時の力
ドシャッ
「シオン!」
「シオンさん!」
「シオン君!」
シオンが倒れたことに、三人が声をあげる。
一番近くにいたユフィーは真っ先に駆け寄り、自らの服を千切ってでも止血を開始する。
だが、そんなものは所詮気休め程度。シオンの胸に開いた穴から流れつづける血を止めることは出来なかった。
「どいて。ユリがやったげる」
必死に止血を試みるユフィーの元に、ユリがそんな言葉と共に現れる。
その自身のこもった言葉に、有無を言わせない雰囲気を感じ取ったのか、ユフィーはシオンの隣から動く。
そして、体を一通り見聞したユリは驚くべき行動に出た。
「…光よ。その暖かなる力で、如何なる災厄からも守り、癒せ。『暖カキ巡リ(ヒネマ・アライト)』」
ザンッ
「がっ!」
ライトディボルスを片手に呪文を唱えると、その光り輝く剣をシオンの胸に開いた穴に刺した。
突然の衝撃に、意識の無いはずのシオンが声を上げその体を跳ねさせる。
「ちょっとあんた! いきなり何してるのよ!!」
「何って、治療だよ? だってこの子、心臓が無いんだよ?」
「は?」
ユリがライトディボルスの刺さったシオンの穴を指差す。
だが、人の死体などろくに見たこともなければ、人に穴が開いている状態などに経験もないユフィーに、そんな事が分かるはずが無かった。
「だから、ユリの魔剣で心臓の代わりをしてるの。これ以外の対処法なんて見つからないし。…この子だけは、死なせてはいけないから…」
「そんな…」
ユリの最後の言葉の呟きは、シオンの容態の深刻さに下を向いてしまっているユフィーの耳には入らなかった。
「それより今は、他にやることがあるんだよ。だって、ほら」
ザンッ
ドスッ
ゴシャッ
沈むユフィーがユリに促されて見たのは、仲間たちとカイが戦っている姿。
一体目のコーガディーガを倒した後、更に現れたコーガディーガが襲いかかってきていたのだ。
まるで、シオンが倒れたことを境にしたように。
リィナは飛びかかってくる一体を切り捨て、カナは自らの間合いの一番遠い場所から刺突の雨を振らせ、カイは魔剣から生み出した闇色の球体を放っていた。
「ユリも行きたいんだけど、魔剣の制御はユリじゃないとできないから。それが分かっていて、カイも戦ってくれてるから。…だから、頑張って…?」
少しだけ悲しそうな顔をしながら、ユリはユフィーに話しかける。
そのいつもの明るい顔からは想像も出来ない悲しみの色に、ユフィーは少しだけ口をつむぐ。
だが、すぐに仲間が戦う元へと走り出した。
一度闇に呑まれた意識が覚醒した時、シオンは真っ暗な世界の中を漂っていた。
自由の利かない手足。頭の中だけの思考。シオンがこの世界で出来ることは、考えることだけだった。
真っ暗な世界を漂いながら、シオンは一人思う。
かっこ悪いなぁ…。
だって、急によく分からない何かに大穴を開けられちゃったんだもんな…。
ほんと、情けない。
自責の念に押しつぶされそうになる。
だが、そんな簡単に沈んでいいはずが無かった。
僕は何のために王国まで来たんだ? みんなを守りたいからだろう?
今は守る所か、自分の命さえ危ないけど。
でも、絶対に生き延びる。
───絶対に。
シオンの思考の中に混じる映像の中には、友達の、仲間たちの姿が。
彼にとってかけがえの無い、大切な者たちの姿が写っていた。
みんなで笑っていられる世界こそが、僕の創りたい世界なんだから。
そのためなら、なんだってやってやる。
例え、自らの身がどうなっても。
シオンにはその覚悟があった。その覚悟こそが、彼の決意だった。
大切な人たちを守る。どんなことがあっても、護り抜く覚悟が。
───だから、僕はこんな所で死ねない。
動くはずのない手足を必死に動かす。だが、自らの目に写る手足は全くと言っていいほど動かない。
───動け。動け。動け。
───僕は、こんな所で終われない。
だって、まだ、護れてないから───!!
