託し、託されて
ガラガラ…
「いっつ!」
落下したシオンは、少し捻ってしまった右腕を支える。
少しばかり痛みを訴えていた右腕を、自己判断だが、出来る程度で治療していくと大分痛みが引いた。
「…結構…落とされたのかな…」
自らが落ちてきた場所と、そのぽっかりと開いた穴を交互に見つめ、少し気を落とすシオン。
周りには仲間はおらず、あるのは少しだけしか辺りを照らさない蝋燭の灯。
まるで牢獄のような雰囲気の通路に、シオンは落とされていた。
「…こうやっていても仕方ない。歩こうか…」
もう一度自分の体の確認をした後、シオンはゆっくりと歩き出す。
ヒュゥゥ…
「…風が…。ならこっちだね」
薄暗い通路に吹いた風を頼りに、その風が流れてきた方向へと少しだけ足を速めた。
その歩く最中に、蝋燭を全くの暗闇にならない程度に集めていき、風の通りを見つめる。
すると、その手に持った蝋燭の火が消え、シオンの目の前には光が溢れた。
「光が…。でも、一切登ってもないし…」
警戒は解かず、その光が溢れる場所へと慎重に歩いていくシオン。
「…これは…金属が反射しているのか? でも、何だってこんな所に…」
薄暗かった通路から一変、煌びやかな部屋はシオンの目を光の反射で迎え入れた。
そして、その部屋の中央から声が響く。
「…墓場だ。…綺麗だろう?」
深緑色の翼を生やした黒髪の女性が、シオンの目の前に現れる。
その妖艶な微笑みは、シオンが目にしてきた女性の中で最も美しく、それでいて危険だった。
「…墓場? どういう意味だ」
カテドラルを女性に向けて構え、精一杯の気概を込めて女性を威嚇するシオン。
「そのままさ。…『時の契約者』よ。今ここで、私と戦え」
殺気を滲ませながら、シオンを見つめて笑っていた顔の表情を消す女性。
「…どうしても…なのか…?」
有無を言わせぬ雰囲気に、シオンは一縷の望みを捨てずに聞く。
出来れば、誰とも戦いたくはないのだ。戦えば、人は傷つく。それが己だけではなく、相手も。そして、その相手を想っている者でさえも。
それが分かっているから。今この場で繰り広げられようとしている戦いは、殺し合いだと言うことを。
だが、女性はそんなシオンの想いなど露知らず、自らの背中に生やした翼をはためかせる。
「…我が忌み名『グリムワイバーン』。この名を捨てる為に、私は戦う。貴様の力、我らの悲願のために使わせてもらう!」
翼を使って飛び上がった『グリムワイバーン』は、その翼で生み出した風を置き去りにして、シオンに肉薄した。
「…完全に分断させられたわね…」
薄暗い通路をユフィーは静かに歩く。
魔力の回復のために深く息を吸いながら、警戒は怠らずに周囲を油断なく見渡す。
そうしていると、彼女の所にも風が吹いた。
「…ふぅん。ここが出口だ…いえ、罠かもしれないわね」
その風を肌に感じながら、ユフィーは分断されてしまった仲間のことを思う。
「…そう簡単には死なないでしょう。シオンは時の魔法を使わなければいいだけだし…『死なない』って約束したし」
どこか頼りなさそうな少年の、だが頼れる笑顔を思い出して、ユフィーは新たに足を進める。
そして、進んだ先の部屋は同じく薄暗かったが、違う所があった。
「…紅い…趣味悪いわね…」
「これは心外ですねぇ。喜んでいただけるとばかり思っていましたよ」
「っ! 『ヒーナス』!」
憎々しげにその名前を呼ぶユフィー。
所々が赤く不気味に染まった部屋に現れたヒーナスは、出会った時とは全く違う格好だが、眼鏡のずれを直すために眼鏡に手をかける様は全く変わっていなかった。
右目に大きくかかる長い茶色の髪を掻き揚げると、『ヒーナス』は笑う。
その笑いに応えるかのように、ユフィーはスターレインを構え、油断なく『ヒーナス』を睨む。
「おっと。やはり怖いですね。女性は笑顔が一番だと言うのに…」
「…あんたに言われてもね」
「まあいいです。ここで私とあなたが戦うことは、避けられないようですし」
「ふん。凍らせてあげるわ」
スターレインが輝き、飄々と立つ『ヒーナス』に向かって氷の刃が飛来する。
その挨拶代わりの刃を、同じ氷の刃で迎え撃つ『ヒーナス』。
「なっ!」
「すいませんね、隠していて。私が魔剣『クリスフリーズ』の所持者です。さぁ、氷を司る者同士、仲良く戦いましょう」
「お断り、よ!」
『ヒーナス』の手に握られた美しすぎる両刃剣と、スターレインから放たれたまったく同じ量の氷の槍は、音を立てて地面へと落ちていく。
「我が忌み名『ヒーナス』。この名を捨てる為に、私は戦わせていただきます。踊りましょう? 氷の演舞を」
「いたたた…」
