頼れるものは同級生
梓が俺のクラス2-Aにクラスチェンジした翌日。
今日は珍しく朝から梓が家にはやって来ず、久しぶりに惰眠を貪ることができたのは今日一日を幸せに過ごすことができるという啓示にも思えてしまう。
昨日はあれからまず、やたら高級そうな、いや、高級レストランで昼食を取った。今まで散々連れまわされたおかげで世界中の珍味やら一流シェフが作る絶品料理を口にしていた俺は、ひと品で俺の一月分の小遣いを超える料理を特にありがたみもなく平然と平らげた。慣れって怖いよね。梓に付き合わされる中で唯一至福の時だ。
それからは梓が街デートがしたいと言ったので、制服のおかげで一般市民の方々の視線が痛かったけど街をぶらぶら(梓的にはらぶらぶ)して過ごした。途中至る箇所で街角に見え隠れしていた梓の警護人、斎藤さんが執拗な視線をこちらに送っていた。梓が危険な目に遭わないように見張っていたのか、俺が梓に手を出さないように見張っていたのか、できれば前者であって欲しい。
ずっと街をぶらぶら(らぶらぶ)、ぶらぶら(らぶらぶ)。さすがに歩き疲れたので神宮寺家御用達リムジンを呼んでもらい優雅な帰途についた。うん、結構都合良くお世話になってるな、俺。
それは昨日の話し。今日は今日。静かな朝を迎えられた。部屋から出て顔を洗いリビングへ行くと、母さんが早起きして作ってくれた朝食が芳ばしい香りを放ちながらおいでおいでと手招きする。妹はすでに制服に着替えてエッグトーストを頬張っていた。
「おはよう。お兄ちゃん」
「おはよ」
俺の妹、来栖あゆみ。十五歳。黒髪ショートカットで運良く兄に似ないで生まれてきた、実の兄が言うのもなんだけど可愛い妹だ。決してシスコンなどではなく、周りの意見を含めた一般的評価だ。友人、高橋裕也の女子総合評価によると、俺の妹はアイドルクラスの最高評価を頂いている。かなり個人の趣向が偏っていて今一つ信憑性に欠けるものの、地味にアンケートが取ってあり男子諸君のお墨つきだ。ちなみに俺の妹は某歌手の長崎あゆみのことを同じ名前だからという理由でファンになった。どうでもいい話しだけど。
「あれ? お兄ちゃん、今日学校お休み?」
あゆみはのっぺりとした子供っぽい喋り方をする。今の一言でも十秒は使ってしまったかもしれない。
「まだ制服着てないだけだよ。そう言うお前は随分早いな」
「今日から部活の朝練なんだぁ。わたしはまだまだ下っ端だからぁ、早く行って期待の新一年生のためにグラウンド整備しとかなきゃなんだー」
二十五秒。
「いや、それ期待の新人とかじゃなくて一年がやるもんじゃないの?」
「そうなのー? えへへ、でもね、わたしは整備がとても上手だからっていつも整備とかお掃除とかお茶作ったりやってるんだぁ。みんなね、すごく助かるって言ってくれてるよ。部長さんがね、わたしにいっぱいお仕事くれるの。この前なんかね、みんなで用事があるってわたし一人で部室も道具もグラウンドもぴっかぴかにしたんだよー。すごいでしょ」
ジェスチャー混じりで話し始めて二分後、あゆみは自慢げに誇らしげに胸を張って言い終えた。所属は女子ソフトボール部である。決してマネージャーなどではなく万年補欠なのだ。俺は何も言わないでおこう、あゆみが満足してるならそれでいいじゃないか。しかし、兄としては……。
「あゆみ、ちなみに部長さんたちはその時どこに行ってたんだ?」
「新入生の歓迎会だってぇ。すごいよねー、部長さんは気配りができてー」
「そ、そっか。よかったら部長さんのクラスと名前を教えてくれないか?」
「んー、えっとー、三組の花澤さんだよー」
ありがとう、俺はあゆみに礼をして牛乳を一口流し込んだ。ごくん。
花澤さんよ、俺の妹をこき使うなんざいい度胸だ。君には神宮寺家の力というものを身を持って感じて頂こう。妹のためなら梓に頭を下げることだって厭わないさ。
玄関であゆみを見送ったあと、鏡で自分の平凡な顔を眺め部屋に戻り制服に着替えた。
さっきも言ったが、今日は梓の奴が押し掛けて来ていないので気持ちが軽い。静かな朝というのも久しぶりだ。
築十年の我が家の玄関のドアを開け、まだまだ春の匂いが新しい外の世界に足を踏み出した。
