命をとして
「さてと…あんたの思いも聞けたし、さっさと放蕩娘さんに会いにいかない?」
「姫にですか? 今はどこにいるかなんて分からないですよ」
「なんでよ。部屋にでも行けばいいんじゃないの?」
「鍵がかかってるんですよ。かなり大きめの鍵なので、そう簡単には…」
「あれ? 従者をやってるんなら、リサーナさんから何か教わらなかったの?」
肩を落としかけるメアに、シオンがそんな事を言い出す。
確かにシオンが言うことはもっともで、この国の従者、メイドは一旦王宮にてその術を学ぶことになる。
その時の教官役がリサーナだった事を思い出し、シオンはそう聞いたのだ。
しかし、メアから返ってきた台詞は予想の斜め上を行くものだった。
「アレは犬じゃありません。狼です」
「え? いや、だから解錠の術とか…」
「アレは犬じゃありません。狼です」
「いや、それは分かるけどさ…」
「アレは犬じゃありません。狼です」
「…もういいや」
根負けしたように、メアの怒涛の台詞を回避するシオン。
そしてこの時固く誓った。メアにリサーナの話は禁句だと。
「でも、ほんとにどうするんですか? 部屋が開いてないんなら、強行突破もできませんよ?」
止まってしまった話を続けようと、リィナがそう話を持ちかける。
「そうですね…姫の事ですから、食事の時間になれば下りて……」
バリィィン!!
メアがリィナの台詞に答えているとき、突然ガラスの割れる音が響いた。
「「「「っ」」」」
「キャァァーーー!!」
甲高い声が、ひるんだ四人の耳に入る。
聞き慣れないその声に、シオンたち三人は反応できなかったが、メアだけは違った。
「姫!」
その声を聞き届けたメアは、血相を買えて声の元へと走り出していく。
「え? さっきのがコロナちゃんの声?」
「まったく分からなかったわ…」
「あんなに高い声が出るんですねー…。ビックリしましたよ」
一人呑気な事を言っているが、三人は走り出したメアの後を追いかけて行った。
「ひっ! こ、こないで!」
「んあ? んだこのガキ?」
「何ですかあなた。幼女趣味でもあったんですか?」
「違ぇよクソ野郎!!」
割れた窓ガラスの破片を踏み鳴らしながら、二人組の男がコロナに近づく。
コロナは突如として現れた男たちに腰を抜かして、わなわなと震えることしかできなかった。
「ったくよぉ、なーんで俺様がこんな事しなくちゃいけねぇんだよ」
「黙りなさい。待機もまともに出来ない猪のくせに喋らないで下さい」
「んだとコラァ!!」
他人の家の物を壊して不法侵入しておきながら、この二人の男たちは完全にいがみ合っていた。
一人は完全に喧嘩腰の、ポケットに手を突っ込んだままもう一人の男を睨む、斑模様の黄色の髪をした長身の男。
もう一人は、眼鏡に手を当てたまま冷静にツッコミをかます、右側の茶色の髪の毛が異常に長い痩身の男。
その二人の男たちは、今にも殴り合いを始めそうな雰囲気のまま言葉を交わしていく。
「その通りの事を言っているんですよ。あの方に迷惑をかけないでください、この無能」
「こ、の…言わせておけばぁ!」
チャキッ
痩身の男の言葉に完全にキレてしまったのか、懐から小さな短剣を取り出してその刃先を向ける長身の男。
向けられた刃を冷やかな目で見つめながら、痩身の男はぼそりとこう言った。
「はぁ…向ける相手は他にいるでしょう? ねぇ? ビルスティアのお嬢さん?」
「姫! ご無事ですか!?」
痩身の男が顎で指し示した先には、息を切らせながら走ってきたメアの姿が。
男たちには目もくれず、床にへたり込んでいるコロナをその両手で抱きしめた。
「姫…よかった…」
「…メ…ア…うわあぁぁん!」
見知った者の顔が見れたせいか、その両手の中で声を上げて泣き出すコロナ。
やはり、この小さな体には大きすぎる衝撃だったようだ。
「けっ。泣かせてくれるじゃないの?」
「無視されましたね…いやはや嘆かわしい」
だが、その動きは男たちの癇に障る行為だったようだ。
静かに怒気を滲ませながらメアたちに迫っていく。
「…まぁ、なんだ。お前ら鬱陶しいから死んでくれや」
長身の男は、そう言って手に持っていた短剣を閃かせる。
流れるように繰り出された剣閃は、そのまま真っ直ぐメアの後姿を捉えた。
ガキン!