強かに打ちつけたお尻を擦りながら、リィナは少し涙の溜まった目を真っ直ぐ向ける。
薄暗い通路は蝋燭の頼りない灯に照らされ、異様な雰囲気を醸し出していた。
「うぅ…痣になったらどうしてくれるんですかぁ…」
今ここで服を脱いでも確認することが出来ないので、リィナはとりあえず祈っていた。
―――青くなっているのが残ることだけは勘弁と。
そんな事を思いながらリィナが歩いていると、急に視界が晴れた。
大音量の音と、目も眩むような光と共に。
「ちっ。だから嫌なんだ。こうやって自分から行けばすむ話じゃねぇか、ったく」
小言をグチグチと言いながら現れたのは『エルブレイア』。
斑模様の黄色の髪を今は完全に逆立てて、リィナを睨む。
その視線をリィナはしっかりと受け止めると、風燐華を引き抜いて構えた。
「あなたは…メアさんとコロナさんの所に来た人ですね」
「あん? だったら何だってんだ?」
「倒します!」
風燐華を振り、生み出したのは大きな風の砲弾。
竜巻をその中に宿したかのような力を感じる砲弾は、真っ直ぐに『エルブレイア』へと向かって飛んでいく。
だが、その砲弾を軽く身を捻っただけで裂ける『エルブレイア』。
「っぶねーな。いきなりがこれかよ…。まったく、先が思いやられるぜ…」
「まだまだ行きますよ!」
「っ! 休ませろよな! 流れよ、雷。その神にも迫る速さで、我が体を運べ! 『神ノ雷速』!」
青白い光を纏った『エルブレイア』は、その呪文の言葉の通りの雷速で、リィナが放った風の砲弾をすべて避ける。
そして、その雷速でリィナに迫ると、その指でリィナの頭を突いた。
「うぅ…バカにしないでください!」
「がはっ!」
油断が過ぎたのだろうか。
リィナの体を中心に巻き起こった旋風が『エルブレイア』を捉え、その体を吹き飛ばす。
「………」
追撃はせず、出方を伺うように油断なく風燐華を構え直すリィナ。
吹き飛ばされた『エルブレイア』は、口から溜まった血を吐き捨てながら、叫ぶ。
「おもしれぇな、やっぱりよ! 我が忌み名『エルブレイア』。この名を捨てる為に、俺は戦う! 覚悟しな!!」
再び青白い光を纏った『エルブレイア』は、リィナに怒涛の勢いで迫っていった。
「あたたたた…」
落下した際に打ち付けた体を擦りながら歩くカナ。
幸い、レストーションを振るうことに関しては何の問題もないのだが、他に問題があった。
「もー、また服が千切れたよー。せっかくユリに縫ってもらったのにー」
服の傷が入った所を弄りながら、そう小言を漏らすカナ。
その千切れた部分を弄っていてはさらに千切れた所が広がるだけなのだが、カナは弄るのを止めなかった。
「ま、いいか。なーんかお宝がありそうな雰囲気のある所に落ちてきたしねー」
目を輝かせながら、薄暗い通路を隅々まで隈なく見渡す。
一応、少しは値が張るかもしれない燭台を手に握っているが、カナはそれでは満足しないようだ。
そして、辺りを見渡していたカナの目が、ある物を見つけたことにより一層輝いた。
「ん? おお…おおぉぉぉ!! これはメルイト鉱石じゃん! これ高く売れるんだよねー! あ、こっちにもある! こっちにも! うわー、大漁だよ大漁!!」
床に転がっていた、淡い銀色の輝きを放つ塊を手に取ったカナは、通路に響き渡る喜びの声をあげる。
カナが喜ぶのも無理はない。メルイト鉱石は、鍛冶屋の中では一般的に一番の良質な鉱石として重宝がられているのだ。
それはつまり、鍛冶屋が一番欲している鉱石ということ。
それはつまり、高値で売り買いが出来るということ。
その事に、カナは戦いのことなど忘れ、鉱石集めに霧中になってしまっていた。
「…ネコババしてんじゃねーよ。それは俺様たちの貴重な収入源なんだからな」
「うひゃぅっ!」
そんなカナに、呆れた声を出す『コーガディーガ』が現れた。
その唐突な声に、やましい事をしているつもりがあるカナは萎縮して飛び上がってしまう。
まるで、尻尾を踏まれた猫のように。
だが、カナはそこから直ぐに怒ったりはしない。まあ、怒られる理由はあっても怒る理由がないからだ。
「…まあいい。お前はここで死ぬんだとさ。俺様に殺されてなぁ」
手に持っていたソルトレスターを振り被り、カナへと一直線に振り下ろす。
その攻撃を後ろに飛びすさることで辛うじて避けたカナは、お返しとばかりにレストーションを下がりながらではあるが、突き出して相手の振り下ろされた剣を狙う。
ガキィィン…
「うわ、固いっ!」
「はっ! そこら辺の武器と一緒にすんじゃねーよ!」
完全に明後日の方向に弾かれた穂先を見ながら、カナはそんな驚きの声をあげる。
それを隙と見た『コーガディーガ』は、すかさずカナに近づき、そのガラ空きの腹に蹴りを決め込んだ。