うーん、なんとも清々しい。こう、左手に重荷がないのはこれほどまでに開放感に溢れているものだったのか。忘れてしまいそうだった。
「あれ? 真?」
家を出るとすぐに背中から声がかかった。昔からよく聞いていた声で、梓が現れてからめっきりこの声を耳にする機会が減ってしまった。
「おう、おはよ。千佳」
俺の幼馴染、笹野千佳である。家が近所で保育園から現在の西高校に至るまでの長い付き合いだ。クラスは隣の2-B。
千佳は言わば才色兼備。成績優秀で運動神経も抜群。そのうえ性格も明るく人を気遣うこともできるスーパー幼馴染。生まれつき栗色の髪のミディアムショート。綺麗と可愛いの中間の整った目鼻立ちで、昔っから知っていなかったら一目惚れをしてしまいそうなほど眩しい女の子である。
「今日は梓ちゃん一緒じゃないの?」
クスッと悪戯っぽく笑い聞いてくる。その仕草になんとなく懐かしさを覚えて癒される。千佳は俺があいつに振り回されていることをよーく知っている。
「まぁ、珍しく」
俺はそれだけ言って歩き出した。そしてその横に足並みを合わせるように寄り添い歩き出す千佳。これが中学三年の一学期までは当たり前の光景だった。本来なら毎日こうして千佳と一緒に登校しているはずなんだけど、いつからかどうしてか俺の生活習慣は変わっちまった。ほんと、懐かしいよ。
「へぇ、真さみしそう」
誰がっ。そんな顔をしたつもりはないしそんなことを思うはずもない。これだけは間違いなく絶対とも言えるね。大体俺がどんなに苦労してるか知ってるだろ。心外だぜ、千佳。
「幼馴染としては、俺の気持ちを汲み取ってもらいたいもんだけどね」
「うっそ! 真がそれを言うの?」
千佳は驚いて、少しだけ怒気を含んで言った。
「え、何で?」
「え、えっと、それは、それは……なんて言うか……」
今度は恥じらうようにもじもじもじもじと、俺とお前はそんなよそよそしい仲か?
千佳も梓ほどじゃないにしろ怪面五十面相くらいにころころと表情を変える。
「じゃ、じゃあ私が何考えてるか当ててみてよ!」
千佳は頬を赤らめてやけくそ混じりに言った。一体何だって言うんだ。正直、わからん。逆に返されてしまったようで困惑。久しぶりに一緒に登校するのにいきなりその質問はないだろ。少なくとも梓よりは心が通じ合っているとは思うけど。
「わかんねぇよ。そんなもん」
「そっ…………そうだよね……」
今度はほっとしたような残念がるような、そんな顔をした。
でもな、これだけはわかるぞ。君は梓より常識人。……いかん、何もかも梓を基準に考えてしまうのを止めよう。梓に心を支配されてるみたいじゃないか。
「そ、それで、梓ちゃんどうしたの?」
何かと梓のことを気に掛ける千佳だが二人はそんなに仲が良いというわけではない。と言うより梓が俺以外と親しげに話している姿は見たことがない。梓が通っていた中学時代のことなんか知らないし、高校に入学してからは俺としか話していないようなもんだし。
……あいつ、友達いるのかな? いや、いるよな。友達くらい。友達がいないなんて寂し過ぎるだろ。かくいう俺も、梓のおかげで友達との触れ合いという奴が激減しているわけで、梓のことを偉そうに言える立場でもない。いやいや、梓のせいだっつーの。閑話休題。
「知らね。いつも向こうからの一方的な連絡だしな。いちいち気にしてらんねーって」
嫌でも付き纏われるからな。
「そっか、そっか、うんうん」
微妙に喜んでいるように見える千佳がいた。こいつ、梓のこと嫌いなのかな。まぁ、梓は明るい奴だけどとんでもない性格だから。人付き合いがうまいとは思えないし。
「じゃあ、久しぶりに一緒に登校だね」
懐かしい笑顔を向けて来る。平和を感じられていい。うん、いいぞ。
学校は俺の家から歩いて二十分程の丘の上にある。近くもなく遠くもなくって距離でいろいろ考えながら歩くのにはちょうどいい距離ではある。さすがに疲れているときは長い坂道が苦痛になる時もあるんだけど、バス代は自分の小遣いから出せと言われているので、渋々毎日地味に汗をかきながら歩いているんだ。
千佳は梓とのことには特に触れず、新しいクラスや部活の新入部員の話しやらで懐かしい声を俺の耳に届けてくれていた。
