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+6  作者: 横尾劇場
第一話
3/6

1

 そして、歩みを止めて背後を振り返ると、町の様子が見渡せた。いつの間にか目線が高くなっている。大して時間をかけたわけでもないのにずいぶん遠くまで来たものだとぼんやり思う。

 一人の青年がいる。歳は二十前後で、大きく膨らんだリュックサックを背負っている。彼は風でよれた地図を手首のスナップで直し、目的地を確認する。この坂道の途中が目的地だ。

 一つうなずいて歩き出す。少しずつ春に近づいていく三月半ば。夜の寒さを忘れさせる暖かさが心地いい。やわらかい日差しの下、見慣れない町に訪れた。

 彼が立っているのは突き抜けるような一本道だ。目測で三百メートルを超える緩やかな坂道は、坂の上まで直線に伸びている。道の両側には壁のように並ぶ家の群。地図で見てもほとんど隙間がない、町の切り傷みたいな坂道。空から見ればさぞ気持ちのいい一本線だろう、と思う。

 坂道を登りながら、地図をたたんで尻ポケットに挿し込み、代わりに写真を取り出す。

「にしても、今日から下宿か」

 歩きながらつぶやく。写真には一軒家ともアパートとも言えない建物が写っていた。目的地である下宿先だ。

 下宿といっても手続きはほとんど叔父がして、彼自身は一度もその下宿先に行っていない。大家に会って話を聞けばいいとは言われたけれどその大家の写真はもらっていない。知っているのは名前だけだ。

 家から離れて、もっと大学に近い場所で暮らそうと決めたのが年末の話。そのことが叔父に伝わり、それならと叔父が知り合いの下宿屋に話を持ちかけ、彼がこの写真を見ながら叔父の話を聞いている間に彼の下宿は決まっていた。親も特に何をしてくれるわけでもなく気軽な調子で「下宿するのか。がんばれ」と、それだけのものだ。最終的に下宿を決めたのは自分だが、放り出されたという表現がしっくりくる。

「ま、別にいいんだけどさ」

 諦めか達観かよくわからない一言で思考を終わらせる。右手側に目当ての建物が見えてきた。喫茶店のとなりにある、庭付きの大きな家。叔父から聞いていた通りだ。

 駅から徒歩三十分。迷わなければ二十分で歩けるだろう。細長い建物だ。二階建てで個室は全六部屋。台所を含めて、風呂トイレ共同。広いとも狭いとも言えない六畳の個室にあるのは、顔が洗える洗面台くらい。アパートなんだか宿なんだかわからない建物だ。それが下宿屋というものなんだろうけど。

「今時下宿って、なかなかないよな」

 独り言が漏れる。さっきから独り言をつぶやき過ぎだと自覚するがもともと、独り言は多いほうだ。

 腕時計で時間を確認する。午後四時半。予定通りの到着だ。

 インターホンの前に立つ。手櫛で頭を撫で、簡単に服装を整えると「よし」と気持ちを引き締めてインターホンを押した。

 十秒後、インターホンのスピーカーからノイズが聞こえ、直後に人の声が出てくる。「はい」

 スピーカーから聞こえたのは男性の声だった。彼は少しだけ驚いて、不器用な敬語であいさつする。

「今日からお世話になります、人吉です。大家さんはいらっしゃいますか?」

 スピーカーはしばらく沈黙し「少々お待ち下さい」と言い残して切れた。

 インターホンから顔を離して、人吉はとなりの建物を見る。喫茶店だ。今日は営業していないらしく、ドアノブに『閉店』のプレートが吊られている。

 正面からドアノブの回る音がした。大家さんが出てくるのか、と人吉は緊張で体を強張らせる。正直なところ、これからうまく住んでいけるのか少し不安なのだ。

 ドアが開く。

 そこに立っていた人物を見て、心の中で感想をつぶやいた。

 ……枯れ木、みたいだ。

 そんな第一印象だった。ドアを開けた状態で中年の男が立っている。シャツと焦げ茶のスラックスを着ていて、手には何枚かの書類と封筒がある。一見して六十代くらいに見える。しかしそう齢老いてはいないと直観した。髪は白髪のほうが多く、顔にもしわがあるが、眼鏡の向こうの瞳には確固とした生気が宿っている。

 体だけが先に老いてしまったような、そんな男。

 枯れ木のようだと人吉は思い、次に寂れたシャッター街を連想した。

 男が眠たそうに頭をかく。気怠げというか、何かをなし終えたあとの虚脱感のようなものがあった。

 彼はあくびを噛み殺し、

「ふむ、予定通りの到着だな」

 男はそんな一言とともに、手にしていた書類を見る。

「人吉ハジメくん、か」

 名前が聞こえ、反射的に返事をする。

「一応、大家さん――森治さんとお会いするように言われたんですけど」

「そうか。私が大家の森治だ。今日からよろしく」

 淡白な返事の中にこれから会う予定だった人の名前ができて驚きつつ、疑問が起きる。たしかにアパートに着いたら最初に会うよう言われていた大家の名前は『森治』という人だ。しかし下の名前は、

「大家って……あなたが森治透子さんですか?」

「そうだよ。女だと思ったか?」

「はい」

「これでも一応本名だ。名前の話はいいよ。家の中を案内しよう」

「わかりました」

 そこで森治は家の中に引っ込んで行った。人吉はついていく。

玄関に面してキッチンリビングがある。食器棚や調理器具はほとんど見当たらない。部屋の中心に膝ぐらいのテーブルがあり、ソファが囲んでいる。いる意味がわからないという所在なさでテレビが部屋の隅に鎮座していた。片付いているリビングというより、殺風景なリビングだ。

「ひとまず荷物はそこに置いておけばいい。ついてきてくれ」

 森治はリビングを突っ切り、奥のほうの廊下へ。

 廊下は薄暗かった。窓がないために日光が届きづらいのだ。一番手前のドアには「1」をかたどった金属付きのドア。そのとなりに、同じように「2」をかたどった金属付きのドアがある。森治はその前で立ち止まり、

「ここがきみの部屋だ。ダンボールは部屋の中に積んである。電気も今日から使えるぞ」

 言い、抱えた封筒に手を突っ込む。

「鍵はこれだ。予備含めて二つ。一応こちらのほうでも解錠用の合鍵を持っているが、鍵を掛けることができないから防犯は問題ない」

「わかりました。ありがとうございます」

 鍵を受け取りながらお礼する。

「うん。すぐにお礼が言えるのは育ちのいい証拠だ」森治は淡々とうなずいて、「他の部屋の案内も今してしまおうと思うが、構わないか?」

「はい。お願いします」

「じゃあ、その前に鍵の試験だ。鍵がそれで合ってるか確認してくれ」

 人吉はドアノブに鍵を挿し込み、回す。控えめなカチャリという音がした。

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