「がはっ!」
その蹴りをまともに喰らったカナは、肺の空気を全て絞り出したような声を上げ、吹き飛ぶ。
前回の戦い同様、この絞り出されたような肉のない体のどこにそんな力があるのか分からないぐらいの威力である。
「ちっ、ハズレ引いちまったか? 魔法も使えねぇ、魔剣も使えねぇ、こんな奴と戦うなんざ、俺様の趣味じゃねぇっての」
「っく…。…いい、じゃんか。…私、頑張るから、さ!」
起き上がったカナは、蹴られた脇腹を抑えながら『コーガディーガ』の愚痴に答える。
そして、繰り出したのは突きの弾幕。毎度お馴染みのカナの戦法だが、この速度には普通の人間はついてこられない。
───そう。普通の人間ならば。
「はぁ…。…我が忌み名『コーガディーガ』。俺様は、この名を捨てるため戦う」
その突きの弾幕を見た『コーガディーガ』はため息を一つ吐いた後、自らの忌むべき体を晒す。
そして、その身体能力を持ってして掴んだ。
カナの高速で繰り出される突きを。
「うわっ!」
「さぁて、楽しもうか。…『魔の無き者』よ」
「くそっ!」
「ハァッ!」
深緑色の翼を背中に生やし、自らへと凄まじい速度で突っ込んできた『グリムワイバーン』をいなす。
だが、相手はクロストティア。人外の力を持つ、忌むべき容姿を持った、疎まれる存在。
その拳に乗った憎しみの心は、シオンが受け止めるには重すぎた。
「がっ! くそっ!」
何とか身を捻って直撃は避けたが、その余波がシオンの肩を抉る。
反撃のために繰り出したカテドラルの爪も、空中に浮いた敵には届かない。
一撃離脱の彼女の戦法に、シオンは完全に後手に回ってしまっていた。
そんなシオンを嘲笑うかのように、『グリムワイバーン』は呪文を唱える。
「清らかなる水よ。我が前に現れし脅威を、その無形の力で洗い流せ。そして、沈めよ。『沈黙ノ水流』!」
交差させた状態で構えられた両手から、膨大な量の水が出現した。
その呪文によって意思を持った膨大な水は、『グリムワイバーン』の狙い通りにシオンへと迫る。
水としては綺麗そのものだが、それに飲み込まれた時の損害は尋常ではない。
迫る水の本流を前に、シオンは決断した。
命を削る覚悟を。
「(…僕は、いつまでも迷ってはいられない…だから!)…時を、我が手中へ。支配せしは、全ての流れ。巡り巡る時の流れを、全て我に委ねよ! 『支配ノ時』!」
瞬間、全ての動きが止まった。
流れる水も、はためく翼も、煌めく金属も。
全ての音も、匂いも、流れ続ける物全てが制止していた。
その中でシオンは動く。自らの命を削ってでも、止めなければならない相手がいるから。
助けたいと思える人がいるから。
ズオォォン…
シオンが魔法を解除し、時が動き出す。
塞き止められていた水の本流が流れ、そんな重低音を響かせながら全てを飲み込む。
その様を見て、『グリムワイバーン』は細く息を吐いた。
「…これで終わり…」
「違うよ」
「なっ! …時の力ね…やはり、全ては貴様の掌の上という訳か」
背後を取られ、しまいには自らの翼をも封殺されて地面へと下ろされていた『グリムワイバーン』は、細く吐いた息を深いため息に変える。
そしてシオンは、圧倒的有利にたったこの状況でも、警戒は怠らなかった。
いや、それどころか思わぬことを『グリムワイバーン』へと問いかけた。
「…教えてほしい。君たちの忌み名ではなく、本当の名前を」
「…何? 貴様、何を考えている」
「僕は、本当は戦いたくない。でも、戦ってしまうのは分かり合っていないからなんだ。僕は、君の本当の名前を知らない。これじゃ、分かり合えない」
「分かり合う? 蔑まれ、忌み嫌われてきた私たちとか? ふっ、笑わせるな。そんなことをして何の意味が…」
「損得じゃない。僕は、君たちを助けたいんだ」
その心からの言葉に、『グリムワイバーン』の息を飲む音が響く。
信じられる者がいなかった。だから絶望するしかなかった。だから、憎むしかなかった。
自らの体を。自らと同じ姿をした魔物を。魔物がいる世界を。味方のいない、この世界を。
だから彼女達は変われないのだ。
信じることができないから。人を、想うことが、できないから───。
「君たちがこの世界を変えようとしているのは知っている。聞いたからね。でも、そのやり方は違う。間違っているんだ」
「…だからどうしろと? 私たちはもう、どうすることもできないんだ。異常な身体能力の代償の短命。もう、命など残されていない」
自らの手を見つめながら、そう悲しみを滲ませる『グリムワイバーン』。
だが、シオンはそんな彼女の態度が許せなかった。
ドカッ!
