一章 ACT-5 アドニス村の騎士
夜風が心地よくルシフェルの黒髪を撫でている。
ルシフェルは小型飛行機で、領地であるアドニス村へと帰還する途中だった。後、五分ほどで到着するが、ルシフェルは落ち着いた表情で星を眺めていた。
眼下のアドニス村はまだ多くの家の明かりが点いていたので、滑走路を探すのは容易な事だった。
それよりもルシフェルの不安は王国との戦のことだった。
王国と戦になれば、皇帝の言うとおりルシフェルの願いは叶うかもしれない。しかし失敗した時の代償が大きすぎるということもルシフェルの脳裏にあった。
小型飛行機はルシフェルの屋敷の付近にある滑走路に着陸した。完全に停止すると、屋敷の方から一人の人影が近づいてくるのが確認出来た。
「ルシフェル様、お帰りなさいませ」
ルシフェルに敬語で話し掛けた男は白色の髪に、鎖帷子を装着していた。顔は綺麗に整っている。
「エルヴィン、リオンは俺の頼んだ仕事をこなしているか?」
エルヴィンと呼ばれた男は静かに頷いた。
「はい。リオンさんは朝から倉庫に篭りっぱなしです。多分そろそろ終るころではないかと思いますが……」
「そうか。なら夜食の前に倉庫に寄らせて貰うぞ。先に酒の用意をしてくれ」
「はい」
エルヴィンはルシフェルの仮面の騎士の衣装を手に抱え、屋敷へと戻っていった。ルシフェルはエルヴィンの背中を見送ると、敷地内にある倉庫へと向かった。
屋敷の敷地内にある倉庫は正直言って、あまり質のいいものではない。只の廃屋を改装しただけのぼろい納屋のような建物である。
その倉庫はまだ明かりが灯っていて、中からは金属音が聞こえていた。
ルシフェルは倉庫の扉をくぐり、中に入った。中では一人の少年が金属で出来た骨組みに溶接作業を行っていた。
「リオン、帰ってきたぞ」
リオンは眼鏡をかけた大人しそうな少年だった。リオンはルシフェルの存在に気付くと、威勢のいい声を張り上げた。
「ルシフェル様! 帰っていらしたのですか?」
リオンは骨組みから器用に飛び降り、ルシフェルの下に走り寄った。
「リオン、あれは完成したか?」
「はい。予定通りにCVO(座標ベクトル演算)システムが完成しました。後はこれを搭載した本体を作るのみです」
ルシフェルはそこで表情を暗くした。
リオンもそれに気付いたのか、首をかしげる。
「すまない。実は五日後に出撃命令が出ている。お前は残ってこれを仕上げてくれないか? 完成し次第、前線に持ってきてくれ」
「はい。僕もそれが本望です。どちらかというと戦場はあまり好みじゃないんです」
「誰だってそうだ。それと村の皆に出撃の旨を伝えてくれ。明日からは訓練を強化する」
「分かりました。それよりもこの”ミネルバ”を開発した暁には、やはり帝国に寄贈するんですか?」
「いや、これはお前が作ったものだ。誰にも渡さん。心配するな」
ルシフェルはそう言って、目の前の人型に近い骨組みを見つめた。既に完成は近づいている様で、パーツがところどころに組み立てられている。
このミネルバは帝国の切り札と言っても過言ではないほどの強力な兵器だ。人型に設計された機体はそんじょそこらの魔法ではビクともしない。
そして両肩に装備された荷電粒子砲は戦場の敵を一掃する。完成すれば正に一騎当千だ。
「す、すみません。お飲み物を……」
背後から静かな女性の声が聞こえた。ルシフェルは溜息をついて振り返ると、そこにはメイド服に身を包んだ銀髪の美しい女性が立っていた。
「カミラ、俺は酒を用意しろとはいったが、ここに持って来いとは言っていないぞ」
銀髪のメイド、カミラはハッとした顔になり、必死に頭を何度も下げた。
「申し訳御座いません! 申し訳御座いません! 次からは注意します……」
