過去と未来と
ザシュッ
「…はぁ…っ…こ…これで何体目だ…」
無数に襲いかかるヒーナスの群れを切り伏せ、シオンの体力は限界に近づいていた。
いくら倒しても減らないその数。
どこからでも沸いてくるようなその感覚に、シオンは嫌な予感を覚えていた。
「…やっぱり、あの男が命じているのか…? だから、こんなに僕の所に…」
思い出されるのは、先ほど対峙していた男の言葉。
『ええ、その通りです。そしてこの一連の魔物の襲撃事件、私たちルナニスクルメアが行っています。…復讐のために…』
「…復讐って何さ…! そんな事しても何も変わらないっていうのに…!」
空を覆う真っ黒な影。その影の名前と同じ男の言葉は、シオンの胸の中で渦巻いていた。
実際、シオンの懸念の元である男の言葉は、今のこの状況を作っている。
半数以上の数をシオンの元に向かわせているのだ。
明らかに、シオンだけを殺そうとしている行動だ。
「…でも…ある意味助かったかな? …僕が頑張れば、他には行かないんだろう?」
初めに見せた挑発的な笑みを見せ、シオンはカテドラルの爪を鳴らす。
「…君がどこで見ているかは知らないけど…」
グシャッ
「…僕は決して…屈しないよ」
突っ込んできたヒーナスの一匹を、その言葉と共に貫く。
そして、今度は逆に自分から飛びかかっていった。
「…どこでしょうか…ここ…」
完全に迷子になったリィナは、立ち止まって辺りを見渡していた。
普通に考えれば、空に浮かぶヒーナスの群れを追いかけていけばいいのだが、リィナにその考えは無かった。
と言うより、それぐらいの考えが少しでもあれば、重度の方向音痴にはならないで済むのだ。
「…うぅ…どうしましょうか…」
「リィナちゃん!」
「カナさん! どうして!?」
「どうしてもこうしても、こっちが聞きたい! なんでぐるぐるぐるぐる同じ所を回ってるの!?」
「へ?」
突然目の前に現れたカナにリィナが驚いていると、さらにカナの口から発せられた言葉に首を傾げた。
キョロキョロと辺りを見渡し、手を打つ。
「あ。何か見たことのある景色ですね」
バシン!
「だから同じ所を回ってるだけだと言うとーに!!」
漫才のように、どこからか取り出した紙の束でリィナを叩くカナ。
痛みはないようで、リィナはケロッとしていた。
「ってこんなことしてる場合じゃない。行くよ、リィナちゃん!」
リィナの手を取り、ヒーナスのいる方角に向かって駆け出していくカナ。
「二ヶ所だけかなりの数が集まってる…でも他にもいる…。リィナちゃん! あそこの二ヶ所は後回し! それ以外を潰すよ!」
「うわー、どんどん近づいて行ってますよ」
「…ダメだこの子」
落胆しながらも、走る速度は緩めないカナ。
「あ、もうここでいいです! ここならやれるはずですから」
少し大きな広場に出たときにリィナがカナの手を振りほどき、止まる。
その行動に、カナは少し苛立ちを覚えた。
「やれるって何を? もう少しだけど、また一人にすると迷子に…」
「大丈夫です。…行きましょう、『風燐華』」
集中しながら風燐華に手をかけ、ゆっくりと鞘から引き抜いていくリィナ。
「…こ、これが魔剣…。…は、初めて見た…」
魔剣の姿とその力の大きさに、カナは苛立ちも忘れ見惚れてしまう。
薄緑色の風を纏った、風燐華の魔剣としての真の姿。
小規模の台風がそこにあるような威圧感に、カナは呑まれていた。
「魔剣闘技、『飛翔・貫』」
厳かにそう呟くと、構えた風燐華をゆっくりと前に構えだす。
刀の先を目線の先に。体を開き、深く落とす。左手を前に突き出し、右手のみで刀をしっかりと構える。
左手を突き出し、右手の型を後ろ向きに引き絞った奇妙な形で、リィナは構えを止めた。
そして、魔法を唱える。魔導剣士としての、初の呪文を。
「吹き荒べ、数多の風よ。幾重に連なり、敵を貫く矛となれ。『風香槍々(ウィミル・スピナー)』!」
呪文を唱えたと同時に、引き絞っていた刀を前に突き出す。
風燐華に纏われた薄緑色の風の輝きが、その動きと連動し強まっていく。