「……っ!」
「…バカ野郎! 命が長くないと分かっているんなら、何でこんなことをしたんだ! なんで、助け合うことができなかったんだよ!」
シオンは告げる。
反射的に殴ってしまったことを悔やみながら、だが、気持ちを告げる。本当の気持ちを。
人を想う、心を。
「苦しいなら、言えばいいじゃないか! 人は、分かり合えるんだ! そうやって、ここまで文明を発展させ、多くの人々が生き永らえてきたんだ! それを、君たちはなぜ壊そうとするんだ!!」
「…っ! 壊すのではない、戻すのだ! 全てを、魔物がいない平和な世に!」
「同じさ! 今まで作り上げてきた、人々の絆の証を君たちは奪おうとしているんだ!」
「ならばどうする! 結局は、私たちのこの体が縛り付ける! 全て『汚らわしい』の一言に集約してな!!」
「───っ! だったら、僕がいる! これからは、僕が味方だ! 君の、仲間だ! かけがえのない、友達だ!!」
痺れを切らしたように、シオンが珍しい怒声をあげる。
それほどまでに、シオンは想っていたのだ。
彼女のことを。人々の奇異の視線から逃れるために、憎しみという名の殻に閉じこもっていた彼女のことを。
その思いを受け、彼女の体と心は揺さぶられる。
全ての根幹が揺らぐ思いに、『グリムワイバーン』と名乗る一人の女性は崩れ落ちた。
「…私は…私は…!」
初めての事に頭が混乱し、体が戦慄く。
そんな彼女に、シオンは優しく手を差し出した。
「僕は、何があっても君を助ける。だから教えて? 本当の名を。僕という存在が、君という存在と分かり合うために」
「…私は…忌み名を捨てても…いいのか…?」
「うん。元々、持っちゃいけなかったんだよ。人は、魔物じゃないからさ」
「…なら…捨てよう…。…私の、私の本当の名は、リュウナ・カンザキ。…よろしく頼む、我が友よ」
「よろしく、カンザキさん」
こうして、二人は手を取り合い、和解した。
リュウナは友になることで全ての憎しみが晴れ、シオンは託された。
一人の女性を救った事実を。そして、一人の友達の信頼を。
ヒュォォォ…
戦闘は激化していた。
斑模様に紅く染まっていた部屋は、今は一面の銀世界となり、美しく輝いている。
その中で、一人の少女と一人の男は、美しく舞っていた。
一人は輝く杖を振り、吹雪を生み出す。
また、一人は美しすぎる両刃剣を振り、その回転で同じ吹雪を生み出していた。
「凍える風よ。吹雪となりて、我が前の景色を白に染めよ。白銀の世界を、我が前に示せ! 『白銀美麗華』!」
「魔剣闘技。吹雪け、氷よ。我が前の敵を凍らせろ。『アイサード』」
スターレインの宝玉が輝き、ユフィーの体を中心に猛烈な吹雪が巻き起こる。
吹雪の風に揺れる髪は美しく、金色の髪と銀色の吹雪は、そこにあるだけで映えた。
対して『ヒーナス』は魔剣、クリスフリーズをかざし、その吹雪に向かって己が魔剣を振るう。
振るわれた魔剣から生み出されたのは、同じ銀を持った風。
だが、魔剣から放たれた白銀の風は、その場へとすぐに落下した。
しかし、その風は地面を這うようにして流れ、ユフィーの足元へと向かう。
意志を持った風は、そのままユフィーの足を包み込んだ。
「ちっ! 厄介な技ばっか使ってくるわね!」
「仕方ないでしょう? あなたのその戦い方には、これが一番有効なのですから」
「ふん! 小手先ばかり使われてもね!」
「ですが、このままだと決着がつかないことも事実。あなたに魔剣があれば私に勝ち目はありませんし、逆に私にあなたほどの魔力があれば、あなたに勝ち目はない」
「じゃあその魔剣を渡しなさいよ。あたしの勝ちでいいんだから」
「そうもいきませんでしょう? あなたは聖霊に愛され、私はクロストティアというだけで魔剣を握っているのですから」
魔剣を弄んでいた手の動きを止め、自らの背中をさらけ出す『ヒーナス』。
そこには、彼の忌み名の象徴である黒い片翼の翼が生えていた。
「飛ぶことすらできず、動かすこともない。ただ身体能力が高く、短命。こんな私に、なぜ聖霊は魔剣を握らせたのでしょうかねぇ?」
疲れ切った顔でそう言う『ヒーナス』に対し、ユフィーはスターレインを突きつけて叫ぶ。
「知らないわよ。 でも、ここであたしはあんたを倒す!」
「いいでしょう。全力で、私はあなたの相手を努めさせていただきます!」
ユフィーの啖呵に『ヒーナス』が応える。
その勢いのいい返事に満足したのか、ユフィーは口の端を吊り上げ、にんまりと笑った。
その笑みを余裕と取った『ヒーナス』は、クリスフリーズを掲げて突進していく。
両刃剣であるクリスフリーズの真の力を発揮する動きは円運動にある。
両端についた刃を振り、断続的に相手を襲う。逃げ場のない刃の応酬を、敵に食らわせるのだ。
そして、それは敵に一番接近しなければならないということ。
ユフィーはそれが分かっているからこそ、『ヒーナス』を自らの前に近づけさせはしなかった。
それが分かっているからこそ、『ヒーナス』はその時のための切り札を、魔剣に封入していた。
「…氷よ───」
「何度も同じやり方で通用するとでも……」
「思ってないわよ?」
迎撃のために発しようとした呪文を防ごうと、『ヒーナス』がその切り札を出すために魔剣を振るう。
だが、その直後に彼の顔にスターレインの宝玉がめり込んだ。
グシャ
「ふげらっ!」
「あら? ごめんなさい、思ったよりも力が入っちゃったわね」