「なっ! てめぇ! 何しやがる!!」
「それはこっちの台詞さ! 君達はいったい何者なんだ!?」
しかし、その剣閃の間にシオンのカテドラルの刃が割り込んだ。
突如として弾かれた刃を見ながら、長身の男はシオンに対して怒鳴り声を上げる。
シオンもその怒鳴り声に負けないよう、声を張り上げて問いただした。
「急に人に剣を向けたりして、一体どういう了見なんだ!?」
「はっ! てめぇみたいなガキには関係ねぇよ! 邪魔すんならてめぇから…」
「待ちなさいこの猪」
問いただすシオンに長身の男がキレかかるが、それを痩身の男の冷やかな声が止めた。
「ああ!? なんでだよ!」
「…ターゲットです。彼が」
「え?」
急に向けられた指に、シオンはただ困惑する。
その困惑の表情を好機と見たのか、長身の男が口を釣り上げながらシオンへと迫っていく。
「…へぇー…てめぇがねぇ…。ま、悪く思わないこった。呪うなら運命って奴を呪ってみるんだな」
「なにバカな事を言ってるんだ! 君たちは罪を犯している。しかるべき所でしかるべき罰を受けるんだ!」
「しかるべき罰…ですか。笑わせてくれますね。私たちは、生きていることそのものが罰だというのに…」
「なにを言って…!」
「仕方ありません。今回は御挨拶ということにしておきましょうか。後ろのお嬢さん方にもね」
「…いつから気づいていたの?」
「気配は隠せていたはずなのに…」
ゆっくりと頭を振るように周りを指し示した痩身の男。
その声に反応するように、部屋の影からユフィーとリィナがそれぞれ愚痴りながら出てきた。
「…ほとんど最初から、と言ったら驚きます? ま、今回は御挨拶です。私は『ヒーナス』と名乗っております」
「俺様は『エルブレイア』だ! 覚えておきな!」
名乗られた男たちの名前の異様さに、シオンとユフィーの顔が引きつる。
ヒーナスといえば、ユフィーの友人、ミーナの命を奪った魔物の名前なのだから。
「どういう事です? なぜ名前が魔物の名前なんかに…」
その事を知らないリィナが、皆を代表するかのように男たちに話しかける。
「あなた方は知らなくてもよいことですよ。では、私たちはこれにて…」
「…待ちなさい…」
そう言って踵を返してこの場から離れようとする男たち。
だが、静かに重く響き渡ったメアの声がその動きを止めた。
「…姫に手を出して、生きて帰れると思っているんですか…?」
「あ? 何言ってんだてめぇ? そこのガキは勝手に驚いてこけただけだろうが」
「…姫に手を出す者は……私が殺す…」
「は?」
ギャリィィン
「ちっ!」
メアがふらりと動いたかと思うと、次の瞬間には『エルブレイア』の男の腹を薙いでいた。
だが、男はそれに反応してまだ隠し持っていた短剣でそれを受け止めた。
「…行きましょう、『風燐華』」
手元に意識を集中し、愛剣の名前を呼ぶ。
薄緑色の光に包まれたメアの両手から現れたのは、抜き身の『刀』と呼ばれる長剣。
薄く、美しい輝きを放つその長剣は、メアの両手に収まると同時に柔らかい風を発した。
「なに!? 魔剣だと!?」
「…これは分が悪いですね…。格好はつきませんが、逃げさせていただくことにしましょう」
「逃しません!!」
「逃してくださいよ。こいつを置いていきますから」
パチン!
