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8/11

真夏の夢は悪夢と共に

 太陽がすべてのものを溶かしてしまおうとでもしているような熱を日本全土に降り注いでいる日曜日、俺は街中に買い物に来ていた。

 アーケードの中に入れば少しは涼しくなる。それでも汗で肌に張り付くシャツが不快感を与えていた。湿気を伴う日本独特の夏真っ盛り。

 目的は参考書。中学三年の夏に受験用の参考書を買いに来るなんて遅過ぎるのにも程があるが、志望校は家の近くの県立西高校、無難に勉強していればまず落ちることはない普通校だ。

 勉強しろと母さんがうるさいので形だけでもと参考書を求め、半分暇つぶしで街をぶらついていた。千佳と裕也も誘ったんだけど二人とも用事があるそうだ。

 まずはアーケードに入りすぐに見えるコンビニに寄った。自動ドアをくぐり、最初に吹き付けるエアコンの冷風で心地よい鳥肌が立ち、そのまま週刊誌の立ち読みを敢行する。今週はもう読んでしまった雑誌だけど、汗がひいてしまうまでの間、パラパラとページをめくった。

 汗がひいて、ふわっと熱気の漂う外気の中に再び身を投じる。ここからが迷うところである。

 アーケードに着くまでは太陽から逃れようと何も考えずにひたすらに足を進めていた。汗がひいて、火照った体を冷ましたのちに何をしようか考える。

 参考書だけ買って帰るのはせっかくの日曜日、何か負けた気がする。何故か数年後の俺も同じことを考えるような気がするのは――どうでもいい話しか。

 このまま暑い中彷徨い歩くのは自殺行為もいいところ。せめてショッピングモールに入りぶらぶらするのが妥当な線だろう。簡単なゲームコーナーもあるし本屋もある。暇を潰せればなんだっていい。

 無気力な考えの俺が、まさかあんな形で暇をつぶすことになろうとは思ってもみなかった。

 コンビニを出て目的のショッピングモールに向かい歩き出す。体を冷ましたおかげで足取りは軽い。均等に並べられたタイルを一つ飛ばしで歩く。さて、何歩いけば着くかななどと数えながら歩いていると、雑踏の中、妙に目立つ集団が見えた。

 CDショップの前、年齢的にそう変わらないであろう少年三人の姿。それだけなら別に気にすることもないんだけど、三人は女の子一人を取り囲むように立っていた。

 男三人は三人ともかっこつけに失敗したようなヒップホップを着崩した格好をしていた。派手な服装に、金色に近い色褪せたような茶髪。ちゃらちゃらと趣味の悪そうなアクセサリ。間違ってもお近付きにはなりたくない輩だ。

 中にいる女の子は、清楚な白いワンピースを着て、腰まで届きそうな長くて黒い髪。控え目な装飾だけどやけに存在感が際立つショルダーバッグをかけていた。

 明らかに仲の良い友達ではなさそうな四人だった。

 が、俺の先入観だけでそう決めつけてはいかん。もしかしたら、ちょっとアカ抜けしたい女の子が最近仲良くし始めた友達かもしれないし。何にせよ、面倒なことには関わらない方が世の中うまくやっていける。

 そう。思ってたはずなんだけどな。

 俺はその時、何を考えていたのか、引き寄せられるようにその四人に近付いて行った。

 ただ近くを通るだけだ。ショッピングモールはこの先にある。通り道なんだ。ごく自然な行為だ。その際に話し声が聞こえたところで、それはただの街の騒音にすぎないのだ。

「なぁなぁ、さっきから黙っちゃってさ。あんたあそこの娘なんだろ?」

「だーかーら、答えろっつーの。そのバッグ、いくら入ってんのよ」

「こんな街中一人でうろついちゃって。わがままが過ぎておうちを追い出されちゃったってか? ひゃははっ!」

 下品な笑い方だ。馬鹿丸出し。やっぱり友達ってわけじゃなさそうだ。

「早く通してくれませんか? あなたたちに構っている時間はありませんので」

 三人に囲まれてるってのに、随分と強気な子だな。

 だけど、それは虚勢で、良く見ると女の子の細い足は震えていた。

 街行く人は見て見ぬふり。それが当たり前か。相手が子供だろうと大人だろうと、面倒事には首を突っ込まない。それが賢く過ごす方法であり、大概の人はそうやって生きている。俺もそうだ、そうやって過ごしてきた。当たらず触らず、近からず遠からず、無難な位置に陣取ってきた。