「いや、そこまで必死に謝らなくてもいい。まあ、次からは気をつけてくれ」
ルシフェルはそこで思い出したようにカミラを振り返った。
「そうだ。フェイトに餌をやったか?」
「すみません! 次からは気をつけます……だから、痛いお仕置きはしないで下さい……」
「するか! お前の前の主人がどんなことをしていたか知らないが、俺は別にそんなことはしない」
カミラは少し安心したのか、肩から力を抜いた。ルシフェルはカミラからリオンに視線を移した。
リオンは二人の会話の最中、終始静かにしていた。
ルシフェルはカミラと初めて会った時のことを思い出していた。
カミラは元々、町の奴隷商人に売り飛ばされそうになっていたところをルシフェルが助けたのだった。カミラはそれからルシフェルの屋敷で働く様になり、ここに住み着いた。
カミラは要領もいいし、割としっかりしているのだが、肝心なことでミスをするというところがあった。普段は有能なメイドなのだが、少しヌケているのだった。
ルシフェルはリオンを酒盛りに誘った。
「リオン、中で一杯やろう」
「喜んで」
三人は並んで、倉庫から三百メートルほど離れたところにある屋敷へと向かった。
ルシフェルの屋敷は巨大だった。
白い大理石の外壁で、屋根には細工が丁寧に施されていて、そんじょそこらの貧乏貴族の屋敷なんかよりもずっと豪華な作りだった。
ルシフェルが巨大な屋敷の玄関を開けると、何時もの光景が目に入った。
何時もの光景、それは玄関の大広間のソファーに下着姿で横たわる黒髪の女性だ。下着だけしか身に着けていないというあられもない格好をルシフェルたちに晒している訳だが、何時ものことなのでルシフェルは気にしない。
「いけません! ユフィ様! その様な格好を!!」
カミラは急いで、近くの毛布を下着姿の女性に掛けた。
ルシフェルはその女性を無視し、奥へと進んだ。
「無視するのか? 愛想が悪いな」
ユフィはゆっくりとソファーから起き上がり、ルシフェルに近づいた。リオンは下着姿を直視し、顔を赤らめる。
ユフィはそのままルシフェルの首に手を回し、抱きついた。
「おかえり、ルシフェル」
「ああ、ただいま」
何時ものように返事を返す。
ルシフェルの声には感情が篭っていないが、それも何時ものことだ。
ユフィとの関係は、人には説明しにくい。別に恋人ではないのだが、赤の他人という訳でもない。只の居候のようなものだ。しかし人の屋敷の食物を食い散らかすので、ルシフェルは食物庫に鍵をつけるという対策をとっていた。
「あらあら、ユフィさん? 私のルシフェル様に何か御用かしら?」
絶賛抱擁タイム中の二人に階段の上から柔らかな声が聞こえた。声の主の見当はついている。
「ローザ、丁度いい、これから夜食を摂ろうと思っていたところだ。下りて来てくれ」
ローザは綺麗にカールした桃色の髪を持った美少女だ。階段をネグリジェ姿で下りてくる姿は何処ぞの名門貴族のご令嬢のように見えるが、実際は風俗店で働いていた娼婦だ。
そして何よりもそのふくよかな胸に目が行く。思わず見惚れてしまうほどだ。
「何だとローザ。ルシフェルは誰の物でもないぞ」
ユフィがルシフェルの右手を掴み、自分の方へ引き寄せた。
階段から下りてきたローザはルシフェルの左手に腕を絡め、その胸を押し付ける。
「では早速、夜食に致しましょう」
二人に両腕を取られたルシフェルは非常に動きにくそうだ。結局は二人を振り払い、ソファーに着いた。ユフィが左に、ローザが右に座り、ルシフェルを挟む形をとる。ルシフェルの向かいにはリオンが座った。
丁度良く、そこに夜食を持ったエルヴィンがやって来てワインやおつまみ程度の食事をテーブルに置いた。
