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押し掛け女房と消えた記憶

「ふあ~あ……。あ~~~~~~…………よく寝た」

 朝日か日中の日射しかわからない陽光で目が覚めて、時計に目をやると午前十一時。最近の休日にしてはよく寝た方だった。

 体を起こして背伸びをして、今日一日の予定を頭に巡らせる。

 …………予定なし。

 進級してからは、これが初めての本当の休日だった。

 梓の奴は相変わらず俺の隣をキープして、自称恋人兼マネージャーの役割を担っている。

 そんな梓が今日はいない。もっと言うと、日本にいない。どこかの国の皇族とのパーティーに出席するために家族総出で出掛けているのだ。ついて来てと何度もせがまれたが全力で断った。家族も一緒のためかそれほどしつこくなかったものの、それでも諦めさせるのには苦労したんだぜ。もっとも、俺はあの父親と同じ空間にいるだけで目眩が起きそうになるからな。どんな手を使ってでも逃げ出したさ。

 というわけで今日はのびのびとした休日。

 梓からパーティーのことを聞いたのは昨日のことなので、なーんにも予定はない。

 梓が入学してきてそこで止まってしまっていたRPGでも久しぶりにやってみようか。読みかけの文庫本を読破してやろうか、街へ出かけてみるか、一日ごろごろしてみるか、やることが多いようで、実は何もすることがないのが実際のところ。

 案外、と言うか当たり前にもぬけの殻な自分に叱咤するように両手で頬を叩き、部屋を出た。

 妹のあゆみは部活のためか家にはいない。父さんと母さんも出掛けていた。一人だった。

 顔を洗って寝ぐせを直し、とりあえず外にも出られるように外出用の服に着替えた。だからって行動がそれに伴うかと言えばそうじゃなく、足は自然と部屋に向く。

 しわくちゃのままの布団を整え窓を開けると、爽やかな風と春の陽気が気持ち良い。ちょうど日射しが布団に当たり、物干し竿へ運ぶ手間を省いてくれる。

 少し遠くでは子供のはしゃぐ声が聞こえ、電線には小鳥が仲良さそうに羽を休めている姿が目に止まった。

 平和だ。

 何にも心を脅かされることのない。

 いくら自由な休日と言えど、真昼間から部屋でゲームなんていうのは何か損しているような、負けた気がする。

 読みかけだった文庫本を一冊手に取り、日の当たるベッドの上でそれを広げた。

 別段景色が良いというわけではない、ただの住宅街だけれど、窓辺で読書なんて少し優雅な気がする。そんな言葉が俺に似合わないことなんて重々承知しているが、ゆっくりとした時の中、そよ風と戯れながらの読書なんて格別だ。

「しかしなぁ」

 どこまで読んでいたかわからない。挟んでいたはずの栞はどこかに抜け落ちているし、シリーズもので、前巻の内容だって覚えてないからストーリーはおろか誰がどのキャラクターかすらわからない。としたところで読むのを諦めた。手に持っているのは四巻だから、最初っから読んだらそれこそ一日費やしてしまう。それはゆっくりとした休日と言ってももったいなさ過ぎではないか。そう思えばゲームだってそうだ。ステータスの見方や、次にどのイベントをこなせばいいかもわかるはずがない。

 そうなればやることは限られてくる。

 勤勉家ではないのでこの時間から勉強なんてできるわけがない。テスト前だけで十分だ。ならば、寝るか外に出るか。最初の選択肢は二つ。消去法でいけば、さっき起きたばかりなので後者になる。

 ま、こうなることは予想できたというか、そのために着替えたんだしな。

 かと言って、一人でぶらつくのも寂しい。

 携帯に手を伸ばし、メール履歴に目を通した。当然ながら画面は神宮寺梓で埋められている。毎日のように顔を合わせているからメールの件数自体はさほど多くはないけど。今日はパーティー中なのか、お空を飛んでいるのかメールは届いていない。

 電話帳をピ、ピ、ピ。カーソルが停まった先は高橋裕也。あいつでも誘ってぶらぶらしてみるか。

 プルルルル……。三回目のコールが鳴ったところでおっくうそうな男子高校生の声が耳に届いた。

『お~っす。厄介事ならお断り。麗しき女性からのお誘いはいつでも大歓迎』

 俺から連絡すること自体珍しいのに、梓関連で警戒されているのか第一声がこれだった。

「もしもしと、電話対応の基礎から教えてやろうか?」

『うるさい。この前はよくもやってくれたな。お詫びに神宮寺さん宅のホームパーティーのお誘いか?』

 あれは倉敷さんのせいだろう。梓を連れて来た俺の責任がないわけでもないけど。ホームパーティーのことなんかすっかり忘れてた。デマカセだったしな。梓の家に近付くなんざごめんだ。

