目覚める力
一人の少年が決意を表した時と同じ時刻、二人の少女は隠れていた。
全くと言っていいほど知らない首都の街並みだったが、辺境の村に生まれ育ち、魔物とも何度か遭遇した事のある彼女達にとっては、得に何ともないことのはずだった。
目の前で、人が魔物に喰われる人の姿を見なければ。
「ねぇ、あ、あの人、死んだ? 死んだよね?」
「落ち着きなさい! あんたが暴れても、何も変わらないの!」
偶然鍵の開いていた民家の中に逃げ込んだミーナとユフィーは、目の前で見てしまった惨劇に怯えていた。
ヒーナスの鋭く尖った嘴に貫かれ、魔物特有のビッシリと生え揃った牙に喰われる男の姿。
魔物に出会ったことがあるといっても、年端のいかない少女達に、人がボロボロになりながら喰われる姿は強烈だった。
目の裏に焼き付いて離れないその光景に、ミーナはただ怯えながら現実から逃げ、ユフィーはミーナを諭しながらもその体は震えていた。
「な、なんでこんな事になっちゃったの? 首都って一番安全なんでしょう? 騎士団って言うのがあって、首都を守っているんでしょう?」
錯乱気味に自らが涙を流していることも気づかずに、ただ呆然と言葉を紡ぐミーナ。
情報と記憶が混濁しているようで、言っていることは支離滅裂である。
「首都にいるのは王家の親衛隊よ。騎士団はここにはいない。今も魔物と戦ってくれているわ」
ユフィーも体が震えているのを止められてはいないが、ミーナを落ち着かせるために努めて冷静な声を出す。
だが、外から悲鳴と魔物の鳴き声が聞こえてくるためにあまり意味はなさなかった。
「…私たちどうなっちゃうんだろうね。…何も持ってないんだよ? 武器も、魔法なんか使えない。…無理だよ」
「無理なんか言わない! 大丈夫だから。絶対に誰かが助けてくれる。あの時みたいに…」
「無理だよ! 今はあの時とは違う! 人がいっぱいいるもん! 私たちがいることすら知らないんだよ!?」
「…じゃあ何を信じて待ってろって言うのよ!」
ミーナの台詞に、ユフィーの怒りが爆発する。
いや、怒りではないはずだ。不安、恐怖と言った負の感情。その類の物の爆発だ。
こんな状況で平静を保っていられる者などいない。彼女達は武器はおろか、魔法すらも扱えない、ただの人間なのだ。
そして、ユフィーやミーナのように、ヒューマティアの種族は魔力を持って生まれてこなければ、魔法を扱うことはできない。だが、その魔法と魔力を扱う上で重要な、『聖霊』との接点を持っていなければ、魔法は扱えない。
その事が分かっているからこそ、ユフィーとミーナも不安なのだ。
自分たちには、助けを待つ事しかできないのだと。
「…ごめんなさい。すこし、取り乱したわ」
「…いいよ。私も悪いんだし」
そんな想いのまま叫んでしまった事を、ユフィーは詫びる。ミーナも想いは同じなので、その事を許すことができた。
だが、その所為なのか、二人の間に微妙な沈黙が起きる。
「…でも、本当にどうしようかしら。こんな所にいつまでもいたら、見つかるだけ……!」
そんな空気を払拭しようと、これからの事についてユフィーが話し出す。
だが、その言葉はすぐに途切れることになった。
ドガシャァ!
大きな音を立てながら、ユフィーたちの隠れている民家の屋根が崩落する。
そして、土埃の舞う中から現れたのは魔物、ヒーナスだった。
「ひっ!」
突如目の前に降り立った異形の鳥の魔物に、ミーナが小さく悲鳴をあげる。
その悲鳴に反応したのか、ヒーナスが鋭利に尖った嘴を二人に向けた。
そこから覗く、ビッシリと生え揃った黒い牙に、二人は恐怖のあまり動けなかった。
「ええい! こっちこないでよ!」
「ユフィー!? なにしてるの!? 早く逃げないと!!」
「腰が抜けて立てないくせにそんな事言ってるんじゃないの! あんた一人をおぶって逃げるなんて、あたしには無理!」
ゆっくりとだがしっかりと近づいてくるヒーナスに、ユフィーは若干腰が引けながらも身を挺して追い払おうとする。
そんなユフィーの行動を、ミーナはひどく慌てた様子で咎めた。
だが、その咎めの声をユフィーは即答で返した。
事実、ミーナは完全に床にへたり込んでしまっているのだ。
さすがにミーナが小柄といっても、ユフィーの華奢としか言いようが無い体では、おぶって逃げれる訳が無かった。
「あんたが立てるようになるまでぐらいなら、時間稼いであげるから! さっさと立ちなさい!」
「でもでもでも! そんな事言ったって、ユフィーはどうするのさ!」
「何とかなるわよ! あんたよりあたしの方が運動できるんだから!」
「だからって……っ! ユフィー、後ろ!」
こんな場面に慣れていないのだろう。ユフィーは重大な失敗を犯した。
敵に背中を見せ、それでいて注意を逸らすなどという愚行を。
ミーナの警告に気づいたときにはもう遅かった。
ドカッ!
