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なんだかめちゃくちゃ長い間眠っていた気がする。
視界が赤かった。チカチカとした赤色は、強い光によるものだ。瞼を閉じた状態でも光が透けて見える。
「まぶしい」
容赦なくさんさんと射し込む朝日で目を覚ました。起き上がって日の弱いほうに避難する。うらめしげに時計を見ると、午前六時前。夜が明けてすぐの時間だ。なぜこんな時間に起きたのか、窓を見れば一発でわかる。
「くそ、カーテンがないからか」
カーテンを持たない部屋にかるく毒づきながらベランダを見ると、全面ガラス張りのベランダ窓から獰猛に日光が差し込んできている。ただでさえ寝不足なのにたまったものではない。
昨日は蛇が気になって遅くまで起きていた。這いずりはその後二度と聞こえなかったが、だからといって心中穏やかに安眠とはいかない。寝たのは午前三時あたりだった。
あくびを噛み殺すと視界が涙で滲んだ。眠たくてしょうがないが、いつまでもこうしてるわけにもいかない。
「……起きるか」
頭をかきながら有言実行する。眠気は我慢できるほうだ。多少の睡眠不足でも一日くらいなら十分に活動できる。だいたいこんな日が射し込む部屋で寝ていられない。
立ち上がって窓を開け、伸びを一つ。空はよく晴れている。爽やかな朝だ。早起きは三文の得という文句で自分を納得させ、洗面台に行って着替える。歯を磨きながら読みかけの「G戦上へヴンズドア」を読み、身支度が終わると家を出た。
やることもなく、腹も減っていない。だから昨日から密かに気になっていた坂の上に行ってみようと決める。
坂道を上る。
緩やかな坂道の両側、壁のような家々は少しずつ朝の活気を持ちつつあった。しかし坂道を上るほどその活気は薄れ、家も少なくなっていく。坂を上り終えるころには民家はなくなって、ただ目の前に森の緑が広がるばかりとなった。
森なんて写真や旅先でしか見たことがない。人吉は先に進んでいく。
広い森だ。道はあるものの、まるで侵入者を拒むような陰気がある。
この森から見れば、ぼくは侵入者になるんだろうな。そんな考えが頭をよぎり、音が来た。
ざざざざざざざざざ。
と、木々が揺れた。
風による揺れではない。森が、自ら揺れている。揺れは不安を煽るような鳴り響きを持って、人吉に対して静かにこう告げていた。
入るな。その音を意訳するとこうなるだろう。穏やかに、しかし厳格に警告されている。人吉は閉口した。引き返そう、と理屈ではなく本能的に決心する。
しかし、足は前に進んでいた。
意識してのことではない。言い訳じみているが「勝手に足が動いた」という表現がぴったり当てはまる。
驚きを声に出すこともできない。ブリキのロボットになった気分だ。ネジを回すと動かなくなるまで歩き続ける、そんなからくり仕掛け。
「……!」
そんなことを考えている場合ではない。足に力を込める。無駄。意味もなく腕を振り回そうとする。不動。冷や汗さえ出ない。眠気まで襲ってきた。もう尋常ではない。異常事態。歩数は積み重なる。森との距離は縮まる。意識に霞がかかって行く。落ちた葉を踏んでも、なんの音もしない。人吉は誘われるように足を運び意識は暗闇に包まれ――――手を掴まれた。
強く握られ、引き寄せられる手の力に寝ぼけた頭が一発で冴えた。視覚がようやく動作する。まともになった目で前を見ると、鋭く尖った枝が目と鼻の先にまで迫っていた。ぶつかっても折れるような太さではない。このまま歩けば右か左か、目を貫いている。
背中から冷や汗が吹き出て、緊張に拳を握ろうとすると誰かの手が同じくらいの強さで握り返してきた。
手を握るやわらかな感触に驚いて振り向くと、呆れ顔をしたトーコがいる。
「きみは目を離すととんでもないことをするな」ため息をつきながら、「拒まれているのになぜ入ろうとする」
拒まれている。
「この森って、何かいるんですか?」
「何かって?」
「その、」
具体的な例が何一つ思い浮かばない。言いかけたまま、人吉は黙ってしまう。
トーコは薄く笑う。
「ま、いい勘してるよ。その通り、何かいるわけだからね」
目の前の森を無表情に見つめて、
「異界だよ、ここは。入るなら入るだけの理由と覚悟を持って来い。気軽に来たら獲り殺されるぞ」
そう、静かに言い捨てた。人吉は恐る恐るで首肯する。
目線を森から外して人吉のほうを向いたとき、トーコは既に穏やかな笑顔だった。
その笑顔を嘘くさい笑顔だと、初めて人吉は思った。
「さ、朝食にしようか」




