太陽の笑顔で Ⅱ
おかしすぎる。
梓に会いたいなんて、そんな世迷言が頭の中を巡っていたその日、事態が変化を見せた。
それは全く予想できなかったことで、突然の出来事だった。
来訪者、授業中に何の前触れもなく現れるなど、誰が予想できようか。梓があれなら、やっぱりあんたもそんな感じってわけか。金持ちの世界はTPOとは無縁の世界なのか?
「失礼します」
静寂の中、突然教室のドアを開けて入ってきたのは、見覚えのある黒いスーツ、聞き覚えのある低くて重い声、黒いサングラス、もはや懐かしくも感じられる梓の専属警備人、斎藤さんだった。
「げっ」
俺は思わず声を上げる。その声も教室内のどよめき声にかき消された。そりゃそうだろ、あんな黒服サングラスのいかついヤクザみたいな人が授業中にいきなり現れたらいかんでしょ。言葉は丁寧なんだけどね、ここはカタギの世界っすから。
斎藤さんは口を固く結んで教室内を見渡す。ターミネーターだありゃ。
目が合った。多分。サングラスだからよくわからないけど、俺の方へまっすぐ歩いてくる。目的は俺か。って俺しかいないか。
斎藤さんが俺の目の前に立つと、クラスメイトは一斉に静まりかえる。こっち見ないで、もっと騒いでて下さい。
「こ、こんちは。はは……お久しぶりですね」
愛想笑いでご挨拶。む、無言で前に立たないでくれませんか。ちびりそうだよ。何かしましたかね、僕。毎日梓の携帯鳴らしてるのが迷惑だったとか? それくらいでこんなこと来ませんよね、よね?
「来栖真さん」
「は、はいっ!」
声が裏返った。クラスメイトは唖然としてこちらを見たり、手を合わせて拝んだり。え、俺殺される方向?
「今からご同行願えませんか?」
「えっ、い、今?」
そ、そうだよな。こんなところで手を出したりしないよな。い、いや、俺何も悪いことしてないから。してませんから!
「い、いやぁ、あの、授業中ですし」
「むっ。これは失礼しました。では、ここで待たせていただきます」
へ? ま、待つって……。
斎藤さんは先生に向かって一礼したあと、俺の後ろの梓の席に座った。クラスメイト一同、まだ唖然としていたが「続きをどうぞ」という斎藤さんの一言で前を向いた。先生は一度咳払いしたあと、何ともやりにくそうに授業を再開した。注意くらいしてくれてもいいんじゃないんですかねえ。
俺はそのまま無言のプレッシャーに耐えながら授業を受けた。
そして授業が終わり、ガタン、と後ろで席を立つ音が聞こえた。休み時間だというのに教室内は静かなまま。これはみんなのためにも教室を出て行った方がよさそうだ。
「い、行きましょうか」
「では、外に車を停めてありますので」
わお、早退決定。坂本さんに目配せすると頷きが返ってきた。先生への説明は任せて大丈夫みたいだ。
教室を出ると言うまでもなく注目の的。みんなの視線が気持ち悪い。ヤクザに連れられるいたいけな少年そのものだ。これなら梓と一緒に注目を浴びた方が遥にマシ。
授業の合間で、さすがに昇降口付近には誰もおらず、そこで俺はやっと目的を聞いた。
「あの、どこへ行くんですか?」
「お嬢様のもとへお連れします」
一瞬耳を疑った。どれだけガードマンに言い寄っても通してもらえなかったのに、斎藤さんはあっさりと口にした。願ったり叶ったりだが、突然のことに緊張が走る。どうしていきなりこんなことを、梓は今どうしてるのか、どこにいるのか、聞きたいことはいろいろあったが、何を聞いていいのかわからずに無言で足を進めた。
でもそれは、斎藤さんの方から話してくれる形になった。
「歩きながらで構いません。昔話を聞いていただけますか?」
「え? は、はぁ」
靴に履き替えながら答える。
外に出て、斎藤さんに足並みを揃えた。