「梓は今海外のパーティーに出かけてる。その話しはまた今度な。ところで裕也、お前今日暇か? せっかく梓がいないんだから、たまにはどっか遊びに行かないか?」

『何が悲しくて男二人で休日を過ごさねばならんのか』

「どうせ女子にも愛想尽かされてるんだからいいだろ?」

『き、傷つくぞ? とにかく、ナンパ以外はお断り。僕だって忙しいんだよ』

「ちっ。脇役が」

『な、なんだとそれは聞き捨てならな――』

 ピッ。

 悲しいけどな、間違ったことは言ってないんだ。

 さてどうするか。休みの日にわざわざ連絡して遊ぶほどの友達も梓のおかげでいなくなったし。……あ、やべ、寂しい。

 あとは千佳か倉敷さん。でも二人とも部活だろうしなぁ。

 ……一人で、かな。

 空はこんなに青いのに、一人であてもなく街中を彷徨うなんて寂しすぎる。いっそ旅にでも出てしまおうか。

 溜息を吐き、窓際に置いた文庫本を本棚に直すべく取り、窓を閉めようとした時だった。

「あれー? 真?」

 家の前の路地から俺の部屋を見上げる人物が一人。制服で栗色の髪を揺らして、手には楽器ケースを担いでいる幼馴染。物珍しそうにぽかんと俺を見上げていた。

「よう千佳。今帰りか?」

「うん、早く終わったから。梓ちゃんは?」

 当然の疑問を投げかけてきた。

「今ごろ時差ぼけでもかましてるんじゃねーの。海外出張中ー」

「えっ。外国に行ってるの? ……じ、じゃあ真一人?」

「おう。そっちは? 楽器持ち帰って来てるみたいだけど、どっか行くのか?」

「ああこれ、吹奏楽コンクールの楽譜届いたから家でも練習しようと思って」

「そっか。部活もいろいろ大変だなー」

 部活に真面目なことはいいことだ。でもこれで千佳の線も消え、か。残りは倉敷さんだけど、二人で遊びに行くなんてないな。散々馬鹿にされて散々こき使われそうだ。やっぱ一人で出掛けるかな。

「まっ、真は今日何するの?」

「なにもー。ちょっと街の方ぶらついてみようと思ってたくらいだな」

「そ、そっか。ひ、暇してるんだ……そっか」ぶつぶつ。

 千佳は何やらうつむいて呟いていた。

 そういや昼飯も食わないと。いつも梓と一緒だから母さんも昼飯なんて残してくれてないし。適当に飯食って時間潰して帰ってくるかなぁ。

「じゃーな。練習頑張れよ」

 久しぶりにハンバーガーでも食べに行くか。

「ね、ねえっ!」

 窓を閉めようとして声で引き止められた。そわそわと、忙しなく栗色の髪をかきあげる。

「ひ、暇なら真の部屋に行って、いい?」

「だってお前、練習は?」

「い、いい! いつでもできるからいい! 真が一人なんて珍しいんだからこんな好機を逃す手はないと思うの! あっ、じゃ、じゃなくて! ご飯! ご飯食べた?」

「ま、まだだけど」

「じゃあ待ってて! いい? すぐ来るから待っててよね! 着替えて来るから! 動いちゃダメだからね!」

 俺の返事も待たずに千佳は慌てふためき駆け出していた。家は近所なんだからそんなに焦らなくてもいいのに。

 千佳が来ると聞いて少し緊張を覚えたが、それは俺がごく当たり前だった日常から遠ざかっているということなんだろうな。

 動くなと言われたけど、それがどこまでのことかわからないのでとりあえず窓を閉めて一階に下りた。千佳が来るなら下で待っていた方がいいよな。

 ピンポーン♪

 ……もう来た。今下りて来てソファーに座ったばかりなのに。

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン♪

 な、なんだなんだ? 千佳じゃないのか? インターホン鳴らして少しの間も待てないとはどこのどいうつだ。

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン♪

 だああっ! うるせっ! ちったあ待つってことしろよ! 誰だか知らないけど!

「はいはいただいまー!」

 ガチャッと、玄関の戸を開けると、

「ちょっと! 何で部屋にいないのよ! 動くなって言ったじゃない! ばか真!」

 泣きそうな顔の千佳がいた。窓際から動くなって本気だったらしい。

「よ、よう。早いな」

「すぐ来るって言った」

 それにしても早過ぎだろ。全力疾走かよ。

「い、いや、迎えるのに下りてきてたんだよ」

「それならいいけど……。どこか行っちゃったかと思ったもん」

 今日の千佳は様子がおかしい。よく知っているからこそすぐわかる。妙に女々しくなっている気がする。千佳の私服姿も久方ぶりだった。長袖のTシャツにジャケットを羽織り、ジーンズを履いている。そういえば千佳のスカート姿は制服以外で見たことがない。

「その荷物は?」

 俺は千佳の手に握られていたビニール袋を指差した。ビニールに入れてくるなんて、よっぽど急いでいたのか。

「あっ、これご飯の材料。私がお昼作ってあげるね」

 何とまぁびっくらこいた。長らく付き合いのあるものの、千佳の手料理なんて食べたことはない。やはり何かおかしい。ただの気まぐれだとしたらそれまでだけど、何か企んでるわけじゃないよな。……いやいや、千佳に限ってそんなことはないだろう。梓や倉敷さんなら大いにありえるけどな。

 それにしても手料理なんて、何を作って……ま、まさか!