真っ黒い笑みを浮かべながら、ユフィーは彼女のもっとも苦手とする近接戦で『ヒーナス』を殴っていく。
手、足、腹、胸、頭。思い当たる所全てを蹂躙するように、殴る。
殴られている『ヒーナス』は気づいていないだろうが、第三者がこの光景を見たとき、こう思っただろう。
悪魔の羽と尻尾を生やした人間が、片翼の堕天使を蹂躙していると。
「うぐ…。貴様ァ…!」
「やっぱりね。それがあんた、本来のあんたね。気に入らなかったのよ。考え方もそうだけど、その作った感じの話し方がね!」
『ヒーナス』態度が変わったことに、ユフィーは嫌悪感を抱いたような表情になった後、最後と言わんばかりに思い切りスターレインで殴る。
「がはっ! この女ァ…いい気になってんじゃ…ぐふっ!」
「だから気にくわないって言ってんの。自分の本当の名前すら言えない、偽りしかできない奴等に、世界なんか変えられないわ! 世界を変えられる奴って言うのわね…誰でも平等に、笑いかける事のできる奴なのよ!!」
『ヒーナス』を未だに殴りつづけているが、その中でユフィーは思う。
ルナニスクルメアの理想はいい。なぜ月を一つにすることで魔物がいなくなるのかは知らないが、平和のためだ。
だが、そこに犠牲が出ること。そこに、笑顔がないこと。そこに、幸せが感じられないことがユフィーに取っては許せなかった。
ユフィー自身も最初はミーナの仇が取れればそれでいいと思っていた。
だが、今回の旅で様々な人の思いに触れ、感じ取り、そして、想い人の苦悩を聞いてユフィーは変わったのだ。
何が正しいのかを考える事のできる、心の余裕を持つことができたのである。
「…そんな人間、この世にいると思っているんですか。…私たちのような者にも笑いかけれるんですか!?」
いつの間にかユフィーが殴ることを止めていたせいか、『ヒーナス』は冷静な口調に戻ってユフィーの言葉を糾弾する。
───自らの忌み嫌われる、堕天使の片翼を見せて。
「当たり前よ! あいつは…あいつは…そんな事で、人を変な目で見たりしない! あのバカは、どこまでも優しいのよ!」
「優しさで世界が変わると? そんな考えで、人の領域に踏み込むんですか、あなたは!?」
クリスフリーズを振り、更なる白銀の世界を生み出す『ヒーナス』。
だが、動揺している事で制御が甘くなっているのか、その吹雪の範囲は小さく、ユフィーには届かなかった。
「踏み込んでやるわよ! あいつがそうだったように、あたしも───!」
そう言って、一歩を踏み出す。
大きく、『ヒーナス』に向かって。
分かり合うための、一歩を。
「───あたしは、あんたを否定しない! 殻に閉じこもってるだけじゃ何もできない! 何が正しいことなのかなんて、そんな事は後で考えればいい! あたしは、あんたを救いたいの! あたしが救われたように!」
「…救う、ですか…。これまた面白いことを言うのですね。…ですが、悪くない」
握っていたクリスフリーズを消滅させ、やれやれと言った風に頭を振る『ヒーナス』。
そして、手を差し出しながら彼は、いつものような含んだ笑みを浮かべて言う。
「…女性が泣きそうにしているというのに、男がいつまでも頑固になっている訳にはいかないでしょう?」
「っ! ふ、ふん! な、なによ急に!」
『ヒーナス』に言われて初めて気づいた、頬をつたう涙。
それを必死に拭いながら、ユフィーは少し頬を赤らめて虚勢を張る。
「…では、この忌み名捨てさせていただきましょう。私の本当の名前は、ノルディア・カスティ。…他の者たちも、救って上げてください。特に、私たちを纏めている、あの方を…」
少し悲しそうな、寂しそうに言うノルディアに、ユフィーは自信を込めて言った。
「分かってるわよ。あたしは、そのために来たんだからね」
バチバチバチ!
ドゥン!
「あーはっはっはっはっ!! いいねいいねぇ! 楽しい、楽しいぜぇ!!」
「下品な笑い方は、嫌いです!」
「嫌われて結構。俺達ゃ、嫌われもんだからなぁ!」
笑いながら雷速で移動していた『エルブレイア』の蹴りが、リィナを襲う。
その計り知れない速度で繰り出された蹴りは、リィナがほぼ無意識で展開している風の障壁を突き破り、しっかりとリィナに届いていた。
「っぐぅ! こ、の!」
「おおっと。簡単には、喰らってやれねぇな」
繰り出される突きを、青白い光を携えながらひらりひらりと避けていく。
その間にも、リィナから繰り出される風の砲弾は容赦なく空間を削り取っていった。
「…避けないでくださいよー。当たらなきゃ意味ないじゃないですかー」
「てめぇ、可愛い顔してその台詞はどうかと思うぜ?」
「あなたにそんな事言われても面白くありません!」
「へぇ。誰だったらいいんだよ?」
「あ、あなたに何か教えません!」
照れ隠しなのだろうか、少しだけ赤く染まった頬を隠しながら、風燐華を振るうリィナ。
そこから生み出された竜巻は、その状況を楽しんでニヤニヤと笑っていた『エルブレイア』を飲み込んだ。
「んなっ! ちぃっ! 轟け雷、雷雲よ。我が天空に具現せよ。啼け、その莫大なる力を持って! 『雷天ノ裁』!」
竜巻に翻弄されながらも、呪文を唱え、魔法を行使する『エルブレイア』。
放たれた魔法は竜巻より高く、天空から降ってきた。
幾重にも束ねられた、雷の本流。それはまさしく、天からの裁きだった。
「死ね」
ドガァァァン!
