狂想曲
「…すー…すー…」
静かな木陰の中、少年の気持ちよさそうな寝息が響く。
風になびく髪は漆黒。一点の混じり気もない黒色の髪は、少年の頭の後ろ側で撫で付けられており、今は寄りかかっている木の間の下敷きになっていた。
どこか線の細い、女性のような印象を受ける風貌。手に本を持っていることから、読書の間に眠ってしまったのであろう。
「キャハハハ。ねぇー、カイ。楽しかったよねー?」
そんな少年が気持ちよさそうに眠っていると、その少年が寄りかかる木から、一人の少女が楽しそうな笑い声とともに現れる。
眠っている少年と同じ風貌をした少女。唯一違うのは、髪の色が一部分だけ青くなっていることだろうか。
そんな少女は、おそらく少年の名前であろう名を呼びながら、その少年にもたれ掛かった。
「んー。カイの匂いだー。ふふふ…ねぇー、カイー、起きてよー」
ユサユサユサ
ひとしきり少年の感触を楽しむと、少女はカイと呼んだ少年を揺らす。
その不躾極まりない安眠妨害の行動に、カイは目を覚ました。
「…んん…おはよう、ユリ」
「おはよっ。…んちゅ…」
ユリと呼ばれた少女は、満面の笑みで起きたばかりのカイの頬にキスをする。
その突然の襲撃にもカイは動じず、逆にユリの額にキスを返した。
「…ん…。…ユリ、眠いんだけど…」
「…あん…これからなのにー…。ま、でも久しぶりに運動したもんねー」
妖艶な瞳で舐め回すようにカイを見た後、その瞳のまま木陰の外の世界を見るユリ。
そこには、二人が久しぶりに運動した結果が広がっていた。
一面に広がる紅。この木陰の周りに美しい花々が咲いたような彩りに、息を飲んでしまう。
だが、その広がる紅の正体は鮮血。生きる人間から出た、生命の源。
だからこそ、美しいのである。
「綺麗だよねー…。でもぉ、ユリは鳴いた声が一番好きだけなんだけどなぁー。人が死ぬときに出す断末魔の鳴き声ぇ」
その光景を眺めたまま、ユリは近くにあった紅く染まった棒を手に取る。
妙に柔らかい棒は、ユリが手に取ったことで鈍い音を立てながらその形を変形させてしまう。
「こら。汚いから持っちゃダメだろ」
「キャハハ。ごめんごめん。でさぁ、カイぃ。…眠いんならぁ…ユリを抱いて寝てぇ?」
猫撫で声を出しながら体をクネらせ、ユリはカイを誘惑する。
だが、ユリの思惑とは別の方向にカイは行動した。
「…んぅ…だめだってぇ…耳はぁ…キャッ…」
ユリの特徴的な尖った耳を甘噛みすると、そのまま抱きしめて自分を下にして倒れこんだ。
そして、以外なぐらいの強い力でユリを抱きしめると、小気味いい寝息を立て始めるカイ。
「…もう…寝つきいいんだから。…でも…ん…」
顔をほんのりと赤くさせながら、ユリは眠ってしまった愛しの兄の唇を一瞬だけ奪う。
「…おやすみ…お兄ちゃん…」
そう呟いたユリは、紅い血の海の中に浮かぶ孤島の上で、最愛の兄の腕の中で眠りにつくのだった。
「…さてと…安請け合いしたというか、押しきられたというか…ここまで来ちゃったんだけど…」
そう半ば諦めた風に言うシオンの足は、その双子がいるという森に向けられていた。
実際、王国側からはその双子との接触、並びに情報を引き出すことを依頼されていたし、結局リィナとカナの威圧に負けたというのもある。
だが、それでもなおシオンのやる気はでなかった。
彼の後ろではしゃぐ、二人の少女を見ていては。
「リィナちゃんリィナちゃん。これこれ、可愛くない?」
「わぁ! 綺麗な花ですねー」
道端に咲いていた花を見て、カナがリィナに話しかける。