「わーるい悪い、待った?」

 だけど困って震えている女の子を見捨てるような、そんな情けないことはしたくない。ここで黙って通り過ぎれば、きっと思い出して後悔する。勉強だってできはしないさ。

 だから、俺は男の肩をかき分けて囲みの中に入った。

「あ?」

 対面した男に思いっきり睨まれた。正直、おっかない。目つきは悪いし、体格だっていい。俺はケンカなんてしたことはない。三人を相手にできるほど、そんな腕力も俊敏さも持ち合わせていない。特別なスキルを習得しているわけでもない。できることは、逃げること。この女の子を連れて、さっさとこの場を立ち去るのだ。

「えっ?」

 当然、初対面である女の子からは困惑した眼差しを向けられる。

 一瞬、呆けて立ち尽くした。

 可愛い。白い肌でこの上なく整った目鼻立ち。俺を見る猫のような丸くて大きい瞳で息が詰まりそうになった。

 だけど、悠長に美少女を眺めていることは許されない。俺は女の子の手を取る。華奢な手首は真夏だというのに少し冷たかった。

「ごめん、トイレ込んでて待たせた。すんません、俺の連れなんで」

 俺は男には一瞥もくれない。見てしまえば、気圧されてしまうのは目に見えている。

 女の子は立っているのもやっとだったのか、少し手を引けば簡単に動かせた。

 そのまま振り返ることなく立ち去る、

「待てやこら」

 ことはやはりそう易々とさせてくれないらしい。

「な、なんでしょう?」

 笑顔で振り向く。友好の証だ。穏便に、ことを済ませようじゃないか。

 三人のうち馬鹿笑いした、金髪で一番人相の悪い男が俺の胸倉を掴む。

「下手な嘘吐くんじゃねえよ。こいつがお前のような奴の連れなわけねえっしょ。俺らが最初に目えつけたんだ。どっか行けよ、てめえ」

 おおおぉ、怖ぇ。絶対人殺したことあるだろあんた。

 でも、さっきからこの子のことを知っているような言い草だ。知り合いってわけじゃなさそうだけど。

 この、胸倉を掴まれてどうしようもない状況。手を振り払ったら、間違いなく殴られそうだ。それは最悪。この状況を乗り切るには、言葉しかない。唯一俺が三人に勝ってそうなこと。言い逃れでもなんでもしてやる。人を嘘吐き呼ばわりするのなら、その通り嘘を貫き通す。

「ったく、面倒くせえなあ。黙ってりゃ穏便に済ませてやったのにさあ」

 いいか、びびるな! 虚勢でもなんでも貫き通せ俺!

 俺は携帯を取り出し、ストラップを見せつけた。ボタンを押せばLEDライトが点灯する、そこらのガチャポンで取った景品だ。

「これで合図すれば、俺の家のSPがすぐに来て、あんたたち、それとあんたらの家もめちゃくちゃにするぞ。悪い事は言わないからすぐに退いてくれ。俺だって歳も変わらないようなあんたらを路頭に迷わせるのには心痛む。……どうする?」

 言って後悔した。

 はっ…………ははははははっ!

 なんちゅう子供じみた嘘吐いてんだ俺ぇ! んな話し誰が信じるってんだ! 馬鹿丸出しは俺! 穴があったら入りたい! ってかもうお家帰りたい!

「ま、マジかよ。まさか、お前もそっち側の人間かよ」

 ……え? 信じてる?

 俺から手を話し、凶悪面が仲間を呼んでコソコソと話す。ほんとにこんな嘘が通じたのか知らないが、その顔にはさっきまでの勢いはなく、逆に恐れを抱いているようにも見えた。「おれの家、親父が頑張って……」「おふくろと二人で……」「お、俺んちも……」なんて、何を話してんだ? いいのかな、このまま逃げるぞ?