そして、突き出された刀の先から放たれたのは、高密度の暴風の槍。
その破壊的な密度を持った槍は、寸分違わずヒーナスの群れを貫いた。
「うわ…すご…。…あれだけいたのが一瞬で…」
魔法の威力を見たカナが感嘆の息を漏らす。
その威力の証拠に、極端に集まった二ヶ所以外のヒーナスの群れは、綺麗さっぱり無くなっていた。
「後二ヶ所ですよね。私は港側に行きますから、カナさんは町側に行ってください」
「分かったけど…大丈夫なの? 一人で行けるの?」
かなりの大きな事をしたというのにケロッとしているリィナの口から出た言葉に、カナは少し不安を覚える。
先ほども綺麗に迷っていたのに、ここまで自信満々に言える理由は何なんだろうかと。
「…大丈夫です。大丈夫、大丈夫。これだけの距離なんです。たったこれだけ…いけるいけるいけるいけるいけるいけるいける…」
呪詛のように『いける』をつぶやいていくリィナ。
その何とも言えない雰囲気に、カナは少し青ざめた顔をしながら逃げるように言った。
「…わ、分かった。…じゃ、じゃあ、私は町側に行くからね」
「はい。お気をつけて」
最後には呪詛を止め、にっこりと笑ってカナを送り出したリィナだったが、カナの顔色が戻ることは無かった。
パキィン
「ちっ。もう保たないわね…」
ユフィーの目の前にあった氷の盾が綺麗な音を立てて崩れていく。
その様を舌打ちしながら見つめ、次の一手を打つためにスターレインを構えるユフィー。
だが、スターレインの宝玉の輝きは既に失われ、ユフィー自身も細かい息を吐いていた。
「…限界が、近いわね…。くそっ、一人だとこんなものなの?」
悪態をつきながら自らの体の状況を確認していくユフィー。
怪我こそおっていないが、自らの魔力、体力はかなり限界に来ていたのだ。
この状況で怪我でも負おうものなら、そこからの巻き返しは不可能だろうと思うくらいに。
そんな時だ。聞きたい台詞が一番会いにくい相手の声で発せられたのは。
「ユフェルニカちゃん! 無事!?」
「っ! カナ・コルセルニア!?」
「何で態々全部言ったの? まぁいいけど…。加勢に来たよ!」
「なんであんたが…シオンとリィナはどうしたの?」
「リィナちゃんは港側に行った。シオン君もそこにいるんじゃないかな?」
「港側? あの子一人で行かせたの?」
「聞かないで。あの呪詛の念には耐えられないから」
「???」
突然のカナのそんな発言に、ユフィーはただ首を傾げることしか出来ない。
だが、すぐに素直になれないユフィーの性格が出てしまった。
「あの子に着いていけばよかったじゃないの。あたしはそこからでも追いかけていくから」
だが、カナは予想外にもその言葉をほぼスルーした。
「またまたー。そんな事言ってもダメだよー。さすがにこの量を一人でやるのは間違いでしょ。はんぶんこしようよ」
「ダメ。嫌だ」
「えー、ケチー」
素直に拒否の言葉を出したユフィーだったが、カナはそれに被せるように口を尖らせてユフィーを非難する。
そんなカナの態度に痺れを切らしたユフィーは、怒気を放ちながらカナに詰め寄った。
「…あんたねぇ、いい加減にしなさいよ。あたしは一人でもいいって言ってるの。ほっといてよ」
「嫌だよ。だって、ユフェルニカちゃん…消えそうだもん」
「え?」
先ほどまでの態度から一転。悲しそうな顔をしながらそう言ったカナ。
急に変えられた態度に、ユフィーは素に戻って声を上げた。
「私は君たちの事ほとんど知らないけどさ。それでも仲良くしたいの。だって、人の出会いは一生の宝物でしょ? それが例えどんな人でも」
どこか影のあるような物言いに、ユフィーは気圧されてしまう。
だが、カナはすぐに表情を戻して空を見上げた。
「ま、今はとりあえずこいつらを片付けないとね!」
リーチの長さを活かし、間合いに入ってくるまで高度を落としていたヒーナスを刺し貫く。
空に向かって伸ばしたレストーションを戻し、肩に担ぐことで次の体勢に移行する。
タメを作るように体を捻り、何かを待つ。
そして、貫いて落ちてきていたヒーナスの死体を、思いっきり打った。