「れ、レトルトカレーか?」

「え? 真、カレーが食べたかったの?」

「い、いやいや、気にしないでくれ」

 無人島での出来事を思い出してしまった。あれは期待していただけに残念だったから。梓じゃないんだから、そんなオチはないな。

「チャーハン。材料は余り物しか持ってきてないけど、それでいいよね?」

「ん、ああ。何か悪いな」

 さっそく千佳は準備に取りかかった。「エプロン借りるね」と母さんのエプロンを見事に着こなした千佳を見ると初々しさが溢れ出て思わず三秒停止した。幼馴染とはいえ、普段見慣れない千佳のエプロン姿は女らしさを三割、いや五割増しして淡白なリビングに花を咲かせる。

「ジャーの中のご飯、使っていいかな?」

 それに一拍置いて「いいんじゃないかな」と答えた。「怒られたら真が炊いてね」と舌を出して笑う千佳を見てこちらも思わず頬が緩む。

 トントントン、リズムよくまな板を叩く音が心地よく耳に届く。母さんがまな板を打つ音とはまた違い、意味もなく自分の手で膝を叩き同じリズムを刻んだ。

 千佳は野菜をきざみ、ボールに取り分け、マヨネーズをご飯に混ぜ始める。

「知ってる? こうするとね、ご飯がパラパラになるんだよ。豆知識」

 ふふふ、と微笑を浮かべ、不思議そうに料理風景を眺める俺を一瞥した。手際良く料理する姿がやけに良く似合う。

「千佳は良いお嫁さんになるんだろうな」

 思いついた常套句を言ってみた。素直に出た言葉でもあった。

「や、やだなぁ。ま、真は家庭的な子って、す、好き?」

 と照れながらに言う。

「まぁ、好きだよ。やっぱ、うまいご飯が家に帰れば待ってるっていいと思うし」

 どこのオヤジだよ俺。まだまだ高校生。そんなことを思うのはまだ何年も先だ。って結婚なんてできるのかな。仮に梓とそうなったところで毎日シェフの豪華料理なんだろうな。それはそれでいいけど、やっぱ違うよなぁ。

「うふふ。そっかぁ」

 どうやら千佳のご機嫌を上げることに成功したらしい。鼻歌まで歌いだし、カチカチとコンロの具合を確かめている。

 千佳はきっと良い家庭を築けると思う。気配り上手で家庭的で、おそらく一途な千佳。そして可愛い。大人になれば相当美人になるだろう。旦那としては不満なんてこれっぽっちもないだろうな。

 幼馴染じゃなかったらなぁ、彼氏候補に立候補しようとでも考えたかもしれない。

 幼馴染だからってこだわっているわけじゃない。ただ、昔から一緒にいたから、どうやっても、千佳は親友で、幼馴染なんだ。

 炒め物の独特な音と香ばしいニンニクの香りが漂ってくる。千佳は器用にフライパンを返してチャーハンを炒めつつ、空いているコンロでお湯を沸かし、スープの準備もしていた。

「真、お皿出してー」

「おうっ」

 食器棚から平皿を二枚取り出し、テーブルに並べ席に着いた。そこに輝かしい黄金色のチャーハンが盛りつけられる。急に腹の虫が活動を活性化させ、胃と背中を絞めつけ始めた。食欲をそそる匂いが今にも俺に手を出させようとする。しかしここは行儀良く、千佳がテーブルに着くのを待つことにしよう。インスタントわかめスープを作った千佳は、すぐに俺の向かい側に座った。

「千佳特製余り物チャーハン、たんと召し上がれ」

「もっといいネーミングないのかよ」

「いいでしょ別に。ほら食べよ」

 いただきます、同時に言って一口放り込んだ。

「どう? 味付け、薄かった?」

 これは、初めて口にした千佳の料理だったが、何ともうまい。高級料理店のうまさとはまた違う、家庭的なうまさ。がっつきたくなるようなうまさである。グルメリポーターのような感想は言えない。思いつくのは一言。

「うまい! まさに庶民的なうまさだ!」

「それ、褒めてるの?」

 不服そうな千佳だったががっつく俺の様子を見て安心したようにチャーハンを口に運ばせた。「うん、おいしい」と満足そうに呟いてもう一口。着飾らない食べ方が俺にも安心感を与えてくれる。