「あ、あのっ!」
そろそろ長い上り坂が見えて来るという時だった。十分ほど歩いたくらいか。頬を高熱真っ盛りのインフルエンザ患者並みに紅潮させた一人の男子生徒が俺たちの前に飛び出して来た。なかなかハンサムだ。細い路地で死角が多く、待ち伏せするならうってつけ場所だった。
やれやれ、これを見るのも久しぶりだな。
「千佳、先に行ってるぞ」
「えっ、ちょっと待ってよ」
待てと言われてもな、このままでは決して居心地がいいものではないのだ。
「すぐ済むから」と真剣な面持ちになる千佳。
すぐ済ませられるそいつのことを考えると俺も同情したくなる。
その男子生徒の目的は千佳だ。俺はこういった場面を何度も目撃してきた。朝に限らず放課後や場合によっては休日にまで。モテるというのも考えものだ。
千佳は俺が足を止めたことを確認したあと、その男子生徒と向き合った。
「あ、あの、僕は二年D組の長谷川といいます。ずっと、笹野さんのことを見ていました。よかったら、僕と付き合って下さいっ!」
長谷川くんはストーカー宣言しつつ、思いっきり頭を下げて言い放った。
そう、これは告白シーンなんだ。
千佳はいつものように困った顔をしていつものように言う。
「あの、長谷川くん、ごめんなさい。私、昔からずっと好きな人がいるの。だから、あなたとは付き合えません。本当にごめんなさい」
千佳が告白を受けた際に必ず使用する断り文句だ。
長谷川くんは「そうですか」と小さく呟いたあと、背中を向け学校とは反対方向に走り去った。彼の横顔にはきらりと光る何かが見えたのだが、それを見慣れてしまっている自分が怖い。でも、長谷川くんは学校をさぼるつもりなんだろうか。
千佳は「ふう……」と小さく溜息を吐き俺の隣に戻って来た。そして心苦しそうに長谷川くんが走り去った方を見つめる。これもいつもの光景だ。
俺は何度この光景を見たかわからない。成績優秀、スポーツ万能、おまけに可愛い学園アイドルのような笹野千佳は当然のようにモテて先程のような告白を何度も受けて来た。恐れ多くも自分が千佳に釣り合わないと思う奴は思いのほか少ないらしい。その度にこんな感じで断り続けている。モテる女は辛いねぇなんてからかいもすれば鋭い睨みが返って来る。千佳にとって告白されるのは決して嬉しいものではなく、相手を傷つけてしまう、できれば避けたいことなのだ。
「二年になって何人目?」
「……四人目」
まだ十日も経ってないのに四人とは末恐ろしい。このままだと学年全男子が千佳に告白してしまうんじゃないか? 千佳は俺のそんな懸念を感じてか、
「今は新学年になって、少し勇気を出してみようって人が多いんじゃないかな。私が言うのもなんだけど」
苦笑混じりで言った。
人を傷つけ続けるってことがどんなことなのか俺には想像もつかない。千佳は優しいからきっと千佳もずっと傷ついてきてるんだと思う。幼馴染としては、そんな千佳を楽にしてやりたいとは思うけれど、俺にはどうにもできない。千佳が断り文句で言っている、好きな奴ってのがほんとにいて、そいつとうまくいけば万事解決するんだろうけど。
そのまま互いに何となく話しづらい空気が流れて歩き出し、信号待ちで足を止めた。
「どうしてだと思う?」
「え?」
千佳が唐突に聞いてきた。
「ねぇ……」
千佳は切なそうに少し濡れた瞳をこちらに向けて来る。拍子に俺の心臓はひとりでにポンプ機能を向上させた。そして、
「どうーして告白してくる人があとを絶たないのかな! あれほど毎度のように好きな人がいるって言ってるのにさ! 普通そんな噂くらいすぐ広まるでしょ? 好きな人がいるっていうのに告白してくる?」
千佳は矢継ぎ早に悔しそうに涙まで浮かべて言い放った。本当に悔しそうだ。それが断り文句が通用していないからか、毎度断ってしまう自分に憤りを感じているのかはわからないが、とりあえずはその設問に答えることにした。
「そ、そりゃお前、好きな人がいるっていうのにお前が誰とも付き合ってないからだろ」
「はぁ?」
今度は露骨に怒りの色を見せてきた。俺、何か怒らせるようなこと言ったか? 何も変じゃないよな。正論だよな、よな?