「かはっ!」
完全に無防備の背中に、ヒーナスの嘴がぶつかる。
だが、ミーナの警告のおかげで少しでも体を捻っていたため、その鋭利な嘴が刺さることは無かった。
しかし、刺さらなかったといっても嘴は鈍器のように固い。
思いっきり殴られたような衝撃と共に、ユフィーはヒーナスが現れたときにできた屋根の瓦礫に吹っ飛んでいった。
「ユフィー!」
未だに腰が抜けたままのミーナは、何とか体を這ったまま動かし、ユフィーの元へと移動する。
だが、吹き飛ばされたユフィーの意識は、既に闇に飲まれていた。
「……ぅぅ…」
うめき声と共に意識が覚醒する。
「…ここ、は…?」
あたしは確か、ヒーナスに吹き飛ばされて、そこから───。
目を覚ましたユフィーがいたのは、周囲に何も存在しない、暗く冷たい氷の世界。
前後左右、どこを見ても終わりの見えない氷の世界に、ユフィーはいた。
「…お主、力を欲するか?」
キョロキョロと辺りを見渡していると、急に声が聞こえてきた。
若く、ハキハキとした女性の声だが、どこか深い感覚のある声が響く。
「誰っ!」
「…お主、力を欲するか?」
出所の分からない声にユフィーは声を荒げるが、その女性の声はもう一度同じ質問を繰り返す。
「力? 何の事を言ってるの? いい加減姿を現しなさい!」
「…お主の中に眠る、冷やかでありながら荒れ狂う魔力。…妾はそれが欲しい」
「魔力? 一体何の事を…」
「…妾の名前はアイシー。氷を統べる聖霊」
突然の自己紹介と共に、氷の世界に変化が起きる。
氷の世界に色がつき、形をなしていく。
そして、困惑するユフィーの目の前に現れたのは淡い水色のローブを着た、一人の女性だった。
「…あ、あんたが、聖霊…?」
「…さよう。妾たちはお主たち人が呼ぶ、魔法という名の力の管理者。そして、選定者」
「…選定者…。ふん、ならあたしはあんたのお眼鏡に叶ったと言うこと?」
突如告げられる言葉の数々にユフィーは困惑しながらも、気丈な態度を崩さなかった。
だが、その態度はすぐに崩れ去る事となる。
「…そして、これがお主の運命。抗う事のできない、運命…」
「っ! あ、頭が…っ!」
アイシーがゆっくりと手を掲げる。
そして、掲げられた手と共に紡がれた言葉を聞いたとき、ユフィーの頭に激痛が走った。
激痛に苛まれる中、ユフィーの脳裏に現れたのは、先ほどまでいたはずの壊れた民家の中の光景だった。
その妙に鮮明な映像には、床を這ったまま動くどこか虚ろな目をしたミーナの姿が映っている。
助けを求めるように伸ばされた右手には、血がついていた。
そして、その後ろにはユフィーを吹き飛ばし、意識を失わせたヒーナスの姿が。
ヒーナスは一声鳴いた後、這って移動を続けるミーナの足にその嘴を突きつけた。
映像からは音が入ってこないのか、ただ泣き叫ぶミーナの姿がユフィーの脳裏に焼き付いていく。
「…お主の友人は、今この場で命を失う。魂の輪廻に定められた、運命なのだ」
「…こ、こんな、事って…」
アイシーの言葉は最早耳には届いておらず、脳裏に焼き付いたミーナの絶望の顔がユフィーを苦しめていた。
下を向いて涙を流すユフィーに、アイシーは今までと変わらない口調で話しかける。
「…だが、救う手立てはある。そのために、お主をここに呼んだのだから」
「…え?」
信じられない言葉を聞いたというように、ユフィーが涙に濡れた顔を驚愕の色に染めながらアイシーを見た。
「…力を欲せ。さすれば妾はお主の剣となり盾となる。だが、誓え。力には代償が付き物だ。それが大きかれ小さかれ、決して下を向くでない」
威厳のこもった声で、アイシーはユフィーの涙に濡れた顔を見つめる。
その言葉に、ユフィーは涙に濡れた顔をこすりながら、こう答えた。
「…力を、欲す…。欲しい…欲しいわ。…ミーナを救えるだけの力が! そして誓うわ。下を向かず、前を見据えることを!」
顔をしっかりと上げ、きちんと立ち上がったユフィーの顔に、もう迷いは無かった。
「…よかろう。ならば使え、妾の力を。そして覚悟せよ。お主の目の前に広がる、絶望と希望の光と闇に…」
その言葉を聞いたとき、再びユフィーの意識は闇に飲まれていった。
ユフィーが目を覚ました時、一番初めに感じたのは、埃の匂いに混じった血の匂いだった。
「…ユフィー…よかった…。死んじゃったかと思ってたよ…」
そして、ユフィーの耳には力無いミーナの声が届いていた。
「っ! ミーナ、足が!」
「…へへへ…食べられちゃったよ…。…あーあ、もう二度と歩けないのかなー…」
ユフィーが目にしたのは、ズタズタに引き千切られたミーナの両足だった。