「私の家系は先代から神宮寺様に仕えております。私は、お嬢様がお生まれになった時からそのお世話をさせていただいておりました」
表情は変わらず、淡々と話していく。
「あなたの知るお嬢様は、明るく、活発で、手に負えないほどのおてんば、といったところでしょうか」
「え、ええ」
「ですが、昔のお嬢様は今のように笑ったりすることは滅多にありませんでした。寡黙で、いつもいつも部屋で本を読んでおられたり、勉強をなさったりと、おてんばという言葉とはまるで縁のないお子様でした。実は、旦那様の奥さまはお嬢様をお産みになられてからすぐに亡くなっておりまして、それがあってか、旦那様は過保護なところがあるのです。外は危ないからと、お嬢様には外出を許しませんでした。私も、小さい子供と接するということは初めてで、正直、お嬢様とどう接してよいかわからなかったのが本音です」
母親のことは、少しだけ聞いたことがある。あの梓が寡黙だったって? そういえば、千佳も同じようなことを言っていた。公園で一度遊んだ時、あまり喋らないで、笑わない子だったって。それが、昔の梓。
「お嬢様が小さい頃、一度だけでした。楽しそうにお話しされたことがあるのは。それは、公園で遊んだという少年のことです。我々の目を盗み、外に逃げ出した、と言うのが妥当でしょうか。その時に出会った少年、あなたのことです」
「でも俺、その時のことは全く覚えてなくて」
「それはお嬢様もおっしゃっておりました。お気になさらずに。小さい頃、それもたった一度だけですから仕方ありません」
なんか、見た目と違ってすごくいい人だ、斎藤さん。
でも、梓が言ってたって、やっぱりあいつは覚えていたんだな。俺と梓の『遊んだ』っていう意味は違うものなんだろう。梓にとっては、多分初めての遊びだったんだ。
車に着き「どうぞ」と後部座席に招かれる。いつものリムジンとは違い、黒い高級セダンだった。そのまま車は走り出し、斎藤さんはまた話し始める。
「その頃から、お嬢様は外を眺める時間が多くなっていきました。ですが、やはり旦那様は一人で外に出ることはお許しになりませんでした。そして二年前の夏、また屋敷を抜け出したお嬢様は、偶然あなたに再会した」
「それは、覚えてます。その時の梓は、たしかに今とは感じが違いました」
「話しは変わりますが、正直に申しあげまして、私はあなたのことはお嬢様にふさわしいとは思っておりません」
ぐっ、い、いきなり不意打ちだな。わかってるよそんなこと。あんたも梓からの一方的だってことわかってて言ってんのか?
「ですが、あなたと再会してから、お嬢様はよく笑うようになりました。それはもう、本当に人が変わったように。あれから大変でしたよ。外に出ると言って聞かなくなりまして。私が護衛するという条件で外に出ることを許可されました。今じゃ毎日あなたの話しを聞かされてまいってますよ」
「それはすんませんね」
「失礼しました。しかし私は、そんなお嬢様が嫌いではありません。むしろ微笑ましく思います。今のお嬢様の方が、よっぽど年頃の女の子らしいと思います。あなたは私にできなかったことをしてくれました。ですから、あなたにお願いします。私はこのまま昔のお嬢様に戻って欲しくはないのです」
なんだ、それ。梓が昔に戻ってるみたいな言い方を。
「梓は、今何をしてるんですか?」
「あの日以来ずっと部屋に閉じこもっています。決して部屋を出してもらえないわけではありません」
「そんな、どうして……」
それじゃ、梓が俺たちに会わないって言ったのが、まるで梓自身が言ったみたいじゃないか。
「旦那様からあなたとのことを聞いたのです。それ以来部屋にこもりっきりです。ご友人と一緒にいらっしゃった時、『会わない』と言ったのは紛れもなくお嬢様自身」
「なっ……!」