 そのまま千佳が話す今度のコンクールの話しに耳を傾けながら昼食を終えた。

「片付けは俺がやるから。千佳はゆっくりしてろよ」

「いいよ。私が押し掛けたようなものだし、片付けまでするから」

「いいって。座ってろよ」立ち上がり、食器を持つ。

「だめだめ、私がやるよ」と俺の持つ食器を奪いにかかる。

「いいから」

「よくない」

 むむむ、と睨みあって片付けの役目を我が物にしようと手に力を込める二人。なぜ面倒な片付けを取り合わねばならんのか、と気付いたところで手の力を緩めた。

「わわっ」

 バランスを崩した千佳は皿を手にしたまま後ろに倒れようとする。両手は塞がってて受け身も取れそうにない。

「あぶねえっ!」

 咄嗟に手を伸ばす。

 ドスン、と鈍い音が響いて床に倒れ込んだ。

 千佳ひとりで。

 俺はというと、食器をしっかりキャッチ。割れるのを防ぎ、使命感を全うした達成感が溢れてきた。

「あいたたた……。ちょっと、今のは普通私を庇うもんじゃないの!?」

 涙目で腰をさすりながら怒りをあらわに怒鳴る千佳。

「いやだって、食器割れたら危ないだろ」

「そうだけどさ……このっ!」

 と俺の膝にアリキック。不意打ちでバランスを崩す。地味に効いた。当然、食器もグラグラと重心を求めて揺れ、ついには皿の上に重ねて置いてあったスープを入れていたカップが宙に飛んだ。「あっ」それは千佳の頭に直撃。僅かなスープの残りが千佳の髪にかかり、空のカップがころころと床を転がった。

「……………………」

「……………………」

 千佳の前髪から額にかけて、たら~っとスープが垂れる。千佳はそれが服に達する前に手で額を覆い、フキンを当てた。

 何とも言えない凍りついた空気が流れ、俺はとりあえず、静かにカップを拾い上げて食器を流しに置いた。

 座ったままジト目で俺を見上げる千佳。

 お前がアリキックなんてかますからそうなったんだ。俺に責任はないぞ? とも言える雰囲気ではなかったので、

「ふ、服には?」

「かかってない」

「そっか。と、とりあえずよかったな」

「……………………」

 うーん、どうしたもんか。こんな時はどうすればいい。濡れたタオルを持ってきて、でもそれじゃ匂いが残るだろうし。

「シャワーでも浴びるか?」

「……そうする」

 千佳はむくりと起き上がり、ゆらり揺らめきながら風呂場へと向かった。家の間取り図は千佳の頭に入っているのでわざわざ案内は必要ない。着替えはいいとして、タオルだけ置いておけば問題ないだろう。

 そう思い、干してあったバスタオルを持って脱衣所へ。

 耳を澄ますと、もうシャワーを浴びているようだった。一応ノックしてドアを開け、確実にシャワーを浴びていることを確認して脱衣所に入った。スリガラスと湯気でもちろん中は見えない。見えてしまったら俺は殺される。

「千佳ー。タオル置いとくからなー!」

 浴室に聞こえるように声を張る。

「ふぇっ!? ま、真!? そ、そこに置いといて!」

「りょーかい。部屋にいるからな」

 とタオルを置く。そこで目にしたのは千佳が来ていた服。着る順番に置くのが癖なのか、ご丁寧に上から、白い三角布、白い胸当て、シャツ、ジーンズ、ジャケットと綺麗にたたまれて置いてあった。うわわわわっ。

 ちらっ。いや! 見てない。俺は見てないぞー。うん、見てない。見てないんだ。

 自分に言い聞かせ、脱衣所を出て部屋に向かった。

 正直、胸の動悸が収まらない。小さい頃は一緒に風呂に入ったこともあったさ。でもそれは小学校の低学年まで。千佳がいつの頃からか女を自覚し始めて、そういうことはなくなった。それも下着なんてつける前の話しだ。

 妹の下着なんてまだまだ子供のものだし、妹のだとわかっているから俺も特別な目で見るわけがない。なんなら妹と一緒に風呂に入ったって何も感じないさ。おっと失言。めっ。妹、来年高校生。

 はぁ、千佳も女なんだよな。

 千佳の下着がなぜか目に焼き付いて離れない。もんもんと下着姿の千佳が頭に浮かぶ。

 だああっ! 何考えてんだ俺! 千佳だぞ千佳! ま、まぁあいつだってもう子供じゃないし、下着だって大人っぽいもんだったし。ってまた下着! ヤバイヨヤバイヨ。俺がヤバイヨ。

 なんとかしろ。千佳が部屋に来るまでにこの気持ちの高ぶりを抑えるのだ。

 そうだ、宿題。数学の宿題があった。数字でも眺めて落ち着かせてみるのも手だ。

 机に着き、鞄から教科書を取り出し開く。この際、宿題にこだわらなくてもいい。とにかく頭の中を切り替えないと。

 パラパラとめくり止まったページ。えーと、84×57×85? なんだ、単なる掛け算の問題、っていうかこれ千佳のスリーサイズじゃねえか! 何だこの問題ありえねえ! 覚えてる俺もどうかしてる!