そう言った『ヒーナス』の男は、空に向かって指を鳴らした。
不気味に響き渡るその音は、男の思惑どおりあるものを呼び出した。
「ギャァァォォ!!!」
「「「「っ!!」」」」
「…グリム、ワイバーン…」
響き渡った魔物の盛大な鳴き声は、耳を塞がなければ意識を飛ばしそうなものだった。
だが、メアだけは例外で、現れた魔物の名前をゆっくりと呼んでいた。
上空に出現した大きな巨躯。人が勝負を挑んでいいはずがない、その神々しさ。深緑色の巨大な体躯に、鋭利に尖った牙と爪。波打つ鱗に、しなやかな尻尾。
魔物の中でも最強の部類に入る、ワイバーンの眷属だ。
「あなた方の相手はこの子が努めますので、どうかお手柔らかにお願いしますね。では、また会いましょう。…時の少年…」
「え? 今、何て…」
「シオン! 今はそんな事気にしてる場合じゃないでしょう!?」
「あ! そうだね、ごめん」
律儀に呼び出した者が離脱するのを待っていたのか、グリムワイバーンは現れたときの対空状態で留まっていた。
だが、すぐに攻撃に転じた。
ゴアァァァ!!
大きく開けられた口から繰り出されたのは、暗い紫色の火炎。
広い範囲に拡散する竜の吐息は、確実に五人をとらえていた。
「はぁ!!」
「氷結の氷よ。我らに迫る脅威を破る盾となれ! 『結晶氷陣』!」
迫りくる火炎を、メアは風燐華を振ることで暴風を生み出して回避し、ユフィーは巨大な氷の盾を出現させて防御した。
「くっ! こんな火炎、見たことも聞いたこともないわよ!?」
「止めるんだユフィー! 受け流す方がいいから、力を入れないで!」
「え? なんで……」
ボゴォォン!
氷は熱せられれば溶ける。そして溶けた氷は水となり、急激に熱せられた水は気化し爆発する。
いくら魔法によって森羅万象の力を得たといっても、万物の法則には勝てないのだ。
それを予見したシオンがユフィーに警告を送るが時既に遅し。
十分に熱せられた氷の盾は、一気に爆発した。
「ちっ。ならもう一個作るだけよ!」
スターレインの宝玉が輝き、無詠唱で同じ巨大な氷の壁が出現する。
その氷の壁は飛び散る氷の破片からシオンたちを守り、消滅した。
「くそっ。空に上がられたまんまじゃ、僕等は手が出せない…。ユフィーの魔法も、あの火炎とは相性が悪いし…どうする?」
「関係ありません。姫の前に現れる敵はすべて私が殺します。それが私の決意。それが私の生きる意味」
そう言いながら、メアは風燐華を上段に構えてグリムワイバーンに向かっていく。
そして、そのまま風燐華を振り下ろした。
ビシュン!
薄緑色の風の砲弾が、空気を切り裂きながらグリムワイバーンに直撃した。
「ガァァァ!!」
翼部分に当たったらしく、グリムワイバーンは軽い悲鳴を上げながら落ちていく。
「よし! これなら僕らの攻撃だって当たる!」
「はい! 行きましょう、シオンさん!」
落下してくるグリムワイバーンの巨躯を冷静に見つめながら、シオンとリィナの前衛組みが吶喊を仕掛ける。
しかし、さすがは魔物の中でも最強の部類に入るワイバーンの眷属。
地面へと落下する前にその強靭な尻尾を屋敷の壁へと叩きつけ、屋敷を破壊する。
「なっ!」
「キャア!」
その屋敷の崩落に巻き込まれ、シオンとユフィーは地面へと瓦礫と共に落ちていく。
「シオン! リィナ! くっ、あたしも降りるしか…メアとか言ったわね! あんたはそこの子を安全な所まで退避させなさい! あたしはシオン達を追うわ!」
「分かりました! 姫、こちらです!」
「………」
終始無言だが、コロナはメアの声に従い屋敷の奥へと逃げていく。
それを確認したユフィーは、シオンたちの下へと急ぐ為に駆けていった。