その黄色い花は風に揺れ、力強く咲いている。一輪だけがその場にあり、まるで誰も寄せ付けないかのように。
その花を見て、二人は女の子の会話に花を咲かせていた。
「うんうん。なんかこう、ぴしってなってる感じがいいよねー」
「そうですね。花びらの感じとか、綺麗ですねー」
―――微妙に食い違ってはいるが。
「はぁ…」
「そんなにため息ばっかり吐いてると、幸せが逃げていくわよ?」
心底疲れたようなため息をシオンが吐くと、ユフィーがそれを咎める様に話を振った。
「それに、せっかくこんな所まで出てきてるんだから、楽しみましょう?」
「そんな事言ったって、さっきの話を聞いた後じゃなかなかそう言う気分にはなれないよ」
「そうかしら? あたしは逆にワクワクしているけど? ドキドキ、かしらね? そんな気分」
―――シオンが隣にいるから―――
とは続けられないのが、ユフィーなのだ。
だが、その言葉に嘘偽りは無い。なぜなら、本当にそう思っているからであり、それを素直に出せたからである。
「ドキドキワクワク…か。意外と肝が据わってるんだね」
「そう言う言い方はちょっと、って思うわよ」
「そう? まあでも、ちょっと元気でた」
体を伸ばしながら、そう感謝の意を述べるシオン。
その言葉に、ユフィーはそっぽを向きながらだがしっかりと答えた。
「ふん…。それでいいのよ。あんたはそれで…。…それが一番、カッコいいんだから…」
「へ? 何か言った?」
「…なんでもない///!」
「…ん…?」
近づいてくる人の気配に、カイはゆっくりとだがその瞼を開けた。
その数は三。闇の聖霊の力を借りることのできる彼だからこそ、その気配が掴めたのだ。
闇は光に紛れて生きる。闇は光の影なのだから。
だからこそ気配を読み、最高の場所に位置しつづけることができるのだ。
その気配から少しでも遠ざかるために起き上がろうとしたとき、胸の中で幸せそうに眠る妹の姿が目に入った。
「…んみゃ…カイぃ…」
「おーきーろー、ユリー」
兄の名前を寝言で呼びながら眠る妹の頬を、いろいろな方向に引っ張りながら起こそうとする。
すると、普通は簡単には起きそうにはないこの行為で、ユリの目はパチリと覚めた。
「おはよーカイー」
「おはよ。早速で悪いが、お仕事」
「お仕事? あー、誰か来たの?」
「ああ。来たというか、来そう」
「じゃあいいじゃん。イチャイチャしてよーよー」
「駄々をこねない」
「ちぇー。…我、光の契約者なり。光よ、その身に宿りし清浄なる力で我らを癒せ。『聖光療』」
ユリから放たれた光の魔法は淡い白い光となり、二人を包み込んでいく。
全ての傷という傷が癒され、体の汚れが浄化される。
「…もう。傷なんか無いくせに、毎回毎回何で頼むのかなー?」
「これがあると頑張れる。ユリの匂いがするし」
頬をぷっくりと可愛く膨らませながら言葉を紡ぐユリに、カイはあえて臭い台詞を吐き、ユリの機嫌を図る。
「…う、上手いこと言ったつもり?」
「上手いこと言ったつもり」
赤く染まったユリの頬にキスし、にっこりと微笑みかけるカイ。
カイにとって、ユリは光だ。
闇のある所に光は生まれない。だが、光があるから闇が生まれる。なら、その闇は自分だ。ユリという光を穢さないために生まれた闇。
純粋な光にも、必ず闇はある。その闇を、カイは全て受け止めたのだ。
最愛の妹を、闇という名の穢れに染めたくないがために。
自らの幸福と妹の幸福、ただそれだけの些細な願いのために。
唯一の肉親と、愛する者と一緒に、いつまでも連れ添って歩くために。
そのために、カイは生きているのだ。