 と、教科書をベッドに放ったところで千佳が部屋にやってきた。

「真、何してるの?」

 !!!!!!!!

「お、お前こそ何してる!」

 きょとんとして俺を見つめる千佳は、バスタオル一枚でその身を隠し、濡れた髪もろくに乾かさずに湯上りの香りを漂わせていた。

「ふ、服着ろよ!」

 千佳はにやりといやらしく笑った。

「えー、だって暑いし。昔はよく一緒にお風呂入ってたでしょ。気になるの? ただの、幼馴染なのに」

 言うまでもなく、直視できない。さっきまであんなこと考えていた上に、薄皮一枚巻いているだけの千佳が目の前にいるんだ。嫌でもタオルの中を想像してしまう。

「も、もう高二なんだぞ!」

「ただの、幼馴染のバスタオル姿だよ? 私はただの幼馴染なんだから気にならないでしょ?」

 俺の前に膝を斜めにちょこんと座る。艶やかで真っ白な肌。なでらかな肩のライン。下手をすれば、真っ白い太股の奥が見えそうになっている。

 もう少し角度が変われば……じゃない! とにかく服を、服を着せないと!

「言っておくけど、バスタオルの中は水着でしたってオチもないからね。下着もつけてない、正真正銘のハ・ダ・カ」

 妖艶な笑みを浮かべて言う。

 これが梓なら引っ叩いて追い出すことでもするのに、千佳は妙に色っぽく、抗う術な何一つ頭の中に浮かんで来ない。服を着せるどころか、情けなくも後ずさりして距離を取ってしまう。

「どうして逃げるの? 幼馴染の私って、そんなに女の魅力ない?」

 全く逆だ。いつものように俺の心情を読み取ってくれ。

「ねぇ……」

 四つん這いになり、猫が餌を欲しがるようにゆっくりと俺にせまり寄る。眼下では胸の谷間が欲望をかき立てる。頬の朱色が伝染する。艶めかしい唇が小さく漏らす。見てはいけないと思いながらも、俺の視線はただ一点に集中される。

「ふふっ。ここが、気になるの?」

「ち、ちちちち千佳! 春の陽気でさ、今日は特にあったかいかいだからななぁ。で、でもでででも、日射病には早過ぎる! 冷静になれ! ああ頭を冷やせ!」

 千佳の中でどんな化学反応が起こったのかわからない。あ、あれか、あのスープ! あれに人を狂わせる何かの成分がって、俺も飲んだしわけのわからないこと考えてる場合じゃなくてああああ混乱してる!

「真……。真がよかったら……私……」

 千佳が俺の膝に手をかけたところで、無機質な機械音が部屋に鳴り響いた。

 机の上に置いてあった携帯が鳴っていた。

「で、電話だ。きっとあゆみからだな」

 そこで千佳は引き下がり、つまらなそうに溜息を吐いた。

 助かった。俺は千佳の目を見つめたまま携帯を手に取り、誰からかも確認しないまま手探りで通話ボタンを押した。

「も、もしもし?」

『もしもし先輩っ! 愛しの梓ちゃんからのラブコールですよー!』

 音漏れするほどの大声量でご挨拶。ナイスタイミングだ梓。

 梓の声が聞こえたのか、千佳がピクッと肩を反応させた。

「よ、よう。どうしたんだ? パーティーは終わったのか?」

『たった今! ほんとはいきなり帰って来て先輩を驚かせようと思ってたんですけどぉ、何故か先輩の貞操危機センサーがピピッと反応してですね、何してるのかなーて。まさかとは思いますが、誰か部屋に連れ込んでバスタオル姿で迫られたりしてませんよね?』

 すげえなお前。ってかカメラでも仕掛けてるんじゃないだろうな?

「ん、んなわけないだろ。帰りは気をつけて帰って来いよな」

『むっ。先輩が妙に優しい。何か隠してますね?』

 ひえぇぇっ! 何だお前はっ!

「な、何もないぞ?」

 それに対して梓は「ううーん」と唸る。その時、妙におとなしかった千佳がおもむろに立ち上がり、

「真、(お皿が頭に当たって)ちょっと痛かったけど、(シャワー)すっごく気持ち良かった! 勉強して(料理)またしてあげるね! 裸じゃ寒いから着替えてくる!」

 わざとらしく声を張り上げて部屋を出て行った。かっこ内は小声で言ったものだ。さて、これが梓に聞こえていたのかと言えば、

『……先輩?』

 変な意味で伝わっていたりする。

『女の人の声がしましたね。聞いたことのある声のような気もしますが。今、どこにいるんですか? それで、一体なぁにをしていたんですかぁ?』

 うほっ、怖え。普段の梓からは想像できない威圧感のある声だ。

「き、今日はずっと部屋にいるぞ。さっきのはテレビの声だよ」

『真って、先輩のことじゃないんですかぁ?』

「同じ名前の役が出てるドラマだったから、ついつい見てしまって」

『へえぇ、そうですか』

 ま、全く信じられていない。そりゃそうだよな。ドラマなんて見ないことくらいわかってるだろうし。

『部屋に、いるんですよね?』

 電話の向こうで、「斎藤さん」と呼ぶ声がして、何かカチャカチャと機械を操作する音が聞こえたかと思えば、机の引き出しが勝手に飛び出してきて、俺の肘に当たった。「いって!」チーンなんて音はしなかったけどレジのようだ。