必死にもがく。そのもがく彼の耳には、仲間たちの声が届いていた。
彼の名前を呼ぶ声が。戦う声が。苦しみの声が。
だから求める。
自らの奥底に眠る『力』があるのなら。
「みんなを護れる、力が欲しい!!!」
何もない暗い空間に響いた、シオンの願い。
その響き渡った声に、暗かった空間が変貌する。どこか不思議な、金の色に。
変貌したその世界に驚いていると、シオンは目の前にいる小柄な少女が目に止まった。
どこか色味の薄い、存在さえ希薄な少女はゆっくりと口を開く。
「…力が欲しいの?」
どこか気の抜けそうな、しかししっかりとした少女の問いかけに、シオンはゆっくりとながら答えた。
「…欲しい。みんなを護れる、そんな力が」
「…なんで?」
「なんでって…。…仲間を、友達を護りたいから。大切な人たちと、笑い合いたいから…。…じゃ、だめなのかな?」
シオンの返した答えに、少女は少し驚いた後に首を縦に振った。
「…じゃあ、ここから出て行かないとね。待ってる、みんな。大切な人たちが」
「うん。僕は、行かないと。みんなの所に」
「…いってらっしゃい」
「いってきます」
金の世界にいた二人がそう言った瞬間、その世界は、霧散した。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
コーガディーガの群れと戦って、どのくらいの時間が経っただろうか。
濃密な戦闘の連続に疲弊したユフィーの精神と体力は、もはや限界だった。
それは背中を預けて戦うカナも同じで、完全に息が上がって肩で息をしている。
風の剣閃を飛ばして相手の群れを散らせるリィナも、そこかしこに傷を負っているし、重力球を飛ばして足止めをするカイも、額には玉のような汗が浮いていた。
そして極めつけはユリだった。至る所にかすり傷をつけ、服はボロボロ。満身創痍と言っても過言ではない。
倒れるシオンの心臓の代わりに、魔剣を使用しているためにユリは素手だ。
魔物に襲われればひとたまりも無い。
それが分かっているからこそ、カイはユリの元へと行かせないために重力球で足止めをしているのだが。
「…く、そっ!」
「ゆ、ユフィーちゃん。お、女の子がそんな声出しちゃダメだって」
「知らない、わよ、そんな事。それより、あんたは無事、なんでしょうね?」
「もしかして、心配、してくれてるの?」
「してないわよ! ただ、背中にもたれられると、きついからって理由だけ、よ!!」
突進してきたコーガディーガに向けて、ユフィーは魔法を放つ。正確にはその走ってくる地面に。
一瞬にして凍った地面に足をとられ、バランスを崩してこけるコーガディーガ。
その隙を逃さず、カナがレストーションで魔物を貫いた。
「く…ジリ貧ね。これじゃあ…」
「うん。何か効率のいい作戦とかは…」
「ないわよ」
「ですよねー」
落胆した声を出しながら、カナは自らの前に迫るコーガディーガを睨みつける。
視線の遥か後ろには、リィナの飛ばす風の刃が乱れ飛んでいたが、今のカナにはどうすることもできなかった。
そして、目の前に迫った一匹を貫こうと槍を構えたとき、彼女の耳にある音が聞こえた。
ザッ
「ったく、情けねぇなぁ。こんだけの数集めても、一人も殺せねぇって、どういうことだよ。ああ?」
ガラの悪い声と共に、一人の男がユフィーたちが戦う戦場に現れた。
体躯は細い。いや、細すぎる。贅肉はおろか、必要な筋肉さえも削り取られたような男のなりに、五人は驚きで目を見開く。
「『時の王子様』はまだお寝んねか。まぁ、ならこいつらを殺してみるとするかねぇ」
だが、その男の言葉と同時に放たれた殺気に、五人は意識を改めざるを得なかった。
その細すぎる体のどこから出てきているのか分からない、濃密な殺気。
