表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+6  作者: 横尾劇場
第一話
5/6

3

 その夜。

 日付をまたいで午前一時。人吉は荷解きを終えて、とりあえずの体裁は整ったというところで一息ついた。夕食からほとんど休まずの作業である。普段は日付が変わる前に寝るよう心掛けている。こんな時間に起きているのは久しぶりだ。しかしなぜだか眠気は皆無だった。ときどきこういう日がある。

 ……慣れない部屋だからかな。

 耳鳴りがするほど静かな夜だった。

 ベッドタウンの就寝は早い。駅前ならば話は別だが、ここ周辺の店はたいてい日付を超える時間まで営業しない。車の通りも少なく、治安も悪くない。安眠には打って付けの環境。

いい加減、起きているのも馬鹿らしくなって布団の中に潜る。そのうちようやく眠気がやって来てうとうとし始める。

 ああ、あと少しで眠れるな。

 そんなときだ。安眠妨害するように音が来た。窓のほう、外から聞こえる。

 それは何かを引きずるような音であり、だがそれを引っ張る者の足音はしない。

 人吉は緩慢に思考する。

 これは、『這う音』だ。

 何が? と疑問し、這うもの這うもの、と連想ゲームを開始して五秒。

「は?」

 一気に目が覚めて起き上がった。何が這っているかわかったのではない。問題は別。

 外から、などと曖昧な表現は不適切だ。ここは一階でその真ん中の部屋。この部屋の窓の外といえば、

「庭になんかいるってこと……?」

 布団をどけて、窓のほうに身を乗り出す。暗くてよく見えない。が、耳をすませばたしかに何かが這う音が聞こえてくる。気のせいではない。

 しかも音は少しずつ大きくなっていた。近づいてきている。

 部屋を暗くしていたおかげですぐに目が慣れてきた。音からして小さなものが這っているのではないことはわかっていた。それに一回の移動での音が長いから、音に比例して這っているものも長いもののはず。

「……なんだ。あれ」

 見える。

 地面を見てそう判断する。予想通り、何かが移動している跡が残っている。その部分だけ、土の色が変わっている。

「いや、」

 思考を否定した。土の色は人吉の見ている間にも少しずつ変わっていく。なのに、

「なんで、何も見えない?」

 土の色の変わっていく場所に必ず何かがいるはずなのが、そこには何もいなかった。暗闇に紛れているのか。そんなわけがない。何がいるかくらい見える。

 しかし、這いずりの原因は姿が見えず人吉は何が起きているのか疑問して――中断した。土の色の変化が止まったのだ。同時に這いずりの音も消え、人吉は息を詰める。

「……」あ、ヤバい、なんて気の抜けた言葉が浮かんだ。

 じわりと汗が出る。知らず、奥歯を噛み締めていた。本能が危険信号を告げている。

 ……見られている。

 直感的にそう思った。

 庭から何かの視線を感じる。敵意はなく悪意もない。純粋な『見る』という気配。道にある木を眺めるような、品定めの視線。恐らくというか恐ろしいことに自分はそれと見つめ合っているとわかる。身動き一つ取れない。取りたくもなかった。

 うめき声が漏れそうになり、堪えた。緊張の一瞬だ。息を殺して耐え忍ぶ。

「――――、」

 やがて、緊張がゆるりと解けた。視線が外れたらしい。その証拠というように土の色はUの字を描いて、這いずりは遠のいていった。

「……ッハ!」

 止めていた息を吐き出す。汗が噴き出してきた。背中にシャツが張り付くのを感じながら、額を拭う。

「なんなんだよあれは……」

 窓に手をついて大きく深呼吸。すると目線が下に向いて、眼下の地面が見えた。

 何かが落ちている。

 なんだろうと目を凝らしてもよく見えない。不可視という意味ではなく、暗くてよく見えないのだ。シルエット的にビール瓶みたいだが。

 かなり気味が悪かった。しかしこのまま無視しても精神衛生上よろしくない。ほとんどやけっぱちで窓を開け、地面に落ちているそれを手に取る。

 首をひねる。人吉にとってそれは意味不明の一語に尽きた。

「酒瓶、だよな。これ」

 部屋に入って蛍光灯を点け、観察してみる。

 よくある一升瓶だ。全体的に擦り傷だらけで土が付いていることを除けば、どうということもないふつうの酒瓶。木片で栓がしてあり、ラベルも何もない。中は液体がなみなみと入っていた。

