編入されていた。

 積極的な攻撃姿勢から『剣』にたとえて語られる軍都アグリア――ジークはその騎士団からの亡命者だ。その事実が信じがたいほどに日常での彼は穏やかで目立たない。だが実戦となると豹変し、敵を震え上がらせる。そして『実戦』の中には、自陣での戦闘訓練も含まれているようだった。

 三班の班員があっという間に動いた。すでに用意されていたケースから、次々に模擬剣や槍を取り出していく。エリアスもさっと目を走らせて、刃を潰した片手剣と、もうひとつを手に取った。

「呼ばれた者から前へ! 開始の合図はしない。いつも通りだ!」

 軽い緊張感が波のように広がる。それを感じつつ剣の握りを確認していると、号令をかけた上級騎士が歩み寄ってきた。

「初めてこの訓練に参加する者は最後だ、キルラッシュ。その他の者は下級騎士から順に上がっていく」

「わかりました」

「楽しみにしているぞ」

 そう言われてふと思い至る。これはもしかして、新参者の実力と戦闘スタイルを披露する意味合いもあるのではないか。

 などと考えていると。


「全力で、来い!! 誰か、俺に勝てたら、皆に酒を、奢るぞ!!」


 うおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!


 凄まじい雄叫びが上がった。一瞬あっけにとられたほどの盛り上がりようだった。

 熱気さめやらぬうちに一人目が呼ばれ、ジークと対峙した。見るからに年若い少年騎士は、半棒クォータースタッフを構えてじりりと間合いを量る。対するジークは一般的な剣ひと振りをだらりと下げたままだ。リーチは棒の方が長い。どう対処するつもりなのか。

「やあああっ!!」

 少年が鋭く突きかかった。が、棒先が胸に届くより手の甲で跳ね上げられる方が早い。同時に踏み込んだジークの切っ先は、吸い込まれるように少年ののど元を捉えた。

「ま……参りました……」

「次っ、カレン!!」

 エリアスのすぐ横から進み出た女性騎士は、そのまま一気に助走をつけて剣を振りかぶった。

「はッ!!」

 ガッと鈍い音がした。ジークは彼女の腕を剣の腹で受け、くるりと刃を返して下へ押しつけた。地面に刺さった自身の剣が彼女の動きを封じることになる。

「く……っ」

 剣を離して間合いを取ろうとしたところで、ジークの手がとんっとその首筋を打った。彼女は悔しげに顔を赤くしてうつむいた。

「よし、次!!」

 休む間もなく攻めかかられて、それでも相手が下級騎士では肩慣らし程度でしかないように見えた。

 エリアスはその一部始終をじっと観察する。どんな時にどう動くのか。独特の癖はあるか。どこかに、つけ入る隙はないのか。

「ずいぶん熱心に見てるな。弱点はみつかったか?」

 後ろからからかうように声をかけられた。ジークからは目を離さずに――いつもと変わらず首に巻いているリボンだけは見えないことにして――口だけを小さく動かす。

「みつけたいとは思っていますが」

「実を言えば一巡したあとは負けてくれるから、奢りは確定なんだけどな。ま、騎士長クラスの人と直にやれる貴重な機会だ。思いきりぶつかってこい。多少なら卑怯な手を使うのもアリだからな」

「助言ありがとうございます」

 ちらりと彼に笑みを返してから、またすぐに視線を戻す。

 上級騎士の番が回ってきた。「ゴードン」と呼ばれた最初の男は、イルに匹敵する大男だ。肩にかつぐように構えた棒は長柄斧ポールアックスを模したもので、先端に木切れがくくりつけられている。

「ふんッ」

 彼はのっけから、力の限り得物をたたきつけた。自身より腕力で勝ることが明白な相手に、しかしジークは動じない。横に払って打撃を流し腹部を狙う。ゴードンも負けじと柄で突きを防ぎ、再び上段から振り下ろす。初撃より弱いそれをジークは今度は正面で受ける。アックスが回転する。顔を狙う柄をかわしたジークがすっと体を開き、滑るように間合いを詰める。

 わっと歓声が上がった。ぴたりと眉間に刃先を突きつけられ、ゴードンが破顔する。

「負けた。なかなか勝てないな」

「悪く、なかった」

 剣を下ろしたジークはこぶしで彼の胸をたたいた。

 さすがに上級騎士ともなるとそう簡単には捌けない。しかしここまでで十余名の相手をしていることを考えると、さほど呼吸も乱れていない騎士長の体力は驚異的だ。


 ――強い人間というのは、どこにもいくらでもいるな――


 カスパルやクロヴィスとの対峙を思い返しながら、エリアスは剣柄を握りなおす。ひととおりの策を思い描いてみたものの勝てる気はしなかった。

 しかし。最初から負けるつもりでは話にならない。

「エリアス=キルラッシュ!」

「……はい」

 軽い片手剣を手に前へ出る。周囲から注がれる好奇の視線は意識からはずす。

 歩きながら呼吸を整える。正面に見据えたジークは、騎士団にあっては決して大柄な方ではない。それでもより小柄な自分からすれば見上げる高さで、しかも、実際よりずっと大きく感じられる。