 そして、

「ちっ。坊っちゃん嬢ちゃんがこんなとこぶらついてんじゃねぇよ!」

 そんな捨て台詞を残して三人は立ち去って行った。

 何なんだ。俺がそんなお坊ちゃんに見えるって? 何か知らんが助かった。こんなストラップ、どこでもあるから調べられたらバレてたよ。ていうか取られたら終わってたな。

 俺と女の子が逃げる予定が、逆に相手を追い払う形になった。結果としてはどちらでもいい。俺はほっと胸を撫で下ろした。

「あの……」

 呼ばれて振り返る。女の子は不思議そうな顔で俺を見ていた。いくつくらいかな。俺より年下に見えるけど。ん、まつ毛長いなぁ。

「手、離してくれませんか?」

「あっ! ご、ごめん!」

 あまり抑揚のないか細い声で言われ、思わず飛びのく。

 女の子はどこか影のある表情で真っすぐに俺を見つめ、淡々と言う。

「助けてくれてありがとうございました。お礼はいかほどご所望でしょうか。あいにく今は持ち合わせてはおりませんけど」

 妙に礼儀正しく話す女の子だ。嬢ちゃんって呼ばれてたけど、本当にいいとこの子かな。

「礼なんて、そんなのいいよ。困ってるみたいだったからさ」

「しかしそれでは……」

「ほんと、いいっていいって。それよりも気をつけてね。俺、買い物の途中だったからさ、これで」

 これが裕也なら、お礼はデートでなんて言いそうだな。

「そうですか……。せめてお名前を。いつかまたお会いする時があれば、その時こそお礼いたしますので。わたくしは、神宮寺梓と申します」

 神宮寺って……どこかで聞いたことある名前だな。

「俺は来栖真。この辺よくぶらぶらしてるからまた会うかもね。あっ、でもお礼なんていいから」

「来栖……真?」

 神宮寺さんは少し考える様子を見せた。珍しい名前かな?

「そう、来栖真。何か変かな?」

「い、いえ、そういうわけではないのですが……」

 少し動揺しているようにも見える。先程の落ちつきはなく、か細い手は忙しなく髪を撫でていた。

 そしていきなりだった。

 神宮寺さんは突然人が変わったように表情を輝かせ、俺の両手を取った。

「あ、あのっ! あなたはもしかして公園で――」

 公園? 講演? 言いかけて、神宮寺さんは再び表情に影を落とし口を閉じた。その視線は俺ではなく、俺の背後に向けられていた。

「――時間ですね。本当に、ありがとうございました」

 白い手が名残惜しそうに俺の手を離れ、彼女の視線は見上げるように徐々に上へと移動していく。

 視線を追って見上げると、俺の頭の上には、黒いサングラスをかけ、黒いスーツを着た、いかついおっさんの顔があった。

「うおぁっ!」

 高速で振り返り後ずさりする。放たれる威圧感が半端じゃない。身長も俺より頭二個分くらい高く、さっきの三人をいっぺんに相手するよりも、この人ひとりを前にする方が恐ろしい。サングラスだからどこを見ているのかわからないけど、どうにも睨まれているような気がする。

「少年、邪魔だ」

 想像できる通りの図太く低い声。それだけで感覚が全て支配されてしまいそうになる。あ、新手か。こんな奴を相手に虚勢が通用するとは思えない。でも、助けた女の子を残して逃げ出すってのは、それこそ情けない。

 身構えると、背中から澄んだ声が聞こえた。

「斎藤さん、その方は梓を助けてくれました。恩人です。態度に気をつけて下さい」

 え、し、知り合い? こんなヤクザみたいな人と華奢で清楚な女の子が?