「キャァァァ!」
その雷は『エルブレイア』の無慈悲の一言で落下し、リィナに直撃した。
凄まじい音と光と熱量がリィナを襲い、リィナはその熱量に耐えられずに悲鳴を上げ、崩れ落ちる。
服の切れ端は炭化し、墨になっている。そんな半ば骸とかしたリィナを見て、消滅した竜巻から抜け出した『エルブレイア』は笑う。
「あーっはっはっはっは!! 他愛もねぇ! やっぱり風は一番弱ぇよな! 俺の雷が最強だぜ!」
『エルブレイア』の言う通り、いくら魔法といっても上下互換がある。
相克の関係もそこに当てはまるが、何よりは実態を持つか持たないかが大きな分け目となるのだ。
風は所詮風。いくら強力な竜巻や嵐を巻き起こしても、所詮は軽い。
だからこそ魔法の中では一番弱い。ある一点を除けば。
「うぅ…」
「まだ立てるのかよ。…いい加減くたばった方がいいんじゃねぇか!?」
呻き声を上げながら立ち上がろうとするリィナに、『エルブレイア』は指先に集めた魔力で小さな雷を作ってリィナに飛ばす。
その小さくとも止めになるはずの威力の雷は、リィナに当たる前に、霧散した。
「ちっ。風の鎧か、厄介なもんを…」
風は軽い。だが、それは攻撃には使えないが、動き、防御という面では絶大な効果を発揮する。
風をどれだけ圧縮しても、どれだけ強固な風の障壁を張ったとしても、それは軽い。
つまりは、まったく術者の動きを阻害しないのだ。
それはリィナのような純粋な剣士にはうってつけの能力であり、望むべき能力である。
「…何かよく分からないですけど、これなら…!」
「ちぃっ。ふざけんじゃねぇ!」
立ち上がったリィナが、『エルブレイア』に果敢に斬りかかる。
その動きを止めようと雷を放つが、リィナが展開している障壁に全て弾かれてしまう。
今まではなかった出来事にうろたえる『エルブレイア』。
その隙を見逃さなかったリィナは、その体を袈裟斬りに斬った。
「やぁっ!」
「ぐはっ!」
右腕を斬られたことで血が噴出し、その体と風燐華の刀身を紅く染める。
だが、その斬られた先の体を見たとき、リィナの体は固まってしまった。
「───っ! 朱色の鱗…!」
「…そうだ。これが俺の忌み嫌われる体。そして、クロストティアである証だ!」
服を破り捨て、血が流れつづける体を気にせずに動く。そこに現れた、皮膚ではない朱色の鱗。
斬りつけられた事で出来た右腕のそれを、憎しみのこもった目でみつめ、そして、抉った。
「───っ!」
その凄惨な光景に、息を飲むリィナ。
だが、『エルブレイア』はそんな事も構わず、ただ傷口を抉る。
そして、その手が止まったと思ったとき、その傷口はぴったりと塞がっていた。
「そんな! どうして…」
「これが俺の忌むべき体だ。どうしてかは知らねぇが、傷を弄りゃあ治んだよな」
自らの血で汚れた手を、綺麗に舐め取りながら言う『エルブレイア』。
なかなかに扇情的な光景だが、リィナはその光景を見て気づく。
『エルブレイア』の体の異変に。
…グヂ…
「っ! 腕が!」
「…限界か」
肉がずれる音が響いた後、その右腕の傷口があった場所から角が次々に飛び出す。
エルブレイアの名の通りの飛び出した三本の角は、黒く鈍く光る。
その角を見て、『エルブレイア』は少し残念そうに呟いた。
「限界? どういうことですか?」
「そのまんまの意味だ。俺はもう死ぬのさ。…この角に食われてな」
「えっ!?」
「驚くこたぁねぇ。あの四人の中で、俺が一番死期が近かっただけ。そんで、この力を使ったことで、その死期がさらに早まっただけだ」
クロストティアはその尋常ならざる身体能力のために短命だ。そして、その身に宿った力を使うことは、その身を削ることになる。
それほどまでに魔物の力は強大。人の身の体の大きさで、その力を扱うことは不可能なのだ。
『エルブレイア』はそれが分かっているのに、リィナと戦った。
自らの最後を、自らが好きな戦いで終える為に。
「そんな…!」
「んな悲しそうな顔してんじゃねぇ。俺はこれで満足してんだ。だからよぉ…戦おうぜ!」
そう威勢よく叫ぶと、リィナに殴りかかろうとする『エルブレイア』。
だが、その拳はリィナに届くことはなく、リィナが出した風に阻まれ停止した。
「なぜなんですか…」
「は?」
「なんでそんな簡単に命をあきらめられるんですか!」
感情に任せて放たれた暴風は『エルブレイア』を打ち、その斑模様の黄色の髪を揺らす。
リィナには分からなかった。『エルブレイア』のその感情が。
疲れきったその目の理由が。
「あきらめる、ねぇ…。だって仕方ねぇだろ? それが運命って奴なんだからよ。その運命を俺も呪った。だからこうしてここにいるんだがなぁ」
「運命って…。呪うなんて、なんでそんな事…ぐっ!」
「なぜなぜなぜなぜうるせぇな! これは俺が決めたことだ! お前なんかにゃ関係ねぇんだよ! ましてや、心配される理由も同情される理由もな!」
リィナの首を掴み、そのまま壁に押し付ける。
風の障壁に阻まれて完全には掴んでいないことが分かってはいるが、それでも憤りは押さえられなかった。