なんで、どうして……! あれほどみんなと遊ぶのが楽しいって言ってたじゃないか。真先輩真先輩って、うざいくらいに言い寄って来てたお前がどうしちまったんだ。
これじゃ本当に自惚れもいいとこだ。馬鹿みてえじゃん、俺。それなら、梓の意思だって言うんなら、俺が会う意味なんてないじゃないか。
「あなたと旦那様の兼ね合いを聞いたあと、お嬢様はもう迷惑をかけたくないとおっしゃっておりました。近付けば近付くほど、あなたが迷惑すると。一時は旦那様との口論になりましたが、旦那様も譲れぬところはあるようなので」
そりゃそうだろう。相手がこんな平凡な高校生じゃな。へいへい、何度も言うなって。
だけど、俺にやるべきことが見えてきた。
迷惑、ねぇ。
それから斎藤さんは黙ってしまった。
そして五分ほどの沈黙が続き、目的の神宮寺家が見えてきた。
正門に立つガードマンも何事もなく車を通し、一週間前の押し問答が馬鹿らしく思える。
長い石畳の通路を走ると、正面玄関が見えてくる。屋敷の大きさに違わぬ立派な門。そこで車を停めると思いきや、屋敷の裏手の方に周り、花が色とりどりに咲く庭の横で車は停まった。
「旦那様に見つかると少々面倒なので」
やっぱり、これは斎藤さんの独断によるもの。梓に笑って欲しいっていう斎藤さんの思い。やめてくれよな、プレッシャーがかかる。
「裏口から、お嬢様のお部屋へ案内します」
目の前には扉があった。裏口と言っても貧相なものではなく、それだけでも俺の家の玄関より立派だ。
静かに扉を開けて中に入ると、まず目に飛び込んできたのはいくらするか想像もつかない、綺麗な花が描かれた壺。広くて長い大理石の廊下を見渡すと、それらしい調度品が規則正しく並べられてあった。思わずきょろきょろと周りを覗う。人の気配はせず、静かな館内だった。
「飾られている骨董品にはご注意ください。あなたが家族総出で一生働いても弁償できない額ですので。さ、急ぎましょう」
注意しろと言って急かすなんて、脅すか急かすかどちらかにして欲しい。
途中途中、斎藤さんが物陰から廊下の様子を覗い、合図をして俺を誘導する。スパイ大作戦かっての。梓に会うだけなのに、気苦労が半端ない。
学校の階段よりも広くて豪華な階段を一つ上がり、廊下を進み、曲がり、進み、曲がり、また一つ階段を上がり、妙に可愛く飾り付けしてあった扉の前に着いた。ここが梓の部屋か。もう一度一人でここに来いって言われても迷いそうだ。
「心の準備はよろしいですか?」
そ、そんな言い方されると余計に緊張するでしょうが。心の準備、心の準備、いや、大したことはない。ただぐずっている梓の尻を叩いてやるだけだ。よし、よし、すぅー……はぁー……。
「はい」
俺の返事を聞くと、斎藤さんは扉を二回ノックした。少し間が空いて「はい……」と中からか細い声が聞こえた。間違いなく、梓の声だ。
「斎藤です」
また少し間が空き、「どうぞ」と声がかかる。
斎藤さんもどこか緊張している様子で、ゆっくりと、扉を開けた。斎藤さんはそこまでで、手で『どうぞ』と俺を招き入れる。
声を掛けながら入ろうか迷いつつ、無言で侵入。
部屋の中は赤い絨毯が敷き詰められてあり、右奥にはキングサイズのカーテンベッドが存在感を出し、その横にはアンティークのドレッサー。対して部屋の左手には飾り気のない机が寂しく置かれていて、部屋の中央にはグランドピアノが陣取っている。
教室よりも広い部屋の中、奥の出窓の前に座り、外を眺めている女の子がひとり。
久しぶりに、もう懐かしい、梓の姿。
髪は下ろしていて、薄ピンクの光沢のあるシルクのパジャマに身を包み、こちらを振り向くことなく外をぼーっと眺めていた。
斎藤さんは身を引き、ゆっくりと扉を閉める。
「斎藤さん、何のご用ですか?」
冷めている、そして平坦な細い声だった。