ぐいぐい詰め寄ってくる千佳の勢いに負けて俺は思わずたじろいでしまう。顔が近いぜ千佳。
「大体真がねぇ――」
信号待ちで何故か千佳に責められていたその時、俺の前に見慣れたリムジンが停まった。横断歩道のド真ん前だ。信号変わったら邪魔だぞおい。そんなことを考えていると、
これまた見慣れた黒い服のおっさんに連行された。
俺は何の抵抗もできないまま、千佳につがるような目だけを残してリムジンの中に押し込められる。視界が反転して、そのままシートに投げ出された。
「おはようございます。先輩っ」
詰め込まれて体勢も整えられないまま走り出した車内で目にしたのは、今日もにこにことご機嫌良さそうな梓。朝、家に押しかけて来ないで油断していたらこれだ。金輪際、周囲への警戒を怠らないようにしなければ。
「今日は随分と過激な歓迎だなぁおい」
俺は明らかな嫌悪を顔に出す。
「えへへ、昨日は歩き回って疲れちゃったので車で登校ですっ。先輩の家に行くのが少し遅れちゃって車で合流できるところがあそこしかなかったから。遅れちゃってごめんなさい、先輩っ」
謝るとこはそこじゃねぇよ。無理矢理拉致ってごめんなさいと言え。それに俺が露骨にこんなに嫌な顔をしてるのに全然気にした様子も見せない。呆れるを通り越して感心してしまう。
梓の家は俺が住んでる住宅街や学校からは少し離れた場所にある。丘の上に建っている豪邸で、近くを通らずとも目立つ建物だからすぐにわかる。わざわざ毎朝俺の家に送ってもらってそれから歩いて学校まで向かっているそうだ。
「昨日はお前が遊びたいって言ったからだぞ」
「だって先輩ずっと歩いてるだけなんだもん。梓は先輩と一緒なら何だっていいんですけど、さすがにあれだけ歩いたら疲れちゃいますよぉ」
正直、お金持ちのお嬢様と遊ぶって言っても何をしていいのかわからないんだ。庶民の街で庶民の遊びをしたところで梓が楽しいとは思えないし。そんなわけで俺は何をしていいのかわからずひたすら街中を歩きまわった。別に梓を楽しませようと思っているわけじゃないんだが、男なら、ねぇ。
「よいしょっ」
俺が憮然としていると、梓が俺の隣に移動して俺の腕を掴んできた。せっかく朝は開放感に溢れていた左腕がまた窮屈になった。まぁ、ここから学校まで車で五分とかからないし、少しの辛抱だろ。
しかし、そんな俺の期待をいつも易々と裏切ってくれるのが神宮寺梓である。
学校の校門が見えて来て、降りたら背伸びの理由でもつけて梓の腕を振り解いてやろうとでも考えていると、俺を乗せたリムジンはあっさりと校門を通り過ぎた。桜の花びらが横なぎに揺れた。
「おいおい、学校過ぎたぞ! どこに連れて行くつもりだ! 頼むから普通に学校に行かせてくれ!」
普通なら休みが楽しみな学校なのに。
梓は頬を膨らませてそっぽを向く。
「だってぇ、学校つまんないです。授業中なんて先輩ずっと前向いてるし、おしゃべりできないし、触れないし」
お前は何しに学校行ってるんだ。
「大丈夫ですって。勉強しなくたって梓と結婚しちゃえば生活には一生困らないですから」
生活には困らないだろうけどそれは命あってのことだからね。俺はお前の父親からこの世から抹消されるかもしれんのに。
「そういう問題じゃないだろ。俺はべ、勉強がしたいんだ! 昨日も言っただろ、周りのみんなに遅れを取るわけにはいかないんだよ」
「だから勉強しなくても大丈夫ですってー」
「そう言わずにお願いしますっ」
俺は涙ながらに頭を下げた。それでも梓はぶぅっと頬を膨らませてそっぽを向くばかり。このままじゃ完全に遅刻だ。どんどん学校から遠ざかってるし。
「わかった、梓。一時限目だけはこのままドライブでもなんでもしよう。ほら、俺の腕も貸す。だけど二時限目からは学校に行こうぜ、な?」
「そこまで言うなら……。先輩はほんとに勉強が好きなんですねっ」