「でも…私は、分からないんです! 私だって、なんでこんなことになるんだろうって思ってた時期がありました! 親も恨みました! 周囲を呪いました! でも、生きることを止めはしなかったんです!」
首を押さえられ、無意識で行っていた風の障壁の展開も、今は自覚して行う。
それほどまでに、『エルブレイア』は怯えているのだ。
リィナに心配されることを。
―――同情を寄せられることを。
「これが運命だからって、そんな簡単にあきらめたら負けじゃないですか! 足掻いて足掻いて、その先に掴むものが、本当の幸せじゃ、ないんですか!」
「そんなもん分かってるよ! でもな、足掻いても足掻いてもどうにもならねぇことぐらいあんだよ!」
ドカッ
リィナの首を絞めていた方の逆の手を、リィナに向かって思い切り振り下ろす。
だが、その拳はリィナの顔ではなく、その後ろの壁を殴っていた。
磯の壁を殴ったことで、その手からは血が滲む。
しかし、そんな事はお構いなしに『エルブレイア』は言葉を続けた。
「それに俺達に本当の幸せなんか掴む必要なんかない。俺達はどうせ、遅かれ早かれ死ぬんだから…」
「っ! だったら、なんでそんな悲しそうな目をするんですか! 死ぬことが怖いから、そんな目をするんじゃないんですか!?」
リィナは『エルブレイア』の目を覗き込みながら言う。
その瞳に宿った真剣で真っ直ぐな光は、とても眩しかった。
そして、熱かった。
「私はシオンさんたちに会うまで、きっと同じ目をしていました。でも、変わったんです。変われたんです。仲間の、友達の言葉で! だから私はあなたに言います。『ともに生きましょう!』」
「…ふ…。やっぱり可愛い嬢ちゃんだな。そして甘い。だけど…その甘さこそが俺達に必要なのかもな」
「『エルブレイア』さん…」
「俺の本当の名前はインジュ・モーカスだ。もう、『エルブレイア』としての俺は終わりだ。これだけは、てめぇに何と言われようが変わらねぇ」
リィナを掴んでいた手を下ろし、疲れたように息を吐くインジュ。
「参ったよ、てめぇの目に。やり残した事なんてものはねぇが、賭けてみてやるよ。お前たちの思いによ」
「モーカスさん…」
「俺の命が続くまでに、見せてくれよ?」
「はい!」
どこかまだ気だるそうだが、インジュはリィナに笑いかける。
その笑みを、リィナは受け止めた。
花が咲いた様な満面の笑顔で。
「…おい。いつまでやるつもりだ?」
「…いつまでも、だよ! …私が、君に、勝つ、まで!」
「無理だろ」
「無理じゃ、ない!」
「どっから沸いてくんだ、その自信は…」
「ハァァ!!」
「無駄だって、言ってんだろ!」
ゴシャ!
「くはっ!」
大振りに振られたソルトレスターを防ぐ事が出来ず、その大剣の腹にぶつかって吹き飛ぶカナ。
その体は完全に満身創痍で、所々から血が流れ、その左腕は肘が嫌な方向に曲がっていた。
そんな状態でも突っ込んでくるカナに、『コーガディーガ』は苛立ちを込めて吐き捨てた。
「お前が俺様に敵うはずねぇんだよ。体術でも、魔法でもな」
「そんなこと…ない! 私は、少なくとも負けてるなんて思ってない!」
「んなもんの何が役に立つってんだ…」
「自分を偽ってる人間なんかに、私は負けないの!」
「あ?」
カナの言葉に、『コーガディーガ』の魔力が爆発的に膨れ上がる。
だが、不幸なことに魔法が扱えないカナはそれが分からない。
堰を切ったように、カナは言葉を述べていく。
「私は偽りなんかしない。自分の思いに、正直に生きてるの。だから、私は君より強い!」
「黙れよ。お前が俺より強ぇだぁ? 笑わせんじゃねぇ! そう言うなら俺様を倒してみろよ! できねぇだろ!? ええ!?」
怒りに応えるように、『コーガディーガ』の足元から土の槍が飛び出す。
その土の槍は、真っ直ぐにカナへと向かいその猛威を振るう。
痛めた体に鞭打ちながら、右手一本でレストーションを振り回し、その土の槍を迎撃するカナ。
だが、その体で全ての土の槍を迎撃するのは不可能。
カナは打ち落とした土の槍に体を突かれ、膝を落とす。そのカナに追い討ちをかけるように、無慈悲に土の槍はカナの体に降り注いだ。
「クハハハハ!! お前がそんな口利ける立場かよ! 弱ぇ奴はさっさと死ねばいいんだよ! 頑張ることなんか…ちっ、まだ立ちやがるか…」
「…そりゃ、立つよ。だって私、君の笑った顔、見てないからね…」
「笑った顔だぁ? そんなもん見てどうすんだよ。それに、今も俺様は笑ってるぜ? お前みたいな弱ぇ奴を見てなぁ!」
「そんなの、本当の笑顔じゃないじゃん! 私は、ここまで来たのは単に楽しそうっていう理由だけだったけど、今は違う。ちゃんとした、私の考えがある!」
「へぇ…。聞かせてみろよ。お前のその考えってやつを」
『コーガディーガ』はソルトレスターを壁に立てかけると、それにもたれ掛かるようにして聞く体勢を取る。
聞く態度としては最低極まりないが、今はそんな事を気にしているほどの器量はカナにはなかった。
「私には、元気しかないの。元気な事しか取りえがないし、それでいいと思ってる。だから、王様に言われて思ったの。私は元気で、笑顔を絶やさずに生きていくって」