 俺の視線は何度も二人の間を往復した。不釣り合いにも程がある組み合わせだ。しかも女の子の方が優位に感じる。

「むっ、これは失礼いたしました。わたくし、斎藤からも心より感謝いたします。そして、わたくしの不手際からお嬢様を見失いご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」

 俺に向かって深々と頭を下げる斎藤さん。俺は口をあんぐり、ひたすら唖然とするだけだった。

「斎藤さん、行きましょう」

 斎藤さんは会釈して、俺の横を通り過ぎた。追って振り返ると、神宮寺さんは、笑っていた。

「また、お会いしましょう」

 それはとても魅力的な笑顔だった。

 そのまま呆然と二人の背中を見送り、姿が見えなくなって秒針が一周した頃、ようやく俺の足は動きだした。

 中学三年の夏。現実味のない、奇妙な出来事だった。

 その翌日、神宮寺梓を助けてしまったことを、ものすごく後悔することになる。

 ピンポーン♪

 学校から帰って来て、母さんに頼まれて出たインターホン。

「こんにちは! 昨日はありがとうございました! あなたは命の恩人です! 突然ですが、梓と結婚してくださーい!」

「…………誰?」

 太陽にも負けない明るい笑顔を輝かせるこいつは、昨日と同一人物か疑ってしまうほど、喜々として俺の前に現れた。



「あの時の夢……」

 まだ目覚ましが高笑いを上げるには一時間ほどある。嫌な夢でも見てしまったかのように、手の平には汗が滲んでいた。

 女の子を助けるなんて俺に似合わないことをしてしまったせいで、今じゃやたら騒がしい毎日を送るハメになってしまった。

 だけど、それが心地良いと思うようになってしまったのは、俺の最大の心変わりだろう。

「うう~ん……」

 隣で眠る梓の寝顔を見て、その額にキスをした。

 昔の俺じゃ考えられなかったけれど、今の俺の幸せはこいつと共にある。

 梓の親父にかろうじて認められてはや一年。

 神宮寺宅の生活にもすっかり慣れ、毎日騒がしくも幸せな日々を送っている。

 神宮寺家をサポートできるように、学校も辞め、経済学やら政治学やら、その他の知識を頭に詰め込む毎日だ。それが梓との仲を認められる条件だった。しっかりと、神宮寺家の代表を担えるようになること。それが俺の人生の目標であり、二人の目標なのだ。

 千佳と会うことは皆無と言っていいほどなくなった。裕也もそうだ。倉敷さんは、たまに梓が家に招いたりする。倉敷さんなら安心だと、梓は思っているらしい。もうジョンとも呼ばれなくなった。倉敷さんから学校の様子や千佳の様子を聞いたりして、学校に通っていた頃の懐かしい記憶を思い起こして、感慨深く思うこともしばしばある。

 梓と一緒になって失ったものも大きい。千佳や裕也や、友達との触れ合い。何気ない、のんびりとした生活。でもその失ったもの以上に、今の幸せは大きいのだ。

「あれ……? もう起きたの? 早いんだね」

 眠気眼をこすりながら、共に生きていくことを誓った梓が目を覚ます。一つ小さな欠伸をして、細めた目で俺を見つめる。

「夢を見た。再会した時のこと。運命だったよな、あそこで会ってなかったら、今の俺たちはなかった」

「ふふふ。……ねぇ先輩、キスして?」

「先輩はもうやめろって」

 悪戯っぽく笑う梓の唇に、そっとキスをした。唇が離れ、梓の顔にかかる髪を払い、もう一度口づける。梓は、出会った頃の黒い髪に戻していた。

「先輩、愛してる。ねぇ、このまま……しよ?」

「……ふぅ。ダメだ。お前のお腹には、もう……」

「もうっ。本当に優しいんだから。あと半年かぁ。待ち遠しいな、私たちの赤ちゃん」

 梓のお腹には新しい命が宿っている。

 二人の愛が、形となってこの世に誕生するのだ。

 怖いくらいに幸せを感じる。

「これからも頑張ってね、パパ」

 俺だけの幸せじゃなく、梓と、生まれてくる子供にも、幸せを降り注ぐのだ。



「うがーーーーーっ!」

 激しい悪寒で目が覚め、いつの間にか部屋に取りつけられていた、謎のシナリオを流すスピーカーを叩き壊した。

 あ、悪夢を見た。

 眠っているうちに洗脳しようとするとは。

 あらゆる手を使う、本当に恐ろしい奴だ、神宮寺梓。


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