「とりゃぁぁ!!」
掛け声と共に繰り出された砲弾は、数瞬前まで同族だったものを同じ肉塊に変えていく。
そのありえない芸当に、ユフィーは目を丸くしていた。
「ね? こいつらいたんじゃ、何も話も出来ないからさ。ささっとやっちゃおうよ」
両肩にレストーションを担ぎ、首を傾げながらユフィーに提案するカナ。
その言葉を聞いたユフィーは、薄く笑いながらその言葉に答えるために魔力を練り始める。
「そうね…。…ふふ、悩んでいた自分がバカみたい…」
「え? 何か悩み事あったの? 私で良ければ相談に乗るよー」
突っ込んでくるヒーナスの群れを迎撃しながら、悠々と答えるカナ。
その今まで悩んでいた元凶からの言葉に、ユフィーの堪忍袋の緒が切れた。
ブチィッ…
「へ?」
そんな音が周囲に響き、背中に走る猛烈な悪寒と肌をザラつかせる殺気に、カナの動きが固まってしまう。
それは無論、本能で動いている魔物達も例外ではなく、この場にいるほとんどの生き物が行動を停止していた。
唯一、唯一人を除いて。
「…ふふふ…こんなに怒っているのはいつ以来かしらねぇ…。…ミーナがいた時でもここまで怒ることなんか無かったのに…」
最大級の真っ黒い笑みで場を支配するユフィー。
ギギギと錆びた人形のように首を回しユフィーの状況を認めたカナは、戦慄が奔ったように身を縮めた。
「ユ、ユフェルニカちゃん……あのー……」
「…あんたは後であたしがゆーーっくりとお仕置きしてあげるから……いまは避けきりなさい…」
「へ? ちょっ、お仕置きって何!?」
「目覚めよ、無慈悲なる氷の女王。愛する者すら凍らせる、その妖艶なる吐息で全てを氷に染めよ…。…冷やかな、眼差しを持って。…『凍テツク死都』」
呪文を言った瞬間、ユフィーの周囲が一瞬で白に染まる。
煌めく雪原に変わり行く町を見たカナは目を輝かせていたが、次の瞬間その輝きは失われる事になった。
「っ! いや、ま、ちょっ、あのエリアに入ったら凍っちゃうの!!?」
見てしまったのだ。
ヒーナスが氷の世界に入った瞬間、綺麗な氷の彫刻へと成り果てた姿を。
それを見て恐怖したカナは、何とかその範囲から離脱しようと試みる。
だが、それはヒーナスも同じようだったようで、人と魔物、二つの存在がこの時ばかりは気持ちを同じにしていた。
氷の女王。それを目の前で体現するユフィーから。
「…往生際が悪いわね…」
「ひぅっ!!」
「…大丈夫よ…人間は凍らないから…」
そう呟いたユフィーは、怯えて逃げ腰になっているカナの肩をゆっくりと掴む。
その周囲では綺麗なオブジェが着々と出来つつあり、二人の周りは美術館のようになっていった。
「どどどどどど、どーしてなのかなー。人間が凍らないってー」
「…それはね…あたしがあんたにお仕置きするため…」
かなり吃りながら質問をするカナに、ユフィーは艶かしい手つきでカナの頬を持った。
「…さっきまで魔力も限界だったのに、怒ってみたらかなり楽じゃない? だから、あんな魔法が出来たのはあんたのおかげ…」
「じじじじ、じゃあ、許してくれたりしないのかなー…ってか何で怒ってるのかなーー……?」
ユフィーに頬や首を撫でられながらも、カナは努めて明るい声で質問を続ける。
だが、ユフィーはその手つきを止めることはなく、カナの耳元へと口を持っていった。
「…あたしの知り合いはね…こうやってすると面白かったんだけど…あんたはどうなのかしらね…」
「っ///!!!」
目の笑っていない笑顔で、カナの耳元で囁きつづけるユフィー。
その行為に顔を真っ赤にしながらカナが耐えていると、ユフィーの口がカナの耳を甘噛みした。
「っっっっ!!!!!」
「……クスクスクス…こんなものでは終わらせないわよ…。…もっといい声で鳴いてちょうだい……」
声にならない叫び声を上げ、身悶えするカナ。
だが、その声を聞いたユフィーは満足そうな笑みを浮かべながらも止める気は無い。
そしてこの後、シオンとリィナが合流するまでユフィーのお仕置きはカナに続いたのだった。
ゴウッ!