脳裏に焼き付いていた光景が思い出され、その時のミーナの恐怖の表情を思い浮かべてしまう。
だが、ミーナはユフィーの心配とは裏腹に、薄く笑いながら今後の心配をしていた。
「バカ! そんな事言ってるんじゃないの! 早く止血を!」
「…もう、助からないよ…。ほら、あそこにいるもん…。助かりっこないよ…」
投げやりぎみに言うミーナの言葉に、ユフィーは確信してしまった。
ミーナの命は守れても、ミーナの生きる気力は取り戻すことができないことに。
それほどまでに、ミーナの心は壊れてしまっていた。
「…この、バカ…。…なんで…結局、助けられないじゃない…」
ミーナの頭を抱きしめながら、嗚咽を漏らすユフィー。
そんなユフィーに、ミーナはただただ優しく微笑んでいた。
「…っ…掃除は、しないといけないわね…。…ミーナの分も…!」
涙をふき、すっと立ち上がったユフィーは、こちらを不思議そうに眺めているヒーナスを睨みつける。
そして、自らの中に眠る力を解放した。
パキパキパキパキ…
静かだが冷たく、それでいて固く荒れ狂う魔力が、ユフィーを中心として吹き荒れる。
そして、その魔力は床を徐々に凍らせていった。
「…あたしのせいで、ミーナは壊れた。…力もなにもないくせに、守ろうと思って前に出た。…だけど、それが間違いだったの」
ジワジワと周囲が氷の世界に変わっていく様を見ながら、ユフィーは淡々と語り出した。
自らの無力を嘆き、浅はかさを呪い、過ちを認める。
ユフィーが語る独白は、どこか影を帯びたものであり、そして断罪のようでもあった。
「…だから、あたしは、強くなる…。…守れる力を手に入れて、もう二度と、同じ想いをしたくは無いから」
そのユフィーの決意とも断罪ともとれる言葉が終わった時、氷の世界が完成した。
瓦礫ごと凍らせたために、異常なまでに突起物の多い氷。
だが、その歪な氷の柱はユフィーにとって武器だった。
「…一応初めてだから、加減はできないわよ? 覚悟しなさい」
その言葉と共に、歪な氷の柱が半ばからへし折れる。
そのまま重力に従って落ちると思われた氷の柱はふわふわと浮き、ユフィーの手元に移動した。
そして、そのふわふわと浮かぶ氷の柱をユフィーは手に取ると、そのままヒーナスに向かって投げた。
だが、相手は仮にも鳥の姿をしている化け物だ。
黒く染まった翼を大きく広げ、軽い突風を巻き起こしながら飛び上がる。
しかし、それこそがユフィーの狙いだった。
「氷の聖霊よ。我が求めに答え、力を与えよ。咎を受けるべき者に、永遠の冷たき地獄を! 『地獄の氷吐息』!」
狙いを定めるように手をヒーナスに向かって掲げ、聖霊と同調し力を発動させる鍵である魔導呪文を唱えるユフィー。
そして、その掲げられた手から現れたのは、真っ白な霧。
だが、その霧は触れた相手に地獄を与える地獄の氷吐息だった。
空気すらも凍らせながら進む霧に、ヒーナスは一声鳴いてようやく身を翻した。
「…無駄よ。この霧は絶対にあんたを捉え、そして凍らせる。生きたまま、一瞬でね」
頭を抱えながら、ユフィーは逃げ惑うヒーナスに向かってそう言った。
だが、逃げ惑うヒーナスは驚くべき行動に出る。
生き物としての生存欲求が働いたのか、それともこんな時でさえも食欲を優先するバカな者なのか。
どちらなのかは分からないが、倒れているミーナに向かって突撃してきたのだ。
しかし、ユフィーがそんな事を許すはずは無かった。
「…あんた、いい加減にしなさいよ…? あんたはもう、ここで死ぬのよ…」
ガンッ
見えない壁に激突したかのように、大きな音を立てながら墜落するヒーナス。
そして、真っ白な霧に捕まってしまい、その体を氷へと変えた。
生きた氷の標本となったヒーナスを見つめながら、ユフィーはたいして表情を変えないままミーナの元へと向かう。
「ミーナ。もう、あいつはいないわ。…あたしが…倒したから」
倒すという言葉が出るのに時間がかかりながらも、倒れて目を閉じるミーナに語りかける。
だが、ミーナが起きることは無かった。
それもそうであろう。両足が千切れ、そこからかなりの出血があったのだ。
ショック死していてもおかしくない状況なのである。
「…ねぇ…起きてよ…また、あんたの笑ってる顔を見せてよ…もう、殴らないから…」
嗚咽混じりにもう一度同じようにミーナの頭を抱きしめる。
ミーナは一瞬前に見せた薄く笑った表情のまま動かない。
完全に冷たくなってしまった友人の体を抱え、ユフィーは叫んだ。
「…っ…ぅ…わあああぁぁぁーーー!!!」
思い切り泣いた。
周りの事など気にせずに、ただ自らの感情のままに。
そして、これが彼女の断罪の旅の始まりだった。