嫌いだよ。このままだと学校行かないのが当たり前になってしまいそうだからな。
それからは一時間、梓に愛を囁かれながらドライブすることになった。俺は終始嘆息するしかなかったんだ。
はああああぁぁ~……。
学校に戻って来て、教室に入った頃にはすでに二時限目が始まっていた。
ガラリ、教室のドアを開けると何とも言えない神妙な空気が流れ出す。授業中に女子生徒を左手にはべらせた男子が教室に入ってくればそりゃ当然のことさ。泣きたくなるね。
担任で古文の今泉先生に対して、俺だけが頭を下げていそいそと席に着いた。みんながこちらを見ようとしないのが逆に辛かった。
授業が終わって休み時間になろうと俺に話しかけてくるクラスメイトはいない。一年の時同じクラスだった男友達も同様だ。みんな、ひそひそ話すのは止めて。梓が隣にいるだけで俺の周りから友達がいなくなる。悲しいよ、寂しいよ。
「先輩、放課後はどうしましょうか?」
いまさらだけど、同じ教室にいるのに『先輩』と呼ばれるのにはかなりの違和感がある。実際先輩なんだから間違っちゃいないんだろうけど。
「もう好きにしてくれ」
こいつが同じ教室に来てたった二日でもう精神的にくたくただった。何よりも周りから距離を置かれているのが辛い。新しいクラスになって友達が増えるどころか減る一方だ。そういえば他のクラスに行った友達とも話せてないなぁ。
梓は放課後のことを考えて首をひねらせている。ツインテールがゆらゆら揺れて、思いっきり両側に引っ張ってやりたい。呑気なもんだよなぁ、こいつも。俺ばっかりに構ってないでこいつも友達と……あれ、友達って……。
俺はその時、朝に頭に浮かんだ疑問を梓に投げかけてみようと思った。いつもいつも俺にくっついているがその辺りがどうなのか興味があったのだ。
「な、なぁ。お前って、友達いるのか?」
少しだけ期待を込めて聞いてみた。どんな答えが返ってくるのか。
「いますよ」意外と簡潔明瞭に答えは返ってきた。
「へぇ、どんな奴なんだ?」思わず身を乗り出す。
梓は思い出すように口元に人差し指を当て、宙を仰ぐ。
「うーんと、アメリカの経済を牛耳っているカトレアさんの娘のシンシアちゃんとぉ、イギリスの財閥の息子のウィリアムくんにフランスの裏世界一のマフィアの後取りジャンと、えーと、あと特に仲が良いのはぁ……」
「わかった、もういい……」
そうそう、そうですよね。俺が馬鹿でした。いつもいつも奇抜な行動している梓さんに学校のお友達なんているはずないですよね。きっとそのお友達も似たような人たちなんだろうよ。やっぱりお前のところに嫁ぐわけにはいかない。とてもそんな人たちと友達になれる自信ねぇよ。
しかし、一応聞いてみよう。
「普通に学校の友達なんかはいないのか? ほら、中学の時とかの」
「学校にですか? この学校に来る前は家に家庭教師を呼んでいましたから。それに梓は先輩がいればそれだけで十分に学校は楽しいですよ!」
お前朝には学校つまんなーいとか言ってたよな。中学に通わずに高校に入学とか、義務教育を何とも思っていない。
「学校の友達と一緒に遊んだりするのも楽しいぞ。せっかく入学したんだからその辺も楽しまないと」
「先輩と一緒なら」
またそれか。でも、梓だってまだ十五歳なんだし、友達とはしゃいだりするのが楽しいと思うんだけどな。それに梓に友達ができれば俺の自由な時間が訪れるかもしれない。友達と遊ぶ楽しさをこいつが覚えれば。
「梓が友達とはしゃぐ姿なんて見たら俺、梓に惚れちゃうかもな」
微かに、梓の頬がぴくりと反応したことを俺は見逃さなかった。惚れるなんてことはないけど、梓に友達ができることは良いことだと思う。俺的にも、梓的にも。
「学校の友達ができたら、梓のこともっともっと好きになっちゃいます?」
目を輝かせて聞いてくる。俺はお前のことを好きなんて言った覚えは一度もないんだが?