まだ俺がいることには気が付いていない。梓はいっこうに振り向く様子を見せず、たまに髪をかき上げ、こちらの言葉を待っていた。
「そこからだと、何が見えるんだ?」
俺が声をかけると、梓はぴくりと肩を反応させた。
「真……先輩?」
梓は少しだけ顔を傾け、こちらからは横顔だけが見える。でもそのまま、また窓の外を眺め始めた。
ちくしょうめ、斎藤さんが言ってたのは本当だった。お前が散々追いかけ回していた男がここにいるんだぞ? いつものお前なら飛び跳ねて襲いかかってくるだろうが。今ならば甘んじて受け止めてやるくらいはしてやるのに。
「全然連絡もしないで、何してたんだよ。みんな心配してるんだぞ?」
「……そうですか」
「この前だって、千佳と倉敷さんと裕也でお前に会いに来たんだけどな」
「……知ってます」
「みんなお前に会いたがってる。なぁ、学校出て来いよ」
「……………………」
……はぁ、こりゃ重症だ。どうしたもんか。こんな梓を目の前にするのは初めてだ。
「お前だって、こんなとこに閉じこもってないでみんなと遊びたいだろ?」
「…………………………………………」
あはは……。
「また街に行こうぜ? おおそうだ! 今度ゲーセンに新作のリズムゲームが入るんだってよ。プリクラも新機種が出るそうだ」
「…………………………………………」
独り言になってる。ったく仕方ない。あれを話すしかないのかな。
「親父さんと、話したんだって? 聞いたんだろ?」
「……はい」
やっと喋りやがった。一番気にしてるのはやっぱそのことか。
「た、たしかにさ、お前に手を出したり泣かせたらきつーいお仕置きするって言われてたけどさ、今まで何もなかったんだし、気にすることないだろ?」
「先輩は、パパに言われてたから、今まで梓に付き合ってくれてたんですよね。梓のことなんて、別に好きでもなんでもなかった。パパのことが怖いから、仕方なく、梓の我が儘に付き合ってくれていた」
うっ……それはごもっとも。
そうだよ、そうだった。だけどな、お前がいなくなって、寂しいって思ったのも本当だ。会いたいって思ったのも本当だ。口が裂けてもそんなこと言えないけどな。
「違いますか?」
そこでようやく梓はこちらを向いた。
俺が知っている梓とは違う。目には覇気がなく、悲しげな目をしていた。だけど真っすぐに、俺を見つめる。そんな目で見るなよ。俺が会いたかったのは、そんなお前じゃない。
「そうだったとして、それがどうしたんだ?」
「どうしたって……」
「お前なぁ、俺が今までたった一度でも俺がお前のこと好きなんて言ったか?」
らしくねぇ、全然らしくねぇよ。
「そ、それは…………言われたことないですね。寂しいな」
梓はうつむいて、小さく漏らした。
「そうですよね。先輩は昔っから困ってる人を放っておけない人なんですよね。あの時も、街で助けてくれた時も、みっちー先輩が買い物で困ってた時も、先輩は優しいから。だから……梓は……。でも、梓は今困ってるわけではありません。だから、構わなくてもいいです」
俺から目を逸らして、寂しそうに呟く。
「別に、お前が困ってるとか、そういうんじゃねえよ。お前さ、俺が好きとか言わなくても、それでも俺に付きまとって、連れ回して、どうにか俺の気を惹こうとしてたんじゃないのかよ。俺と一緒にいたかったんじゃないのかよ」
梓はバツが悪そうにうつむく。
自惚れ復活だ。お前は、やっぱり俺のことが好きだ。絶対そうだ。
「それが親父さんから俺が圧力かけられてるって知ったからどうだって言うんだ。関係ないだろ、お前には」
「でも、パパはやると言ったらやる人です。梓が先輩に近付けば、それだけ先輩を困らせることになるんです。迷惑をかけてしまうことになるんです。そんなの、梓は耐えられません」
あーもう、うじうじうじうじしやがって。全然らしくねぇ、らしくねぇよ梓!