「な、なんだ?」

 ウィーン……と機械特有の音を放ちながら、引き出しの中からカーナビサイズのモニターがにょきっと伸びてきた。いつの間にこんなもんを仕込んだんだ。

 そしてこれまた勝手に電源が入り、モニターに映し出されたのは、携帯片手に緑色の華やかなドレスに身を包んだ梓。まぁ、不機嫌そうだけど。大人びた化粧と、髪は煌びやかな装飾品でまとめられていて、いかにもお嬢様って感じだった。その背後には見慣れた黒服の斎藤さん。どうやらまだパーティー会場にいるらしく、それらしい人通りが梓の背後に見られた。

「ってかなんだこりゃっ!」モニターに向かって叫ぶ。

『それはこっちの台詞です。どういうことか説明してもらいます。部屋にいることはこれで証明できましたけど』

 モニター越しに怪訝そうな目で俺を睨み言う。よく見ればカメラが内臓してあるようで、こちらの様子も向こうに映し出されているようだった。本当にカメラを仕掛けてやがった。文句は出るがさほど驚きはない。慣れだ。

「ああ~、だから言ったろ? ドラマ見てたんだよ。暇だったからさ。ちょうど最終回みたいだったけど」

『失礼します』

 俺の話しは一切信用していないのか、梓がそう言うと、カメラ内蔵モニターは首を振り部屋を一通り見回した。そのあとカメラは再び俺にレンズを向ける。

 まだまだ納得のいかない様子。千佳が戻って来る前に通信を切らなければ。

 大体何で俺は必死に隠そうとしてるんだ。別に千佳がいることが知れたところで、何度も言うが梓は俺の恋人じゃないんだし。千佳と俺がどうなろうが……って千佳は幼馴染! 何もあるわけがない! でもさっきの雰囲気だとそのまんまってことも……いやいや俺は何を考えてるんだ。うん、ヤバイ、混乱してきた。梓からテレビ電話的なものがあって、千佳が家にいて、俺はそれを隠そうとしてて、千佳がバスタオルであれで、ぶほっ! 胸の谷間が見えてた! いやいや千佳は幼馴染で千佳の胸を見ようが裸を見ようが、いやでももうお互い高校生であるわけで俺には梓がいて、違う! 梓はただのストーカーだ! でそのストーカーに幼馴染の存在を隠そうとしててあれれってれれ?

『どうしました?』

「た、谷間っ!」

『えっ?』

 うほぉう、俺の馬鹿。

「い、いや、そのドレス。谷間が欲しいよな」

『しっ、しつれーな! どうせ梓の胸はちっちゃいですよーだ!』

「でも、梓らしくていいと思うぞ」

『そ、そんな……もう、先輩ったら、梓のそんなところばっかり見て。えっちぃんだから。揉んで、大きくしてくれます?』

 うん、いい感じじゃないか。いつもの流れだ。このままさりげなく会話を続けて、そして早々に通信を切る!

「そのうちな」

『えっ? う、うわきゃーっ! そ、それって告白ですか!? ま、待ってて下さいね! 帰ったらさっそくお伺いしますから! 新婚初夜は熱い夜に……ハァハァ、じゅるうり』

 だらしない顔をやめろ。日本人全てがそんなもんだと思われるだろ。やれやれ、どこに行っても梓は梓だな。それじゃ、そろそろ。

『って、先輩がそんなこと言うわけないじゃないですか。やっぱり何かおかしいです。罪の懺悔なら聞いてあげます』

 こいつ、フェイク……だと?

 片目をカメラに寄せて、俺のことを見透かすつもりか。悪い事はしていない、そのはずなのに、冷や汗が止まらない。

「真ー。服着て来たよー」

 ……………………………………遅かったか。

『先輩! 今女の人の声が! 明らかに先輩のこと呼んでましたよね! 服着て……ふっ、服着たってなんですくわぁっ!』

 モニターに向かって大口開けて叫ぶ梓。うん、虫歯はないね、健康的な歯だ。音声は電話なのに、一生懸命モニターに叫ぶ姿が滑稽に見える。カメラは俺の方に向いてるから千佳の姿はまだ確認できていないらしい。

 だけどもう誤魔化しは効かない。

 しかし、面倒なことになるのは間違いない。できるだけ穏やかに事を済ませたい。俺の意識は右往左往。あれこれ考えるだけで、何も言葉としては出て来ない。

 黙ってモニターを見つめてカメラに噛みつく梓を見ていると、千佳が横にやってきて俺から携帯を奪い取った。

「梓ちゃん、こんにちは」

 千佳は満面の笑みだった。さて、どうするか。とりあえずこの場を離れた方がよくないか? しかしそれは叶わず、千佳は俺の腕をきっちりホールド。そして携帯の音声をスピーカーにして、モニターの前に置いた。