「……かもな」
俺の返事を聞いて梓は満足そうに鼻を鳴らした。かも、と可能性を提示しただけで確実に惚れるなんて言ってないからな?
「くふふっ。見ていて下さいね。友達百人作ってみせます」
「金で釣るなんて無しだからな」
「えっ……?」
呆気に取られる梓。……それをやるつもりだったのか、こいつ。
梓に学校で友達ができるなんて、やっぱり難しいことなのかな?
そして放課後。
あれから梓は特に気にした様子も見せず、相変わらず鏡を使って俺に何かを訴えたりして授業中に遊んでいた。
今、俺がいるのは校内にある使われていない教室。木造旧校舎の中にある、余った机や椅子なんかを置いてある物置のような教室だ。山下くんはここから自分の机と椅子を運んできたらしい。木造校舎には主に文化部の部室が集まっている。茶道部、文芸部、美術部、新聞部、吹奏楽部、あともろもろ。その他放送部は放送室を使っている。文化部の紹介はどうでもいいことだけど。
ここには俺の友達、いや、親友と呼べる同級生に来てもらっている。梓には適当に理由をつけて外で待ってもらっていた。
昔からの男友達、高橋裕也。クラスは千佳と同じ。千佳と同じく保育園の頃からよく遊んでいた友人だ。こいつは背も高く、メガネが知的に見えるいかにも人気が出そうな奴なんだけど、常に女子の尻を追いかけまわしているために周りからは変態のレッテルを貼られ、女子から距離を置かれている残念な奴。しかし、女子情報網には素晴らしいものがあり、一部の男子生徒からは神のような扱いを受けている。これ一人。
そして千佳。困った時には千佳に頼るのが一番の解決策なのだ。
俺の親友と呼べる心のお供はこの二人だけなんだけど、何故かここにはもう一人いる。千佳が連れて来た倉敷みちる(くらしきみちる)さんという人でクラスは2-C。千佳は吹奏楽部に所属しており、どうやらそこで仲が良い同級生らしい。黒髪のロングストレート。無駄な贅肉を一切省いたような細い体で、少し切れ長の目が特徴的な大人っぽい印象を受ける美人と言うのが一番適切な同級生。柔和な笑みを浮かべている。頼み事があると言って千佳と裕也を呼びだしたらオプションでついてきた。
「それで? 何の用なんだ? わざわざこんなところに僕たちを呼び出して」
これだけだと不機嫌なように感じられるかもしれないが、裕也は鼻の下を伸ばしながら倉敷さんを舐めまわすように見ていた。倉敷さんはそんな視線はお構いなしといった様子で三人の前に立つ俺のことをじーっと見ていた。そんなに珍しい顔じゃないと思うけど。
「君のことは知っているよ。神宮寺さんのペットなんだよね?」
柔和な笑みを崩さず倉敷さんが初めて口にした言葉がこれだ。ある意味衝撃的だったね。初対面でいきなりこんなことを言われたこともあるが、俺は梓のペットだと周りに思われているのが地味にショックだった。
「ぺ、ペットとは心外だなぁ。これでも困ってるんだよ」
笑みが引きつるのを必死に押さえて一応釈明しておく。
「そうかい。それは悪かったよ。で、私を呼びだした理由は何なんだい?」
あなたのことは呼んでないってわかってるんだよな。初対面なのに。
俺は釈然としないまま一呼吸置き、呼び出した理由を話し始める。言うのは簡単なことだ。内容だっていたって単純明快。それを受け入れてくれるかどうかはさだかじゃないけれど。
「その、なんだ……」
いざ口にしようとすると躊躇してしまう。こういうことを頼むのも少し変だと思うし、余計なお節介なのかもしれない。いやいや、これは自分のためでもあるんだ。
俺は少し溜めるように間を置いて、意を決して頼み事を口にした。
「梓の……友達になってくれないかな?」
恐る恐る目を向けた三人の反応は三者三様。千佳は露骨に嫌な顔をして、裕也は訝しげな表情を浮かべ、倉敷さんは柔和な笑みを崩して細長い目を丸くしていた。