ヒーナスを切り刻んでいたシオンは、唐突に聞こえた風を引き千切る音に驚く。
その音がする方角に目を向けると、ヒーナスの群れに向かって風の砲弾が次々に飛来していた。
「あれは…」
「シオンさーーーん!!!」
「…やっぱりリィナだ」
シオンの予想通り、感動の叫び声を上げながらリィナがシオンの元へとやってきた。
「やったやった、会えましたよ会えましたよー!! アレからは迷子に何かなってないですから、大丈夫です!」
「アレから? ま、いいや。一人でここまで来れたんだ、すごいじゃないか」
「えへへー」
褒められたことが嬉しいのか、素直に照れるリィナ。
だが、すぐにシオンの様子を見てその表情は引き締まった。
「し、シオンさん! ボロボロじゃ無いですか!」
「ん? ああ、怪我は無いんだけど、結構服がね…」
自らの状況を再確認するシオン。
着ていたコートの裾は千切れ、至る所にヒーナスの嘴によって裂かれた傷。
そして、かなりの量の返り血。
さすがに誰がどう見ても満身創痍と思うだろう。
だが、シオンは何事も無いかのようにコートを脱ぎ捨て、ヒーナスの群れを見つめ直した。
「…そう言えばリィナ。風燐華を出してるみたいだけど、きちんと使えるようになった?」
「はい。特に今はこんな状況なので、あまり制御に力を入れなくていいからですけど…」
「それでもいいさ。魔法なら、この真っ黒な空も簡単に青に戻せるでしょ?」
笑いながら未だに無くなる気配の無いヒーナスの群れを指差すシオン。
その仕草を見て、リィナは大きく頷いてこう返した。
「そうですね…。…なら片付けちゃいましょうか」
「うん。よろしく」
「…螺旋よ。風の流れに乗り、回れ。轟け。そして、嵐となれ! 『轟ノ風』!」
リィナが呪文を唱え終わった後、風燐華を基点に莫大な風が集まる。
そこにあるだけでも小規模の台風のような感覚をもたらすが、今この状況ではその言葉でも生易しい。
圧縮された風の塊が唸り、轟く。
その風を、リィナは風燐華を横薙に振るうことで手放した。
「やぁっ!」
小さな気合と共に、風が風燐華から離れる。
風燐華という檻を失った風は、その範囲を爆増させて進む。
天災が起こったかのような嵐が、空にあるヒーナスの群れを飲み込んだ。
バシッ
「っとと。結構飛んでくるね」
ザンッ
「えいっ。…そうですね」
嵐に煽られほとんどのヒーナスは空へと舞い上がるが、あの世への切符を取れなかった者がシオンたちに向かって飛んでくる。
急激な気圧の変化で絶命してしまっている死体を、シオンはカテドラルで弾き返し、リィナは風燐華で切り伏せていた。
「…ふぅ…。…ありがとう、リィナ。正直、一人じゃどうしようもなかったからね。助かったよ」
「いえいえいえ。私は特には何もして無いですよ。だって、頑張ったのはシオンさんですから」
嵐が去り、シオンがカテドラルについた血を拭き取りながらリィナに礼を言う。
礼を言われたリィナは、顔を照れで赤く染めながら風燐華を一度露払いしてから鞘に収めた。
「そうかな? ま、なんにせよ終わったんだ。被害も少ないみたいだし、良かったよ」
「そうですね。やっぱり港ですから人が少なかったからですね」
「…いや、本来この襲撃は無かったはずなんだ」
「え? どういうことなんですか?」
「『ヒーナス』…。あいつが現れて言ったんだ。『復讐のため』って」
吐き捨てるようにその時のことを話すシオン。
彼にとって、過去に縛られることはもう止めたことだ。
過去にどんなことがあっても、それを後悔した所で未来には繋がらない。
それが、ユフィーと出会った村で学んだことだからだ。
「復讐…。…何があの人を駆り立てるんですかね」
「分からない。ある程度のことは聞いたから、王様に会ったときに聞いてみることにするよ」
「あ、それなら王国騎士団の方が来ているので、それに混じってクルメニアまで向かいましょう。それの方が早いですし」
「分かった。じゃあ、ユフィーとカナを探しに行こうか。あっちも探してるかもしれないし」
「はい!」