『えっ、あれ? 千佳先輩?』

 梓はようやく声の主に気がつき、目を丸くさせてモニターに釘付けになる。

『ちょちょちょ、離れて下さい! 梓の場所! そこ梓の場所です!』

 千佳がここにいる疑問よりもやはりそこに喰らいつく。俺としても早く離れてもらいらい。その、当たってるんですよ、腕に。先程垣間見た柔らかな双丘が。無理矢理に動けば、よりその感触を得てしまいそうで、掴まれている右腕に力を込められない。やっぱり、梓より大きいな。

「幼馴染なんだから、別に深い意味なんてないよー。昔はよく一緒にお風呂にも入ってたし。今日も真がお腹空かせてたからご飯作りに来ただけだよ。今は、二人っきりだけど」

『そ、そそそそうですか。ご飯を。へえぇ。ふ、二人っきりなんですね。それで、えと、あの、服を、着て来たって……』

「ああ、真に髪にかけられちゃったから。シャワーで流してきたの」

 お前、その言い方ってなんか……。

『ひいいぃっ! 何をっ! 何をかけちゃったんですか先輩っ! くくく詳しく説明願いますっ! いややっぱり聞きたくない! でもっ、やっぱり聞かせて下さい!』

 ムンクの叫びならず梓の叫び。何を考えているのか想像はつくが、とりあえずは誤解を解くことから始めよう。

 俺は今日起きてからのことを梓に説明した。もちろん、先程のバスタオルハプニングのことは控え、どういった経緯でシャワーを浴びたのかと。

『そ、そうですか。安心したようながっかりしたような……』

 お前は何を期待していたんだ。

『でも、先輩の部屋で二人っきりっていう事実は変わらないですよね』

「そ、そりゃそうだが、俺と千佳は昔からよくお互いの家に遊びに行ったりしてたんだ。別に変なことじゃないだろ」

 いててっ! なぜそこでつねる千佳!

『だって、千佳先輩は、真先輩のこと……』

 そこまで言って黙る。俺は固まる千佳を一瞥してモニターに目を戻した。

「なんだよ」

 梓が『千佳先輩は……』と続きを話す前に、千佳がその身を乗り出しモニターの前を占拠した。俺からは映像が見えないし、おそらくは向こうからも千佳しか見えていない。

「あ、ああ梓ちゃん? いつ帰って来るのかなぁ? か、帰って来たらまた遊びにでも行こっか!」

『ひっ! は、はい。ぜぜぜひお願いします』

 梓の怯えた声が聞こえた。

 千佳がゆっくりモニターから離れると、モニターに映るのは心なしか震えている梓。『鬼……鬼がいました』とぶつぶつぼやく。怪訝に思い千佳を見ると、素敵な笑顔を輝かせていた。

 何にしろ、頃合いだろう。

「じゃあ梓、気をつけて帰って来いよ」

『えっ、あっ、先輩!』

 電話を切り、モニターに布を被せ視界を封じた。そして『やましい事は何もないから安心しておけ』とメールを送った。それで納得したのかどうかは知らないが、再び着信音が鳴り響くことはなかった。

「くっ、くくくっ、あっはははっ! 梓ちゃんからかうのって楽しいー!」

 事が済むと千佳が高笑いを響かせた。腹を抱えて笑い転げる。

「いつからそんなに性悪女になったんだ。図書館の時といい、あとで俺が大変なんだぞ?」

「あっははは。だってぇ」

 千佳はけらけらと調子良く笑い、それが落ち着くとベッドに背中を預け、宙を仰いだ。

「不思議な関係だよねー。真と梓ちゃん。梓ちゃんのお父さんに認めてもらえば、全て丸く収まるんじゃない?」

「それができないことわかってて言ってるだろ」

「そーだね」

 千佳はまたくすくすと笑う。

 梓の父親が認める相手となれば、そりゃ超一流企業の社長の息子とか、世界規模の御曹司の息子とか、俺たちがお目にかかることも許されないような、住む世界の違うスーパーマンになる。あの人に認められるということは、つまり俺がそんな人物にならなければならないということ。そんなのは万に一つもありえない。顔、普通。学力、普通。身体能力、普通。生まれ、一般家庭。そんな俺が、どんな奇跡を起こしたところで同じ目線に並ぶことはない。宝くじの一等を当てたところで、そんな額でも向こうの世界じゃはした金だ。