やっぱ言うんじゃなかった。すぐに後悔の念が押し寄せて今すぐにここを飛び出したい衝動に駆られる。やっぱり、こんなことを頼むのはおかしいよな。
「何故僕らが神宮寺さんの友達にならんといかんのか。そりゃあ神宮寺さんは可愛いけど、ちょっとあの常識外れの性格とは仲良くできそうにないな。僕のデータでも危険人物扱いだ」
「そ、そうだねぇ。私もちょっと苦手な感じかなぁ」
「おもしろそうだけどね。デメリットの方が大きい気がするよ」
裕也、千佳、倉敷さんが順に否定の意を見せる。そうだよなぁ、そんなもんだよなぁ。単純に裕也と千佳は梓が苦手なようだけど、倉敷さんは梓と一緒にいることで周りからどう見られるかを懸念しているようだ。実際、俺もペットなんて言われたしな。
「だよなぁ……」
肩を落とす俺。こうなることは予想できていたはずなのに、少しばかりは希望があったからなぁ。
「君はご主人思いのペットだね」
倉敷さんは少し呆れる様子で言った。俺はすかさず「ペットじゃないし」と弁解。倉敷さんはくすくすと意味深に笑う。
「でもさ真。どうして真がわざわざそんなことを私たちに頼むの?」
千佳が首を傾げながら聞いてくる。理由はね、説明したらまず断られるんじゃないかって思ったから口にはしなかったけど、この際話してもいいよな。
「まぁ、一つは単純にあいつに友達ができたらいいよなって思ったことだけど……。もう一つは……友達ができたら俺が振り回されることが少なくなるんじゃないかなぁ~って……いやぁ、そんなことを、思ってですね……」
「てめぇ、僕らに被害を分散させるつもりだったのか!」
「君は人に友達になって欲しいと言っておきながらその友達を盾に使おうとしたんだね?」
……はい、その通りです。何の弁解の余地もありません。
しかしこの二人とは違う反応を見せた千佳がいた。
「それって……それってさ、もしかして真が梓ちゃんから離れられるきっかけになったりするのかな?」
離れられるきっかけ? いや、そういうんじゃないんだけど、もしかしたら友達の輪が広がったりして俺の他に良い奴を見つけたらそういうことにもなるのだろうか。それはそれは願ったり叶ったりの話しじゃないか。やっぱり頭良いな千佳。それとも俺が梓の父親から脅されてるのを知ってるのも千佳だけだし、単純に助けようとしてくれているのか?
「そういう可能性もあるかもな。まぁ、今の梓なら考えもしないだろうけど。周りが見えてくればそういうのもあるかも」
難しいとは思うけど。大体あいつも自分の身分相応の相手を見つければいいんだよ。
「なら、協力する」
千佳の口から信じられない一言が飛び出した。思わず目を丸くして「え?」と聞き返してしまう。
「私が千佳ちゃんの友達になってあげる。それで真が助かるんなら協力するよ」
満面の笑みでそう言う千佳が天使に見えた。
ああ、頼れるものはさすが幼馴染。泣きそうだぜこんちくしょう。お前は良い奴だ。心底そう思うよ。今度から千佳さんと呼ばせてもらおうか。
だけどいざ頼みを聞いてくれるとなると千佳の身を案じてしまう。もし本当に友達になったとしても俺のように毎日振り回されることはないだろうが、それでもあいつが女子に対してどんな反応を見せるか俺は知らないからな。千佳の交友関係も心配だし。
「いいのか? あいつと仲良くしてたら俺みたいに周りから変な目で見られるかもしれないんだぞ?」
千佳は一度小さく唸って考える様子を見せたが、
「……いいよ、大丈夫。真が梓ちゃんから離れられるように頑張るよ」
いや、本来の目的はそうじゃないんだが……まぁいいか。千佳が納得してくれているんなら。
「なら私も協力しようじゃないか。少し楽しそうだしね。友達というのはどうかわからないけど、とりあえず神宮寺さんと話してみようか」
倉敷さんも何やら前向きに検討してくれてるみたいだ。さて、あとは……。
