憂鬱の理由
パラ…パラ…パラ…
心地よい風の吹く部屋の中、一人の少年が頬杖をつきながら本のページをめくっていた。
年は若い。体躯は細く、身長も少し小柄である。
水色に染まった短めの髪を横に流し、さながら美少年と言った風貌の青黒い瞳の色をした少年だ。
豪勢な装飾に彩られた部屋の中に、ただ一人退屈そうに本をめくっている。
「…はぁ…」
しまいには大きなため息まで出てしまう始末である。
すると、少年は本をめくっていた手を止め、すっと立ち上がった。
辺りを見渡し、これまた豪勢な本棚に手をかけて、とある本を引っ張り出した。
その本の表紙にはこう書かれていた。『帝国王家の歴史』と。
少年はその本をやや乱暴ぎみに今まで向かっていた机の上に置き、ページを広げた。
ペラ…ペラ…ペラ…
今度も大した意味は無いようで、退屈そうにページをめくる。
そして、そのページの枚数が無くなろうかというとき、少年のいる部屋の中に一人の女性が入ってきた。
「シオン殿下。そろそろお時間になります」
「…はーい。…んんーー」
恭しく礼をした後、特徴的な色合いのメイド服を着た女性は、自らが仕える少年に告げた。
シオンと呼ばれた少年は気だるそうに返事をした後、大きく背伸びをする。
体中にあるもの全てを絞り出すかのように大きく背伸びをした後、話しかけていた女性に声をかけた。
「あのー、リサーナさん? 別にこう言う場では『殿下』って呼ばないでって言ったと思うんだけど…」
殿下という言葉を強調していったシオンに、リサーナと呼ばれた女性は薄く笑いながらその言葉を否定した。
「いえ、言われておりませんよ? その前に、あなたはフォーゲルノート帝国の王子なのですよ? いい加減、慣れてもらいませんと」
「うーん、そうなんだけどねー…」
彼女の頭に生えている垂れた犬耳を見ながら、シオンは軽く唸ってしまう。
この世界アクレニアには、シオンのような『ヒューマティア』と呼ばれる種族と、リサーナのような『ビルスティア』と呼ばれる亜人の種族、『スピリティア』と呼ばれる魔法の扱いに長けた長命の種族が住んでいる。
『ヒューマティア』と呼ばれる種族は、他の種族の者たちと比べて秀でた所はなく、万能型の種族と呼ばれ、聖霊に魅入られた者は魔法を扱うことも可能な種族だ。
『ビルスティア』と呼ばれる種族は、体力や力と言った身体能力に優れており、特攻型の種族と呼ばれている。だがその反面、魔法を扱うことは不可能といった面がある。
『スピリティア』と呼ばれる種族は、魔力や知能といった精神的要因が絡む事柄に強く、保守型の種族と呼ばれている。種族全体が聖霊に魅入られており、魔法を扱えない者はいないとも言われている。
さらに、この三つの種族を見分ける最大の特徴は、耳を見ることである。
ヒューマティアは普通の大きさの耳。ビルスティアは獣の耳と尻尾。スピリティアは横に張り出した尖った耳。
と言うように、簡単に見分けることが可能なのである。
そして、シオンの目の前にいるビルスティアの女性は、ビルスティアの一番の特徴である尻尾を揺らめかせながら、シオンの態度を咎めた。
「シオン殿下…そのような煮えきらない態度はよろしくないと、前にも忠告させていただきましたよね?」
「うん…確かに言った。でも、これからの事を考えると、正直憂鬱だよ…」
はぁ…と大きなため息を吐くシオン。心底憂鬱そうである。
だが、リサーナはそんな事もお構い無しに言葉を続けていく。
「憂鬱だろうが何だろうが、出ていただきます。今日は記念すべきシオン殿下の戴冠式なのですからね。もっとシャキッとしてもらわないと困ります」
戴冠式。それこそがシオンをここまで憂鬱にさせるものの名前だった。
戴冠式とは、文字通り冠を戴く儀式である。すなわち、それを受けた者は『王』となるのだ。
シオンの年は、数えること十八回。そして、この戴冠式が終わり王位につく頃には十九を向かえている。
若すぎるという声が上がるのは当然だが、シオンのいる帝国王家の慣わしではこう決められていた。
『王位を継ぐ者、十九回目の節目を向かえるまでに冠を被るべし』と。
この慣わしを受け、シオンは今まさに戴冠式を行おうとしていたのだ。
シオンがいる場には聞こえてこないが、外では期待のあまり熱狂の渦が巻き起こっている。
そんな事を露ほども知らないシオンは、もう一度大きなため息を吐いた後、リサーナに確認を求めた。
「そう言えば、リサーナさんは前の…父上の時の戴冠式の話は聞いていないんだっけ? 父上には聞けないし、他の忠臣達に聞いても何も教えてくれないし…」
「さんなどいりません。お言葉ですが、私はあなた様とさほど年は変わりませんよ? それに、戴冠式の様子を伝えることは許可されておりませんので」
「え? なんで?」
「クルト様のご意志です」
「あぁー、そういう事」
リサーナの言葉に、ポンと手を叩きながら納得するシオン。
だが、リサーナはそれを見ることなくシオンの肩を掴んでいた。
「ささ、ここで長話をしている場合ではございません。早くお着替えを」
「え? まさか、あれを着るの?」
リサーナの言葉に、シオンはひどく怯えた様子で言葉を発する。
「当然です。さぁ、お手伝い致しますので」
「いやいやいや、自分で脱げるからー!」
有無をいわさぬリサーナの言葉と行動に、シオンは軽く悲鳴をあげながら抵抗する。
だが、結局は為す術なく、身ぐるみを剥がされてしまうシオンだった。