 ならば梓にさっさとそんな奴らとお見合いでもさせればいいのに、娘にはとことん甘い親だから困る。梓に何も言えないから、俺にどうにかしろと言っているようなものなのだ。

「あいつに誰かいい男を紹介してやってくれよ」

「私の知り合いに梓ちゃんを納得させるような人いないよ」

 それもそうだ。なんせ俺らは一般人だからな。

「いろいろと大変だよね、ジョンも」

「じょっ……倉敷さんから聞いたのか? あの時のこと」不意打ちだ。

「そっ。まさかみちると三人で街に行くなんて、話し聞いても場面が想像できなくて」

「二人のあとをついて行っただけで、俺は何もしてない」

「あはっ、想像通り」

「は? 何なんだよ、ったく」

 まったく、俺のことをわかってるんだかわかってないんだか。幼馴染ってのは不思議なもんだ。

 それから千佳は懐かしむように目を閉じて微笑んだ。

「それにしても、今の梓ちゃんって、あの時と比べたら全然変わっちゃったね」

 あの時って、いつの頃だ? わからないけど、出会ってから何一つ変わってないような気がするけどな。街で会った次の日にはもう俺の家に来たし。それからすぐだ。ベッドに潜り込んで来て神宮寺家に連行されたのは。

「真、もしかして覚えてない?」

「よーく覚えてるさ。何で出しゃばって助けちまったんだろうなぁ」

 でも、あの場面で困ってる女の子を見て見ぬふりなんてできなかったよな、きっと。

「助けた? あ、それ中学生の時のことでしょ? そうじゃなくて、いつだったかなぁ、たしか小学生になりたてくらいの頃。一度だけ梓ちゃんと三人で遊んだじゃない」

 ……………………は?

 俺は言葉にならない疑問符を浮かべるばかりだった。

 全然、まったく記憶にない。あの梓とそんな小さい頃に遊んだ? 小学生になりたてって、もう十年以上前の話しだ。

「いつもの公園で二人で遊んでたらさ、梓ちゃんが一人で泣きながら入ってきて、それを真がなだめて、それから……ってほんとに覚えてないの?」

「あ、ああ……まったく……」

 よく行ってた公園は小学生くらいまでは毎日のように遊びに行ってたし、そこにいた他の奴らも一緒になって遊んでいたから、一人二人一度だけ遊んだことあるって奴もいたのかもしれない。

「あの時の梓ちゃんは印象薄かったからね。遊んだって行っても砂浜で砂の家を作っただけだったし。梓ちゃんあんまり話さなかったしね。でも、真は梓ちゃんが帰るまでずっと一緒だったんだよ? ほんとに、お兄ちゃんのように手を引いてさ。ちゃんと自己紹介もしたのに……」

 そう言われても、思い出すようなことは何一つなかった。女の子の手を引いて遊んだって、覚えててもよさそうなことなのに。さして意識しないで相手していたのか、よほどその時の梓の印象が薄かったのか、その時の俺に聞いてみないことにはわからない。

「梓の奴、覚えてるのかな?」

 不意に口から出る。俺が覚えていないだけで、俺と千佳と梓には共有した時間があったってことだ。千佳が覚えていたのだから、梓だって覚えているのかもしれない。

 でも今までそんなこと聞いたことなかった。梓が覚えていないのか、あえて口にしなかったのかはわからない。たった一度遊んだだけ、大した思い出じゃないのかもしれないけれど。

「さあ。それ以来、私が梓ちゃんとまともに話したのってボウリングの時だったから。昔と今の梓ちゃんは随分印象が違うよ。まるで別人みたい。前は、なんか暗い子だなって思ったから」

 千佳は思い出すように肩をすぼめて言った。

 今の梓は、明るくて、前向きで、よく喋る、暗いっていう印象とはかけ離れた女の子だ。

 でも、街で梓を助けた時、最初に梓に持った印象は、決して明るいというものじゃなかった。むしろ、そう、千佳が言っていうように、暗くて、おとなしいなって。

 最初だけだったけど。

「ま、どうでもいいか。そんな昔のこと」

 覚えていようと覚えていまいと、今は関係ないだろう。梓だってわざと明るく振る舞っているようには見えないし、今の梓が俺の知っている梓だ。でも仮に、おとなしくておしとやかな梓に積極的にアプローチされたら、心惹かれるかも。ま、そんな梓は梓じゃないな。

 その後すぐ、あゆみが帰って来て「わぁ、千佳お姉ちゃんだぁ!」と千佳に嬉しそうに飛びつき、三人でトランプやボードゲームで遊んで、夕方になると千佳は帰って行った。

 千佳が帰って「千佳お姉ちゃんと浮気してたの?」と無邪気に聞いてくるあゆみに苦笑を浮かべつつ頭を撫でた。

 夕食を終えた頃、「梓お姉ちゃん、今日は来ないのかなぁ」と残念そうに呟くあゆみの願いを叶えるように、我が家のインターホンが鳴らされた。

「お土産の前に、聞きたいことが山ほどありますっ!」

 俺と千佳が並んで話している様子が流れているモニターを突き出し、頬を膨らませた梓が立っていた。

 今夜は、無事に眠れるだろうか。



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