「エルヴィン、座れ。カミラも遠慮するな」
「畏まりました」
「はい……でも宜しいのですか?」
「構わない。座れ」
二人はリオンの両脇に座った。
全員が座ったのを見て、ルシフェルは揃った面々を見渡した。
皆、平民の出だ。この屋敷に住んでいる者に貴族は居なかった。
エルヴィンは農民出身。カミラは奴隷出身。ユフィは元浮浪者。リオンは町工房の下っ端職人。ローザは娼婦出身だ。
まるで世界の下の身分の人間を集めたような集団だが、ルシフェルに対する忠誠心は皆、人一倍だった。
「実は五日後に出陣命令が出た。知ってる者もいるだろうが」
ルシフェルはその場に集まった者に戦のことを伝えた。
「あら、私もご一緒出来るのかしら?」
ローザが色気を含んだ声でルシフェルの肩に顔を乗せた。
ルシフェルは照れる素振りも見せず、淡々と続ける。
「リオン以外は全員を連れて行く。それで構わないな? もし都合がつかないなら残ってもいいが……」
ルシフェルの言葉には誰も言葉を返さなかった。全員が参加出来るという意思表示だ。
「では五日後だ。今は夜食を楽しもう」
ルシフェルはワインのコルクを抜き、初めにユフィのグラスに注いだ。それを見たローザがルシフェルの顔を細い指で撫でる。
「あら? 私にはお酌して下されませんの?」
ルシフェルはふぅ、とせつなげに溜息をついてローザのグラスに注いだ。続いてエルヴィン、リオンのグラスにもワインを注ぐ。カミラはグラスを持たずに畏まっている。
「どうした? 飲まないのか?」
「いえ、ルシフェル様のお酌なんて私には……」
「遠慮するな。ほら、グラスを出して」
カミラはもじもじとしていたが、グラスをゆっくりとルシフェルの方へ突き出した。
ルシフェルはそれにワインを注ぐ。
「それじゃあ、乾杯。皆の幸運を祈ろう」
ルシフェルが出したグラスに皆のグラスが当たり、心地よい音が響く。
こうして六人が揃うと、何処かの大家族のようにも見えなくはない。実質的には主従関係なのだが、その空気は全く感じ取れない。
小一時間が経ち、食卓に用意された食事がほとんどなくなった頃には、ローザは心地よい寝息を立ててルシフェルの膝にいた。カミラとエルヴィンが片付けを始め、リオンは仕事場へと戻っていった。
ユフィは相変わらずの格好で、ソファーに寝そべっている。
ルシフェルはローザを起こさないように抱きかかえ、寝室へと運んだ。
こういった夜食の場になれば、大抵、ローザがルシフェルの膝で寝てしまう。それを寝室まで運ぶのが、俺の仕事だ。
どちらが主人なのか分からない状況だが、この屋敷では基本、皆平等なので別におかしい事ではなかった。
「おやすみ、ローザ」
ルシフェルはローザを彼女の寝室まで運んで、ベッドに寝かせた後は必ず髪を撫でてこのセリフを言う。別に深い意味はないのだが、ルシフェルはローザを可愛がっているので、自然にこの言葉が口をついて出てくる。
例えるならば、娘だろうか? ルシフェルはそう思うことにした。
ルシフェルはその寝室を後にし、自分の寝室へと向かった。
ルシフェルの寝室は一番の上の階の豪華な部屋だった。
壁には美しい絵画が飾られていて、ベッドは柱が四隅にあるタイプのものだった。そして何よりルシフェルが大事にしているのは、絵画や彫刻よりも最愛の妹、フレーナの写真だった。
フレーナは笑顔でその写真に写っていた。
「フレーナ……お前はどうしてるかな? 俺がもう直ぐ向かえに行くからな」
ルシフェルの呟きには深い愛情と想いが込められていた。しかしそれを聞いていたのは同室にいる鷹のフェイトだけだった。
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