「裕也は、やっぱやめとくか?」
「嫌でも変態の称号を頂いてる僕だしな。これ以上変な噂が立つのはあまり好ましくない。今回はパスさせてもらう」
「そっか、残念だな。あいつの親戚は常識人でかなりの美人だったのに。たしか、今度ホームパーティーするとか言ってたな。その子や芸能界のアイドルやモデルも呼ぶらしいけど……。裕也が乗り気じゃないなら仕方ない。そのパーティーには俺と千佳と倉敷さんで行くか……」
「と思っていたが、神宮寺さんにも一般人の友達は必要だろうな。仕方ない、お前も困っていることだし、一肌脱ぐか」
……ちょろいぜ裕也。
「よーし、みんなありがとう! じゃあさ、外で梓が待ってるんだけど、さっそく今から友達らしく遊んでみようじゃないか」
俺の提案に三人とも眉をひそめる。
「私とみちるは今から部活だよ」
あっ……。
「ゆ、裕也は?」
「二人が来ないなら今日はパス。慣れ親しんでいるお前と神宮寺さんの中に一人では入れないだろう」
なんとまぁ……。でもここまで怖いくらいに話しが進んできたからな、今日は三人の協力が得られたことが大きな成果だ。これ以上は望むまい。
「そっか。悪かったなみんな、時間取らせて。今度改めて紹介するからさ、よろしく頼むよ」
俺が軽く礼を言うと、倉敷さんがにやりと口端を吊り上げた。
「フフフ、まるで自分の恋人を紹介するような言い草だね」
「いや違うから。本当に迷惑してるの」と間髪入れずに否定すると倉敷さんは千佳を見て「なんて言ってるけどほんとのところどうなんだろうね?」と話しを振る。千佳は「知らない」と急に拗ねたように教室を飛び出して行った。
今朝もそうだったけど、どこに千佳の沸点が存在しているのか謎だ。裕也も「じゃあな」と残して出て行き、残った倉敷さんが「君も大変だね」と溜息混じりで揶揄するように笑って千佳のあとを追いかけて行った。俺は倉敷さんの背中を釈然としないまま見送ったあと、携帯に届いた梓のラブコールで我に返り校門へと急いだ。
「せーんぱいっ! なーにやってたんですかぁ? 梓を一人残して……。寂しくて寂しくて死んじゃいそうでした」
梓は怪しく黒光りするリムジンの前で腕を組み、子供を叱るように言った。
「悪い、ちょっと友達に用事があってな。友達に」
俺が『友達』のところだけボリュームを上げて言うと、梓がそのキーワードに眉を反応させる。
「どうだ? 今度紹介するからさ、みんなでお茶でもしてみないか?」
三人の協力は得たが梓が会わないと言ってしまえばそれまでだ。
「……誰ですか?」
訝しげに聞いてくる。
「一人は俺の家の近所の千佳だよ。お前も知ってるだろ?」
「ああ、千佳先輩ですね」
何となく安心しているように見えた。こいつも初対面では多少緊張を覚えることもあるのだろうか。まぁ、千佳と梓は何度か顔を合わせたことがあるくらいでお互いのことはほとんど何も知らないっていうのが現状だ。
「あと二人いるんだけど、俺と千佳も一緒だから構わないだろ? どうだ?」
「……ええ、まぁ。真先輩が一緒なら何だっていいんですけど」
あまり乗り気なようには見えないがこれは良い機会だ。梓に友達と過ごすことは楽しいと思ってもらって、学校生活にも馴染んでもらえれば俺がいつも相手するようなことにはならないだろ。そうすれば俺の忘れ去られた平和な日常が……。
「先輩、妙に嬉しそうじゃないですか?」
「そ、そんなことはないですたい! いやぁ、これで梓に友達ができてまた梓の新たな魅力を垣間見ることができるですなぁと思えば、なっ!」語尾滅茶苦茶。
「そ、そんなに梓のことが知りたいんですかぁ? やだなぁもう、言ってもらえれば先輩のためならこの身全てをさらけ出すことだって厭わしくは思わないんですよぉ?」くねくね。
それは俺の斬首台直行チケットになるので遠慮しておきましょう。