「…で?」
興味があるのか、顎で指し示すような形ではあるが、それでもカナの話を真摯に聞く『コーガディーガ』。
「だから私は、皆に笑っていて欲しいの! 誰もが笑っていられる世界。誰もが願うような、そんな甘い考えだけど、それでも私は願う! 笑顔で、人を元気にさせることが出来るって!」
シリアナと話して得たカナの想いは、そんなありきたりなものだった。いや、何も持っていなかった彼女だからこそ出た答えであった。
大して恵まれた環境にいるわけでもないのに、楽しく生き生きと生きられていた。シオンたちに会い、ここまで来るまで。
それは、彼女自身の笑顔があったからだ。誰もが心を開くような、そんな雰囲気を持つ笑顔が。
笑わなければ下を向いてしまう。トレジャーハンターなどという博打の様な世界で生きている彼女だからこそ、行き着いた持論だった。
だが、それでも『コーガディーガ』は納得していなかった。
ソルトレスターにもたれかかるのを止め、それと同時に掴んだその刃をカナに向ける。
しっかりと首に向けられたその刃を見て、カナは『コーガディーガ』を睨みつけた。
「願うのは結構。だけどな、願うだけじゃ何もかわらねぇ。『力』が無けりゃ、この世界では生きていけねぇんだよ」
服の下に隠された自らの忌むべき部分。黒く染まった足を曝け出しながら、『コーガディーガ』は迫る。
彼女自身も分かっている、甘い考えに。
「そんな事分かってる。私はそうやって今まで生きてきた。でも、それは一人だった時。…今は違う。友達がいるから!」
「そんなもんがなんの役に立つってんだ。所詮は貶しあい、騙しあう。そんな関係に何の意味が…」
「そんな関係なんかじゃない! 友達は、一緒に笑いあうためにいるの! だから私は、君とも友達になる! なってみせる!! そして、本当の君と笑いあいたいから!!!」
カナの想いと共に、その体の周囲が輝き始める。
濃い蒼色の光が、カナを包む。体全体を包んだ光は、カナの愛槍、レストーションにその光源を移動させ、その蒼い光が槍全体を覆った時、その光はより一層輝いた。
「な、お前! まさか!」
「私は、君に勝つ! それで、わかってもらう!! 友達は、すばらしい人の繋がりだってことを!!!」
そのカナの変化にたじろぐ『コーガディーガ』は、次にカナが繰り出した攻撃を避けることが出来なかった。
「やぁぁぁ!!」
渾身の突き。
体全てをしならせ、唯一自由の利く右腕に全ての力を集める。
足、腰、肩、肘、手と、連動した力は槍の穂先全てに集まり、爆発した。
グサッ!
寸分違わず放たれた槍の穂先は、吸い込まれるように『コーガディーガ』の腹を貫いた。
「ごはっ!」
「え? な、なんで…」
「ごほっごほっ! これが…お前の『力』か…。『魔の無き者』なんかじゃ無かったってか…これは、俺様の負けだな…」
血を吐きながら、そう言って今まで体から出していた殺気を霧散させる『コーガディーガ』。
そんな彼の様子を見て、刺した本人であるはずのカナは酷くうろたえる。
「負け? なんで!? あれぐらい、君なら避けれたはず…!」
「…ちっ。最後まで惚けやがって。…俺様はお前に負けた。それでいいんだよ…」
「そんなわけ無いじゃない! 私は、君の本当の笑顔が見たいの! そんな…こんな…!」
涙を流しながら崩れ落ちるカナ。
「これが現実だ…。ここには光の魔法が扱える魔導師も、医者もいない。それに俺様はもう死ぬはずだったんだ。だから、死なせてくれ…」
「ふざけないで! なんでそんな簡単にあきらめてるの! 私は、君に死んで欲しくないよ! そりゃ、さしたのは私だけど…!」
「へっ…。俺様たちは元々短命。二十年も生きれればいいほうなんだよ。そんな中で、俺様は力の行使も積極的に行った。そんな中で、ガタが来てねぇほうがおかしいのさ…」
腹から血を流しながら自虐的に笑う『コーガディーガ』に、カナの涙が落ちる。
その涙の温もりを肌で感じながら、死を迎えようとしている男は笑った。
「…ほらよ。俺様の本当の名前、ブラディス・ヘンナー、笑顔を受け取りやがれ」
「受け取る! 受け取るから! だから死なないでよ!」
「ふざけんじゃねぇ。俺は死にたいから死ぬ。お前の指図なんか受けねぇよ。ま、お前は人を殺したことがなさそうだし、いい土産だ。せいぜい苦しめ…」
瞼を閉じ、カナの願い通り笑うブラディス。
だが、その願い通りの彼の笑顔を見ても、カナの心は晴れるどころか曇る一方だった。
人を殺したと言う事実。魔物なら何度でもあるが、自らと同じ形をもつ生き物、『人』を殺したことは彼女には無かった。
「…ねぇ…私、笑ってるよ…? だからさ…」
涙を流しながら、カナは笑う。
引き攣ったくしゃくしゃの笑顔だが、それでも彼女は笑っていた。
自らの想いを、自らで踏みにじらない為に。
だが、彼女に科された運命は、残酷だった。
腕の中で冷たくなるブラディスの体を握り締めながら、彼女は泣く。
自らの無力と、運命の残酷さに。
「…だからさ…笑ってよ…ねぇ…?」
カナの願いは虚空へと消え、空しく響いた。