 つばを飲み込んで意を決し栓を開けると、たしかにアルコールの匂いがしてきた。とはいえさすがに飲む気分にはなれない。

 見えない何かが現れて見つめ合ったかと思ったら変な酒瓶が落ちていた。突拍子がなさすぎて判断が追い付かない。

「えっと、こういうときはとりあえず、」

 逡巡し、トーコに報告することにする。

 足早に廊下に出ると、照明の点いていない廊下が明るかった。見れば、リビングへのドアが開いておりそこから光が来ているようだ。

 リビングに入ると、トーコがテーブルについていた。口にマグカップを運びながら退屈そうにハードカバーを読んでいる。

「おや、どうかしたか」

 意外そうにするトーコに向かって酒瓶を見せ、率直に言う。

「庭に、これが落ちてたんですけど」

 酒瓶を見て、おやまあなんて声を出している。おやまあって。

 そして酒瓶を受け取り躊躇なくフタを開けた。匂いを嗅ぎ、

「酒だな」

「はい」

「うまそうだ」

 うんうん、とうなずきながらコルクをもどす。飲み気満々だ。

 どうかしてる。人吉は素直に感想を思った。

 そんな人吉の視線を気にせず大事そうに酒瓶を撫でて、机の上に置く。

「わかった。どうもありがとう」

 何がわかったのか。人吉はとりあえずスルーした。

「それとトーコさん。庭で何かが這ってたみたいなんですけど、なんだかわかりますか?」

 トーコは不思議そうに首をかしげて、「見えたのか?」

 見えた?

「いえ。ただ、姿は見えなかったですけど、這ってるのが見えました」

 明らかにおかしな日本語だがトーコは合点がいったふうににああ、とうなずいた。なんでもなさそうにサラリと告げる。

「それは蛇だよ」

 蛇。

 人吉はその言葉を噛み締めて、素直に納得できた。そうか。たしかに頭に思い浮かぶ蛇の特徴と合致する。しかし、

「相当大きいですよ?」

 アオダイショウやマムシとはわけが違う。見たことはないが、アナコンダとかそういう猛獣クラスの巨体だ。

「わかってるよ」

 落ち着いた返事が来て、思わず言葉に詰まる。

「まさか庭で飼ってるんですか?」

「飼ってるわけじゃないよ。今日はたまたま、蛇がいるってだけ」

 いやいやいや。妙に落ち着いているけれどそれって大問題なのでは。

「よく出るんでしょうか」

「それこそまさかだ。そんなのがしょっちゅう出たらさすがに危ないだろ」

 突然常識を言わないでほしい。なんだか話があべこべだ。

「とにかく」トーコはこちらの思考を打ち切らせ、「問題ないよ。元来蛇は大人しいものだし、あれはふつうの毒性があるわけでもないから万が一噛まれても痛いだけだ」

 その痛いのが嫌なんですが、と言葉にできない人吉を無視して、

「それに、いちいち噛むような野性は持ち合わせちゃいない」と、最後は小さく補足した。落ち着き払ったものである。

「……大丈夫なんですか?」

「心配するな。あ、ただ、口笛は吹くなよ」

「は? なんでです?」

 知らないのかと意外そうに目を丸くする。

「夜に口笛を吹くと蛇が出ると言うだろ」

 それは迷信だろう。

「いいから口笛は吹かないでくれ。まぎらわしいから」

 まぎらわしいってなんだ。疑問は尽きなかったが質問する間もなく、それじゃおやすみ、とトーコは冷たく言ってハードカバーに目線をもどした。

「……」

 放置された人吉は、しょうがなくリビングを後にした。

 正体が蛇ということはわかったが、姿が見えなかった理由がわからない。うまくはぐらかされた気がする。

 部屋にもどって再び布団にもぐりながら、一人つぶやいてみる。

「蛇の幽霊でも取り憑いてるんじゃないだろうな……」

 口にしてみると、あんまり愉快な冗談ではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