 嵐を前にしての凪。そんな印象を受けた。

 左脇に剣を構え、不意に歩幅を広げる。見上げた橄欖石色の眼が興味深げに細まった。そののど元めがけ一気に横に払う。それは少しばかり持ち上げた剣に易々と弾かれた。

 予想した通りだ。

 跳ね上げられたその位置で片手剣に両手を添える。渾身の力で振り下ろす。ジークが鍔で受け、押し合う形になった。当然力では敵わない。それでも押す。噛み合う刃に全体重を乗せる――

「!!」

 ジークが押し戻そうと力を込めた、その瞬間横に流して剣を捨てる。

 わずかにジークが体勢を崩す。同時に居合い抜きの要領で、腰の短剣ダガーを振り抜いた。

 いけるか。

「っ、つッ」

 刃はいま一歩で届かなかった。身をひねってかわしながら即座に引き戻されたジークの剣。柄頭に手首を打たれ、逆にこちらの体が開いた。やはりこの程度の策では無理だったかと、知らずわずかに苦笑する。

 その切っ先がこちらへ向けば。それで勝負はつくはずだ。


  そう。だから、


    も う 、 あ  き  ら  め  ろ  ――――



 突然カッと血が上った。

 強く地面を踏みしめ、ぐんっと重心を落として力を矯める。まだだ。まだ終わっていない。

 切っ先をこちらに向けたジークがはっとしたように目を開く。

 かまわない。あれがこの身に届く前に。いや。


 たとえ差し違えてでも。


「おおおおおお!!」


 叫んだのはどちらだったか。そんなことより。

 早く。

 速く。

 この刃を、『敵』に――


「! あ……」


 ふと視界の隅に閃いた、鮮やかな青。それが急速に意識を冷ました。

 気を取られた分だけ動きが鈍る。それを自覚した瞬間、ぐるりと視界が回転した。背に衝撃を受けた後からやっと思考が追いつく。足を払われ、地面に投げ落とされたようだ。

「……参りました」

 かすれた声でそう言うと、襟を絞めていた手がぱっと離れた。目の前で揺れていた青いリボンも同様に。

「すまない、大丈夫、か」

「はい。大したことは」

 上体を起こしながら、ずきりと走った痛みに軽く顔をしかめる。

 受け身はとったもののまた右肩を打った。これはまずいかもしれない。

「痛めたか? なら早く医務室へ行った方が」

「騎士長ーあんまし新人いじめたらダメじゃないスかー」

 いつの間にか皆がわらわらと集まってきていた。心配する声が半分ほど、親しみを込めてジークをなじる声が半分ほど。エリアスは急ぎ立ち上がる。

「念のため医務室には行っておきたいのですが。かまいませんか」

「つき添いはどうする! 誰がいい!?」

「いえ、一人で行きますので」

 やたらにテンションの高い隊員達の申し出はやんわりと断って、心配そうに眉尻を下げたジークに一礼する。

 そうして背を向けた瞬間、じわりと汗が滲んだ。

 首を折られるかと思った。ほんのわずかな間だが、向けられた殺気は本物だった。身の内が小さく震え、それをごまかすように、荒い手つきで体についた砂を払った。



           *   *   *



 この日二度目の診察で、エルザに「被虐趣味でもおありなのか」などと散々に言われつつ、ひとまずそれほど深刻な状態ではないとわかった。包帯をきつく巻いて再度固定し、塗布薬を処方されて。

 医務室を出ると、そこにはジークが待ちかまえていた。

「騎士長?」

 なぜここに。言葉にするより早く、ジークは手にしていた紙の綴りにさらさらと字を書きつけ、こちらの目の前にかざした。

『どうだった』

「軽い打ち身だそうです。問題ありません」

『それならよかった』

「ご心配ありがとうございます」

 また何か書きかける。が、途中で筆が止まった。

 少しためらう風にしてから、ゆっくりと書き上げる。


『精神の揺れが大きいと隙につながる。よくない傾向だ。自覚はあるか』


 思わず言葉を失った。しかしすぐに気を取り直し、微笑と共にうなずいた。

「そうかもしれない、とは、思っていました」

『悩み事でもあるのか?』

 直截すぎる問いかけに口元がゆるむ。

 悩み――悩みか。

「そんな風に見えますか?」

『わからないが、見ていると心配になる』

「そうですね……たった今の悩みでしたら、もうすぐ始まる会議に出席されるはずの騎士長が、まだこんなところにいらっしゃることですが」

「!」

「早く準備をされた方が良いのでは。そろそろミュリエルさんが捜しに来ますよ」

 ジークは顔をしかめ、ちらりと背後を確認した。ジークの優秀な秘書官――と、ちまたでは噂されている――である女性騎士の姿はまだ見えない。しかし常の通りならば、おそらくもうじきに。

「無理は、するな」

 訓練中にかなりの大声を出していたせいだろうか。普段よりも嗄れた声で言い置いて、ジークは足早に廊下の向こうへ去っていった。

 エリアスはにこにことそれを見送ってから、ふと、言葉をこぼした。

 それは陰鬱な響きと共に、冷たい廊下に落ちて散った。


「残念ながら。悩みと呼べるほど可愛らしいものは、持ち合わせがありません」


                                  (続



【一部キャラクターをお借りしています】

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