溢れ出る、殺しの気配。
そして、カナがレストーションを構えた時にはその体ごと吹き飛ばされていた。
「キャァァ!!」
「カナさん! ええぇい!!」
「風は、軽ぃんだよ!!」
「くはっ!」
吹き飛ばされたカナを見たリィナが、男へと斬りかかっていく。そのリィナを素早く避け、リィナの攻撃の力を利用してその腹を殴る男。
くの字に曲がった体を、リィナは抜けていく痛みに構わず動かす。
風燐華に風を纏わせ、男の足を狙う。だが、その攻撃は腕ごと蹴り飛ばされた。
「お前。なぜ分かる」
「見てきたからなぁ。もちろん、お前らもなぁ!」
「意味が分からない。だけど、死ね!」
飛びかかってくる男に向け、牽制のための重力球を放出するカイ。
かなりの量の重力球が散らばり、カイはそれに一つでも引っかかってくれればいいと、そう思っていた。
だが、男は意外な行動でその重力球を相殺した。
「手緩ぃなぁ、まったくよぉ!!」
楽しそうに笑いながら、男はカイの放った重力球を切っていく。
その手に握られた、巨大な剣を持って。
「『ソルトレスター』! ロイスの魔剣か!?」
男が握っていたのは、巨大な黄土色の大剣。剣身に描かれた紋様が波打ち、その異質さをこれでもか言うぐらいにアピールしてくる。
その叩く事にも特化していそうな幅広の大剣を担ぎ直すと、男はカイを挑発するように言った。
「ロイスぅ? そんな奴は知らねぇなぁ。ちびっこい薄汚れたローブを着た奴なら知ってるがなぁ!」
「…き、貴様ぁぁぁ!!」
男の言葉に、カイが激昂する。先ほどあったような狂い方ではない、ただ、怒りに任せた狂い。
頭のどこも冷静ではないカイの攻撃は、まったく男には届かなかった。
魔剣を弾かれ、その体もソルトレスターによって吹き飛ばされてしまう。
「さぁて…後はこいつらだけだな…。…魔剣を持たない光の巫女に、魔力切れの氷の女。どこまで対抗できる?」
「ふざけないで。まだやれぐぅ!」
「あんま舐めたこと言ってると殺すぞ?」
ユフィーの顔を掴み、見た目からは想像も出来ない膂力でユフィーを持ち上げる男。
額に青筋を浮かべ、完全に切れている。
そんな男の顔を見ることが出来ないユフィーは、ただもがくことしかできなかった。
「ったく、何もできないくせにいきがんじゃねぇ。それに、てめぇが大切に思ってる王子様の真実を聞けば、仲良くなんてしたくなくなるだろうけどなぁ?」
「っ!」
その男の言葉に驚愕を覚えたユフィーは、暴れる力を強め、男の手から逃れようとする。
だが、顔をしっかりと掴まれ、首に魔剣の剣先を当てられてはどうすることもできなかった。
「まぁいい。お前はここで死…」
「させないよ」
チャキッ
涼やかなシオンの言葉が、男の言葉を塞ぐ。
そして、その冷ややかな言葉と共に突きつけたカテドラルの爪の切っ先を、男の首に押し込んだ。
「…へへ…脅しってか? 似合わない真似はするもんじゃないと思うぜ? 王子さまよぉ」
「そんな事は知ってる。だからこんな事、終わらせたいんだ。…ユフィーから手を離せ」
「おぉ怖い」
首の皮が、あと少しだけ力を入れただけで切れるという所まで力を入れた所で、男はユフィーを離した。
「かはっ…ごほっ!」
「ユフィー、大丈夫?」
「あたしは平気。ってか、あんたの方は平気なの?」
「うん。ありえないぐらいぴんぴんしてるよ」
自分の胸を叩きながら、もうなんとも無いと言うようにユフィーに笑いかけるシオン。
「だから大丈夫。後は僕に任せて」
「あ、ちょっと!」
ユフィーを自らの後ろに回し、自らは立つ。男の前に、しっかりと。
「…ここからは、僕が君の相手だ! 友達には、仲間達には、手を出させない!!」
体から金色の光を放ちながら、シオンは男にそう宣言した。