すっげえ勘違いだよお前。だからって何が解決するわけでもない。でも言わせてもらう。
「いいかよく聞け! お前が俺に迷惑をかけてないなんて今までこれっぽっちもないんだよ! ああ迷惑だ! お前が俺に付きまとうのはな! だけどな、そんなこと今に始まったことじゃねえんだよ! お前が俺のこと気遣ったことなんてあったか? 俺の都合を考えたことなんてあったか? いまさら迷惑をかけるなんて言われてもこっちはもう慣れっこなんだよ! ワガママお嬢様はそれらしくワガママを貫き通しやがれーーーーーーっ!」
ふっ、ふふふっ、はははっ、ど、どうだこのやろう。
梓に目をつけられたおかげで、俺はなんて苦労してるんだ。自分の撒いた種でもあるが迷惑だ。
今回みたいなのが、一番迷惑なんだよ。
だから、さっさといつものお前に戻りやがれ。いつもの迷惑で、安心させてみやがれ。
梓はきょとんとして、腹の底から言い放った俺を見つめていた。
「……ふぇ?」
「いまさら都合良過ぎだろうが。今まで迷惑かけた分、きっちり責任取りやがれ」
「えっ……それって……」
梓は一度驚いて、またうつむいて、黙り込んでしまう。
俺は、梓に近付いて、優しく頭を撫でた。
「みんなにも会って謝るんだ。心配かけてごめんなさいってな。そ、それにな、す、少しだけ寂しかったんだぞ。お、お前がいない、一週間」
これが精一杯だ。これ以上はどう譲渡しても言えない。現実、ここには梓の父親だっているんだしな。その関係は変わらないのだ。
「うっ…………ううっ…………」
「おいおい泣くなよ。ったく。明日からまた学校行こうぜ?」
やれやれだ。これで、出て来てくれるかな。
「うあーーーーーーーーっ! 先輩の告白キターーーーーーーー!」
ええっ!?
「責任取ります! 責任取りますともっ! さぁさぁ、愛を育みましょう!」
な、泣いてたんじゃないのか?
「うへへへ……」
梓はいやらしく笑い、何やらリモコンのようなものを取り、スイッチを押した。
背後でガシャンと音がして振り返ると、部屋の扉がシャッターで覆い尽くされていた。
「なっ……!」
「うへへ……。もう逃げられませんよ。この部屋はあそこさえ封じてしまえば逃げ道はなし、そして防音効果もばっちりです。どれだけ叫ぼうと、喘ごうと、誰も気付くことはありません」
悪寒を感じ、その場から飛びのいた。梓はゆらありと立ち上がり、獲物を捕る鷹のような目でこちらを見据える。両手も開いて鷹の爪の真似でもしているのか。涎、垂れてる。
いつの間に復活しやがったこいつ。とりあえず逃げないと、逃げ……どこに!?
「大願成就です。この前成し得なかったことを、今っ!」
うわあああああああああああああっ!
梓に追いかけられ、ベッドに押し倒される。どこに持っていたのか、手錠により拘束された。万事休す。
覆いかぶされ抱き締められ、梓の匂いが、後ろからも前からも。薄生地のパジャマが、体の感触を隠さずに伝える。
ううう……か、覚悟を決めるのか?
梓の唇が迫り来る。
俺は目を閉じて、唇を固く引き絞った。
ちゅっ、と柔らかい感触が、頬に触れた。
目を開けると、梓はとても魅力的に、笑っていた。
「先輩、大好きです。今はこれで我慢してあげます。いつか、絶対に振り向かせますから」
その笑顔に心奪われていたことは、一生の秘密になった。
ちくしょう。
可愛いな、こいつ。